波乱の生徒会選挙デスケド。
三月。もう間もなく、クリオア学院での生活も一年を迎える。このような次の学年へと移る準備が始まる時期に行われるのは、生徒会選挙だ。
「バリファ先輩は、今年も立候補されるんですか?」
ルキナは、一か月に一回の生徒会が終わったタイミングで、ベルコルにまた会長を目指すのか尋ねた。ちょうど今日、選挙管理委員会が生徒会長の立候補者を募り始めた。もし、ベルコルが選挙に出るなら、ルキナは選挙活動に協力しようと思っている。
「立候補しますよ」
ベルコルがそうはっきり言うと、生徒会室に残っていた生徒たちが「おー」と謎の歓声を上げた。
「先輩、何かお手伝いすることはありますか?」
ルキナがベルコルの選挙活動に尽力する意思を伝えると、ベルコルが「ありがとう」と笑顔で言った。
「でも、今すぐは動けないから、必要になったら声をかけさせてもらうよ」
選挙活動の期間は決められている。その期間外の活動は禁止されているので、立候補することを早めに決めていても、今はできることが少ない。
「待ってますね」
ルキナは、ベルコルから離れ、シアンのところに行った。
「シアンも手伝いなさいよ」
ルキナが言うと、シアンは一瞬だけ固まったが、すぐに「はい」と答えた。固まっていた時間は、何に対する手伝いか考えていたのだろう。
「これも逆ハーレムに関係あるんですか?」
シアンがひそひそとルキナに尋ねる。
「そうよ。ベルコルはゲームの中…四級生の時も生徒会長なのよ。シナリオ通りに進めるなら、何としてでも会長になってもらわないと」
「来年はユーミリア様がいらっしゃるのに、まだシナリオ通りにやるんですか?」
「私がモテるまではそうするしかないでしょ」
「お嬢様にモテス…」
「モテスキルね、はいはい。すみませんね、モテ方知らなくて」
ルキナはぶっきらぼうに言って、シアンに顏を近づけるのをやめた。他の生徒会役員たちはもうほとんど生徒会室を出て行ってしまった。いつまで居座って話す意味がない。ルキナは、シアンに外に出ようと言い、出口に向かって歩き始めた。
「ユーミリア様に教えていただいたらどうですか?」
シアンが後ろについてきながら言う。ルキナは、首だけをシアンに方に向けて、「無理」と言う。
「ユーミリアのは、体質よ、体質。真似しようがないわよ。協力してくれるとは言ってたけど、たぶん良いアドバイスはもらえないわ」
ルキナは、ユーミリアには期待していない。ルキナがモテたいことは理解しているので邪魔はしてこないだろうが、彼女にできそうな協力などたかが知れている。
「あ、今年もいっぱいもらうのかしら。クッキー」
ルキナはそう呟いて、シアンの方を見た。シアンが「何のことですか?」と首を傾げる。
「シアンの話よ」
「…え?」
「クッキー。今度のファレンミリーもいっぱいクッキーもらうのかなって」
「あ、ああ…どうなんでしょう」
ルキナが脈絡もない話を、しかも言葉を省略しまくったので、シアンはなかなか理解できなかった。ルキナの頭の中では、モテるという話をしていた流れで考えたことなのでちゃんと繋がっている。
「僕にはお嬢様の頭の中は見えないんですから、ちゃんと全部言ってくださいよ」
ルキナが自分の言いたいことはシアンにわかって当たり前の態度でいるので、シアンはそんなことは無理だと言う。
「私たち、長年一緒にいるけど、いまだに心は通じ合ってないのね」
ルキナがやれやれのポーズをする。
「通じ合ってたら、合ってたで、なんか嫌ですけどね」
シアンがルキナを突き放すように言う。それに対してルキナがムッとする。
「ちょっと、それどういう意味?」
「わからないですか?やっぱり僕らの心が通じ合えることは一生あり得ませんね」
「あ、やっぱり失礼な意味で言ってたんでしょ」
ルキナが腰に手を当てて怒ると、シアンは嘲笑うような目になった。
「さあ、どうでしょうね」
「シアンって、時々可愛くないわよね」
ルキナは腰に当てていた手を下ろしながら言った。
「その言い方だと、いつも可愛いみたいじゃないですか」
シアンがちょっと不機嫌な声になる。
「ん?可愛いわよ、いつもは」
シアンがルキナに可愛いと言われるのを嫌がっている。ルキナは、シアンの反応が可愛くてニヤニヤする。
「男に可愛いって。お嬢様の感性はどうなってるんですか」
シアンが呆れるが、ルキナは痛くも痒くもないもない。今はルキナの方が優勢だ。
