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71. 思い出したくないんデスケド。

 ジルとカローリアが結ばれた日、ルキナたちはさっそく新しい世話係を探し始めた。カローリアはジルの家族に挨拶に行くと、迎えに来たジルと一緒に出掛けて行った。ルキナとシアンはアパートで相談をする。

「急ぎってなると難しいわね」

 ルキナは悩まし気に「うーん」と唸る。

「ウィンリア王国から呼び寄せましょうか」

 シアンが既に雇用関係にある人物をウィンリア王国から呼び寄せるのが良いのではないかと言う。たしかにそれは早そうだ。シアンたちの世話に関しては勝手をわかっているだろうし、キルメラ王国への入国の手続きさえ突破できれば良いのだから。だが、入国も簡単ではない。長期の滞在となると、それに伴って審査も厳しくなるし、数いる使用人の中から一人選ぶのも大変だろう。いくら期間限定だと言っても、国を移っての仕事はハードルが高い。

「留学中だけで良いなら、こっちで探した方が良くない?最低限の食事の準備とかしてもらえれば、自分たちでもできることはあるでしょ?住み込みじゃなくても良いわ」

 ルキナはシアンの意見に反対した。キルメラ王国内で探すなら、きっともっと簡単だ。出入国の必要がないし、短期の仕事として募集をかければ、いくらか応募者は確保できそうだ。

 シアンもルキナの意見に「そうですね」と言って、賛同した。

「でも、早く見つけるに越したことはないわね」

 ルキナたちは求人の募集をかけに役所の窓口や民間の派遣会社に行ってみることにした。カローリアは引き継ぎまではしっかり仕事をすると言ってくれているが、いつまでも先延ばしにはできない。

「私、料理はともかく掃除とか洗濯はできる気がするのよね」

「ルキナってずぼらなイメージありますけど、できるんですか?」

「そんなイメージはさっさと捨ててしまいなさい」

「それを言ったら、僕も何かできると思うんですけど、料理は…」

「そんなのよね。料理だけはやってもらわないと駄目だから、料理が得意な人を探したいわ」

 ルキナとシアンは雇うならどんな人が良いか、条件を出し合いながら街を歩いた。そうして目的の一つである派遣会社に到着した。シアンが先に行ってアポイントメントをとってくると言い、ルキナは外に残された。

 派遣会社の事務所があるのは街をはずれたところで、人通りが少ない。そのうえ、高い建物が所せましと建っていて、道に日の光が入ってこない。大きな道なのに薄暗くて裏道みたいなところだ。

 ルキナがその辺りを一人でうろちょろ歩いていると、上から何か音が聞こえてきた。誰かが上の方の窓を開けたみたいだ。ルキナは反射的に上を見た。大きく開け放たれた窓から、人の上半身が見える。下を覗き込んでいるようだ。長い髪が風にあおられて、ばさっと広がる。窓のそばにいるのは女性のようだ。

 ルキナは彼女が何か下に落としたのではないかと思い、窓が開けられた建物に近づいた。その時だった。窓から下を見下ろしていた女性は、窓枠を越え、上半身だけではなく下半身までも窓の外へ投げ出した。それに伴い、再び窓の音が鳴った。ルキナは上を見上げ、目を見開いた。

 ルキナには全てがスローモーションに見えた。女性は高い窓から落ちた。飛び降りたようにも見えるが、彼女に着地をする術があるようには見えない。頭から落ちたようで、頭が下に来ている。魔法を使った減速もない。ルキナに彼女を受け止める術もない。

 ルキナはただ人が落ちてくる瞬間を見つめていた。その時、女性が目を開けた。女性は真下を見て、落下地点の近くにいたルキナと目が合う。

 ルキナは女生と目が合った瞬間、頭がガンガンなり始めた。金槌で殴られたかのように頭痛がする。この光景を以前、どこかで見たことがある気がする。でも、本能が思い出すなと言う。

 どすッ。

 ルキナが怖いと思った、その瞬間に、女性は強く地面にたたきつけられた。女性がルキナの前に倒れている。ルキナにぶつからなかったのが奇跡といえるほどの近さだ。

「うっ」

 ルキナは女性が血を流しているのを見て、吐き気を感じる。吐くのをこらえようとしゃがむが、余計に気持ち悪くなってくる。相変わらず頭が痛いし、嫌な汗まで出てくる。そして、ついに耐えきれなくなって、気絶をしてしまった。ルキナは飛び降り自殺を図った女性の横に倒れた。



