69. 奪い合いデスケド。
「でも、良かった。無事だったみたいで」
料理を食べ終えたテオが言う。食事をしている間に気持ちが落ち着いてきたらしい。
「ジルはずっとどこにいたの?」
テオがジルにこれまでの行動について問う。ジルは美味しいご飯を食べられて機嫌が良いようで、普通に答え始めた。
「近くのホテルに泊まってた」
「そうなの?全然見かけなかったけど」
「そりゃそうだろ。ずっと外出てないからな」
「じゃあ、ご飯はどうしてたの?」
「ガキをぱしったんだよ」
「子供に買いに行ってもらってたの?」
ジルは大人たちに顏を見られれば、すぐに正体がバレると思い、子供を使って食料を調達していた。ジルがお礼にお駄賃をあげていたので、子供たちは率先しておつかいを頼まれに来たらしい。子供たちにとって、良い稼ぎ場所だったわけだ。
だが、子供は気まぐれだ。時々、来ない日がある。ジルの泊まっていたホテルはキッチンがあったわけでもないし、保存食を買って来てくれるような気の利く子供はいなかった。だから、そういう日は空腹に耐えなければならない。
「そんなにお金持ってたんだね」
「家出するのに何の準備もなしっていうのは馬鹿だろ」
ジルは自分の資金が尽きるまでの期間限定で家出をすることを決めていた。お金があれば街中でも身をひそめて最低限生きていけると考えていた。だから、ジルは自分でためていたお金を全て持って家を出た。
「でも、あん時はまじで餓死するかと思ったぞ」
テンションが上がってきたのか、ジルが饒舌になる。自ら思い出話を始める。
「この前の祭りの時、準備が忙しいってガキが全然来なくてな」
「祭り…イェーナの誕生日のこと?」
「そう。で、二日くらい飯ほとんど食ってなくて、めっちゃ腹減ってたんだけどな、祭りの日もガキが来ないわけよ。まじ死にそうで、外出たんだよな」
「え?外出たの?」
「ああ。まあ、顔隠してたし、お前らには会ってないしな」
テオはよっぽど自分がジルを見つけられなかったのが悔しいようで、なぜ会えなかったのかということばかり気にする。でも、ジルが話したいのはそういうことではない。
「んでな、腹減りすぎて倒れそうだっていうのに、試合が始まったから店がほとんど閉まっちまったんだよ。これはまじで餓死するって思った時に、カローリアが声かけてくれたんだよ」
ジルがニコニコしながらカローリアの方を見る。カローリアは、自分の名前が話に出てきたので、ドギマギする。
「そん時の飯が信じられねえくらいうまくてな。だから、今日もこうしてカローリアの飯を食いに来たってわけ」
ジルはカローリアのご飯の味が忘れられず、一度目の食事の後もカローリアを探したり、このアパートに突撃していたらしいが、カローリアが中に入れることはなかったそうだ。会う度にカローリアはサンドイッチなどの持ち運べる物をあげていたらしいが、ジルは出来立ての手料理を食べたがっていた。カローリアは、ルキナたちに黙ってアパートの中に入れることに罪悪感を感じ、もう二度としないと決めていた。でも、学校が夏休みに入ったタイミングでウィンリア王国に帰ったが、そのことをジルに伝えていなかった。そのせいでジルはまた餓死しそうになったことが何回かあるらしい。ルキナはそれをジルの自業自得だと思っていたのだが、心優しいカローリアは自分のせいだと思った。そして、今日、ついにカローリアはアパートに二度目の招待をした。
「なんだよ」
ジルが楽しげに話していたのに反して、テオは暗い顔で話を聞いていた。ジルはそのことが気になったようで、テオにその表情の理由を問う。
「兄弟がストーカーになってたなんて全く笑えないんだけど」
テオは、ジルがカローリアの前に度々現れては手料理を求めていたと聞き、気持ち悪いと思った。よく知りもしない男に家を知られ、見張られていたとなれば、誰だって気持ち悪いと感じるだろう。テオは、特に相手がジルだということで、カローリアのことを不憫に思う。ジルは兄弟一柄が悪いので、人に自分の意見を強く言えなさそうなカローリアには嫌と言えなかっただろう、と。
「あ?ストーカーじゃねえし」
ジルは不本意そうな反応を見せる。ジルはカローリアの料理が食べたいという純粋な気持ちで声をかけていただけで、それ以上の下心はなかった。少なくとも本人はそう思っている。ストーカーなどという下劣な呼び名はしてほしくないものだ。
「いや、自覚ないのはまずいよ。ここは兄弟の僕が言うしかなさそうだから言うけど、ジル、気をつけないと、だいぶ気持ち悪いよ」