「安心して。いたって通常運転よ」
ルキナはふふんと鼻を鳴らす。片手だけ腰に当てるが、今度は先ほどと意味が違う。これは勝利を確信し、それを誇示するポーズだ。
「それで通常運転なんじゃ駄目なんですよ」
シアンがルキナをジト目で見る。その視線を払うように、ルキナは手をひらひらさせる。
「女の子はおじさんにも、かわいー!だからね。普通よ、普通」
「僕には女の子がわかりません」
シアンがルキナの話を聞いて困惑している。
「ほら、今だって、シアンかわいー!って思ってるわよ」
「嬉しくないです」
「まあ、シアンが可愛いって言われるのは嫌いって知ってるけどね」
今まで何回もルキナはシアンに可愛いと言ったことがある。だから、シアンが可愛いと言われたくないことも、当然知っている。それでもやめないのは、からかいたいからだ。
「じゃあ、やめてください」
「そこが可愛いのよ」
ルキナが引く気配を見せないので、シアンがむーっとする。ルキナは、笑った。
「だから、そういうとこだって」
「号外だって、号外!」
メディア部によって発行された校内新聞を持って、マクシスが生徒会室に走ってきた。ゴシップが好きなマクシスは、校内新聞をもれなく手に入れている。
生徒会役員は、生徒会室の整理に来ていた。次年度の生徒会長を決める選挙を前にして、手の空いてる人が集まって掃除をすることになったのだ。
「立候補者は二人?」
マクシスから新聞を受け取ってシアンが読み上げる。生徒会長立候補者募集が開始してから一週間。今日受付が締め切られたのだ。この号外はその速報として、立候補者の情報が書かれている。
ルキナは、シアンの持つ新聞を覗き込もうとする。それをシェリカが邪魔をする。ドンとルキナを肩で押しのけてシアンの近くに行った。
「ちょっとシェリカ!」
ルキナが怒鳴る。しかし、シェリカはこちらを見向きもしない。新聞に集中してしまっている。ルキナの邪魔をしてきたのはわざとじゃないだろう。いつもは照れて近づこうとしないシアンの横にも普通にいる。
「もう…。」
ルキナは肩をすくめてシェリカの顔を見る。
「会長の他に立候補者がいるってことですね」
ティナがすました顔で言う。マクシスがそれに頷く。
「リリ・ブランカだって」
マクシスは一通り新聞を読んであるので、内容を教えてくれる。
「リリ・ブランカ?」
ルキナは、知らない名前に首を傾げる。すると、背後から「同じ三級生だ」と低い声が聞こえてきた。
「バリファ先輩、知ってる人ですか?」
ルキナが後ろを振り返ると、ベルコルがペンを動かしていた。生徒会の仕事だろう。こんな時も時間を無駄にはしない、優等生の鑑だ。
「三級生で晩年二位の人だよ。もちろん、首位は会長だけど」
ベルコルがリリがどんな人なのか説明してくれる。だが、その言い方におかしいところがあり、チグサがそれを指摘する。
「晩年は死んだ人に使う言葉」
「勝手に殺してごめんなさい」
マクシスが両手を合わせて誰もいない方に向かってぺこりとした。リリに謝っているつもりらしい。
「ブランカ家っていうと、第三貴族ですか」
ノアルドが呟くように言うと、ベルコルが顔を上げて頷いた。
「中等学校の時から、何かとつっかかってくる奴で…。たぶん今回も、僕にちょっかいを出したいだけだと思います」
ベルコルはそれだけ言うと、また机の上に視線を戻した。
「ちょっかいをかけるために会長に立候補…。」
ルキナは、リリの人物像がはっきりしなくて困惑する。それはノアルドも一緒だ。ルキナとノアルドが苦笑していると、ミッシェルが言った。
「あの人、二級生ではちょっとした有名人だよ。朝から晩まで図書館に籠ってずっとお腹の虫鳴らしてるとか、正門から中央塔までの道を延々と走り続けてるとか、いろんな噂があって」
ミッシェルが笑いながら話す。
「なんですか、それ」
ノアルドもミッシェルと一緒になって笑う。
「いや、ほんとなんだって。あとは、文化祭でピアノの演奏を披露したのに、聞いたこともない気持ち悪い曲だったとか、あの自由参加の生徒集会には毎回参加するけど、ずっと後ろを見てるとか」
「そんなにいろんな話があるんですか。でも、噂なんでしょう?」
「人から聞いた話ってだけで、ちゃんと見た奴がいるんだよ」
ミッシェルとノアルドが話しているのを聞いて、ルキナはますますリリのことが理解しがたい存在のように思えてきた。
(変人…?)