 エルフは人間よりずっと長寿である。二つの種族の間では時の流れ方が違う。しかし、いつもエルフは人間にその存亡を脅かされる。たいした力ももたいない人間がエルフを死の淵に追いやる。

 人間とエルフは度々戦争を繰り返してきた。互いに似た風貌をもっているからか、互いの違いが目につくようだ。エルフは寿命の短い人間を下等生物として見下し、人間もまた異形の存在としてエルフを疎んでいた。互いが互いを蔑視し、それぞれの国で、種族を理由とした差別が黙認されていた。

 シーラが十四歳になった時、戦争が勃発した。大人と違い、子供は弱い。子供のエルフたちは簡単に死んでしまう。人間たちはエルフにとって子供が弱点だと知っていたので、エルフの子供たちは狙われ、次々に命を落としていった。シーラもそのか弱い子供の一人だった。

 戦争は続き、シーラが二十歳になる頃も戦争の真っ只中だった。シーラは家族と共に戦火を免れ、何とか生き延びたが、ついに人間たちの手はシーラのもとまで伸びて来た。

 種の存続のためには子供が生き延びなければならない。大人たちによって、シーラを含めた子供たちは守られた。そして、最後は家族がシーラを守った。

『シーラ、生きて。生きて。絶対に死んじゃ駄目よ』

 母が敵に追われながら言う。ある程度敵から距離を取ると、シーラと目を合わせた。シーラは母親が何をしようとしているのか悟った。

 エルフには特別な魔法がある。エルフは、己の命を代償に人間たちの常識では禁術とされる魔法を使うことができる。それは祝福と呼ばれ、魔法をかけた者に欠けることのないの命を与えることができるというものだ。エルフが長寿なのは、親から子へと祝福をもって命を繋いでいるからだ。

 実はエルフのもっている時間は人間と同じで、成長速度もさほど違いはない。違いはエルフが圧倒的に死なないということろにある。その生命力は祝福によるもの。エルフの子供が死にやすいのは、成長しきるまで親から祝福を得ることができず、不死身にはなれないからだ。

 そして、今、シーラの母親はシーラに命を繋ごうとしている。でも、シーラはそんなことを望んではいなかった。母が、家族が死ぬと言うなら、一緒に死にたかった。シーラは家族と生きること以外に生きる意味を見出せなかった。

『シーラ、元気で』

 母親は目の前で力尽きた。シーラは母親から祝福を受け、不死身となり、長寿となった。

 それから千年の時が過ぎた。シーラはエルフの国を飛び出し、身をひそめて生きた。シーラは同種族の誰かに祝福を与えることもできず、ただ終わらない命を生きるしかなかった。



 ルキナがゆっくりと目を開けると、シアンが「ルキナ」と名を呼んだ。シアンの声を聞いて、ルキナはほっとする。上半身を起こして周囲を確認すると、見慣れた家具が置かれていた。ルキナはアパートで眠っていたようだ。おそらくシアンが気絶しているルキナをここまで運んでくれたのだろう。

「あの人は?」

 ルキナは自分の無事を確認すると、シアンに一緒にいたはずの女性について尋ねた。彼女が血を流しているのを見たから、あの人はかなりの重症だ。もしかしたら助からなかったかもしれない。

 ルキナが心配すると、シアンは穏やかな表情で言った。

「無事ですよ」

 女性が無事だと聞いて、ルキナは心の底からほっとした。ルキナが気絶してしまったことで応急手当ができる者がおらず、処置が間に合わなかったらどうしようと思ったのだ。本人は自殺をしようとしていたとしても、責任を感じずにはいられない。

「あ、あの…」

 話声が聞こえたのか、寝室のドアがそっと開けられる。ルキナの前に落ちて来た女性がドアの隙間からこちらの様子を伺っている。

「入って大丈夫ですよ」

 シアンが入室を許可すると、ドアが半分くらい開き、女性が部屋の中に入ってきた。その後、女性はずざーっと床を滑ってルキナのいるベッドに近づいた。そのまま床に額をつけ、土下座をする。ルキナはこの世界にも土下座が存在することに驚いた。

「驚かせてごめんなさい」

 女性はルキナに向かって何度も頭を下げ、シーラだと名乗った。シーラは五階の窓から落ちたというのに、どこにも傷が見当たらなかった。金髪の美女で、長い耳が特徴的だ。

(やっぱりこの娘、あのシーラだわ)

