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74. 皆生きていてほしいと思ってるんデスケド。

「死なない程度に痛めつけてやる!」

 覆面をつけた男が叫ぶ。その手には鋭利なナイフが握られている。男は、両手でナイフを握りしめると、その先端を椅子に縛られて身動きが取れないジルに向けた。ジルは決して恐れず、ナイフをじっと見つめていた。

「うおおおおお!」

 覆面の男が雄たけびを上げて、ジルの顔めがけてナイフを突き出した。そこへ突然、新たな人影が現れた。金色の長い髪が羽のように広がる。シーラだ。

 ジルに向けられていた刃物は、シーラの胸に突き刺さった。

「は?は?」

 覆面の男は、状況がつかめず困惑する。男の手がナイフから離れる。シーラは胸にナイフを刺したまま男から離れる。結果、覆面の男は唯一の武器であったナイフを失った。

「ジルから離れろー!」

 テオが丸腰になった男に飛び込んだ。覆面の男は抵抗する間もなく押し倒された。

 続いて、ホテルの従業員が部屋の中に入ってきた。誘拐犯たちを数で圧倒し、あっという間に三人とも拘束した。大人たちがルキナとジルの縄もほどいてくれ、二人は自由になった。

「シーラ!」

 ルキナは腕が使えるようになると、起き上がってシーラのもとに駆け寄った。やはりまだ本調子ではないので、足取りが不安定だ。そのまま倒れこむようにしてシーラに抱きついた。

「大丈夫です。死んでません」

 シーラは床に座っていて、ナイフを自分で抜いていた。シーラの服は血で赤く染まっていて、とても大丈夫そうには見えない。見た目と本人のリアクションが全く合っていない。シーラを心配して近寄った大人たちは、予想より元気そうなシーラを見て戸惑っている。

「ルキナ様、服が汚れてしまいますよ」

 ルキナがシーラを抱きしめていると、シーラが離れた方が良いと言った。シーラは不死身で、どんな怪我も治ってしまうが、怪我そのものがなかったことにはならない。つまり、シーラの体から出た血液はなくならない。シーラの手も胸も血で汚れている。その血はまだ乾ききっていないので、ルキナが触れば血がついてしまう。シーラは、ルキナが血で汚れるのは嫌がるだろうと思った。しかし、ルキナはそんなこと全く気にしていなかった。ルキナにとって服が血で汚れることはどうでもいいことだった。

 しばらくルキナがシーラに抱きついていると、ホテルの従業員たちは犯罪者三人組を連れて部屋から撤収して行った。数名は部屋に残ったが、多くが犯罪者の軍への引き渡しに向かった。人が急に減ったので、部屋の中が静かになったように感じた。

 ルキナはシーラから体を離す。ただし、手はシーラの肩においたまま。ルキナがシーラの両肩を掴んだまま固まったので、シーラは目を白黒させる。

「生きると決めたなら、そんなやり方はやめなさい。自己犠牲は正義でも何でもないのよ」

 ルキナが諭すようにゆっくり言うと、シーラは不満そうな顔をした。シーラは、生きると決めたことはないと言いたげだ。ルキナは自分の身を捨てるように使ったシーラに腹が立ち、説教をしようとしているが、シーラは怒られる意味がわかっていない。シーラは本当に自分の命に価値を感じていないのだ。

「自分で言ったんじゃない。不死身はアドバンテージじゃないって。それなら不死身の体を期待するのはやめなさいって言ってるの。昨日死ななかったからと言って、今日も死なないとは限らないでしょ」

 ルキナはシーラの不死身が永遠に続かないものだと知っている。だから、シーラには不死身の体をあてにするのはやめてほしいと思っている。

 しかし、シーラは自分が死なないから危険の中に飛び込んだのではない。同じ身代わりの役目を果たすなら、テオより自分の方が失うものが少ないと思ったから。それで死ねるのなら本望だ。だから、ルキナにいくら下手をすれば死んでいたのかもしれないのだと言われても、心に響かない。死寝るものなら死んでしまいたい。シーラはただ痛い思いするだけならいっそ死にたかったと思うだけだ。

 ルキナは、シーラが迷惑そうな顔をしているのを見て、彼女がまだ死にたがっていることに気づいた。他人の心はそう簡単に変えられない。ましてや相手は千年も生きたエルフだ。ルキナよりずっと長い時間を生きてきた。シーラは様々な経験をして、そのうえで死を望んでいるのだ。ルキナの言葉だけでシーラの考えを変えられるはずがない。

