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55. 感謝感激デスケド。

 ミユキ・ヘンミルの正体がルキナ・ミューヘーンであるという噂はウィンリア王国で大きく広まっていた。しかし、ルキナがその噂がどれほど広まっているのか知る前に、噂は沈静化された。その際、一番現実的でないと思われていた案が実行された。人々が飛びつきそうな大きなネタを提供し、目をそらすという手だ。ただし、実際に実行したのはルキナでもレオニ出版社でもない。ルキナを救おうとした二人の人物によるものだ。

「ユーミリアとノア様の熱愛報道?」

 ルキナは新たに発売された雑誌の目を疑った。ミユキ・ヘンミルの正体を報道した雑誌は全て販売中止になった後、数日後に改訂版が発売された。当然、ミユキ・ヘンミルについての記事は消されていた。代わりに、ウィンリア王国不動のアイドルクイーン、ユリア・ローズとウィンリア王国の第二王子であるノアルドが恋仲であることを示唆するような記事が増えていた。

(まあ、嘘…よね)

 ルキナはその意外な組み合わせに驚いた。ユーミリアは基本的にどの男性に対しても良い感情を抱いていない。特にこれまで結婚に至った攻略対象たちとは確執がある。だからこそ、ルキナはその記事が真実でないことのすぐに気づいた。しかし、世の中の人たちはこの記事の真偽を知らない。ユーミリアは大人気アイドルとして、ノアルドは王子として有名である。二人の知名度の高さをもってすれば、この記事と噂が広まるのは確実だ。

(これ、もしかしてユーミリアが手を回してたりするのかしら)

 ルキナは雑誌から目を離してシアンを見た。この雑誌を買ったのはシアンだ。シアンの方が先に中を確認している。再発売された雑誌にまでルキナに不利な内容が書かれていたらたまったものではないからと、シアンが確認のために買ってきたのだ。

「たぶんノアルド殿下とユーミリアさんがそういう記事を書くようにお願いしに行ったんだと思いますよ」

 ルキナの視線の意味に気づいたようで、シアンが言った。シアンも記事を確認した時、ユーミリアたちの仕業だろうと考えたようだ。

「そういえば、ルキナに手紙が届いてましたよ」

 シアンがテーブルの上を指さす。そこには封筒が一つ置かれていた。

「え?誰から?」

 ルキナは手紙を手に取り、差出人を確認した。

「ああ、あの雑誌のとこの」

「謝罪の手紙じゃないですか?」

「直接謝りに来いって話だけど、まあいいか」

 ルキナへ手紙を送ってきたのは、問題の雑誌を出版した出版社だった。内容は読まなくてもだいたい予想がついた。

 ルキナは封筒の封を開けると、中の便箋を取り出した。

「えーっと、何々?この度は、ミューヘーン様のご許可もなく、個人が特定できる内容の記事を掲載しましたこと、深くお詫び申し上げます。弊社の軽率な行動により、ミューヘーン様やそのご家族、ご友人に多大なご迷惑をおかけしたことと存じます」

 公開処刑をするように声に出して読み上げた。といっても、聞いているのはシアンだけで、あまり意味はない。だが、ルキナは勝手なことをしたくせに対応も雑だった出版社にはそれなりに怒りを覚えている。こうすることで、そのイライラが少し解消されるような気がする。

 手紙には、ルキナに対する謝罪が長々と書き連ねてあり、文量のわりに内容は薄かった。その中で重要と思われる部分は、ルキナを付け回し、記事をかき上げた記者の処遇についてと、裁判だけは起こさないでくれということだ。

「なかなか都合のいい内容ですね」

 シアンが怒ったように言う。出版社の言い分では、ルキナの要望には極力応えるので、裁判はしなくてもいいだろうということだ。さすがに都合がいいにも程がある。

「そもそも謝罪が遅いし、クレームが入ってからの対応も全然しないし、ほんとにいろいろ言いたいことはあるけど、ここまで清々しいと逆に怒りも収まるってものよ」

 ルキナはこれほどまでに態度が悪い会社が存在するという事実にショックを受けた。だが、怒りはなかった。怒りを通り越して呆れている。シアンが怒ってくれているというのもあるだろう。

「裁判起こしませんよね?」

「そうね。いっそのこと裁判起こした方がスッキリしそうだけど、面倒くさいし、どうせ裁判起こしたらまた騒ぎになりそうでやれないしね」

 ルキナは手紙を封筒の中にしまう。問題が解決に向かっている今、もうなかったことにするのが一番だ。問題を長引かせることに何も意味はない。ルキナは自分勝手な出版社を責めるのは諦めた。

