時には泣くことも大切デスケド。
「ひっく……ひっく……。」
シュンエルは、キーシェルが去ると、声を上げて泣き始めた。しばらくすると、嗚咽が聞こえてきた。ルキナは、シュンエルを包み込むように抱きしめた。
(シュンエルさんも寂しいのかしら)
シュンエルの涙は何に対するものだろう。兄と面と向かって話すのも今日が初めてだった。情なんて生まれるだろうか。しかも、相手は妖精で、自分の体を勝手に使っては、シュンエルの人生を多少なりとも滅茶苦茶にした。もしかしたら、体を乗っ取られる運命から解放されたことでほっとしたのかもしれない。
ルキナは、シュンエルの背中をさすりながら、シアンの方を見た。シアンはルキナたちを見守っていた。
「シアン、大丈夫?」
ルキナはシアンに尋ねた。キーシェルとはもう会えない。シアンが悲しまないわけがない。だが、シアンは全然平気な顔をしている。それが、逆にルキナは心配に思えた。
「大丈夫ですよ?」
シアンは首を傾げて不思議そうにする。ルキナは、シアンが無理をしているのではないかと思い、またさらに声をかけようとした。しかし、その時、シュンエルがルキナの腕の中で動き始めた。ルキナはシアンの心配ばかりしているいわにはいかなくなった。
「シュンエルさん?」
ルキナはシュンエルから少し体を離す。すると、シュンエルもルキナから離れる動きをした。
「すみません」
シュンエルは涙をぬぐいながら言った。ルキナは、気にすることはないと言うように、ゆっくり首を横に振った。
「ここは寒いので、中に入りましょう」
シアンがそう提案した。もう屋上にい続ける意味はない。ルキナは、「そうね」と言って立ち上がった。そして、シュンエルに手を差し出す。
「ありがとうございます」
シュンエルはためらうことなくルキナの手をとって立ち上がった。冬の真夜中は本当に寒い。三人は駆け足で建物の中に入った。三人は階段に座った。
「シュンエルさん、体は大丈夫?変な感じとかない?」
建物に入るなり、ルキナはシュンエルに尋ねた。寄生していた妖精が体を離れて、シュンエルに異変が生じていないか心配に思った。シュンエルは「何ともありません」と答えた。
「キールというのは…?」
涙も止まって落ち着いたシュンエルは、シアンに問いかけた。シアンが「キール!」とキーシェルに呼びかけたから、シュンエルは一瞬のうちにキーシェルを兄と認識できたのだ。シュンエルは、自分の認識が正しかったのか確かめたがっているようだ。
「キールというのは、キーシェルのあだ名です。キールはツェンベリンさんのお兄さんで、何度もクッキーを贈っているはずです」
シアンが簡単に説明すると、シュンエルは腑に落ちたという顔になった。
「小さな時から、何度もクッキーをもらってたんです。両親は妖精からのプレゼントだって。私はそのクッキーが楽しみで」
シュンエルが自分の中で考えをまとめるように言った。シアンは、シュンエルの話を聞いて、深く頷いた。シアンは、キーシェルのクッキーがシュンエルに喜ばれていたと知って嬉しくなったのだ。
「寄生妖精」
ルキナがぼそりと言った。さほど大きな声ではなかったが、シアンとシュンエルがルキナに視線を集めた。
「キールは、寄生妖精だったのよ」
ルキナは静かに言った。
「シュンエルさんは寄生妖精という珍しい病気にかかっていたのよ。その名前の通り、妖精が寄生するの。それで、キールはシュンエルさんに寄生していた妖精だった」
ルキナは、不思議な光景を目の当たりにして、キーシェルが寄生妖精であると結論付けた。ルキナの説明に、シアンもシュンエルも集中して耳を傾けている。
「妖精は、人間の体を操ることもできるの。その間、体の持ち主は体を操ることができないし、体が乗っ取られている記憶もない。典型的な多重人格者の症状が出るの」
