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56. 帰って来られたんデスケド。

 夏休みに入り、ルキナはウィンリア王国に帰国した。

「やっぱり地元が一番よね」

 国境検問所を抜け、ルキナは大きく伸びをした。後から検問所を通ったシアンがルキナの横に来る。

「何か変わりました?」

 キルメラ王国からウィンリア王国へ入ったわけだが、国境のすぐそこなので景色も気候もあまり変化はない。だから、シアンは地元が一番と言うのはまだ早いのではないかと思う。

「うーん、変わったとするなら、気持ちの持ちようかな」

「それならわかります」

 ルキナとシアンが話していると、カローリアも無事検問所を通った。三人は迎えに来ていた馬車に乗り、ミューヘーン家へと向かった。

「馬車に乗るのも久しぶりね」

 これまで散々馬車に乗って移動をして来たのに、なんだか新鮮な気持ちになった。キルメラ王国では移動のほとんどが汽車なので、馬車を使う機会がなかった。馬車などなくてもどこへでも行けたのだ。だから、馬車を乗るのは数か月ぶりで、日があくと何でも新鮮に感じるようだ。

 馬車に揺られて数時間。ルキナたちはミューヘーン家の屋敷へと到着した。

「カローリアは先にシアンの家に行くんでしょ?」

 馬車から降りると、ルキナはカローリアの方を見て確認をする。カローリアはミューヘーン家まで付き添ってきたが、彼女自身にミューヘーン家に関する用はない。着いて間もないが、カローリアはすぐにリュツカ家の屋敷へと向かうつもりだ。

「わざわざ汽車を使わなくても、馬車出すわよ。まあ、馬車も乗り心地は良くないけど」

 カローリアは歩いて駅まで行き、そこから汽車でリュツカ家へ向かおうと考えている。だが、ルキナはわざわざそんな苦労をしなくてもいいだろうと考えている。馬車も揺れるし、汽車よりも移動に時間がかかることがあるが、寝てしまって乗り過ごすという心配がない。馬車なら完全個室で周囲に気を配る必要もない。ルキナは汽車よりずっと楽な馬車を使うべきだと言う。

「お気遣いありがとうございます。でも、私は大丈夫ですので」

 結局、カローリアは馬車を断り、汽車で行くと言った。ルキナも無理矢理厚意を押し付けるつもりがないので、「そっか」と頷いた。

「それじゃあ、またね」

 ルキナたちはカローリアを見送った。

「さて、私たちも中に入りましょうか」

 ルキナはシアンを連れて屋敷の中へと入った。玄関では使用人たちが「お帰りなさいませ」と出迎えてくれた。

 ルキナたちは真っすぐリビングへと向かった。両親はそこにいるだろうと考えたからだ。

「ルキナ、シアン、お帰り」

「お帰りなさい」

 予想通りにリビングにいた両親は、ルキナが顔を見せると、穏やかな表情を見せた。ルキナも笑顔になって「ただいま」と答える。

「帰ったのか」

 予想していなかった声にルキナは少しびっくりする。リビングには両親しかいないだろうと思っていたので、あまり周りを見ていなかった。

「おじい様」

 ルキナは声のした方を見た。ソファに座っていたヒルトンはルキナの顔を確認すると、ソファから立ち上がり、ルキナに近づいた。ヒルトンはルキナの帰国の日に合わせて来ていたようだ。ルキナの帰りを今か今かと待っていたに違いない。

「よく無事に戻った」

 ヒルトンがニコニコしながら、ルキナの両肩をポンポンと叩いた。ルキナが帰ってきて嬉しそうだ。ヒルトンの後ろではユネルが微笑んでいる。孫にデレデレの夫が面白いようだ。

「ルキナちゃん、また少し見ないうちに大人っぽくなったんじゃない?」

 ユネルはヒルトンに何度も肩を叩かれているルキナに言った。ユネルはいつも会う度に大きくなったとか大人っぽくなったとか言う。ルキナ自身、そこまで変化を感じていないので、毎度ユネルの勘違いだと言って否定する。が、今回は否定する前にヒルトンが動いた。

「何もしとらんだろうな?」

 ヒルトンはルキナの肩を掴む手に力を加え、シアンの方を見た。シアンが緊張した面持ちになる。シアンもヒルトンがここにいるとは思っていなかったので、どう対処するか考えていなかったようだ。

