50. 実感がほしいんデスケド。
七月。ルキナがエレノアに突撃を食らい続けて一週間。さすがに次来たら文句を言ってやろう。ルキナがそう思っていると、その日に限ってエレノアは現れなかった。その次の日も、そのまた次の日も。エレノアは姿を見せなかった。ルキナの口が堅く、どんなに通っても話を聞くことはできないと思い知り、諦めたのかもしれない。ルキナが文句を言う前に手を引いてくれたというのなら、それはそれで良い。
エレノアが来なくなってからしばらく経ち、彼女のことなどすっかり忘れた頃、ルキナはカローリアと一緒に街で買い物をした。その際、本屋に立ち寄った。ルキナは店内をうろつき、目当ての本を探した。
「お、あったあった」
ルキナは探していた本を見つけると、一冊手に取った。その本はミユキ・ヘンミルが書いた本。つまり、ルキナが書いた本だ。このキルメラ王国でもルキナの本が売られている。多少値段は変わるが、ルキナの出版した本はほとんど置かれていた。キルメラ王国もウィンリア語が使われていて、翻訳が必要でない分、両国の本は互いに輸出入されている。特に、ルキナが本を出しているレオニ出版社の支社がキルメラ王国にもあるので、レオニ出版社で出した本はキルメラ王国にも置かれやすい。
(そうよ、そうよ。こういう感じよ)
ルキナは自分の本が並べられているのを確認して満足する。ここ最近、セロ・リアンヌの名ばかりを聞き、自分の小説家としての名前を聞いていない。担当編集のカテルからは新刊の売り上げは上々だと聞いているが、人気がなくなってしまったのではないかと不安になっている。本が売れなければルキナに収入はないので、小説家としての人気度と売り上げは重要なことだ。
ミユキ・ヘンミルの名を聞かなくなったのは、ここがキルメラ王国であるということが一番の理由だろう。やはり作家の出身国はその作風に影響を及ぼす。その国独特の文化やその国で有名な本の記憶から、新しく誕生する作家も歴代の小説家の特徴を引き継ぐことが多い。どうあがいても郷土性というのが生まれてしまう。したがって、同郷の作家の本が読みやすいのは明白である。ルキナの書いた本がキルメラ王国の文化に浸透しないのは仕方ないと言えなくもない。
そして、もう一つの理由として、いつも「先生、先生」とうっとうしいくらいルキナの周りをうろちょろしているユーミリアがそばにいないことがあげられるだろう。小説家としての正体を隠しているルキナにとって、ルキナを小説家の先生として扱う人の存在は稀だ。あれだけ「先生」と呼ばれれば、嫌でも小説家としての立場を意識することになる。それが実はルキナを安心させていた。ルキナはユーミリアのおかげで、ミユキ・ヘンミルが世の中に忘れ去られたわけではないと思えるのだ。
ルキナは、自分の本の横に並んでいる本を見た。人気の本のようで山積みになっている。それにその表紙はどこかで見たことがある。
「セロ・リアンヌさんの本ですか」
ルキナの隣で本を物色していたカローリアが言った。ルキナが見ていた本を見て、その作者の名前を口にした。ルキナはさっきまで自分が見ていた本を二度見した。言われてみれば、たしかにタイトルを読めば、ルキナも読んだことのある小説であることがわかった。だが、作者名を見ても、それがセロ・リアンヌの本であることがわからなかった。
「これでセロ・リアンヌって読むの?」
ルキナは自分でセロ・リアンヌの本を買ったことがない。出版社、カテルを通して、本を購入している。そのため、セロ・リアンヌの名前を気にしたことがない。どういう表記をするのかも知らなかった。
「キルメラ王国の古い言葉らしいですよ。でも、キルメラ王国でも読める人がほとんどいなくて、初見の人は皆読めないそうですよ」
ルキナが著者名をじっくり観察していると、カローリアがセロ・リアンヌの名前事情を教えてくれた。ウィンリア王国で売られている分に関しては、セロ・リアンヌの名前もウィンリア語で表記されていることもカローリアが教えてくれた。だから、ルキナはセロ・リアンヌの名前がウィンリア語で書かれていないことを知らなかった。
カローリアはセロ・リアンヌをよく知っている。よくよく聞いてみると、カローリアの家族がセロ・リアンヌのファンで、セロ・リアンヌの話を聞かされているため、それに伴ってカローリアも詳しくなったそうだ。
(そういえば、リオは普通に読んでたわね)