「そういえば、いつの間にか知らないところにいたり、食べてたり、着ていたりしました」
シュンエルは過去を思い返すように言った。気づいたら記憶にない何かが起こっていたという出来事は一回や二回ではなかった。シュンエルは、その体験が、会ったこともない兄によって引き起こされていたなんて想像もしていなかった。今の今まで、たいして問題にしていなかったし、もはや、忘れかけていたくらいだ。
「最近はそういうことが少なかったので、あんまり気にしてなくって」
「それはそうよ。キールも最近は体を乗っ取るのが難しくなっていたはずだから」
「どうしてですか?」
「寄生妖精っていうのは、ずっと人間の身体の中にいるわけじゃないのよ。身を守るために人の体を借りるけど、成長したらちゃんと出て行くのよ。それに、そのタイミングは決まってる」
「それは、つまり、キールがツェンベリンさんの体を離れる日は決まっていたということですか?」
ルキナとシュンエルが話していると、シアンが質問をした。シアンの問いに、ルキナは頷いて答えた。
「十六年。子供が十六歳になった瞬間に妖精は離れて行くのよ。だから、シュンエルさんの誕生日は大事なのよ」
「そういえば、私の誕生日、今日ですね」
シュンエルが思い出したように言った。
「シュンエルさんが生まれてからちょうど十六年が経った今日の深夜、キールは離れて行った。それで、妖精は、その十六年目が近づいて来ると、体を乗っ取ることが難しくなっていくの。だから、シアンの前にもキールは現れることがなくなってきた」
ルキナの話を聞くと、シアンは考えるように左手を口元にあてた。
「あと、寄生妖精はいわゆる二重人格とは違って、体格も変わるらしいから。シュンエルさんとキールでは性別すら違うし、身長も違った。キールに違和感がなかったのは、体の構造も変わっていたからなのよ」
「だから、男の服が家に…。」
ルキナが病気の説明を続けると、シュンエルが納得した。子供は自分しかいないのに、なぜか男の子用の子供服がタンスに入っていた。家族に理由を聞いても誰も教えてくれなかったが、今合点がついた。
「お二人がここにたどり着いたのはどうしてですか?」
シュンエルもこの建物には来たことがない。気づいた時にはここにいた。それは、キーシェルがシュンエルの体を借りて移動をしたからだ。だが、ルキナたちがここにたどり着くのは、それなりに理由が必要だ。
「妖精の国がどこにあるか知ってる?」
ルキナは、シュンエルに質問に答えるために質問を重ねた。だが、シュンエルはルキナの意図がすぐにはわからず、きょとんとする。
「えっと、たしか、北の方に…」
「そう、だから、ここなのよ。妖精は少しでも目的地である妖精の国に近い場所から旅立とうとするの。人間の体を離れた妖精は、北の妖精の国に向かうの」
ルキナがシュンエルの質問に答え終えた。シュンエルは、納得したように頷いた。
「よく知ってましたね」
シアンが感心する。ルキナがシアンすら知らない珍しい病気のことをこんなにも詳しく知っているのは意外だった。
「たまたまベルコルから聞いてたから」
ルキナはなんでもないように答える。始まりは、夏にベルコルから寄生妖精の話を偶然聞いたことからだった。
「まあ、今日はこの辺りしましょうか」
ルキナはそう言って立ち上がった。屋内といっても、ここは冷える。このままいつまでも話をしているわけにはいかないだろう。
「話は明日でもできるわ。今日は部屋に戻って寝ましょう」
ルキナが話を切り上げ、シュンエルを女子寮に連れて戻った。多少なりとも、シュンエルの身体には反動があるはずだ。早く眠らせた方が良い。それに、シアンのことも心配だ。眠ることで冷静に物事を見ることができるようになる。ルキナは、シアンにこそ睡眠が必要だと思っていた。
