親戚の集まりは面倒デスケド。
「なあ、ルキナ。お前、犬飼ってるのか?」
ロンドはシャナに会いたくて早くにミューヘーン家を訪ねてきたのだが、肝心のシャナがおらず、ロンドは暇を持て余している。それで、手っ取り早くルキナで暇つぶしをしようとする。
「なあ、おい、聞いてんのか」
ルキナがロンドを無視して廊下を歩いていると、ロンドは怒り始めた。
「おい、ルキナ」
「なに!?」
あまりに何度も名前を呼んでくるので、ルキナは声を荒げて振り返った。ロンドは一瞬びっくりした顔になった。
「なあ、さっき、犬がどうとか話してただろ?お前んち、犬いるのか?」
ロンドは、ルキナとガドエルの会話を本当に理解していなかった。犬はたとえの話で、本当に犬を飼っているわけではない。ロンドはそんなこともわからないらしい。
「はあ!?」
ルキナはすこぶる機嫌が悪い。
「なんでそんな話になるのよ。誰も犬を飼ってるなんて言ってないでしょ?」
ルキナはロンドに強く当たる。ルキナは、立場上、親戚たちに対して良い顔をしなければならないが、ロンドだけは話が別だ。ロンドとは何度も衝突して喧嘩もたくさんした。今更、取り繕う必要は全くない。それに、親戚の大人たちも、子供同士のすることだから、と、ルキナのロンドに対する態度にいちゃもんをつけない。
(私もガドエルと一緒か)
ルキナは感情的に口を動かしながらも、頭は冷静だった。ガドエルがハリスに良い顔をするように、ルキナはほとんどの親戚たちに対しては反感を買わないように顔色を伺っている。そのくせ、自分より弱いとみた相手にはこれでもかというほど上から物を言う。ルキナは、自分が惨めに思えてくることもあって、親戚に会うのは嫌いだ。
(でも、私がロンドを無意識的に下に見ていると言ったら、ロンドは怒るんだろうな)
ルキナは、くすっと笑った。そして、言った。
「あんな例え話も理解できない頭の弱い人が親戚だなんて、最悪だわ」
ルキナは、我ながら悪役っぽいと思った。己の性格が良いなんて思ったことはない。こうして、自分は性格が悪いと、開き直って悪態をつくなんて見苦しい真似を拒まないでいればなんと楽なことか。しかし、そういうわけにはいかない。ゲーム上の設定がルキナの性格にも影響をしていようが、いまいが関係ない。ここにいるルキナ・ミューヘーンは、自分自身だ。たとえ人工的に生み出された悪役という設定が人格になんらかの影響を与えていようが、ルキナはルキナ。己の言動には責任をもたなければならない。悪役令嬢と呼ばれる人物に生まれ変わったからといって、何をしても許されるわけじゃない。
(前世の記憶があろうが、なかろうが性格は変わらない。前世の記憶があれば、この世界のシナリオを知っていれば、善人になれるわけじゃない。私は私で、前世は前世。でも、設定に甘えて理性を失ってはいけない。たとえ、悪役でも、人を傷つける手段はとってはならない)
ルキナは、これまで、前世と今の自分との関係を考えてきた。前世において、異世界転生ものの作品は、様々な媒体で触れていた。乙女ゲームの悪役令嬢に転生してどうのこうの…という作品もいくつも知っている。その中の主人公はいつも、前世の記憶を取り戻した途端に人格が一変していた。まるで、悪役令嬢という入れ物に、前世の人格が乗り移ったかのように。それぞれの主人公の目的は違っても、皆一様にゲームの設定を無視して善人になっている。そうして、周りの人間も人が変わったようだと言う。そうしていつしかハッピーエンドを迎える。でも、ルキナはそれは違うと思っている。なぜなら、自分は全く善人になった気はしないからだ。