「何もしていない…と、思います…。」

 シアンはなぜか自信なさげに答える。その言い方では何かあったかのように聞こえる。ヒルトンは睨むようにシアンを見た。ヒルトンは誤解をしている。

「心配されるようなことは何もしてないって」

 ルキナはシアンをかばうように言った。ルキナが強めに否定したので、ヒルトンは「そうか」と言うしかなかった。ルキナから手を離し、「とにかく無事で良かった」ともう一度言った。

「災難だったね」

 ルキナがヒルトンから解放されると、ハリスが言った。ルキナは、最初はヒルトンのことを言っているのかと思わったが、ハリスは雑誌のことを言っているのだと気づいた。ルキナが小説家であることが世にバレたら小説を書くのをやめるように言ったのはハリスだ。ミユキ・ヘンミルの正体がルキナだと雑誌に載り、噂になっていたことなど、ハリスだって当然知っているだろう。

「友達のおかげでなんとかなったみたいだけど」

 ハリスはそう言うと、満足そうに笑った。ハリスもルキナには好きなことを続けさせてあげたいと思っている。何も意地悪であんな約束をしたのではない。

「ルキナ、まだ行かなくていいの?すぐ学校に行くんでしょう?」

 メアリが時間は大丈夫かと言う。ルキナたちは夏休みに入ってすぐにキルメラ王国を出ようと考えていたが、予定より一日遅れてしまった。明日にはクリオア学院の文化祭が始まる。今日中に学院の方についていたいところだ。だから、悠長に家でくつろいでいる暇もない。せっかく家に帰ってきたが、落ち着くこともできない。

「そろそろ行かないとね」

 ルキナはそう言って、シアンを見た。シアンも頷いて、そろそろ出発すべきだという意見に賛成した。

 そうして、ルキナたちはミューヘーン家に来たものの、ほとんど何もできずに家を出た。本当に家族に顏を見せるくらいの時間しかなかった。

「文化祭終わったらまた来るから」

 ルキナは両親、祖父母に別れを告げて、再び馬車に飛び乗った。移動ばかりの一日だ。さすがに既に何時間か馬車に乗った後だったので新鮮さなど欠片もない。馬車を降りている時間も、休憩と言うほどの休憩でもなかったので、長時間座り続けるのは辛かった。

「カローリアが汽車を選んだ気持ちも少しわかったわ」

 汽車に比べ、馬車の方が揺れが激しい。特に急いで走っている時は、どうしても振動を抑えることが難しい。気が休まらないにしても、体は汽車の方がずっと休まりそうだ。

「なんか一年分くらい馬車に乗ってる気分だわ」

 ルキナは体が痛くならないようにちょくちょく姿勢を変えながら言った。

「それは言い過ぎじゃないですか?」

「冷静なツッコミをありがとう」

 シアンは修行でもしているのかというくらい姿勢が変わらない。絶対に疲れるし、痛くなってくるところもあるだろうに、シアンはずっと同じ姿勢だ。ルキナはそれを少し気色悪く思う。

(そういえば、昔からシアンは馬車であんまりくつろがなかったわね)

 ルキナの記憶の中では、シアンはいつも馬車の中でも背筋を伸ばしている。ルキナは途端にその理由が知りたくなって、シアンに尋ねてみた。

「シアンって、馬車に乗る時、なんか緊張してる?」

 ルキナの突然の質問にシアンが驚く。なぜそんなことを聞くのかと首を傾げる。そこで、ルキナはシアンが幼い頃から馬車では絶対に姿勢を変えないことを説明した。シアンは無意識だったらしく、「癖なんですかね」と他人事のように言った。

「もしかして、私と二人きりだから緊張してるの?」

 ルキナはニヤニヤしながらシアンを見た。シアンが具体的にいつからルキナを意識していたのかは知らないが、ルキナが近くにいるから緊張しているというのは一つの可能性として考えられないわけではない。特に馬車に乗った時は距離が近づく。好きな人と一緒に馬車に乗れば、ドキドキするというのはあるだろう。

「それはないです」

「即答やめい!」

 シアンはスンっと真顔になって答えた。からかいすぎたのかもしれない。それにしても、即答で否定するのはいかがなものだろうか。ルキナは少しショックを受けた。

(あ、そういえば)

