入学式デスケド。
四月の初め。クリオア学院の入学式の日がやってきた。待ちに待った上級学校だ。
ルキナはウキウキした気持ちで講堂の椅子に座る。右後ろを見ると、シアンが大人しく座っているのがわかる。シアンは魔法科で、ルキナは普通科。学科が違うので、席が近いのは偶然だ。
ルキナがチラチラとシアンの方を見ていると、シアンがルキナに気づいて笑顔を向けてくれる。ルキナはそれを少し嬉しく思いながら、シアンから目を離す。キョロキョロと周りを見渡す。『りゃくえん』の攻略キャラを探しているのだ。このクリオア学院が『りゃくえん』の舞台である以上、イリヤノイド以外の攻略キャラがいるはずだ。
そうしてルキナが人探しで時間をつぶしていると、間もなく、入学式が始まった。入学式というのはどこの学校も同じようなことしかしない。校長先生やら、よくわからない偉そうな人の話が続く。退屈な話ばかりでルキナが眠くなってきた頃、探していた人物の一人が現れた。
「在校生代表挨拶。在校生代表、ベルコル・バリファ君」
司会者の声で、ルキナの眠気は飛んでいった。ベルコル・バリファ。聞いたことのある名前だ。
緑色の髪と緑色の目。眼鏡をかけ、制服をきっちり着ている。身長は高く、真面目そうな雰囲気。何より、美形。間違いなく、乙女ゲームの攻略キャラだ。
「クリオア学院にようこそ。生徒会長のベルコル・バリファです。我々、在校生一同、こうして新たな仲間を迎えられる日を心待ちにしていました」
ベルコルが笑顔で話し始める。ルキナはその顔を見て、少しだけ違和感を感じる。ベルコルは、人前に立っているから、最低限の笑顔を作っているのだろう。だが、ベルコルはそんな人ではなかった気がする。ゲームのストーリーを進める中で、ヒロイン、ユーミリアの影響を受けてベルコルは笑うようになるはずだ。でも、ベルコルは最初から笑っている。
(二次元と三次元じゃ違うわよね)
ルキナは違和感なんてたいしたことはないと、勝手に納得をする。画面を通してみれば、あの顔も、笑っていないように見えるかもしれない。
(そんなことより、シアンに教えてあげないと)
ルキナは右後ろにいるシアンの方を見る。そして、指でベルコルを指す。ルキナがシアンに気づいてもらえるように少し大げさに手を動かしていると、シアンがルキナの方を見た。
「ベ、ル、コ、ル。りゃ、く、え、ん、の、キャ、ラ」
ルキナは声を出さないで口だけを動かす。シアンは、ルキナが何を言っているのか理解したのか、小さく頷いて、前を見た。ルキナも後ろを向くのはやめて、壇上にいるベルコルを見る。ベルコルは相変わらず話を続けていたが、ルキナの方をじっと見ていた。
(あら、やだ。一目惚れでもされちゃったかしら)
ルキナは嬉しくて口元がニヤニヤしてしまう。それを隠すように顔を下に向ける。
(ベルコル攻略は楽勝かも)
ベルコルは、緊張感をもってじっとしている新入生の中、一人だけ動いて悪目立ちしている生徒を見ていただけなのだが、ルキナは幸せな勘違いをしている。
「素敵な学校生活となるよう、祈っています」
ベルコルは締めの言葉を述べ、ステージから去って行った。ルキナは顔を上げて、ステージの上を見る。もうベルコルはそこにいないので、照れることはない。
「続いて、新入生代表挨拶。新入生代表、チカ・ライトストーン君」
新入生代表には、入学試験で一番の成績をとった生徒が選ばれる。これはルキナの予想通りだ。茶髪に黒目の男の子が、壇上に姿を見せる。
(やっぱり、あのチカだわ)
チカ・ライトストーンも、『りゃくえん』に登場するキャラだ。頭脳明晰で、孤独な無口キャラ。頭が良すぎて周りに煙たがられた過去があり、一人で過ごすことが多い。しかも、誰よりも深刻な闇も抱えている。彼の母親は、とある貴族の手で殺された。それ故、チカは貴族を嫌っている。それなのに、ゲームでは、チカは貴族であるルキナの傍にいた。