たしかに、記憶を取り戻してからというもの、自分が悪役令嬢ぽいか、ぽくないかという視点で考えるようになった。でも、それはきっとささいなことで、前世の記憶を取り戻していないルキナの存在する世界線でもおそらく、ルキナは完全な悪者になることを恐れていたはずだ。でなければ、他人を誘導する形でヒロインを蹴落とそうとするわけがない。やはり、記憶は記憶で、性格まで引き継いだようには思えない。前世の記憶に対して、今の自分ならそうは動かないだろうという違和感もあるし、前世のことを語る時、どこか他人の思い出話をしている感覚がある。違和感というのはほんのわずかなものだが、それこそがルキナの前世と現世の人格が違うという証拠だ。
(私って、ゲームの設定に振り回されてるのかしら)
ルキナの前世と現世は別人という結論にいたったところで、今のルキナの人格が何らかの影響を受けていることは否定できない。この世界が乙女ゲームであると仮定したとき、ルキナもまたゲーム内のキャラとして、設定通りの性格で、言動をするはずだ。無論、その結論を知ることはできないし、知ったところで何かが起こるわけではないが。
ルキナは考え事をやめてロンドの顔を見る。
「あ?なんだよ。本家の人間だからって、お高くとまってるんじゃねぇよ」
ロンドがイラつきながら言う。
ある意味、ロンドの前で一番素の自分でいられるのかもしれない。ルキナは、ロンドの前では、悪い性格を前面に出す、つまり、理性を投げ捨てた状態にある。それが良いのか悪いのかはわからないが、ロンドの存在には感謝すべきなのかもしれない。
「でも、ありがとうは言いたくないわね」
ルキナがぶつぶつと言うと、ロンドが顔をしかめた。
「お前、今日、変」
ロンドはルキナの挙動不審な様子を見て困っている。ロンドも敵視しているルキナに振り回されることはあるようだ。
「安心して、ロンドはいっつも変だから」
ルキナはそう言って、ロンドから距離を取る。ちょうどそこへ使用人がやってきて、ルキナの祖父母が到着したと知らせてくれた。ルキナは祖父母のもとへ走り出した。
「おい、待てよ」
ロンドの制止する声が聞こえてくるが、ルキナは無視をし続ける。ルキナが客間に行くと、祖父母がソファに座っていた。向かいにはハリスとメアリが座っている。
「ルキナか」
ルキナの父方の祖父であるヒルトンがぶっきらぼうに言った。ルキナがバタバタと騒々しく走ってきたので驚いたのだろう。
「おじい様、おばあ様、お元気そうで何よりです」
ルキナはスカートをつまんでお辞儀をする。
「ルキナちゃん、また大きくなったね」
祖母のユネルがニコニコして言う。
「えー?そう?あんまり変わってないと思うよ」
「いや、少し身長伸びたんじゃないか?」
ルキナが否定すると、ヒルトンが真面目な顔をして言った。
「んー、もう伸びないと思うけど」
「伸びないと思ってるから伸びないんだ」
「気持ちの問題なの?」
「病気は思い込みのことが多い」
「いやいや、病気と違うし。その言い方だと、おじい様、病気でも自分は健康だって思い込みそう」
ルキナがヒルトンと話していると、ハリスが「ルキナはすごいな」と感心したように言った。ルキナは何のことかわからず、きょとんとする。
「あの人、昔は怖かったからね。ルキナちゃんのお父さんなんて、毎日のように叱られてたんだから。次期当主としての自覚が足りんってね」
ユネルがハリスの代わりに答える。ヒルトンは息子であるハリスに厳しい父親であったようだ。そんな彼の厳しいところを知っている人からすると、親し気にヒルトンと話をするルキナはすごく感じるらしい。
(孫に甘いだけじゃないの?)