「そんなに死にたいならちゃんと生きてからにしなさい」

 ルキナは深いため息と共に言った。そして、また沈み込むようにシーラに抱きついた。シーラの肩に顎を乗せ、シーラに体を支えてもらう。さすがに疲れた。頭が痛いし、乗り物酔いをした時のような吐き気もする。乱暴に頭を揺らされたせいだろう。

 ルキナがぐったりしていると、シーラが「生きてても意味ないのに」と呟いた。シーラは、ルキナが何度も生きろと言うのを鬱陶しく感じてすらいる。

「お前の死にも意味はねえよ。ただの迷惑」

 シーラの心の声ともとれる言葉が聞こえたらしい。ジルがさも面倒くさそうに言った。その突き放したような言い方に、テオが「ジル」と戒めるように言って怒った顔をする。だが、ジルの言葉には続きがあった。

「だから、生きろ。死に価値を見出す奴は馬鹿だ」

 ジルはジルなりにシーラに生きろと言いたかったようだ。誰かが死んだところでその死に価値が与えられることはないのだから、どうせ無意味なら生きていた方がましだ、と。

 ルキナ以外にもシーラに生きろと言う人がいる。シーラははっとしたように息をのんだ。

(シーラに何かしら気づきがあったら良いな)

 ルキナはそう思って目を閉じた。シーラの肩に乗せるのを顎から額に変える。少し体勢を変えて、またシーラに抱きしめ直した。そろそろシーラもルキナに離れてほしいと思っているころだろう。だが、ルキナは鬱陶しがられても離れるつもりはない。

「誰のせいでこんなことになってると思ってるんだよ」

「は?俺のせいか?」

 ルキナが体勢を変えている間に、ジルとテオは言い合いを始めていた。テオは、ジルのせいでシーラが怪我をしたのに、ジルが偉そうなことを言ったのが気になったらしい。

「だって、ジルが捕まったりするから…あー、ジルのせいじゃないかも?」

「ぜってぇ百パー悪いのはあいつらだろ」

「でも、ジルが挑発したから」

「ああ、そうだな。俺が悪かったな」

 ジルとテオは勝手に喧嘩を始めて、勝手にそれを終わらせた。ジルも疲れているのか、テオに言い返す声にあまり覇気がなかった。先に折れたのもジルだ。誘拐され、人質として利用されそうになったことによるストレスは相当のものだったようだ。ルキナが巻き込まれた時は、自分の身の安全だけを案じているわけにはいかなかったのだから、余計に緊張したことだろう。ジルが疲労していて当然だ。テオもそれをわかっているから、その後は何も言わず、ただジルの肩を支えていた。

 しばらくすると、ルキナたちの元へ救護隊がやってきた。ルキナとジルは彼らの手によって病院に運ばれた。テオに怪我はなく、シーラは既に怪我が完治している。二人に治療は必要ない。テオとシーラも病院には付き添ったが、医師による診察も受けなかった。血のついた服を着ていたシーラは医師に怪訝な顔をされていたが、実際に出血量に伴った外傷が見当たらないのだから何も文句は言われなかった。

 あまり多くの人にシーラの体質のことを知られるのは厄介だったので、シーラが刺されたことは黙っていてもらうことになった。テオとジルは詳しい事情は聞かずに協力してくれた。他にシーラが刺されたところを目撃した人たちにも、テオたちが口留めをしてくれた。軍への説明がややこしくなりそうだったが、そのあたりもテオたちが何とかしてくれると言っていた。彼らには感謝しかない。

「あいつ、なんだかんだ冷静だったのよね。私を殴る時、百パーセントの力じゃなかったもの。私のことを殺したら不利になるってわかってたんだわ」

 病院のベッドに腰を落ち着けると、ルキナは自分の頬を指でなぞった。殴られたところは手当されていて、直接患部を触ることはできない。それでも触るとピリッとした痛みがあった。

 ルキナは医師によって軽い脳震盪だと診断された。だが、脳震盪を甘くみてはいけない。症状が遅れて出てくることもあるということで、ルキナは入院することになった。

「お着替えとか他にも必要なものを持ってきた方が良いですよね」

 ずっとルキナに付き添っていたシーラが一度アパートに戻ると言った。シーラは看護師の気遣いで着替えを用意してもらったので、今は血だらけの服を着ていない。これなら難なく外を出歩ける。

「そうね。お願いしようかな。そうだ、もしシアンがいたら…」

 ルキナがシーラに着替えとは別のお願いをしようとしたところ、ルキナの病室にカローリアがやってきた。カローリアはシーラに用があったようで、シーラの顔を見ると、力が抜けたように微笑んだ。