テオはかなり引き気味にジルに忠告する。そのそばでカミラが「言うねえ」と楽しそうに笑う。カミラに笑われたジルがカミラを睨んだので、イェーナが「ひえっ」と身を縮こまらせる。
「俺は気持ち悪くない。そうだよな、カローリア」
ジルはテオの言葉を否定するため、カローリア本人の意見を聞き出そうとする。カローリアはまた自分に話が振られたことでびっくりし、しばらく返事ができなかった。
「ほら、やっぱり気持ち悪いって思われてるんだって」
カローリアが返事をしないうちに、テオはカローリアもジルのことをストーカー認定しているのだと早々に結論付けてしまった。ジルはそれを不服そうにする。
「まあ、なんでもいいけど、あんまり長居するのは迷惑だから、僕らは帰ろう」
テオは話に区切りをつけ、立ち上がった。タイミングを見計らって、カローリアが逃げるようにテーブルの食器を下げ始めた。
「悪いんだけど、俺、まだ家出やめる気ないんだよね」
「え?」
テオに続いてカミラとイェーナも席を立つ中、ジルが座ったまま帰つもりはないと言った。テオは驚いて、ジルの方を見た。テオは勝手に、ジルが所在を兄弟に知られた以上、家出をやめるだろうと思った。当然のように一緒に帰るものだと思っていた。
「だから、他の奴らには黙っててよ」
ジルはまだ家に帰りたくないから、他の兄弟には言わないでほしいと言う。テオはジルにとっての最高の理解者で、カミラは自由奔放な人だからジルのことも見逃してくれるだろう。イェーナがジルに逆らうようなことができないことも知っている。この三人に黙っていてもらうことはできる。でも、他の兄たち、特にメディカに知られたら無理にでも家に連れ戻されそうで厄介だ。だから、ここは三人の協力をもって、黙っていてもらうしかない。
「なんで家出続けたいのかわかんないんだけど」
テオはジルの要望は聞くつもりでいるが、それとは別に理由を知りたがる。テオはジルの全てを理解できるわけではないし、理解しきることが不可能だと知っている。だからこそ、ジルとは少しでも多くの話をしたいと思っている。でも、この問いに、ジルは答えなかった。
「別にわかんなくていいよ」
ジルはテオに理解してほしいと思っていない。それはテオを突き放すという行為ではない。ただ単純に話しても仕方がないから、不必要な行動は避けたいというだけのこと。双子でも共有できない感情があるということだ。テオも特にショックを受ける様子もなく、「そっか」と答えた。こういうことは、ジルの家出の前から度々あった。二人にとって話をするかしないかは当人の自由で、そのどちらを選んでも、その選択に対しては何も思わないのが普通なのだ。
ジルはテオが身を引いたのを確認すると、椅子から立ち上がった。そして、軽快な足取りでルキナとシアンのところに近づいてきた。
「それで、協力してくんね?」
ジルはいたずらっ子みたいな笑顔で言う。テオはジルのことを柄が悪いと表現したが、おそらく正しくは感情を隠そうとしない子供っぽい性格の持ち主だ。ジルに感情を隠す能力があるのかすら不明だが、ジルはいつも怒っているのではなく、ちゃんと笑ったりもする。きっと誰よりも感情に正直な人だ。
ルキナとシアンは二人して顔を見合わせた。二人とも、ジルが何を求めているのか理解していた。ジルは、家出の間、寝泊まりする場所として、ここを提供してほしいと言っているのだろう。
「協力は良いですけど」
「ベッドが足りません」
ルキナとシアンは二人で言葉を繋いで、ジルのお願い関してにすぐに了承できない理由を述べた。すると、ジルは「俺、ソファで寝るから」と言い始めた。当然、ルキナたちがジルにそんなことをさせられるわけがない。
「ジル様にそんなことさせられません」
ルキナがはっきり言うと、ジルが「えー」と残念そうにした。ジルは何としてでもこの部屋に泊まりたかったようだ。
「ジル、カローリアさんのご飯が食べたいだけじゃないよね?」
テオがジルのことをジト目で見る。ジルの目的が家出からカローリアの手料理を食すことに変更されているように感じる。テオはジルにそうならそうとはっきり言った方が良いと告げる。ジルは「別にそういうわけじゃないけどさー」と誤魔化すように言ったが、誰にでもジルが嘘をついているのがまるわかりだった。
「それでしたら、寝る場所を別に確保して、ご飯だけ食べに来ていただく方が良いと思います」