ルキナは、リリ・ブランカという人物に興味がわくと同時に、少し怖く思う。
(変人には近づくべからず、ね)
ルキナは、好奇心に身を任せて、リリに会いに行くのはやめておくことにする。
「それより、問題は応援演説を誰がやるのか、ですよ」
マクシスが力強く言った。生徒会室の皆が黙った。
「知ってますか?リリ・ブランカの応援演説、ルイス様がされるそうですよ」
マクシスが興奮気味に言う。
「兄上が?」
ノアルドが真っ先に驚きの声を上げた。マクシスは裏のある確かな情報だと言う。ノアルドは兄がリリの応援演説を行うことは知らなかったらしい。
「まさかルイス様を後ろ盾に立てるとは」
ルキナが苦い顔をする。ベルコルは相変わらず手を動かしていて、話を聞いているのか、聞いていないのかわからない。当の本人より、よっぽどルキナの方が深刻そうな顔になっている。
「もうここはノア様に応援演説をしていただくしか…!」
ルキナは、ベルコルを生徒会長になってもらうために躍起になっている。
(王子が来るなら、こっちも王子を出すまでよ)
ルキナが真剣な顔をしていると、ノアルドがルキナに「そんなに私に演説してほしいんですか?」と尋ねた。ルキナは「もちろんです!」とノアルドに近づいて言った。
「二人とも、会長の意思を聞かずに話進めるなよ」
ミッシェルがルキナを止めに入った。ルキナははっとして、ベルコルに謝った。
「いえ、ノアルド王子がよろしければお願いしたいくらいですけどね」
ベルコルも、ノアルドに応援演説をしてもらうことに魅力を感じているので、ルキナを頭ごなしに叱ったりしない。むしろ、ルキナに感謝しているくらいだろう。誰かが言い出さなければ、ベルコルはノアルドに演説の話をお願いできない。
「あ、はい、私も、会長のお役に立てるなら、演説しますが…。」
ノアルドは、ルキナに推された後だったからか、応援演説のことを容易く了承した。結局、無事、ベルコルの応援演説はノアルドに任すことが決まった。
「私、リリ・ブランカの方に行く」
応援演説の話がまとまった頃、チグサがぼそりと言った。
「姉様!?」
マクシスが驚く。驚いているのはマクシスだけじゃない。
「え?なんで?」
ルキナはチグサに駆け寄る。チグサは絶対ベルコルの応援をすると思っていた。積極的な応援はしないにしても、ライバルの応援に行くことはないと思っていた。
皆が驚いている中、ベルコルは穏やかな表情で頷いた。ご自由にどうぞと言うような笑顔だ。チグサが小さく会釈をした。
「姉様、僕も一緒に行きますからね」
マクシスがチグサの前で跳ねて己の存在を主張する。こうして、生徒会長の座を狙う戦いの火ぶたが切って落とされた。
ノアルドがベルコルの推薦責任者になったという噂は瞬く間に広まった。
「王子二人で直接対決なさるんだと」
「聞きまして?兄弟対決だそうですよ」
「今回の生徒会選挙はおもしろいことになるな」
生徒たちは選挙のことで話題が持ちきりだった。
「これほどまでに生徒会選挙が盛り上がったのは年ぶりのことだろうか」
ルキナが、候補者の支持率の中間発表のポスターを睨んでいると、隣にハイルックがやってきた。
「一級生のあんたが何言ってるのよ」
ルキナがツッコミを入れていると、ハイルックがポスターに手を伸ばした。ハイルックは、ポスターを迷いなく剥がしてしまった。ハイルックが何をするつもりなのか、ルキナが様子を見ていると、タシファレドが新しいポスターを持ってやってきた。今度は、タシファレドがそのポスターを貼った。タシファレドもハイルックも選挙管理委員会に所属しているらしい。ルキナは、タシファレドが大人しく委員会で働いていることに驚く。タシファレドも、責任感がないわけではないが、生徒会の役員は面倒くさいと逃げていたので、てっきりそういうことには絶対に手を出さないのかと思っていた。
「まあ、実行委員長が知り合いだから」
タシファレドは仕方なく働いているのだと言う。大きな家というのは、しがらみが多い。家同士の付き合いで、タシファレドも望まぬ仕事をすることもある。
「タシファレドも大変なのね」
ルキナが同情していると、バタバタと激しい足音が近づいてきた。
「何をたっちゃんに働かせてるんだぁーよっ!」
アリシアがスカートをはためかせて、ハイルックの腹部に飛び蹴りを食らわせた。この二人も相変わらずのようだ。
「ほどほどになさいよ」
床で伸びているハイルックを、ルキナは少しだけ可哀そうに思った。
そうして迎えた立会演説会。ルキナは、ベルコルの応援をするため、ステージの袖に来ていた。