ルキナはヒルトンの顔を見る。優しそうな祖父の顔がそこにある。ただ、今は妻と息子が自分の話をしているので、興味なさそうによそを見ている。ルキナは、ヒルトンを好意的に思う。
祖父母が来た後、他の親戚たちもミューヘーン家にぞくぞくと集まってきた。分家は多く、中には、貴族の称号すら失った家もある。その中で、アリーマン家が最も本家に近い。そのせいか、ガドエルもロンドも無駄にプライドが高い。
親戚が皆集まると、全員揃っての夕食が始まる。
「当主はリュツカ家に関する何かを隠しているらしい」
親戚の大人たちは、噂話に花を咲かせる。今夜は、珍しくシアンが夕食の場に出てきているので、シアンの話題でもちきりだ。
「彼には未来予知能力もあるのだとか」
「その力を当主は独占していると言うのか」
血の繋がった人間の集まりだというのに、聞こえてくる話題は穏やかなものじゃない。
(ほんと嫌になっちゃうわ)
ルキナは自然と口が重くなってくる。
「シアンだけでなく、シャナさんもお泊めになっているとか」
ロンドの生き生きとした声が聞こえてきた。ロンドはハリスを相手にシャナの話をしている。ただ、ハリスはシャナのことを知らない。
「あははは」
ハリスはわかりやすく愛想笑いする。ロンドはハリスの反応が微妙なので首を傾げる。
「ルキナ、ロンド君に何か言ったのかい?」
ハリスがすきを見てルキナに尋ねてきた。ひそひそとロンドには聞こえないように気をつけている。
「ロンドは、シャナ・ルミナスっていう架空の女の子にお熱なのよ」
ルキナがハリスに耳打ちすると、ハリスは「なるほど」と何度か頷いた。
「シャナさんはルキナと仲が良いのですか?」
ロンドがシャナの情報を集めようとハリスに質問している。
「んー…シャナちゃんとはどこで会ったのかな?」
ハリスは、ロンドの夢を壊さないように話を合わせている。
「ルース家のパーティですよ」
「あー、ルース家の」
「最近、魔法の練習をしていてですね。今度会ったら、シャナさんに披露するんですよ」
ロンドが右手を空中にかざして深呼吸をした。その直後、ロンドの掌に水が現れた。水の玉は、ロンドの掌の前で浮いている。
「すごいね」
ハリスは優しく笑いかける。ロンドは調子を良くして、集中力を切らした。一瞬の油断がロンドを襲った。水の玉が破裂して、水があたりに飛び散った。ロンドがびしゃびしゃになる。
「あーあ」
ルキナは呆れつつも、水浸しの床を拭き始める。ハリスはテーブルの上を拭いてる。
「着替えたいんだけど」
床を拭き終えると、ロンドがルキナに向かって言った。着替えをしたいから使用人を貸してくれということだろう。ルキナは大きくため息をついた。
「あんた、そんなことも自分でできないの?」
昔、貴族たちは着替えも使用人に手伝わせていたという。しかし、今時、どんな金持ちであろうと着替えは自分でする。いまだに着替えを使用人に手伝ってもらっている家は、奢り高い家だ。ルキナは権威を変な方法で示そうとする人が大嫌いだ。
「…そんなんだと、シャナちゃんに嫌われるわよ」
ルキナはシャナの名前を出してみた。すると、途端にロンドは「自分でやる」と言って飛び出していった。着替えに行くのだろう。
「今年はちょっと楽しいかも」
ルキナは、シャナのことになると人が変わったようにかっこつけたがるロンドを見てくすくすと笑う。ロンドはシャナの名前を出せばだいたい言うことをきくし、何よりシアンも一緒にいてくれる。いつもは、シアンは自分の部屋に籠って出てこない。ミューヘーン家の親戚たちがシアンを良く思っていないのだから仕方ないのだが、だからこそ、シアンがこうして夕食の場にいてくれるのは嬉しい。
「お嬢様って、なかなか良い性格してますよね」
シアンはルキナが何を嬉しがっているのかわかってない。ルキナがロンドをシャナの名のもとに好きなように操っているのを楽しんでいるだけなのだと思い込んだシアンは、若干軽蔑の眼差しをルキナに向けた。
一方、ルキナはシアンの言葉が皮肉であることを理解した。
「なによ、その言い草は」
ルキナは頬を膨らませて文句を言う。シアンはそれを意に介さない。
「はいはい、どうせ私は悪役令嬢ですよぉっと」
ルキナはぷいっとシアンから顔をそらした。