(設定の詰めが甘いのよ、公式さんは)
ルキナは、前世ではまるくらいには『りゃくえん』が好きだったが、その詰めの甘さも含めて愛していた。だから、決して、あのゲームが名作だったとは思わない。
ルキナは、そこで、シアンにまた教えてあげなくてはいけないことを思い出す。攻略対象はシアンに事前に教えておかなければ、協力を仰げない。
ルキナは、さっきと同じように、シアンの方を見て、指をステージに向ける。だが、シアンが一向に気づく気配がない。
(なんで気づかないのよ)
ルキナは怒りながら動きを大きくする。ここまでやれば、シアンも気づくだろう。そう思っていたら、たしかに気づかれた。ただ、望んでいた相手ではなかったが。
「そこの君」
男性教師が声をかけてきた。悪目立ちしすぎたようだ。いつの間にかチカの話は終わっており、司会者が何かを話している。でも、司会者の話を聞いている者はほとんどいないだろう。注意を受けているルキナに注目している。
「すみません」
ルキナは小さな声で謝った。ルキナだって恥ずかしいという感情は持ち合わせている。こんなに皆に視線を集めたら、身が縮む思いだ。
ルキナが謝ったので、教師は静かに去って行った。そんなことをしているうちに、司会者の話も終わり、入学式も閉式となった。
新入生たちがぞろぞろと講堂から出て行く。ルキナは、人影に隠れるようにかがみながらシアンの近くに行く。
「お嬢様、何やってるんですか」
開口一番、シアンはルキナを叱る。
「私だって恥ずかしかったわよ。日本人はシャイなんだから」
「ニホン人がどんな性格とか知りませんけど、あんまり大きな声で言わないでください」
ルキナはシアンと話しながら、人の流れに沿って外に出る。太陽の光がまぶしい。
「集合場所、どこだっけ?」
ルキナが立ち止まると、シアンが行くべき方向を指さした。入学式の後、同じ中等学校を卒業したメンバーで集まる約束をしている。
「シアン、ルキナ」
二人が集合場所に向かって歩いていると、名前を呼ばれた。ルキナが声のした方に目を向ける前に、黒髪の少年がシアンに突進してきた。マクシス・アーウェンだ。
「聞いた?ここの生徒会長、三級生なんだって」
アーウェン家はミューヘーン家と同じ第一貴族。マクシスもれっきとした貴族の子だ。そして、貴族は噂話を好む傾向がある。マクシスも例外ではない。ルキナはそんなマクシスを頼っているところはある。噂話に詳しい人物が周りに一人いるだけで、情報の得やすさが違う。
「ベルコル・バリファって人でしょ?」
ルキナは、さもベルコルのことなど全く知らないかのように言う。
「うん。バリファ家っていうと、病院を経営している第二貴族だからね。医学系の学校に行かなかったのが意外だよね」
マクシスがペラペラと話す。
「専門学校行くんじゃない?」
「やっぱりそうだよね」
ルキナの意見にマクシスが何度も頷いた。
「でも、五年も上級学校に通うなら、その間に医療の勉強した方が近道じゃない?」
マクシスの言葉にルキナが「たしかに」と言った。
「普通科に医療分野も授業が用意されてますよ」
シアンが興味なさそうに言う。シアンは噂話のようなものがあまり好きではないので、たまにしか会話に入ってこない。
「「そうなんだー」」
ルキナとマクシスが声を揃える。
「マクシスはともかく、お嬢様は知っててくださいよ」
シアンが呆れる。マクシスはシアンと同じ魔法科なので知らないのも無理はないが、ルキナは普通科の生徒だ。どんな授業があるのかくらいは把握しておくべきだろう。
「お嬢様、ここに何をしに来たかわかってますか?」