 ルキナは改めて顔を合わせて理解した。自殺をしようとしていたのはシーラという名のエルフ。彼女もまた『バンシー・ガーデン』の登場人物である。

 不死の呪い(しゅくふく)を受けたシーラは死ねないことを嘆き、自ら命を断ち切ろうとする。ヒロインルキナと出会い、呪いが解けるが、その直後、シーラは自殺をする。最後まで生きる気力をもてず、簡単に命を捨ててしまうのだ。

 ルキナはそれではいけないと思う。シーラには呪いが解ける前に生きる喜びを知ってもらわねばならない。

(タイムリミットがわからない以上、急ぐしかないわね)

 シーラの呪いが解けるのはルキナが何かをするのではない。ただのタイムリミットだ。人の命に限りがあるように、エルフにも寿命がある。その寿命を利用して子孫を生かしているにすぎないので、魔法の効力には限界がある。エルフの平均寿命は五百年ほどで、祝福をもって生き長らえさせられるのも五百年かそこらだと考えらえれる。シーラの祝福が千年ももったのは、母親が若かったことと、彼女の娘を生かせようとする思いが強かったからだろう。

 ただし、その呪いが解けるタイミングがいつなのかルキナも知らない。だから、呪いが解ける前に、シーラには生きる希望を見つけてもらわなければならない。

「やっぱりショックでしたよね。ごめんなさい」

 シーラは、ルキナが黙っているのを自殺未遂を目の前で目撃したショックのせいだと勘違いし、とても申し訳なさそうにする。シーラはおもむろに立ち上がると、窓に近づき、バッと窓を開けた。

「死んでお詫びを」

 シーラが窓枠に足をかける。また飛び降りるつもりだ。

「しなくて良いから」

 ルキナは慌ててベッドから下り、シーラの体に抱きついた。

「どうせ二階からじゃ、痛いだけで死なないことの方が多いから」

 ルキナはシーラを説得させつつ、体が窓から乗り出さないようにする。強引にシーラを引っ張って窓から離させると、シアンがすかさず窓を閉めた。

「どうしたらお詫びできますか?」

 シーラは誠意をもってルキナに謝罪したいが、差し出せるものは自分の体しかないと言う。

「お金はもっていないので、慰謝料が必要であれば働いて用意します。体は無駄に頑丈なので、こき使ってくださって構いません」

 シーラは餓死することもないので、お金を稼いで食料を買う必要もないらしい。だから、シーラは本当に身一つしか持っておらず、金目のものは何一つ持っていない。もちろんルキナはこれ以上の謝罪は不要だと思っているし、お詫びも必要ないと思っている。

 そこでふと、ルキナは自分は何を探していたのか思い出す。

「あなた、料理はできる?」

 ルキナが試しに聞いてみると、シーラは「久しぶりでできないかもしれません」と答えた。食事が必要な頃、料理をある程度習得したが、それも遠い昔のことだ。

「ためしに作ってみて」

 ルキナはシーラが料理ができる可能性を信じて、シーラの腕をみたいと言う。シーラはなぜ料理なのかと不思議に思いながらも台所に立った。

「もしかして、あの人にお願いするんですか?」

 ルキナたちは新しい料理人を探している。ルキナはその候補としてシーラを考えている。シアンはルキナの考えを読み取り、心配そうにルキナに尋ねる。シアンは会って間もない人に仕事の話をするものではないと思っている。

 ルキナがシーラを料理人候補に考えているのは、シーラをできるだけ近くにとどめておくためだ。シーラに勝手に死なれては困るので、そばにおいておきたいと思っている。たとえば、シーラがお詫びをしたいと言うのなら、それを利用してでもルキナの監視下にいてもらいたい。

 そこで、ルキナはシアンに「実は、シーラは攻略対象なのよ」と耳打ちした。シアンが途端に怪訝そうな顔をルキナに向ける。ルキナに下心があると知り、呆れている。本当の目的を聞けば、こんな顔をしなかっただろうが、本当のことは決して言えないので仕方ない。

「えっと、できたと思います」

 シーラは料理の完成を報告した。ルキナはさっそく味見をする。シーラが作ったのはスープで、短い時間でも作れる料理を選んだようだ。

 ルキナはスープを一口飲んで、感心した。シーラにブランクがあるし、カローリアの料理を毎日食べて舌が肥えていることもあって、最高に美味しいとは言えないが、ルキナが作るよりずっと美味しい。これだけの腕があれば十分だ。

「採用」

 ルキナが笑顔で親指を立てると、シーラは首を傾げた。一方で、シアンは「はぁ」とため息をついた。

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