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22. 受け入れられないんデスケド。

 チグサの部屋の前に着くと、シアンがドアをノックした。返事はなかった。チグサは眠っている可能性があるので、彼女の返事がないのは不思議でもない。しかし、中にはマクシスがいるはずだ。彼からの返事もないのはおかしい。

(マクシス、もう出ちゃったのかな)

 ルキナはマクシスがもうチグサの部屋にいないのかもしれないと思った。あまり考えられないことだが、可能性がゼロとは言い切れない。ここは確認の意味も込めて、中を確認する方が良さそうだ。

「チグサさん、シアンです。入りますね」

 中にいる人の返事が一つもなかったが、シアンは扉を開けた。シアンが開けなければルキナが開けたところだが、ここはシアンもルキナと同じ判断をしたようだ。

 シアンがドアを開けたまま、少し止まった。何かを感じ取ったのか、険しい顔になる。

 ルキナはシアンの横顔を見た後、シアンとドアの隙間から中を覗いた。入口から見て正面にベッドがあったわけではないので、少し視線を動かさなければならなかった。ルキナはシアンの視線を参考にしたが、シアンの目は何も映さない。つまり、シアンは視覚的にではなく、他の感覚でチグサの身に起っている異変を感じたのだ。

 ルキナが確認すると、チグサは静かに眠っていた。そのそばでマクシスが俯いている。やはりマクシスはこの部屋にいた。返事をしなかったのは、チグサのことを考えて、ノックの音に気づかなかったからだろう。その証拠に、ドアを開けて立っているシアンたちを見て驚いている。

「…。」

「…。」

 ルキナはマクシスと目が合い、そのまま少しの間黙ってしまった。よく見ると、マクシスの目には涙がたまっている。チグサの衰弱具合を見て泣かずにはいられなかったのだろう。

「先生?」

 ユーミリアが後ろから声をかけてきた。入口がルキナとシアンで塞がれているので、ユーミリアからは中の様子が全く見えない。だから、ルキナたちが入口で固まっている理由もわからない。

 ユーミリアの声を聞き、シアンが体をすっとずらした。ユーミリアに場所を譲るためだろう。そうしてルキナたちがドアの傍から動かず、部屋の奥へと進まないでいると、マクシスがはっとしたように顔を腕でごしごしと拭った。

「ごめん。入ったら?」

 涙を拭き終わると、マクシスは自分のせいでルキナたちが入ってこれなかったのだと思い、謝った。そして、マクシスは自分のいた場所を譲るためか、繋いでいたチグサの手を離し、ややベッドから距離をとった。マクシスのことだから、チグサの傍を少しも離れたくないのかと思ったが、他の者もチグサの傍に行きたいだろうと察することができたようだ。

 マクシスの許可を受け、ルキナたち四人はぞろぞろと部屋の中に入った。すると、その音が騒がしかったのか、眠っていたはずのチグサが目を開けた。

「姉様…!」

 マクシスが嬉しそうな声を出す。ルキナたちはチグサの元に駆け寄った。

「チグサ」

 ルキナはベッドに近寄ると、チグサの顔を覗き込んだ。チグサの視界に入ろうとしたのだ。そこでルキナは気づいた。チグサの目の色が変わっていることを。

(右目も白く…やっぱり竜の血が原因なの?)

 チグサの右目は赤かったはずなのに、左目と同じように色を失っていた。リュツカの赤い目は、竜の血によるものだ。つまり、チグサはまたさらに竜の血の力を失っているということになる。それが不調の理由だと考えるのが妥当だろう。

 チグサはルキナたちが近づいても、何も言おうとしなかった。目は開けているが、ちゃんと覚醒していないのかもしれない。

(ちゃんと起きてたら、さすがに私たちがいることには気づいてるはずだもの)

 チグサの両目が色を失ったということは、チグサはシアン同様に視力を失っている。しかし、チグサはシアンと同じ力を持っていると考えて良い。つまり、チグサは見なくてもルキナたちがいることには気づいているはずだ。