 その記事が世に売り出されて二日。ユーミリアからの報告の手紙が届いた。やはり雑誌の記事はユーミリアたちが手を回したものだった。

 ユーミリアは、ミユキ・ヘンミルの正体が記事にされていることに気づくと、すぐに動いたそうだ。ルキナがハリスと約束を交わしていることを知っていた。ユーミリアはルキナを、ルキナの小説を守るためには自分が動くしかないと思ったそうだ。

 ユーミリアは、ルキナのことが噂になる前に別の噂を広めようと考えた。そして、その噂は自分が要になるのが一番だと考えた。アイドルとしての名前とキャリアを使うと言えば事務所が黙っていないのはわかっていた。だから、事務所に無断で動き始めた。ユーミリアにとって、アイドルが続けられるかどうかより、ルキナの章節が読めるかどうかの方が重要だった。

 まず、ユーミリアはノアルドに声をかけに行った。ノアルドもルキナが危機に瀕していることは知っていた。彼もルキナのために何かしたいと考えていた。ノアルドはルキナが小説を書いていることも知らないが、噂の中心人物とあっては帰省が困難だろうと考えた。理由は多少違えど、目的は同じ。小説家であるルキナと友人であるルキナを助けようと思った二人が手を取り合い、共闘した。それが新たな雑誌の記事だ。

 ユーミリアとノアルドはウィンリア王国にある出版社に乗り込み、脅しをかけた。ルキナが本気になって訴えれば出版社はもう逃れられない。ルキナのウィンリア王国における立場はそういうものだ。そこで持ちかけたのは、裁判を起こさない代わりに、言うとおりに記事を書くということ。出版社は当然のようにそれをのんだ。彼らはルキナのことを記事に書くことがどんなことを引き起こすのか、よく考えもしなかったようだ。話題性が最も重要だと考えている人たちにとって後先も事など考える余地もない。

 ユーミリアとノアルドは自分たちが恋仲であるというガセネタを流してもらった上で、それを否定して回った。噂は爆発的に広まったが、噂が収まるのも早かった。二人とも否定を続けたからだ。まさかアイドルと王子が一人の小説家の噂沈静化のために身を滅ぼす覚悟で情報操作をするとは思わない。二人のおかげで裏の目的を悟られることなく、ルキナの噂は鎮まっていった。

 ユーミリア曰く、「否定ができる潔癖の証拠がある噂を流せば、騒ぎを収めるのも簡単です。そうやって私たちが否定することで、この雑誌が嘘を書くこともあると印象付けることもできます。いわゆる一石二鳥です」だそうだ。ユーミリアはなかなか策士だ。

「ユーミリアとノア様には感謝しないと」

 ルキナは自分のために必死になってくれた二人に心から感謝した。すぐに二人へお礼の手紙を出した。本当は国に帰って直接感謝の気持ちを伝えたかったが、まだそれはお預けだ。もうすぐ夏休みに入る。ユーミリアたちのおかげで騒ぎになることなく、ウィンリア王国に帰られそうなので、夏休みに入ったらすぐ国に帰ろうとルキナは心に決めた。

 その後、数日をおいて、ウィンリア王国で完全にミユキ・ヘンミルの噂が収まったという報告を受けると、ルキナはシアン、カテル、リオネルを食事に誘った。ルキナのために尽力してくれた者たちへ感謝を伝えるため、レストランで食事をごちそうすることにしたのだ。

「ミューヘーンさんにごちそうになるのは、なんだか気が引けますね」

 カテルが照れたように言う。普段、編集者が作家にご飯を奢ることはあっても、逆は少ないそうだ。慣れないことに直面して、カテルは不思議な気分だと言う。

「本当はレオニ出版の人みんなにお礼をしたいんですけど、それは難しいので、せめてクマティエさんだけでもって思ったんです」

「素敵な作品を書いていただくことが一番の恩返しになりますよ。期待しています」

 カテルがニコニコする。ルキナが選んだレストランには個室があり、そこなら人に聞かれてはいけないような話もできるだろうと考えた。おかげでカテルも気兼ねなく小説の話をする。

