51. 関係に変化デスケド。
ルキナとリオネルが互いの裏の顔を知ってから、二人は好きな章節の話をしたり、一緒に演劇を見に行くようになった。ルキナにとってリオネルは完全に趣味の友達だ。
ルキナはリオネルがセロ・リアンヌであることをシアンにも話していない。本人が望まない限り、人には話せない。リオネルも、ルキナが小説を書いていることは誰にも話していないははずだ。ミユキ・ヘンミルの正体がバレることは現時点でのルキナの小説家人生の幕を下ろすのと同義だ。リオネルはそのあたりをよく理解している。リオネルは家族にも小説を書いていることを伝えておらず、出版社に行かなければならない時はアルバイトだと言っているそうだ。セロ・リアンヌと名乗って正体を隠しているのはミユキ・ヘンミルへの憧れが理由だが、それがなくとも自らの正体は明かさなかっただろう。
そして、誰にも明かさない秘密は人間関係を親密にさせる。ルキナとリオネルが二人で出かけるようになり、周囲の人間はすぐに変化に気づいた。
「ルキナとリオ、そんなに仲良かったっけ?」
授業が終わり、昼休みに入った途端、ルキナとリオネルが二人で話し始めた。それを見たグレースが疑問を抱いた。仲が良くなったというだけでは誰も疑問には思わない。二人があまりに急激に親密になったので、どうしても気になったのだ。突然二人の関係が変化したのなら、それなりのきっかけがあるはずだと考えてしかるべきだ。
「何その前は仲が悪かったみたいな言い方」
ルキナは以前よりリオネルと仲良くなった自覚があるが、それを誰かに指摘されるとは思っていなかった。ルキナはそこまでの変化はないはずだと言う。ここで仲が良くなったと認めれば、きっかけを聞かれるに決まっている。たとえそれを質問されたとしても誤魔化すつもりだが、質問されずにすむならそれが一番だ。
「別に仲が悪いってわけじゃなかったけど、もうちょい距離離れてなかった?」
グレースは、ルキナとリオネルの関係の変化を距離感で表す。実際、ルキナたちは他の人には聞かれたくない話をすることもあるので、基本的に顔を近づけてひそひそ話をする。そういう意味ではたしかに距離は近くなっている。そうでなくとも、人はそれぞれパーソナルスペースを持っており、その中に入れるかどうかは相手への信用度に依存する。近くに来ることを拒まないということは、互いに心を許しているということだ。グレースが親密度を距離で表現するのは間違っていない。
しかし、ルキナはリオネルと顔を近づけて話すのは無意識のことだったので、グレースの言葉に「何それ」と怪訝そうにする。すると、グレースは自分の意見に賛同してくれる仲間を増やそうと、「ね、そう思わない?」とアシェリーたちに聞いた。これに対し、クロエが「そうかもね」と頷いた。アシェリーは心ここにあらずといった様子で、おそらくそもそも話を聞いていない。シアンはちゃんと話を聞いていたようだが、肯定も否定もしなかった。
「ほら、やっぱり距離近くなってるって」
「仲が悪くなったんじゃなくて、良くなったのなら、何も問題ないのでは?」
グレースがクロエの反応を理由に再びルキナたちに迫った。だが、本来そこまで必死になって話す内容ではない。リオネルは自然に話を終わらせにかかった。リオネルだってルキナと仲良くなったきっかけを聞かれたら困るのだ。
「そうだね」
グレースが返事をする前にクロエが返事をした。クロエがリオネルに賛成したので、話が終わる。それをグレースが不満そうにする。リオネルが論点をずらして無理矢理話を終わらせたのが、グレースは気に入らなかったらしい。
「とりあえず、お昼食べに行かない?もうお腹ペコペコなんだけど」
ルキナがお腹を押さえて言うと、グレースは「私もお腹空いた!」と便乗した。今さっきまで自分の思い通りに話が進められなくて頬を膨らませていたのに、もう元気に昼食の話をしている。切り替えが速すぎる。