 ルキナがそんなことを考えながらチグサの顔を見ていると、チグサの口がかすかに動いた。何かを言おうとしているようにも見えたが、声は聞こえなかった。ルキナは見間違いかなと思い、チグサから一度目を離そうとしたその瞬間、突然チグサが涙を流した。ルキナはチグサが泣いているところを初めて見た。

「姉様!?どうしたんですか?どこか痛いの?」

 マクシスもチグサの涙に気づき、チグサにその理由を問いつめた。しかし、チグサは何も言わなかった。

「マクシス、あんまり耳元で大声を出したらチグサもびっくりするわよ」

 ルキナはマクシスにあまり取り乱さないように言った。チグサが何も言わないのをマクシスが騒いでいるせいだとは思わないが、マクシスの声でチグサの声が聞き取れないということはあり得る。

 マクシスを静かにさせると、ルキナは改めてチグサになぜ泣いているのか問うた。だが、チグサは答えなかった。チグサとの意思疎通が図れないのではどうすることもできない。ルキナは助けを求めるようにシアンとユーミリアの方を見て、どうしようかと視線で問う。その間もチグサは泣き続けていた。

「ごめんなさい」

 これまで黙っていたシーラが急に謝り始めた。ルキナは驚いて「シーラ?」と声をかけた。すると、シーラはもう一度「ごめんなさい」と言い、真面目な顔でルキナを見返した。

「チグサ様がそう申しています」

 シーラは自分が何かをしてしまったことに対して謝罪したのではなく、チグサが謝っているのを代弁したのだと言う。

「シーラ、あなたわかるの?」

 ルキナは驚きと期待でシーラに尋ねる。その問いに対し、シーラは「はい」と頷いた。シーラはシーラで驚いていた。自分に聞こえている声が他の者には聞こえていないということが信じられないようだ。

「エルフって耳が良いんだね」

 マクシスが感心したように言う。チグサの一番近くにいたマクシスにも聞き取ることができなかった声を、一番離れていたシーラが聞き取った。それをマクシスはエルフの聴力ゆえのものだと考える。しかし、エルフの身体能力はヒトと大して変わらない。ルキナはそれを確認している。そして、シーラがこの場の誰よりも長けているとしたら魔法だ。エルフは魔法に長けている種族だ。

「チグサが魔法を使って言っているの?」

 ルキナがそう尋ねると、シーラは肯定した。魔法ならシアンもわかったはずだと思い、ルキナはシアンを見た。シアンはルキナの疑問に気づいたのか、自分にはわからなかったと言った。シアンだって魔法の能力は一流だ。魔力の感知で誰がどこにいるのか把握している。魔法が使われた痕跡も感じ取れるくらいだ。なぜシーラにはわかることを、シアンにはわからないのだろう。

「ただ、チグサさんから魔力の流れは感じます。微量ですが、無意識に発せられる自然な流れと少し違います」

 シアンが言うには、人は誰しも常に魔力を外に発している。シアンはそれで人を見分けたり、ある程度の感情や体調の変化を読み取ったりしている。それをシアンは無意識下における自然な流れと表現し、魔法を使っている時に流れが変わると言う。つまり、チグサの魔力の流れから、今チグサが何らかの魔法を使っていると予想される。

「でも、言われないと気づかない程度です。それに、僕にはどんな目的をもっているのか知ることはできません」

 シアンは魔力の流れがわかっても、その意味を全て理解できるわけではない。シアンの考えでは、シーラは魔力の流れに載せられているチグサの思念を読み取っているそうだ。それがシーラにできて、シアンにできないこと。シーラはシアンのように魔力の流れを読み取ることはできないが、魔力の声を聞くことができる。

(そういえば、あの時も声を聞いたって)

