昔と今は違うんデスケド。
ラザフォードやグシャトリア、その他の出版社関係者、小説家と挨拶を終えたルキナは、パーティがお開きになるまで、ずっとチョコレートケーキを食べ続けた。ただで食べられるなら気のすむまで食べてしまいたい。今日はお腹の調子も良くていくらでも食べられる。ルキナが怒涛の勢いでケーキを食べていると、シアンがルキナを呆れ顔で見ていた。
「デザートは別腹っていう域はとうにこえてますね」
シアンはルキナを止めるのも忘れてぼんやりと眺めている。
「別腹っていうか、もはや主食?みたいな」
ルキナはシアンの言葉に受け答えしながらケーキを口に運び続ける。
「なんですか、それ」
シアンは呆れつつも、ルキナのために飲み物を取りに行く。甘いものを食べているのにさらに甘いものを飲めないだろうと、ストレートの紅茶を運んでくる。ルキナはお礼を言いながらその紅茶を喉に流し込む。
ルキナは、カップを口から離して一息つくと言った。
「私、しばらくはチョコケーキは良いわ」
ルキナは一か月分のチョコレートケーキを食べたのではないかと思うほどチョコレートケーキを食べた。かなり満足だ。ルキナがふわふわとした気持ちで笑っていると、シアンがじとっとルキナを見た。
「でしょうね」
パーティが終わると、シアンはふらふらと酔っぱらったルキナの手を引いて部屋に移動した。
「はい、お嬢様、寝る前にお風呂に入ってください」
シアンは、部屋につくなり、ルキナを浴室に押し込んだ。ルキナはぼーっとしながら風呂に入る。なんだかとても眠たい。
「お嬢様、早いですね」
ルキナが寝間着に着替えて浴室から出ると、シアンが驚いた。ルキナは何も考えずに入浴したので、ちゃんといつも通りに洗った記憶もないし、時間の感覚もない。
「そう?」
ルキナは髪がべたべた濡れたままの状態で部屋を歩き回る。
「お嬢様、ちゃんと髪は乾かしてくださいよ」
シアンはルキナが髪を乾かそうとしないのを見て心配そうにする。ルキナは「はいはい」と適当に返事をする。シアンは、ルキナが話を聞いてないのではないかと不安に思ったが、シャワーを浴びに行く。
「ふぁー」
ルキナは、シアンが浴室に入って行ったのを見送って大きく欠伸をする。目の前にはふかふかのベッド。ボスっとベッドに飛び込む。
「んーっ」
ルキナはベッドの上でうつぶせになり、幸せをかみしめる。とても良い気分だ。目を閉じる。すると、ぐわっと睡魔が襲ってきた。目を閉じたことも忘れるほど一瞬のうちに眠りの世界に吸い込まれていった。
「お嬢様、お嬢様、風邪ひきますよ!」
ルキナが寝ていると、シアンがルキナをゆすり起こした。
「んー?」
ルキナは目を開けてシアンの顔を見る。シアンも入浴を終えたようだ。
「お嬢様、髪は乾かすように言いましたよね」
シアンはルキナをベッドから立ち上がらせながら言う。ルキナは目をこすって頷く。
「ベッドまで濡れちゃったじゃないですか」
シアンが小言を言っている間、ルキナは欠伸をしていた。このままでは立ったまま寝てしまいそうだ。
「ちょっと、お嬢様、髪乾かしますよ。ほら、座ってください」
シアンはルキナが寝落ちしそうなことに気づき、慌てて椅子に座らせた。
「熱かったら言ってくださいね」
シアンは魔法を使ってルキナの髪に温風を送る。普段は、タオルで極力水分を拭い取った後、魔法機器を使って乾かす。その魔法機器はドライヤーのような道具なのだが、機能はあまり良くなく、長時間髪にあてるのは良くないとされている。ドライヤーがあっても手間だった髪を乾かす作業がさらに面倒くさいのだから、ルキナは髪を乾かさずに寝ようとするのは無理もない。
「シアン、お母さんみたいねー」
ルキナは、シアンがルキナを叱ったり、優しく世話をしたりするので、シアンが母親みたいだと思う。ルキナは思ったことを言うと、シアンは小さく笑った。