ルキナたちは学生食堂に移動することにし、ぞろぞろと教室を出た。食堂に到着すると、一番後ろにいたアシェリーが皆に声をかけた。
「ごめんなさい、今日も別の人と…」
「いいよ、いいよ」
アシェリーは途中までしか言っていないが、皆彼女が何を言おうとしているか理解した。グレースがアシェリーの声を遮って許可を出した。アシェリーは「ありがとうございます」と言って離れて行った。ここ数日、アシェリーは昼食を別の人と一緒に食べている。今日もそうしたいのだろうことはすぐにわかったので、誰も引き止めずに見送った。
「なんか最近、アシェリー可愛くなったわよね」
ルキナはアシェリーの後ろ姿を目で追いかけながら言った。アシェリーはもとから可愛いが、最近はさらに可愛くなっている。わかりやすくイメチェンをしたわけではないが、何かしらの変化がアシェリーの身に起きている。
「私もそう思う」
グレースがうんうんと頷いた。
「なんか最近メイク頑張ってるみたいだし、爪も綺麗だし」
グレースはルキナよりずっとよくアシェリーを見ている。アシェリーのどこに変化があるのかちゃんと知っている。
「恋する乙女は可愛いみたいな感じかしら」
「んー、そうなのかなー?」
ルキナとグレースは少し離れたところにいるアシェリーの姿を確認した。アシェリーは一緒に昼食を食べる相手と合流していた。アシェリーが会いに行っていたのは男子生徒だった。遠目でははっきりと顔は確認できないが、ルキナがまだ会ったことのない人だ。
「誰あれ」
ルキナはアシェリーと話している男子生徒を見て言った。彼は笑っているように見えるが、その笑顔はなんだか安っぽい。
「レイサー」
ルキナの質問にクロエが答えた。アシェリーが会いに行ったのはレイサーという名の人物らしい。
「え?あの人がレイサーなの?」
グレースが意外そうな反応をした。グレースはレイサーという名前だけ知っていたようだ。
「レイサーって、あのイケメンのレイサーでしょう?入学早々十人の女子に告られて、全部断ったっていう」
どうやらレイサーという男はモテるらしい。そういう噂も広まっているようで、グレースのように名前だけ知っているという人も少なくない。
「え?まさかアシェリーまでレイサーの虜に?」
「アシェリー、あの人のこと好きなの?」
グレースとルキナの声が重なる。二人とも同じことを考えていた。誰を誰を好きになろうが自由だ。だが、アシェリーの好意をよせているかもしれない相手がモテ男と知り、二人とも心配になってしまった。レイサーと直接話したことはないので、勝手なことは言えないが、騙されてはいないだろうかと心配になってしまう。
「そのへんはわかりませんが、邪魔はしない方が良いんじゃないですか?」
シアンがルキナたちにガン見しすぎだと言う。ルキナとグレースはアシェリーが頑張っているだろうに、野暮なことはできないと、シアンの言うように邪魔をしないようにする。とりあえずはアシェリーから何か言ってもらえるまで見守ることにして、野暮なことはしないようにする。
それからさらに数日。アシェリーは相変わらず昼休みをレイサーと過ごしていた。昼休み以外はルキナたちと過ごしているので、寂しさを感じることはない。でも、アシェリーがいつまでもレイサーとのことを話してくれないので、皆、もどかしく思った。特にグレースは我慢しきれずに自分から聞き出そうかと考え始めていた。
そんなある日、ルキナとグレースが二人で歩いていると、アシェリーとレイサーが話しているのを見かけた。二人が昼休み以外に話しているのは初めて見たので、ルキナたちは思わず凝視してしまった。そして、気づいた。よく見ればアシェリーが泣いているではないか。
「ほら、言ったじゃないか。あーあ、そんなに汚して…。早く化粧落としてこい」
レイサーは不機嫌そうにアシェリーに化粧を落とすように言った。アシェリーはレイサーのために頑張ってメイクをしてきた。それなのに、その頑張りを全否定するような言葉。ルキナとグレースはカッとなってアシェリーの前に飛び出した。