「プレッシャーになることを言いますね」

 ルキナは笑って返答をする。それを聞いていたリオネルが「僕も期待しています」と目を輝かせて言った。そして、姿勢を正すと、ぺこりと頭を下げた。

「ルキナさん、いえ、ヘンミル先生。ヘンミル先生以上に恋愛小説を情熱的に書かれる人はおられません。小説の書き方について、ご教授のほど、よろしくお願いします」

 リオネルはせっかくの機会だからと、ルキナに小説の書き方について聞こうする。カテルも興味深そうに耳を傾ける。

「えー、教えられるほどのことはしてないよ」

「そんなことありません。ぜひ教えてください」

「そんなこと言ったら、私だって言葉選びの仕方をリオから教えてもらいたいくらいだわ。セロ・リアンヌの小説はセリフが綺麗だもん」

「ヘンミル先生にお褒めの言葉を言っていただけるなんて…。僕、今日のことは絶対に忘れません」

「リオは大げさね」

 リオネルがじーんとして泣きそうになっているのをルキナが笑う。そんな二人のことをシアンが微笑ましく見ていた。シアンは、ルキナがリオネルとばかり話していても嫌な顔をしなかった。今日ばかりは、シアンもリオネルに花を持たせ、ルキナとの会話を譲った。シアンが認めるほど、このキルメラ王国において、リオネルの活躍は著しいものだった。

 そうして四人は二時間ほどの食事を楽しんだ。支払いは全てルキナが持った。カテルが財布を出しかけたが、ルキナはそれを止めた。

「ルキナさん、ごちそうさまでした。また明日学校で」

 リオネルは可愛らしい笑顔で手を振り、店を後にした。続いて、カテルが丁寧に挨拶をして帰った。最後に残ったルキナとシアンは一緒に店を出た。

「んー、美味しかったー」

「そうですね」

 ルキナたちはすっかり暗くなった街を二人で並んで歩いた。夏に入り、夜も涼しい日が減った。この時期になると、夜道でも手を繋いだり、体を寄せ合って歩くカップルは少なくなる。もちろん、ルキナとシアンも少し離れて歩いていた。二人の場合、冬の寒い日であってもおそらく腕を組んで歩くことがないので、季節は関係ないとも言えるが。

「カローリアにお土産買って帰りましょ」

 アパートへの帰り道、ルキナは夜でも開いている店に寄ろうと言った。カローリアも食事誘ったのだが、カテル、リオネルとほとんど顔を合わせていない自分がいると話が弾まないだろうと断られた。だから、ルキナは別の方法でカローリアに感謝を伝えようとする。

「わかりました」

 シアンはルキナに付き合うと言う。そうして次の店に向かって歩いていると、ふいにシアンが言った。

「ルキナ、本当に良かったですね」

 シアンがしみじみと言う。一時はルキナの小説家人生が絶たれたかと思われた。これほど丸く収まるとは誰も考えていなかった。そして、今回はルキナ一人では何もできなかったし、シアンだけいても何かできたわけではない。ルキナのために何かしようと考える人が多かったからこその結果だ。ルキナは皆に感謝すべきだと感じているが、シアンもルキナを助けようとした存在に感謝の気持ちを抱いていた。

 ルキナは、シアンがまるでルキナの保護者のような目線で話していることに気づいた。シアンはそういう立場の人じゃない。ルキナはそう思い、それをわからせることにした。

「シアンもありがとね」

 ルキナはシアンの腕に抱きついた。ルキナが満面の笑みでシアンの顔を見上げると、シアンは「僕は何も」と言って照れて顔をそらしてしまった。シアンはルキナが体をくっつけてくると思っていなかったので驚いたようだ。ルキナはシアンの反応が面白くて、さらにからかうように「いつもありがとう」と言ってシアンの腕を少し引っ張った。

「…酔っぱらってますか?」

 ルキナがシアンの反応を楽しんでいると、シアンが怪訝そうにルキナを見た。酒に酔っているのではないかと疑われるくらい、ルキナが恋人らしいことをすることは珍しい。シアンは内心ルキナが積極的であることを喜びつつ、心配をした。話題をそらすようなことを言うのは照れ隠しの意味もあっただろう。

「あー、お酒入ってる料理食べたかもね」

 ルキナが中途半端に肯定するようなことを言うと、シアンは「やっぱり酔っぱらってるんですね」と言った。シアンは、ルキナが素で腕を組んだりしないと思っている。

「さあどうでしょう」

 ルキナは、本当は酔ってなどいない。でも、否定はしなかった。ルキナだってこんなことをするのは相当恥ずかしいのだ。

(これも全部ユーミリアたちのおかげね)

 久々にとても楽しい夜だった。こんな日を迎えられたのは、ルキナのために奮闘してくれた人たちがいたからだ。ルキナはこの恩を一生忘れないと思った。

遅くなってすみませんでした。

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