 ルキナはシアンとくだらないやり取りをしているうちに、少し昔のことを思い出した。

「ちょっと思い出したんだけど、昔、シアンに馬車の怖い話したことあったわよね」

「そうでしたっけ」

 ルキナが話を切り出すと、シアンは一度ルキナを見たが、目をそらすように窓の外に目を向けた。

「ほら、小さい時、馬車が揺れた時に倒れちゃうと、悪魔が来て地獄に連れて行かれちゃうって。それ聞いてシアン泣いちゃったじゃん。たぶんあの時は私がふざけて椅子に寝転がったんだと思うけど、シアンってば悪魔が来ちゃうとか地獄は怖いとか言って泣いてたよね」

「そんなことありました?」

 ルキナの思い出話を聞いても、シアンは窓から目を離さない。意図的に視線を外しているように見える。

「絶対それじゃん!」

 ルキナは大きな声でツッコミを入れた。シアンがいつも馬車で体に力を入れているのは、揺れで倒れてしまわないようにするため。悪魔に地獄へ連れて行かれないようにするためだ。今はただの癖になっているだけかもしれないが、癖になるくらい長いこと、ルキナの冗談を真に受けていたのだろう。

「シアンってばおっかしー」

 ルキナはお腹を抱えて笑った。ルキナは、使用人時代にいつでも姿勢を正しくしようと意識していたから、シアンは馬車の中でも姿勢が良いのだと思っていた。それがまさか小さい頃の冗談の影響だったとは。おかしくてしかたない。

 ルキナが涙が滲むほど笑っていると、シアンは顔をルキナの方に向けて「ルキナは死の間際まで笑ってそうですね」と皮肉を言った。シアンは過去の話を恥ずかしいと感じているようで、あまりそういう思い出話をしないでほしそうだ。

「あの頃のシアンは可愛かったわよね。私の言うこと全部信じて。絶対そんなわけないじゃんっていう話も全部信じちゃってさ。ほんと、からかいがいがあったわ」

 ルキナはシアンが嫌がっているのを理解したうえで、さらにからかう。ルキナがわざとらしく高笑いをすると、シアンは「僕からはルキナは暴君にしか見えませんでしたけどね」と言い返した。ルキナたちは数秒の間睨み合った。

「やっぱり昔の方が可愛かった」

「可愛くなくてけっこうです」

「今は生意気っていうか。もう少し可愛げがあってもいいと思うわ」

「生意気なのはルキナの方じゃないですか?」

「失礼ね。そういうことを言っても許される立場にあれば、生意気とは言わないの。私は偉いからね」

「その偉い人が弱い者いじめが趣味だとは、本当に趣味が悪いですね。性根腐ってんじゃないですか?」

「言ってくれるわね」

 ルキナたちはクリオア学院に着くまで、ずっと喧嘩のようなものを繰り返し、馬車を降りてからもそのままの勢いで話した。

「それじゃあ、また後でね!」

「そうですね!」

 それぞれの寮に向かうために別れる際も、無駄に語気を強めて言った。あくまで喧嘩のようなものをしているだけで、この後の夕食は合流して一緒に食べるつもりだ。

「喧嘩…?」

 ちょうどその瞬間を見ていたユーミリアが困惑していた。口調はきついのに言っていることは次の約束だったので、仲が良いのか悪いのか、判断できなかったようだ。

「ユーミリア、久しぶりね」

 ルキナがユーミリアに向かって微笑むと、ユーミリアは泣きそうになりながらルキナに抱きついた。

「先生、会いたかったですぅー」

「何年も会ってなかったみたいな反応ね」

 ルキナはユーミリアのことを抱きしめ返した。すると、ユーミリアは嬉しそうに「うへへ」と笑った。少し変態チックな笑い方にルキナは若干引いたが、それすらも気にならないくらいユーミリアには感謝をしている。

「ユーミリア、ありがとね。あなたのおかげで帰って来られたわ」

 ユーミリアが頑張ってくれたから、ルキナはウィンリア王国に帰ってくることができた。感謝してもしきれない。

 ルキナがお礼を言うと、ユーミリアは「お役に立てたみたいで良かったです」と言った。ルキナがお礼をしたいと言ったら、ユーミリアはこうしてハグをしてもらえるだけで十分だと言う。ユーミリアのことだから、もっと欲深いことを言うのかと思ったが、意外にも望みは小さなものだった。でも、そういうところもユーミリアらしいと言えるのかもしれない。

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