知り合い多いのは良いことデスケド。
この世界も、秋になると発表会や展覧会といったイベントが増える。そんな時期に、出版社は本の売り上げをあげようと、作家たちの協力を仰いでイベントを計画した。それは、作家本人たちによるサイン会だ。
「ミューヘーンさん、こちらです」
カテルが手を振ってルキナを呼ぶ。ルキナはカテルに駆け寄る。
「クマティエさん、お疲れ様です」
ルキナが挨拶をすると、さっそくイベントの説明が始まった。
「ミューヘーンさんも含め、先生方にはこちらの席に座っていただきます。そして、列に並ばれたお客様に順番に購入予定の本を出してもらい、そこにサインを書いてもらうという流れになります」
サイン会は王都で一番大きな書店で行われる。ルキナが契約している出版社の主要な作家たちが集められ、サインを描くことになっている。出版社にとって一大イベントなのである。サインと引き換えに、この書店で新しい本を購入してもらうのだ。人気作家ばかりで、サイン会はめったに開かないので、ファンがこぞって集まるはずだ。売上は期待できる。
カテルは説明しながら、一つの机に近づいて行った。その机だけ、パネルが置かれている。ルキナはパネルを見てすぐにわかった。
(これが私の席ね)
ルキナは、顔と本名を公開しないで作家活動をしている。本当はこのサイン会も参加すべきではない。だが、ファンとの大事な交流だ。工夫をこらしてなんとかサイン会に参加することになった。このパネルは工夫の一つだ。
「高さは一応調節してありますが、確認していただきたくて」
そう言って、カテルがルキナに椅子に座るよう促した。ルキナは椅子に座った。視界は白色のパネルに埋め尽くされる。
「お客様にはこの隙間から本を渡してもらう形になります」
カテルがサンプルの本をパネルの下から送ってきた。ルキナはそれを受け取り、サインを描くふりをする。そして、それをまたパネルの下から向こう側に送り返す。
「手が通るようであれば手渡ししていただいた方が喜ばれると思います。あ、でも、サインを描く時は気をつけてください。本に顏を近づけたりすると、パネルの下から顔が見えるかもしれないので」
カテルがサンプルの本をしまいながら言う。しかし、ルキナからは人影が動いているように見えるだけで、カテルが何をしていて、どんな表情をしているのか全くわからない。相手から顔が見られないということは、こちらからも相手の顔を見ることはできないということだ。
ルキナはなんだか寂しいなと思いながら椅子から立ち上がった。机から離れてやっとカテルの顔が見えた。
「顔を下に寄せることはあまりないと思います。視力にはそこそこ自信がありますから。シアンほどではありませんけど」
ルキナは笑いながら言う。この世界に生まれ直してから、電子画面を一度も見ていない。視力は前世ほど落ちずにすんでいる。親の遺伝も関係しているだろうが、視力は良い。
「問題は終わりがけですね。疲れると姿勢を崩すくせがあるので」
「それは気をつけてください」
ルキナがカテルと話していると、紺色の髪の少女が近づいてきた。
「お嬢様、お待たせしました」
シアンだ。今日も女装をしている。もちろん、本人が望んで行ったことではない。ルキナに無理矢理女装させられているのだ。
「二回目となると慣れたもんよね」
ルキナはシアンの頭から足元まで確認する。二回目の女装なので、立ち振る舞い方に何か慣れが垣間見える。ヒールのある靴でもちゃんと一人で歩けている。
「慣れたくないんですけど」
シアンが不満そうに言う。声はまだ魔法で変えていないので低い。
「その声、気持ち悪いから、早く高くして」
ルキナが指示を出すと、シアンは「わかりました」と高い声で言った。今日はなかなか従順だ。
「すみません。リュツカ君にまで、お手伝いしていただくことになってしまって」
カテルが申し訳なさそうに頭を下げた。シアンは人手不足のスタッフを手伝うために呼び出された。シアンの仕事は主にルキナの補助だ。外の様子がわからないルキナに状況を伝え、客の誘導をする。しかし、シアンが素のままでいると、ミユキ・ヘンミルの正体がルキナだとバレかねない。銀髪、赤目のシアンがミューヘーン家に仕えているのは有名な話だ。シアンの存在を手掛かりにミユキ・ヘンミルの正体にたどり着く人物がいないとは言い切れないだろう。そんな時こそ、女装だ。誰も、この少女がシアンだとは思わない。
「本当は今日のためにその一式を用意したのよ」
ルキナは腰に手を当てて言った。シェリカの誕生日パーティの時点で、シアンに女装をさせる準備が整えられていたのは、もともと女装をさせる予定があったからだ。その予定こそがこのサイン会だ。シアンの正体を隠しながら働いてもらうために女装をさせるつもりだった。ルキナとしては、たった一回のために女装セットを用意するのはなんだかもったいなく思っていたので、女装の機会が増えるのは嬉しいことだった。シアンはそうではないだろうが。