「ありがとうございました」

 カローリアがシーラの近くに来て、頭を下げた。カローリアは、ジルからシーラに命を救われたと聞いた。だから、カローリアは個人的にシーラにお礼を言いに来たのだ。

 シーラはきょとんとした顔で「お礼を言わるようなことはしてません」と答えた。カローリアはシーラが謙遜をしているのだと思ったが、シーラは本当にカローリアに感謝されるようなことをした覚えがなかった。

 カローリアはシーラにお礼を言うと、満足したように病室を出て行った。シーラは彼女が消えていった方を見つめたまま言った。

「なぜカローリアさんは私にお礼を言ったのでしょう。私はあの人には何もしていません」

 シーラはカローリアを守ったのではなく、ジルを守ったのだ。カローリアに感謝される理由がわからない。

 ルキナはそんなこともわからないのかと思ったが、わからないからシーラは簡単に死のうとするのだ。誰かが生きているとき、喜ぶ人がいる。誰かが死んだとき、悲しむ人がいる。それをわかっていれば、シーラも少しは死ぬのをためらっていたかもしれない。

「シーラがジル様を守ったからよ。カローリアにとって、ジル様はとても大事な人なの。ジル様が無事であることは、カローリアにとって自分のことのように嬉しいことなのよ」

 ルキナが子供に愛を教えるように丁寧に言葉を選びながら言った。すると、シーラは「そんなふうに思ってくれる人がいるって良いですね」と他人事のような反応をした。シーラは自分が生きていることを喜び、死ぬことを悲しんでくれる人がいないと思っている。そういう気にかけてくれる人がいるのは特別なことだと思っている。だが、それは間違っている。シーラにももちろん、誰だって気にかけてくれる人がいる。誰からも興味をもたれていない人なんていない。自分が死んでも誰も気にかけないなんて、ただの思い込みだ。ルキナがシーラに生きていてほしいと思うように、赤の他人でも少しでも関わりをもったなら、その人の記憶に残り、「あの人生きているかな」と思いをはせることがある。縁とはそういうものだ。自分は一人で生きてきたと思っていても、全く他人と関わらない人はいない。つまり、死を悲しまれない人はいないということだ。現実的な話ではないと笑う者もいるだろうが、少なくともルキナはそう思っている。

 ルキナはシーラを慈しむように微笑んだ。シーラはその笑顔を見て少し驚いた。シーラの自虐的な言葉を聞いて、ルキナが微笑むとは全く予想していなかったのだ。

「シーラが守ったのよ。シーラが助けたのはジル様だけじゃない。カローリアやテオ様、もっとたくさんの人のことを助けたのよ。みんなあなたに感謝してる。あなたがいなければ、今日笑っている人たちの心を救えなかった。あなたが生きていなければ、たくさんの人が泣いていたのよ」

 シーラが生きていなければ救えなかった命がある。今はそれだけでもわかってもらえれば良い。ルキナがそう思って話すと、シーラは新しい発見があったかのような表情になった。

「私が生きていたから?」

 シーラが不安そうな上目遣いで問う。ルキナはその問いに力強く頷いた。ルキナの肯定を確認して、シーラは俯いた。垂れ下がった前髪で目元は見えなかったが、口角が上がったのは見えた。

(喜んでる。少しは生きようと思ってくれたかな)

 ルキナはそっとシーラの頭を撫でた。シーラの方がずっと年上なのに、子供のように見えてしまうのはなぜだろう。シーラがいつでも寂しそうだからだろうか。

「生きいればきっと良いことがあるなんて確証のないことは言えないけど、生きていなければ知ることもできなかったことはあると思う」

 ルキナはシーラの頭を撫でながら独り言のように言った。シーラは俯いたままだったが、おそらく聞こえていただろう。ぽたっと、シーラの手の甲に一粒の涙が落ちた。

 ルキナが頭を撫で続けていると、シーラがもぞっと動いた。ルキナは手を離す。シーラは暗くならないうちにルキナの荷物を取りに行ってくると言った。ルキナは「お願い」とだけ言って、シーラを送り出した。

「ふぅ」

 シーラがいなくなると、ルキナはぼすっと体を倒した。真面目な話をし続けたからか、脳が疲れているような感じがする。シーラが帰ってくるまで眠っているのも良いかもしれない。

 ルキナは体の力を抜いて目を閉じた。視界が真っ暗になる。

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