翌日、シュンエルの髪は紫色に変わっていた。キーシェルが体から出て行ったことによる、明確な身体的な変化だ。
「綺麗な髪ですね」
シアンはシュンエルと話をしていた。ルキナは、放課後にシアンに会いに来たのだが、偶然、シュンエルがシアンに話しかけていた。シアンがシュンエルの変化を前向きに受け入れていた。シュンエルは自分の髪を触りながら、「少し寂しいですけど」と返した。その後、シュンエルは、シアンと別れて去って行った。
「シアン」
シュンエルと別れたシアンが行ってしまうまえに引き留めた。渡したいものがあると言うと、シアンは大人しくついてきた。ルキナはシアンを調理室に連れて行った。中に入ると、甘い匂いがしてくる。ルキナが作ったクッキーの匂いだ。
「お嬢様、料理できるんですか?」
「練習中」
そう言って、ルキナは焼けたばかりのクッキーをシアンに見せた。
「まだちゃんと作れるわけじゃないけど」
まだ渡すつもりはなかった。ルキナは満足していない。シアンには完成したものを食べてもらうつもりだった。例えば、ファレンミリーの日に。それでも渡したのは、今必要だと思ったからだ。
「いただきます」
シアンはクッキーを一枚手に取る。そして、一口食べる。
「少し硬いですね」
シアンが感想を言う。
「やっぱり?」
ルキナは肩をすくめる。
「でも、美味しいです…あれ?」
シアンの目から、ポロポロ涙が落ちる。ルキナも悲しそうな顔をして、シアンを見守る。何も言わない。これで良いのだ。昨日、シアンは泣いていなかった。現実を受け止め切れていなかったからだろう。でも、今、こうして、キーシェルとの別れをシアンの中で完全なものにしている。時には泣くことも大切なのだ。
(やっぱり、昨日は我慢をしてたんだわ)
ルキナは、シアンの涙を優しく見守る。昨日、シアンは大丈夫だと言っていた。キーシェルとの永遠の別れを前にして、悲しみにくれているはずなのに。だが、それは、やせ我慢でも何でもなかっただろう。おそらく、本人は自分が悲しんでいることを自覚できていなかったのだ。こうして、クッキーというキーとなるものがあって、やっとシアンは泣くことができた。昨日の時点で、シアンは悲しかったのは間違いないだろう。
ルキナは、シアンの涙を見れて安心している一方で、後悔もしていた。
「ごめん、私がもっと早く寄生妖精の話をシアンにしていれば…。」
ルキナは、寄生妖精の話は、もっと確証を得られてからシアンにするつもりだった。だが、本当は、寄生妖精の予想ができた時点でシアンに話すべきだった。キーシェルが寄生妖精である可能性があるということは、キーシェルが宿主から離れて、シアンとも別れる時がくるということだ。妖精が宿主から離れるだけで、死ぬわけではないといっても、友人の前にまた姿を見せてくれるとは限らない。ルキナの頭に寄生妖精という考えがよぎった時点でシアンに話していれば、シアンはキーシェルとの別れにもう少し覚悟することができたかもしれない。
「タイムリミットは迫ってたのに」
ルキナが落胆していると、シアンが涙をぬぐいながら「お嬢様は何も悪くありません」と言った。
「あの前にキールに会ってたんですよ。お別れに来てくれたんだと思います」
シアンによると、昨夜、ルキナはシュンエルを探している最中にシアンに会ったが、その前に、シアンはキーシェルと会っていたらしい。キーシェルは、シアンの寮部屋に突然訪ねてきて、別れを告げたそうだ。シアンは、キーシェルと二度と会えない予感がしていたから、捜しに外に出たのだ。
ルキナは、シアンの話を聞いて、少し心が軽くなった。だが、それで許されるなんて思ってない。
(やっぱり、慣れないことはするものじゃないわ)
ルキナは、己を戒めるように、クッキーを一枚口に入れた。