シアンは家出中の食事に困っているからカローリアの手料理をあてにしているのだと思っている。ジルが"カローリアの"ご飯を食べたいことを理解していない。
シアンの鈍感な発言に、ジルは微妙な顔をする。その後、観念したように言った。
「んー、一泊だけさせてくれ。明日には家に帰るから」
ジルは一泊だけでも構わないから泊めてほしいと言う。ルキナはそこまでここに一泊でも泊ることに重要性を感じられなかった。その隣で、シアンはやっぱりジルが家出を続けると言った理由を理解していなかったようで、「家出も終わらせるんですね」と本題ではないところに驚いた。
「お礼は今度するから」
ジルが両手を顔の前で合わせて、お願いをする。そのように一生懸命お願いされれば、ルキナもシアンも聞いてあげたくなってしまう。
「まあ、一泊だけなら…」
ルキナが確認するようにシアンを見ると、シアンが「そうですね」と頷いた。これで二人の了承は得られたわけだ。ジルが大喜びする。
「皆さんに迷惑かけないでよ」
テオはジルに最後にそれだけ告げて、カミラとイェーナと共に帰宅した。ジルはカローリアといられる時間が伸びたのが嬉しいようで、ずっとニコニコしている。最初の機嫌の悪そうな印象があったから、ルキナもその豹変ぶりに戸惑った。
「お夕食ですが、少しお時間をいただいてもよろしいですか?すぐに作り直しますので」
カローリアはダイニングテーブルの片付けを終えると、また新しく料理を作ると言った。もともと用意していた料理は四人の兄弟たちに食べられてしまった。ルキナとシアンの夕食は別に作り直さなければならなくなってしまった。
ルキナもシアンも了承し、料理ができるのを待つことになった。そうして、カローリアがルキナとシアンのために料理を始めたわけだが、そこでジルが「俺も食べる」と言い始めた。
(えー、まだ食べるの?)
ジルは既に十分すぎるほど食事をしている。おかわりまで目の前でしていた。いくらカローリアの料理が食べたいからと言って、それは食べすぎだ。遠慮というものを知らなすぎだ。テオはかなり最後の方まで遠慮していたが、こうも双子の兄弟で違うものなのだろうか。
結局、ジルは新しい料理も食べた。
「うまい!」
ジルは一口目でカローリアの料理の腕をたくさん褒めた。
「やっぱ美味いんだよな、カローリアの料理は何でも」
ジルがニコニコして言う。ジルは完全に胃袋を掴まれている。明日、家に帰ると言ったが、一緒にカローリアまで連れて行ってしまいそうだ。
ルキナもカローリアの料理が好きで、ジルと同じように胃袋を掴まれた経緯がある。だから、カローリアがとられそうなのがわかると、邪魔をしたくなる。
「カローリアは譲りませんよ」
カローリアはシアンに雇われている身。雇い主であるシアンにもカローリアのことを縛る権利はないが、この留学中は世話をしてもらうという約束をしている。少なくともその期間に関しては、きっとカローリアは仕事を全うするだろう。だから、ルキナがカローリアを手放したくないと言えば、期間限定ではあるが、カローリアは傍にいてくれる。
ジルはルキナとカローリアの取り合いになるとわかると、一度身を引いた。この場において、ルキナの方が優位にある。ルキナがカローリアに行くなと言えば、カローリアはジルの元へはいかない。そもそも、ジルは王家の生まれという厄介な身分もあるので、カローリアを連れ帰ることにおいて不利な部分が多い。したがって、策略を練って話をする必要がある。
「そういえば、見た感じだとお前ら付き合ってるだろ」
ジルはとぼけたように話を変えた。突然の話題転換だったが、シアンはあまり気にならなかったようで、「見てわかるものなんですか?」と普通に話に乗った。
「近くに泊ってたって言ったろ?窓からお前らが一緒にいるところをよく見たんだよ」
ジルは、ルキナとシアンが恋人関係であることを知っている。それを指摘されたところで、ルキナもシアンも恥ずかしがったりはしないが、その反応はジルも期待していない。でも、この突然の話の切り替えは、ジルの作戦であることに変わりはない。
「男女カップルの中に一人。酷なことさせるなぁ」
チラチラとルキナの方を見る。ジルはルキナたちの情に訴える作戦に出た。だが、その程度でルキナが引くわけがない。
「さっきも申しましたが、カローリアを譲る気はありませんよ」
ルキナがはっきりと言うと、ジルはガックリと肩を落とした。ここでカローリア本人の意思が尊重されていないことに、ルキナもジルも気づいていなかった。