「モテモテになるために決まってるじゃない」
シアンの問いにルキナが即答した。しかも、悪い答えだ。シアンが軽蔑の眼差しをルキナに向ける。
「冗談だって」
ルキナはそう言うが、けっこう本気で言っている。ルキナは、逆ハーレムに夢見て生きてきた。チャンスがあるのならば、それを逃す手はない。
「せっかく苦労して受かったんですから、頑張ってくださいよ」
シアンがため息混じりに言う。ルキナは深々と頭を下げて「その節はお世話になりました」と言う。ルキナが受験に失敗しそうになったとき、シアンが全力でサポートしてあげたのだ。ルキナがこのクリオア学院に通えるのも、シアンのおかげと言っても過言ではない。
「そうではなくて、お嬢様が頑張ったっていう話ですよ」
シアンが困ったように言う。シアンは、ルキナが受験に成功したのはルキナ自身の頑張りがあったからであって、自分のおかげだなんてちっとも思ってない。謙遜しているように聞こえなくもないが、ルキナはシアンが本当にそう思っているということをわかっている。
「そんなそんな。私をおだてたって何もでてきませんぜ、旦那」
ルキナがゴマをする要領で、両手をこすり合わせる。ルキナがふざけると、シアンが少し笑った。そんな二人の間に無理矢理マクシスが割って入ってきた。
「それはともかく、首席の人の話は知ってる?」
マクシスはまだ話したりないようで、今度はチカにターゲットを変えた。
「女の子たちがカッコイイって騒いでたからモテるだろうね。たしかに、僕も綺麗な顔してるなって思ったし。そうそう、頭が良すぎて中等学校の先生を泣かせたっていう伝説があるんだって。だから、受験で一位を取るのも当然だって。もちろん、奨学金をもらっているらしいよ。返済無用の」
さほど噂話としての内容の濃さはないが、マクシスはどうしてもこれを話したかったらしい。マクシスが満足そうな顔になっている。
「良かったわね。奨学金仲間じゃない」
ルキナはシアンを肘でつつく。
「仲間って何ですか」
シアンがルキナから若干距離をとる。
「お父様が、シアンはお金を使わせてくれないから寂しいって言ってたわよ」
ルキナがハリスの真似をして言うと、シアンは微妙な表情になった。
シアンはミューヘーン家で働いてはいるが、もはや養子に近い。ルキナの世話係といっても、たいした業務はないし、ほとんどルキナと遊んでいるようなものだ。実際、ハリスはシアンを実の子のように思っているし、ルキナにしてあげることは、シアンにも同じようにしてきた。それでも、シアンが使用人の立場にあるのは、シアンが気を患わないようにという配慮だ。少しでもミューヘーン家のために働いているという意識があれば、ミューヘーン家から与えられることに気持ちが重くなりにくくなる。そんなハリスだから、シアンが奨学金をもらって学校に行くと言ったときは、まだわがままを言ってもらえないのだと寂しく思ったのだ。
「それくらいで寂しいとおっしゃるのなら、毎週顔を見せに行かないといけないですね」
シアンが苦笑する。この学校は全寮制だ。ルキナもシアンも、長期休暇になるまではミューヘーン家に戻らないつもりだ。寂しがり屋のハリスには耐えがたい時間かもしれない。
「そうね」
ルキナもクスリと笑う。
「遅かったな」
三人が集合場所についた頃には、男子二人が待ち構えていた。タシファレド・ロットとハイルック・シャルトだ。
「ロット様を待たせるとは、何事ですか」
ハイルックが怒っている。ハイルックは第一貴族であるタシファレドの取り巻きで、彼はタシファレドを誰よりも愛していると自負している。
「僕らが遅いって言うより、君たちが速いだけだと思うよ」
マクシスが笑いながら言う。
「そんなに急いで、どんだけ私たちに会いたかったのよ」