 ルキナは留学先でシーラに出会ったばかりの頃を思い出した。ルキナはジルの誘拐事件に巻き込まれ、ジルと共に囚われることになってしまった。その場所を突き止め、助けてくれたのはシーラだった。シーラはジルの声を聞き、ルキナたちのいる部屋を見つけ出したと言っていた。それを聞いたテオは、シーラは耳が良いのだと思ったと話していたが、その時、ルキナもジルも声を出していなかった。シーラは耳では聞こえない声を聞き取った。今思えば、あの時も魔力の声というものを聴いたのだろう。

「シーラさん、姉様は他に何か言ってますか?」

 マクシスは、ルキナとシアンのやり取りからシアンがシーラと同じことができないとわかると、チグサの言葉を訳すようにシーラに求めた。この場でチグサの言葉を理解できるのはシーラだけだ。シーラに頼るマクシスの行動は理解できるものだ。

「えっと、はい。声が出ないことを何度も謝られています」

 チグサが謝っているのは自分で声を出して話せないことに対してらしい。チグサが何も言おうとしなかったのは、言いたくても言えない状態にあったからだとようやくわかる。ルキナはシーラを通して話ができるようになったことで安心したらしいチグサを見て、泣きそうになった。逆にチグサはもう泣いていなかった。声を出せず、言葉が通じない時は、泣くことでしか意思表示できなかった。でも、今はシーラの存在でそれが必要なくなった。だから、チグサは涙を流さない。

(チグサが泣くなんて、よっぽどのことよ)

 チグサは目的をもって泣いていたようだが、その涙に彼女の苦しみが含まれていたのは確かだ。チグサは感情を表に出さない。だから、誰も泣いているところを見たことがない。でも、泣きたいくらい辛いと思うことはあったはずだ。隠してきただけで、陰で泣いていたことは何度もあるのではないだろうか。例えば、初めて見せた涙も本当は堪えていたはずの涙なのではないか。

 ルキナがぐっと涙を堪えて、険しい表情をしていると、ユーミリアが心配そうに顔を覗き込んできた。ルキナがチグサを心配するように、ユーミリアはルキナが泣きそうになれば心配になる。ルキナはチグサが泣いていない時に泣くわけにはいかないと思い、笑顔を作った。そして、「チグサと話ができるみたいで良かったわ」とユーミリアに対して言う。精一杯平然を装う。ユーミリアは余計な指摘はせず、「そうですね」と優しく相槌を打った。

「他は?」

 ルキナが涙を堪えている間も、マクシスはシーラにもっとチグサの言葉を教えるように求め続けていた。シーラは難しそうな顔をして「少し待ってください」と言う。シーラに聞こえるチグサの声は、声を発して話す時のように文脈に沿ったものではない。チグサが意識的に言葉をまとめて魔力に意思を乗せているわけではないからだ。頭に浮かんだ言葉がランダムに外に出て続けるような感じだ。シーラはその声を聞くだけではなく、意味のある言葉に並べ替え、まとめなければならない。だから、マクシスがどんなに急かしても、訳すのに時間がかかる。

「内緒にしてて…ごめんなさい……時間は、少し…生きられる時間は少しだけど、後悔はない……皆が来てくれて嬉しい…」

 シーラの話を聞いているだけでも、チグサの声を訳すのがどれだけ難しいのか察することができる。

「生きられる時間は少し?」

 マクシスが大きく目を見開いて、信じられないと言うように弱弱しく言った。その後、足の力が抜けたのか、よろよろとその場に座り込んだ。

「姉様…。」

 チグサの様子を見れば、彼女がこの先長くないことは予想できた。予想できたが、それを簡単に受け入れられるわけではない。チグサの体のことはチグサが一番理解している。彼女が少ししか生きられないと言うのなら、そうなのだろう。だからこそ、受け入れられない。現実を見たくなくなる。

「マクシス」

 シアンが慰めるようにマクシスに声をかけた。マクシスは反応しなかった。マクシスはしばらく立ち直ることができなさそうだ。

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