「ちょっと!」
グレースがレイサーの胸倉をつかんだ。
「え、なに急に」
レイサーは何が何だかわからないと言うようにきょとんとした顔をした。アシェリーが泣いているというのに何とも思っていないかのような反応だ。
「は?それはこっちのセリフよ。アシェリーを泣かせておきながら一言も謝罪がないなんて。アシェリーを大事にできないなら、もう話しかけないで」
グレースはレイサーの胸蔵を掴んだまま怒鳴った。レイサーはそれを不機嫌そうに見ていた。
「待って、グレース」
レイサーを睨んでいるルキナの後ろで、アシェリーがグレースにやめるように言った。
「ごめん、アシェリー。あの人のこと好きだった?余計なことしちゃった?」
グレースはレイサーからパッと手を離すと、アシェリーのもとに駆け寄った。グレースがアシェリーの望まぬことをしてしまったのではないかと心配していると、アシェリーは「何言ってるんですか?」と眉をひそめた。
「じゃあ、嫌い?」
アシェリーからの返事が返って来なかったので、グレースは上目遣いで問う。本当にアシェリーを怒らせてしまったかもしれない。そうやってグレースが不安に思っていると、アシェリーはため息をつき、「好きも嫌いもないですけど」と答えた。
「レイサー君のお姉さんが化粧品会社に勤めてらして、私にモニターをお願いされたんです」
ルキナとグレースが勘違いをしていることに気づき、アシェリーが説明を始めた。
アシェリーの化粧と爪に変化があったのはモニターとして、用意された化粧品を使うようになったから。今、アシェリーが泣いていたのはレイサーの前で化粧を使っているところを見せようと、鏡も使わずに目元を触ったため。いつも鏡を使ってしかメイクをしたことがないアシェリーは慣れないことをして、目に異物を混入してしまった。レイサーがアシェリーにメイクを落とすように言ったのはもちろん親切心だ。
「え、じゃあ、アシェリーはこの人のことを好きってわけではないのね?」
ルキナは確かめるようにアシェリーに尋ねた。これに対し、アシェリーは「好きになるわけないじゃないですか」と言った。ルキナとグレースは勘違いをした上に空回りをしてしまった。それこそ本当に余計なお世話だった。でも、アシェリーはルキナたちが自分のために飛び出してきてくれたことを喜んだ。その一方で、あらぬ疑いをかけられ、胸倉を掴まれたレイサーが不憫だった。
「モニターやってるなら言ってくれれば良かったのに」
グレースは自分が勝手に勘違いしたことを棚に上げてアシェリーに文句を言った。アシェリーはモニターのお礼を教えたら羨ましがられると思ったから言わなかったのだと言った。
「お礼って何をもらったの?」
「お礼に演劇チケットをいただいて、劇を観てきました」
ルキナの質問に、アシェリーは隠すことなく答えた。もうお礼として受け取った演劇のチケットは使用済みなので、周りにどれだけ文句を言われようが戻ってはこない。だから、何をもらったのか隠さなかった。
「何観たの?」
グレースがアシェリーにもたれかかりながら問う。アシェリーは「重いです」と言ってグレースを起こそうとする。すると、グレースはますますアシェリーに体重をかけ、ぐでーっと力を抜いた。アシェリーはグレースを無理矢理起こそうとするのは諦めて、そのままグレースを寄りかからせたまま質問に答える。
「セロ・リアンヌさんが原作のラブストーリーですよ。最近、流行りの。この前、クロエも呼んでたやつです」
クロエがセロ・リアンヌの本を読んでいると知った時、アシェリーはクロエに自分の前では読むなと言っていた。その理由をアシェリーは「小説を読んでから観るのはネタバレみたいで嫌だったんですよ」と語った。ルキナは全てが腑に落ちたような気がした。そして、何でも恋愛に結び付けるのは良くないと思い知った。