マクシスの言葉を継いで、ルキナがからかう。すると、タシファレドが反撃に出た。
「入学式の、見たよ。いやぁ、さすがルキナ嬢」
「あれは傑作でしたね」
タシファレドとハイルックが顔を見合わせて笑っている。ルキナが入学式中に教師に注意を受けたことについてからかっているのだ。
「シアンが早く気づいてくれれば、あんなことにはならなかったのに」
ルキナが頬を膨らませる。二人にからかわれて不満そうだ。
「僕のせいですか?」
思わぬ流れで矛先を向けられたので、シアンが戸惑っている。
「まあまあ、ルキナ嬢、怒ってばかりいては美人な顔が台無しですよ」
タシファレドがへらへらと笑う。怒るきっかけを作ったのはタシファレドの方なのに、ルキナをなだめようとしている。ルキナはそれにいらっとして、タシファレドを睨みつけた。
「この女たらしファレドが」
皆には聞こえない声でぶつぶつと呟いた。タシファレドにも聞こえなかっただろうが、タシファレドは「ひぃっ」と情けない声を出して、ハイルックの後ろに隠れた。タシファレドは幼い頃からルキナが苦手だ。
「お嬢様、そのあだ名はお嬢様が考えたんですか?」
シアンがルキナに問いかける。シアンは耳が良いので、ルキナの小さな呟きも聞き取ることができたようだ。
「私が考えたんじゃないわよ。タシファレド推しのファンが考えたの」
ルキナは、前世において、リアルとネットの友達と一緒に『りゃくえん』で盛り上がっていた頃を思い出す。推しについて語り合っては、攻略法を教え合っていた。そんな中で、女たらしファレドという言葉がはやったのだ。タシファレドも『りゃくえん』の攻略対象だ。ファンでいじられるように、彼は女たらしキャラだ。
「どおりでお嬢様にしてはセンスがあると思いました」
ルキナが思い出に浸っていると、シアンがニコニコと笑いながら言った。笑顔はシアンのデフォルトだが、今はそれに腹が立つ。
「どういう意味?」
ルキナが口元だけで笑って問い詰める。目が笑っていないので、怒っているということはシアンにもわかるだろう。
「そのままの意味ですよ」
シアンは悪びれる様子もなく言った。ルキナが怒っていることに気づいてないわけがないのに。
「おつかれさま」
皆で談笑していると、黒髪の女子生徒が現れた。右目は黒色の眼帯をつけ、左目は白に近い灰色の瞳。こんな見た目の知り合いは一人しかいない。マクシスの顔がパアッと明るくなる。
「姉様!」
マクシスがにこにこと笑顔を向ける。彼女は、チグサ・アーウェン。マクシスの姉だ。
「姉様、今日は何してたんですか?あ、朝ごはんは何食べました?誰かに手伝ってもらったりしました?」
マクシスがチグサに質問攻めをする。チグサは聞こえていないふりをして何も答えない。チグサはもともと口数の少ない少女なので、これが普通だ。
「相変わらずのシスコンね」
ルキナが鼻で笑う。
マクシスは『りゃくえん』の攻略対象だ。見ての通りのシスコンキャラで、彼の姉が攻略の鍵を握るのだが、マクシスは完全にチグサにお熱だ。だから今は周りに興味なし。もちろんルキナも例外ではない。
「皆さんお揃いで」
そこへ二人の女の子がやってきた。お上品にお辞儀をしているのが、シェリカ・ルース。第二貴族の娘。その後ろで無表情で立っているのが、ルース家につかえるティナ・エリだ。
「これで全員揃ったわね」
ルキナが全員を見回す。同じ中等学校出身のメンバーは勢揃いだ。このメンバーは、中等学校どころか、初等学校からの幼馴染みだ。ルキナが『りゃくえん』に関係するメンバーをそろえさせた結果ではあるが、仲の良い友人たちが皆同じ学校に進学した。顔なじみの友人たちは新たな場所でも心強い仲間となる。ルキナは、逆ハーレムの目的とは別に、こんなふうに友達といられるのが嬉しいと思う。