「それじゃあ、今日はよろしくね。シャナちゃん」
ルキナはニッコニコしながらシアンを見る。シアンは諦めたように息を吐いて頷いた。
「それでは、時間がくるまで、控室で休憩なさってください」
カテルが控室にルキナとシアンを連れて行く。
「他の先生より先にミューヘーンさんには移動してもらわなければならないので、あまりゆっくりできませんが、どうぞ」
作家たちは、開店後、サイン会の開催が宣言された時に登場することになっている。だが、ルキナは客に顏を見られるわけには行かないので、店を開ける前にあのパネル付きの席についていなければならない。したがって、ルキナは控室にいられる時間は短くなる。
「まあ、しょうがないわよね。それにわがままを言っているのは私だし」
ルキナはカテルやスタッフたちを責める気にはならない。ルキナはシアンを連れて控室に入って休憩を始めた。その際、ルキナは髪をお団子頭に結った。髪色で正体がバレる可能性もゼロではない。髪がたれてパネル下から見えるなんてことがあっては困る。こうして、髪が落ちないように先に対策をしておく。
ルキナが鏡で自分の髪がまとまったのを確認していると、シアンがじっとルキナを見た。
「…なに?」
ルキナはシアンの視線が気になって尋ねた。すると、シアンはふいっと目をそらした。
「なんなのよ」
ルキナはシアンに無視されたのがむかついた。ルキナが頬を膨らませると、シアンはためらいがちに口を開いた。
「お嬢様がその髪型なのは珍しいので…。」
シアンはなんだか恥ずかしそうだ。ルキナと目を合わせようとしない。
「見惚れちゃった?」
ルキナはシアンの反応が可愛かったので、怒りはすっかり収まった。ニヤニヤと口元を緩める。
「違います」
ルキナがからかうように言うので、シアンは否定をした。
「シアンが可愛いって言うなら、またこの髪型にしても良いけど」
可愛いものを見ると、意地悪をしてしまうのはルキナの悪い癖だ。このようなことを言っても、シアンが可愛いなどと言えるわけがない。シアンは立場をわきまえている。
「…。」
シアンは困ったように黙り込んだ。答えに困っているのだろう。
「なんで黙ってるのよ。似合ってないの?」
「似合ってます」
ルキナが聞き方を変えると、シアンはすぐに答えた。
「それじゃあ、可愛いって言ってくれれば良いじゃない」
ルキナは試すようにシアンを見る。シアンは何と答えるだろうか。ルキナはわくわくしながら返事を待つ。少し経って、シアンは小さな声で言った。
「…いつもの髪型も似合ってますので」
これが今のシアンにできる限界なのだろう。
(逃げたわね)
ルキナは、シアンが上手いこと言って可愛いと言うのを避けたので、残念に思う。だが、シアンが一生懸命考えてルキナとの関係を近づけるでも遠ざけるとでもないような答えを出したのだ。シアンの苦労に免じて、今回はこの辺りで許してあげることにする。
「そろそろ時間ね」
ルキナは最後にもう一度髪型をチェックし、サインペンを数本持って立ち上がった。ルキナはシアンと一緒に控室を出て、席に着いた。シアンはルキナの席の近くに立つ。
「さあて、働くとしますか」
サイン会というのに憧れはあったが、勝手がわからない。ファンとどんな交流ができるのかドキドキだ。
「くれぐれも私の本名を呼ばないようにね。ヘンミル先生よ。ヘンミル先生。ね、シャナちゃん」
ルキナはパネルに映るシアンの影に向かって言った。
「ヘンミル先生こそ、緊張してシアンって呼ばないでくださいね」
パネルの向こうからシアンの声が返ってくる。ルキナはほっとする。
「緊張って。相手の顔は見えないんだから緊張のしようがないわ。シャナちゃんの方が緊張するんじゃない?」
「顔が出ていると言っても、自分の顔じゃない気がするのでそこまで緊張しないと思いますよ」
「あら、じゃあ、これからも人前に立つときは女装する?」
「なんでそうなるんですか。もうこりごりですよ。もう二度としたくありません」
「そう?ノリノリに見えたから女装が気に入ったのかと」
パネルに囲まれた机の中にいると、孤独感がある。本当はそこまでシアンと話す必要性はなかったのだが、会話を止めるのが怖かった。そうして二人で話していると、開店時間、イベントの開始時間が始まった。既に多くのファンが押しかけているようで、開店に時間がかかった。結果、イベントの開始は少し遅くなった。
「お客様が入ってきましたよ」
シアンが外の様子を教えてくれる。たしかに、パネルの向こうががやがやと騒がしくなってきた。
「いっぱいいる?」
「はい。皆さん、お目当ての本を取りに店の奥に向かってます」
まだサインをもらうに至る客はいないので、シアンもルキナも余裕がある。またしばらく二人で話していると、一人目の客がサインをもらいにやってきた。
「あ、あああ、あのっ、サインって何冊までいただけますか」