リオネルはセロ・リアンヌを知らないと言っていたはずだが、独特の表記であるはずなのに戸惑うことなくセロ・リアンヌと読んでいた。彼の言う「知らない」がどのレベルなのかは不明だが、知らない人が読める名前ではない。キルメラ王国で使われていた言葉らしいので、もしかしたらもともとその言葉を読めるのかもしれないが、個人的に勉強しなければ知ることはない言葉なので、そういう人は本当に珍しいようだ。
ルキナたちは本屋での買い物を終えると、アパートに帰った。
「ルキナ様、お手紙です」
留守の間にポストに手紙が届いており、そのうちの二通がルキナ宛てのものだった。一通はユーミリアから、もう一通はカテルからだった。カローリアから手紙を受け取り、ルキナはさっそく中を確認した。
先生、お元気ですか?私は先生に会えなくて死にそうです。今すぐ会いに行きたいです。でも、行ったら怒られそうなので、我慢します。というわけですので、夏休みは必ず帰ってきてくださいね。先生の夏休みの期間だと、クリオア学院の文化祭に間に合いそうですね。夏休みに入ったらすぐに帰ってきて、文化祭に来てください。先生のために面白い企画を考えたんですよ。皆さんも待っていらっしゃいますし、きっと楽しいですよ。
マクシス様が生徒会長として頑張ってます。でも、仕事が忙しくて、チグサ様と一緒にいる時間が減ってしまっているので、マクシス様のメンタルがもつか心配です。もうすぐ文化祭なのに、生徒会長をやめたいとか言い出さないか、皆ハラハラしています。
逆に、タシファレド様とアリシアさんがずーーーーーーと一緒にいて、なんだか腹が立ちます。幸せそうなのは良いんですけど、イチャイチャされてるとイライラしちゃいます。先生、こういう時の対処法を教えてください。先生はこういうこと詳しいですよね?
バリファ先輩が先生の体調を心配されています。先生が先輩に何を話したのか知りませんけど、時々クリオア学院に来て、先生の様子を尋ねられます。たぶん先輩がまた魔法爆弾に近づいた話をノアルド様から聞いたせいです。こちらに帰ってきた際は、早めに顔を見せに行った方が良いかと思います。
先生と会える日を楽しみに待っています。あと、関係ないですけど、手紙の返事ください。私が毎週手紙送っているのに、先生は一か月に一回か二回しか手紙くれないじゃないですか。全然、内容も当たり障りのないことばかりですし。この手紙を読んだらすぐに返事を書いてくださいね。約束ですよ。
(また手紙の催促)
ルキナはユーミリアからの手紙を封筒に戻した。ルキナもユーミリアに手紙を書いてあげようとは思うのだが、いざ書こうとすると、わざわざ手紙に書くことでもないなという内容ばかりで、なかなか筆が進まない。だから、どうしてもユーミリアほどの頻度で手紙を送れない。気軽に書けるはずのユーミリア宛ての手紙より、よっぽどカミラ巻毛で連絡をとっていたノアルド宛ての手紙の方が多い。
次にカテルからの手紙を読む。その内容はルキナがキルメラ王国にいる間に発売された新刊の売れ行きと次話の指針について。カテルとも会うのは難しいので、小説の打ち合わせも手紙ですることが多い。だが、それはたいした問題ではない。カテルとはもともと手紙でやり取りすることが度々あったし、ルキナが正体を隠すためにこそこそとカテルと会っていた頃の苦労に比べれば、むしろ楽とも言える。ただ、チグサに会えないのがきつい。ルキナは小説家になった頃から、いつもチグサに推敲してもらってきた。チグサに読んでもらってから原稿をカテルに見せるのだ。チグサのアドバイスなしに通ることもあるが、間にチグサが読むという工程が挟んでいないことが違和感だ。
(だからって、チグサに一回原稿送ったら手間だし。最悪、チグサにクマティエさんまで原稿を届けてもらわなくちゃならなくなるから、ウィンリア王国に帰るまではチグサに原稿は読んでもらえないわ)
ルキナは人知れずため息をついた。その後、手紙の続きを読んだ。いつもなら小説の打ち合わせだけで手紙が終わるのだが、今回は少し余分に書かれていた。
セロ・リアンヌ先生がミューヘーンさんに会いたがっています。リアンヌ先生はキルメラ王国で執筆活動をされている方ですので、よろしければこの機会に会っていただけないでしょうか。場所は、レオニ出版のキルメラ王国支社。時間については、お手数ですが、一度支社の方に連絡を入れていただいてからの決定になります。お会いしても良いと思われましたら、ぜひ連絡をお願いします。もちろん、リアンヌ先生にはミユキ・ヘンミル先生の正体について口外しないと約束していただいております。その点についてはご安心を。
(セロ・リアンヌが私に会いたがってる?)