「子供を産んだ覚えはありません」
シアンが魔法で周囲の温度を上げ、櫛でルキナの髪をとく。
「気持ちいいねー」
ルキナは酒と眠気の影響で言動が幼くなっている。
「やっぱりケーキ食べすぎだったんですよ」
シアンは子供をあやしているような気分になりながら、ルキナの髪を乾かし続ける。
(チョコケーキにお酒が入ってたから駄目なのよ)
シアンが、こんなことになったのは全てルキナがケーキを食べすぎたせいだと言うので、ルキナは心の中で言い返す。
(お酒の入れすぎだったんじゃないの?私みたいにチョコが好きな人が食べすぎちゃうかもって考えて作らなかったのかしら)
ルキナはナチュラルに責任転嫁をしている。
(にしても、チョコがこの世界にもあるのは考えてみるとすごいことなのよね。カカオの種を発酵させて、乾燥させて、焙煎して、なんか調節して…そんな手間のかかることを誰が初めにやろうと思ったのかしら。そんなチョコが二つの世界で偶然生まれるなんて奇跡よね。もし、なかったら…)
いつの間にかルキナの頭の中は全く別方向に考えが進んでいた。
「チョコがなかったら嫌やねー」
ルキナはずっと黙って考えていたのに、ふいに声に出した。
「何の話ですか」
シアンは、ルキナの思考回路が理解できず、混乱する。ルキナはそんなシアンの声も聞かずにまた考え事を始める。
(でも、現実にある物じゃないと、推しの好きな物を買ったって喜べないのよね。だから、チョコとか、クッキーとか、向こうの世界と同じ物があるのかしら。たしか、チョコが好きなキャラもいたし。やっぱり推しの誕生日にプレゼントとして買いたいもの。この世界、何かと中途半端なのよね。あっちと似てるのか似てないのか。やっぱり何もかも新しく生み出すのは大変なのかしら。みんなも想像しづらいし。馬車は馬車だし、チョコはチョコ。テレビは映鏡だし、携帯は伝映板。そのくせ、魔法があって、竜がいて…)
「お嬢様?」
ルキナが黙りこくっていたので、シアンが心配になって声をかけた。
「うん?」
ルキナが顔を上に向けて、シアンの方を見る。
「…急に上向かないでください」
シアンが不意打ちをくらって動揺する。ルキナの頭を押して前を向かせる。
「まだー?」
ルキナは、足をバタバタしながらシアンに尋ねる。
「もうすぐです」
シアンは最後に念入りに髪をといだ。ルキナの髪はさらさらに整えられた。
「終わりましたよ」
シアンが言うや否や、ルキナは椅子から素早く立ちあがった。
「じゃあ、寝る」
ルキナはベッドにダイブして布団にくるまる。
「シアン、寝るよー」
「はい、おやすみなさい」
シアンが部屋の灯りを消して、ルキナのいる方とは別のベッドに上った。すると、ルキナはがばっと起きて、シアンの方を見た。
「シアンもこっちで寝る」
ルキナは、シアンに自分と同じベッドで寝るように言う。
「なんでですか」
シアンは、眠気からくるルキナの戯言だと、真面目に取り合わない。ベッドに体を沈めて、すっかり寝る準備を整えた。
「そっち濡れてる」
シアンが寝ているベッドは、ルキナが髪を濡らしたまま寝ていた方だ。濡れた跡が残っている。ルキナがそのことを指摘すると、シアンは「大丈夫です」と言った。魔法でいつでも乾かせるし、既にほとんど乾いている。気にするほどのことではない。
「シアン、一緒に寝る」
「一緒に寝てるじゃないですか」
「違う。同じベッドで寝るの」
「なんでですか。理由ないですよね」
「なんでも!小さい時は一緒に寝てた」
ルキナは、初等学校四級生の宿泊研修の前日を思い出していた。ルキナとシアンの共通の認識である、一緒に寝た日というのはその日のことだ。イベント前夜でテンションが上がっていたルキナは、シアンのベッドに無理矢理入り込んだ。シアンは文句を言っていたくせに何事もなかったかのように寝ていた。そんな思い出も、かれこれ六年ほど前のことになる。その頃は許されていたことも、今は許されないことがある。