「満席になりました!立ち見客もいますよ!」
どこからか、嬉々としたハイルックの声が聞こえてきた。今日も生き生きと働いているらしかった。
ルイスとノアルドの演説対決という噂のおかげもあって、いつもはほとんどの生徒が聞きに来ない立会演説会に多くの人が足を運んでいる。選挙管理委員会の人の話では、これは快挙なのだそうだ。
「いよいよですね、頑張ってください」
ルキナは薄暗い場所で、ノアルドとベルコルにエールを送る。
ベルコル陣営が演説の準備を整えて、時間が来るのを待っていると、カツカツとヒールのある靴の足音が聞こえてきた。おそらく、リリだ。ルキナはまだ彼女に会ったことがない。思わず息をのんで、袖奥の扉に注目する。
「ベルコル・バリファ、今度こそ正面対決だ」
現れたのは、なんとも可愛らしい少女だった。茶色に近いオレンジ色の髪はかなりの癖毛で、ふわふわと綿みたいだ。吊り上がった目も瞳はくりくりで、可愛らしい猫目だ。身長は平均より少し高いくらい。ヒールの高さの分も考えると、ちょうど平均的な身長だろう。ルキナには、とてもミッシェルから聞いた噂の人物と同一人物とは思えなかった。
「お久しぶりですね、ブランカさん」
ベルコルが笑顔でリリを迎える。リリは、ルイスやチグサ、マクシスを連れ、堂々としたたたずまいだ。
「今日で生徒集会で貴様の顔を見なくてすむようになると思うと、嬉しいな。ずっと、後ろ向いて聞かなきゃならんかったのだ」
リリが低めの声で話し始めた。この時点で、ルキナは「ん?」と思った。
「私がもう一人の立候補者と聞いて甘く見ていたかもしれないが、残念だったな。今日のためにたくさんの準備をしたんだ。たとえば、そうだな、毎日走り込みをした。中等学校の時の徒競走では負けたが、もう二度と負けない。それに、貴様は聞いてないかもしれないが、文化祭でピアノも弾いた。もう音痴だと馬鹿にされる私ではない。どうだ、わかったろう?」
リリはベルコルのことを執拗にライバル視しているようで、ベルコルに勝つために様々なことをしていたらしい。それが、二級生の間で、奇行として噂となったのだ。
「ちなみに、西館の本は読破したぞ。ご飯も食べないで読書を続けるというのはなかなか苦行だったがな。貴様はどうだ?」
リリが挑戦的な目でベルコルを見る。
「ここ最近、朝から晩まで図書室で本を読んでいる人がいるという話を聞きましたが」
「それは私だな」
ベルコルは、リリの答えを聞いて、じっと見つめる。
「な、なんだ…!?」
リリがベルコルに見つめられて動揺し始める。
「ご飯も食べずに、と言ってましたが、まさか朝食も抜いたりしてませんよね?」
「朝食?食べてないが」
「なんて非効率的な」
ベルコルは、リリに質問をし、彼女の答えを聞くと、ため息をついた。
「なんだ。朝ご飯を食べなかったのが悪いとでも言いたいのか」
「そうですよ。エネルギー不足で、勉強も身になりませんよ
「でも、お腹いっぱいだと眠くなるだろう」
「それは食べすぎです。そこらへんは調節してください。たしかに、ある程度の空腹は集中力を高めるという話はありますが…」
「辞退する」
ベルコルの話の途中で、リリが遮って言った。そして、何やら怒りながら、出口に向かって歩き始めた。
「え?」
ちょうど通りかかった選挙管理委員会の委員長が、リリが出口に向かっているのを見て驚く。
「帰る」
リリはそう言って、皆をおいて一人だけで帰ってしまった。
「え、あ、じゃあ、バリファ先輩の不戦勝?」
ルキナは困惑しながら呟いた。ベルコルは、このようなことは何度かあったようで、慣れた表情だ。
「あー、演説どうする?」
「私たち帰っても良いのかしら」
「とりあえず、そろそろ時間なんで、バリファさんには演説してもらう感じで…。」
その場のほとんどの人が、驚き、戸惑っていた。そんな中で、ルイスはなんだかほっとしたような顔だった。
後から聞いた話では、リリは先にルイスが応援演説をするのだという噂を流しておき、ルイスに「噂は充分広まってますから、やらないと臆病者だから逃げたのだと笑われますよ」と脅しに行ったようだ。マクシスも、その噂を広める役として、知らず知らずのうちに利用されていたらしい。
「リリ・ブランカ…恐ろしい子…!」
ルキナが、真相を聞いた時、あごのあたりに右手を持って来て驚いた声を出すと、シアンは「先輩相手に何言ってるんですか」と言った。
人騒がせな生徒会選挙は、ベルコルが次期の会長と信任される形で終わりを迎えた。