ルキナはセロ・リアンヌが自分に会いたがっていることを意外に思った。ルキナはセロ・リアンヌを完全にライバル視している。だが、向こうもそうだとは思わなかった。ルキナが一方的に意識しているだけだと思っていたのだ。まさか名指しで会いたいと言われるとは思わなかった。たしかに、もしライバル意識をもっているのなら、ライバルの顔は一度くらい拝んでおきたいとも思う。が、あえて会わないでおくのも一興だ。
(まあ、いいか。私がこっちにいる間にしか会えないんだし、会っておいた方がいいでしょ)
ルキナはこれを逃したらセロ・リアンヌに会うことは叶わないかもしれないと思い、会いに行くことに決めた。さっそく出版社にその報告をしに行き、出版社の仲介の元、セロ・リアンヌと対面する日を決めた。
数日後、ルキナは一人でレオニ出版社キルメラ王国支社に入った。シアンも連れて行きたいところだったが、シアンには別の用事があったうえに、部外者を連れ込むのは良くないだろうと判断した。セロ・リアンヌという名は、ミユキ・ヘンミル同様、本名ではないようだ。おそらく顔も公表していない。そんな人に会いに行くのに呼ばれていない者を連れて行くのはさすがに良くない。
ルキナが待合室で待っていると、作家と編集者のための打ち合わせ室の一室に通された。一室と言っても、パーテーションで区切られただけの簡易的な部屋だ。大声で話せば周囲に声が駄々洩れだ。
ルキナは打ち合わせ室の椅子に座り、セロ・リアンヌが現れるのを待った。少しすると、後ろから足音が聞こえてきた。ルキナは直感的に、彼の人物が来たと思った。そして、予想通りに、その人物はルキナの背後で自己紹介を始めた。
「セロ・リアンヌと申します」
緊張しているのか、声に力が入っている。想像以上に若かった。それに、男性の声だった。ルキナは勝手にセロ・リアンヌは女性だと思っていた。セロ・リアンヌという名前が女性っぽいだけでなく、本を読んでいても作者は男性より女性っぽく感じる。
「ん?ちょっと待って」
ルキナはセロ・リアンヌの声を聞き、思わず首を傾げた。なぜだろう。彼の声は聞き覚えがあるのだ。
ルキナはゆっくり後ろを振り返った。セロ・リアンヌはガチガチに緊張した様子で立っていた。だが、ルキナの顔を見ると、「えっ!?」とたいそう驚き、その驚きで緊張が吹き飛んでしまった。
「ルキナさん?」
セロ・リアンヌ、もといリオネルが混乱したように呟いた。リオネルもミユキ・ヘンミルの正体に驚いている。
ルキナは笑いながら立ち上がると、手を差し出した。
「リオがセロ・リアンヌだったのね。私、勝手に女の人だと思ってたわ」
ルキナがそう言うと、リオネルはルキナがミユキ・ヘンミルであることを確信し、ルキナと握手を交わした。これは小説家としての挨拶だ。
「改めまして、私がミユキ・ヘンミルです。セロ・リアンヌ先生とお会いできて光栄です」
セロ・リアンヌの正体が知り合いだと知り、逆にルキナは緊張してきた。自己紹介をしながら照れ笑いをした。
ルキナとリオネルが立ったまま握手をしていると、突然リオネルが泣き始めた。ルキナはびっくりしてどうしたのかと問う。すると、リオネルはその涙を感激の涙だと言った。
「僕、ミユキ・ヘンミル先生の大ファンで」
リオネルが涙声で言う。リオネルはルキナの小説を読み、それをきっかけにして本を書き始めたと言う。セロ・リアンヌという名を使って正体を明かさないのも、ルキナを真似てのことだ。ミユキ・ヘンミルに会うことを目標に今日まで頑張って本を書き続けてきたそうだ。そして、それが実を結び、キルメラ王国で人気の小説家になった。
(ライバルじゃなくてファンだったのか)
ライバルだと意識していた人がルキナのファンで、ルキナの書いた小説をきっかけに作家を志したと言うのだ。複雑な気分だ。でも、やっぱり嬉しい。自分の小説を大好きだと言ってくれる人が目の目にいて、自分に会えて嬉しいと泣いてくれる。これほど幸せなことはない。
「その憧れのミユキ・ヘンミルが私でがっかりした?」
ルキナが意地悪な質問をすると、リオネルは全力で首を横に振った。
「むしろ嬉しいです。ヘンミル先生がルキナさんだったなんて」
リオネルが涙を拭って言った。
その後、ルキナたちは互いの小説の良さを語り合った。ここでは、学校の友達ではなく、小説家として互いに尊敬の念を持って接した。この時間は本当に有意義で、ルキナは楽しく感じた。好きなものを語り合える仲間がいるというのは、この上ない喜びである。