「昔と今は違うんです。変なこと言ってないで早く寝てください」
シアンは体の向きを変えて、ルキナに背を向ける。ルキナは、シアンに相手にされないのがむかついて、ベッドから降りた。そして、シアンの布団に忍び込んだ。
「お嬢様、何してるんですか」
シアンは顔だけ回してルキナの方を見る。ルキナはシアンのことを無視して眠りの体勢に入る。ルキナは、シアンの服をぎゅっと握って逃げられないようにする。
「自分のベッドに戻ってください」
シアンは身動きが取れないので背後に声だけかける。しかし、ルキナの反応はない。代わりに、ルキナの寝息が聞こえてくる。
「もう…。」
シアンは諦めて口を閉じ、眠りの体勢に戻った。ルキナの体温を背中に感じながら、目を閉じた。
「んんー」
ルキナは、いつもより早く目が覚めた。ぐっすり眠っていたので、目覚めはかなり良い。頭がすっきりしている。
ルキナは上半身を起こした。そこで、隣にシアンがいないことに気づいた。ルキナは昨夜、酔っていた上に、寝ぼけていたが、ちゃんと記憶がある。
(昔と今は違うって言ったくせに)
シアンはルキナから逃げ出してもう一つのベッドに移動して寝ていた。昔と変わらず、シアンはルキナと一緒に寝ても何も思わないのか、気持ちよさそうに寝ている。ルキナはなんだかシアンに腹が立ってきた。シアンはルキナの気など知らずに規則的な寝息をたてている。憎らしい寝顔だ。
「シアンのバカ」
ルキナはシアンの寝顔に向かって呟いた。むかついた心を口にすると、余計にむかついてきた。
ルキナは、シアンを起こしてやることにする。カーテンを勢いよく開けて朝日の光を室内に取り込む。シアンの顔にも光が当たるが、この程度ではシアンは目を覚まさない。
「シーアーン」
ルキナはシアンの体をゆする。すると、じきにシアンが目を開けた。
「…おはようございます」
シアンの声は消え入りそうなほど弱弱しい。シアンは朝に弱いタイプではなかったはずだが、シアンの寝起きは低血圧のそれだ。
「私より起きるのが遅いなんて珍しいわね」
ルキナが笑うと、シアンはじろりとルキナを見た。
「誰のせいですか、誰の」
この言い方はどう考えても、ルキナのせいということだろう。ルキナは首を傾げる。シアンにいつも以上に絡みはしたが、さほど悪酔いはしてないはずだ。記憶もはっきりとしている。シアンの眠りを言うほど邪魔していない。
「寝れるわけないじゃないですか」
ルキナが首を傾げていると、シアンが口をとがらせた。シアンはご機嫌斜めだ。
「昔は普通に寝てたじゃない」
ルキナがからかうように言うと、シアンはため息をついた。
「昔と今は違うって何度も……。」
シアンは途中まで言って、突然黙り込んだ。ルキナがどうしたのかと尋ねるが、シアンは反応しない。
「そんなに何度も言うなら、どこが違うのか言ってほしいわ」
ルキナが肩をすくめる。すると、シアンが突然今までと違うことを言い出した。
「昔のことは忘れました」
「はあ!?」
シアンが回答を逃げたように感じたので、ルキナは声を荒げる。
「忘れたものはしょうがいないですよね」
シアンはそう言って、すたすたと洗面所に向かって歩いていく。
「シアンのバカー」
ルキナは、悪口を一言言うと、「主人より先に洗面所を使えると思うな!」と言いながら、シアンの横を走って抜き去って行く。そして、洗面所にシアンより先に入っていく。
「ボキャブラリーのない子供ですか」
あっかんべーをしてシアンをおちょくっているルキナをシアンが鼻で笑う。
こういうところは、二人とも昔から変わっていない。