パネルの向こうから緊張して震えた声が聞こえてきた。
「買っていただけるのなら何冊でも」
ルキナはファンからの愛を感じて嬉しくなる。自然と声音が優しくなる。客はルキナの本を一通り買ってくれるらしく、その全てにサインを欲しがった。こんなにも買ってもらえるのなら、サインをしてあげないわけにはいかない。
「あの、先生の本、どれも素敵で。私、先生の本に救われました。辛いなって思った時、先生の本を読むんです。先生の本と出合えて良かったです」
ファンはルキナの本がどれだけ好きか語ってくれる。話はまとまっていないが、それが愛の深さを物語っているようだ。
「ありがとうございます。これからも応援よろしくお願いします」
ルキナはサインを描いた本を返し、最後に握手をした。女の子らしい手だ。声もとても可愛らしかった。女の子の顔を見られなかったことが悔やまれる。
「あの人も女装だったりしますかね」
客が離れて行くと、シアンが言った。
「え?なんで?」
ルキナが聞いた声も触った手も、たしかに女の子のものだった。なぜシアンが女装を疑うのかわからない。
「かつらをかぶって、口元を隠してましたし、服も体を隠すようなものだったので」
シアンはルキナが知らない客の見目を教えてくれる。たしかに、なんだか怪しく感じる。だが、そのような違和感だけでは女装とは言い切れないだろう。
「ふーん。良かったじゃない。趣味の合いそうな人がいて」
ルキナはシアンが女装に敏感になっているだけだと思い、適当に返事をした。
「女装は趣味ではありません」
シアンは不満そうだ。
その後、客が安定して入ってきて、サインを待つ列ができ始めた。ルキナは、流れるようにサインをし、ファンとの会話を楽しんだ。
ルキナがサインに慣れてくると、シアンが急にルキナの後ろに身をひそめた。ルキナがどうしたのかと尋ねると、「マクシスです」とひそひそ声で言った。
「へ?」
なんと、次の客はマクシスなのだそうだ。
「チグサ様も一緒みたいですけど」
シアンは慌てた様子で言う。ルキナは驚いた。チグサはルキナがミユキ・ヘンミルであることを知っている。わざわざサインをもらいにくるとは思わなかった。
「マクシスがお嬢様の本を読んでるとは言ってたんですけど、まさかここに来るとは」
マクシス相手では女装をしていてもシアンは外に出られない。マクシスはシアンの女装姿を知っている。すぐにばれてしまう。
「それはちょっとまずいわね」
ルキナは、シアンが「先生」ではなく「お嬢様」と言ったのが気になったが、人に聞こえるような会話ではなかったので許すことにする。ここは、シアンを後ろに隠したまま、対応をすることにする。
「次の方、どうぞ」
ルキナはパネルの下から手を出す。マクシスと思われる男の子が本を手渡してきた。
「先生の本、姉が気に入ってて。僕も読んでるんです。劇も観に行きましたよ」
マクシスは相手がルキナとも知らず、ファントークを始めた。チグサはマクシスの後ろで大人しくしているようで、話に入ってこない。
「姉がこんなにも一人の作家をおいかけるのは珍しいんですよ。応援してます。あとは、姉弟の恋愛の話がもっとあると嬉しいんですけどね」
「考えておきますー」
ルキナは、声で正体がバレたりしないか心配であまり話せなかった。
(マクシスとチグサをくっつけるために本を書いてるんじゃないわ!)
心の中で文句を言いながらも、きっちりサインを描いて本を返した。
「ありがとうございます」
マクシスが去って行った。一人の対応をしただけなのにどっと疲れた。
「知り合いがくることも想定しておくべきだったわ」
ルキナは短く反省し、サイン会を続けた。シアンはまたパネルの外に立ち、接客をした。が、またすぐにパネルの中に戻ってきた。
「部活の先輩が…。」
中等学校時代の部活の先輩が来ているらしい。
「別に女装してるんだからバレないでしょ」
「先輩、勘が良いんですよ」
シアンは身バレが嫌で表に立ちたがらない。ルキナは仕方なしに一人で対応をする。この先輩とやらも癖が強く、どうやらいわゆる腐女子と言われる人だった。
「先生の本で一番気に入ってる本です」
そう言って差し出された本は、ルキナが唯一書いたBL本だった。ルキナはさらさらっとサインを描く。その間、シアンの先輩らしき女性は、その本の感想を語り続けた。
「男性同士の恋愛を書かれるの待ってます」
先輩もルキナに自分の好きな話を書いてほしいと要求してくる。
「考えておきますー」
ルキナは適当に返事をし、さっさと送り出した。
(シアン、知り合いが多くてめんどくさい)
ルキナはくるりと後ろにいるシアンの方に顏を向けた。ルキナが迷惑そうな顔をしていると、シアンはきょとんとして「どうしました?」と言った。
「別に」
ルキナは、無理矢理働かさせているシアンに文句は言いづらくて黙った。交友関係が広い人は羨ましいが、時に、面倒なこともあるようだ。




