39. 兄弟想いデスケド。
ルキナは目を覚ますと大きく伸びをした。イェーナはまだ横で眠っている。
(イェーナの過去も壮絶ね)
ルキナはイェーナの髪をさらっと撫でた。近くで寝たことで、イェーナの過去を覗き見ることができた。こうして見る過去の記憶は、その人にとって重要な瞬間のようだ。決して忘れることのない強烈な出来事だから、夢となってルキナの頭に流れ込んでくるのだ。その人の人生を左右するような記憶。これだけで人となりを全て知るということは不可能だが、胸の内に抱えるものを理解するヒントにはなる。
(まあ、本当は見ない方がいいんだろうけど)
ルキナは相手が攻略対象だからと自分を正当化しているが、本来は人の記憶を覗き見るなど非道な行為だ。記憶を見ないですむなら、見ない方が良い。他人と一緒に寝るのを避ける努力をすべきだ。
ルキナはベッドから下り、着替えを持って部屋を出る。イェーナを起こしてしまわないか気をつけて動いたが、イェーナはぐっすり眠っていて、ちょっとやそっとでは起きそうにない。
「ルキナ様、おはようございます」
ルキナがリビングの方に行くと、既に起きていたカローリアが朝食の準備をしていた。カローリアはいつも誰よりも早く起きる。寝るのもたいていカローリアが最後なので、ルキナは彼女の寝顔を見たことがない。
「おはよう。いい匂いね。シャワーを浴びに行こうかと思ったんだけど、まだ時間に余裕はあるかしら」
「大丈夫ですよ」
ルキナはカローリアに確認をとってから風呂場に向かった。いつもは朝に入浴をしないが、昨夜、入浴せずに寝たので、今日は特別だ。
ルキナはお風呂に入りながらイェーナの攻略について考えた。
(イェーナ攻略の鍵はカミラで間違いないわ。やっぱり私のことをカミラに似てるって思ってもらうのが良いんだろうけど、問題はカミラのことをよく知らないことよね)
ルキナが最初からもっていた情報と今回見た夢。この二つからイェーナの攻略に姉であるカミラの存在が大きく関わっていることは明白だ。だから、ルキナのどこかにカミラの面影を感じることがあれば、イェーナはルキナを好きになってくれるはずだ。だが、肝心なその方法が思いつかない。
「んー、わからんっ」
ルキナは早々に入浴を終えると、タオルで髪の水分を吸い取りながらリビングに戻った。その頃にはシアンも起きていて、朝食の準備をするカローリアの手伝いをしていた。
「シアン、おはよ」
「おはようございます」
ルキナが声をかけると、シアンはすぐに反応した。ルキナがお風呂上りだとわかると、ルキナの髪を指さして言った。
「ちゃんと髪乾かしてくださいよ」
シアンはお母さんみたいなことを言う。ルキナは、言われなくてもわかってると思った。
「今現在進行形で乾かしてるところじゃない」
ルキナが口を尖らせると、「いつも面倒くさがるので」とシアンは非はルキナにあると主張した。その言葉をルキナは否定できなかった。たしかにいつも髪を乾かすのを面倒くさがって、放置することが多い。でも、単純に面倒くさいだけで放置しているのではない。そうしていると、見かねたシアンがルキナの髪を拭いてくれるのだ。ルキナは面倒くさいと言いながら、密かにそれを期待していたのだ。
「じゃあ、シアン、代わりにやって」
ルキナはタオルを髪から離し、シアンの方に差し出した。しかし、シアンは手に持ったお皿を掲げてルキナに見せると、「今は無理です」と断った。カローリアの手伝い中なので無理だと言うのだ。ルキナは「ケチ」と言ってタオルを元の場所に戻した。
ルキナはダイニングテーブルを見て、料理が並べられているのを確認する。いつもより豪華な朝食に見えるのはイェーナがいるからだろうか。もうすぐ朝食の準備が整いそうだ。
「そろそろイェーナ様を起こした方が良いかしら」
ルキナは状況を見て、イェーナを起こしに行くことにする。女子部屋の方に向かう。その時、玄関がノックされた。
「こんな朝早くに誰かしら」
多くの人が既に起床しているであろう時間ではあるが、家を訪ねるような時間ではない。なんとなく普通の来客ではないように感じた。
ルキナはタオルで髪を乾かしながらシアンたちの方を見た。カローリアは料理の盛り付け中で、シアンは料理の載った皿を運んでいる。二人とも手が離せない状態だ。ルキナが出るしかない。
「はい、今開けます」
ルキナはそう言いながら玄関に近づき、手櫛で前髪だけ整えた。そして、「お待たせしました」と言ってドアを開けた。
「こんな時間からすみません」
ドアの先にいたのは、テオだった。その後ろにはテオと同じ緑色の髪の男が立っていた。
「えっと、テオ様と…メディカ様?」
テオと一緒に現れたのはメディカだった。ルキナはメディカのことはウィンリア王国で何回か見かけているが、面と向かって言葉を交わしたことはない。メディカはルキナが一方的にメディカを知っていたことで一瞬怪訝そうにしたが、すぐに興味を向ける先を変えた。メディカは王族の一人なので、一方的に顔を知られていることはよくあることだ。
「イェーナは?」
メディカが部屋の奥を見ようとルキナの体の向こうに視線を向けた。メディカはテオからイェーナの居場所を聞き出し、ここまで案内させたようだ。テオは兄には逆らえないようで、委縮した様子で黙っていた。
「イェーナ様はまだ寝ておられますが」
ルキナは人様の家を覗き見ようとすることを悪いとも思っていなさそうなメディカの行動に少し気を悪くしながら答えた。いくら相手が王族で攻略対象でも、マナーは守ってほしいと思う。
ルキナは事実を言っただけなのだが、メディカはルキナが意地悪を言ったのだと思ったらしい。本当のことを言えと言うようにルキナを睨む。
ルキナはメディカたちを一度中に招こうと思ったが、メディカの態度があまりに気に入らなかったので、玄関から先には行かせないことに決めた。イェーナの安否を心配するのは家族として当然なのかもしれないが、周りが見えていなさすぎる。
「メディカ兄様」
ルキナが玄関で通せんぼをしていると、背後からイェーナの声が聞こえてきた。ルキナはまだイェーナは寝ていると思っていたので少し驚いた。その拍子に立ち位置が変わり、動線ができてしまった。その隙を狙って、メディカがルキナを押しのけて部屋の中へと入った。
イェーナはルキナが貸した寝間着のままで、今さっき起きたばかりだとわかる恰好だった。寝ぼけて玄関まで来たのだが、兄たちの姿を確認してパッと目が覚めた。イェーナはメディカが近づいて来るのが怖くて逃げようとした。しかし、メディカの方が数歩速くて、イェーナはメディカに捕まってしまった。
「イェーナ、帰るぞ」
メディカはイェーナの腕を掴むと、ぐっと引っ張った。
「兄様、痛いです」
イェーナは顔をしかめて痛みを訴えた。メディカに捕まっても逃げようとしていたが、掴まれた腕が痛すぎて抵抗をやめざるを得なかった。イェーナが大人しくなったとわかると、メディカはさらに力を入れて引っ張った。そのまま外へ連れて行こうとする。
「痛いです」
イェーナが転びそうになりながらついて行くのを見て、ルキナは咄嗟にメディカの前に躍り出た。イェーナはもう抵抗していない。それなのにそんなに乱暴に扱うことはない。
「無理強いはよくないと思います。イェーナ様が怪我をしてしまいますよ」
ルキナが止めに入ると、メディカはルキナに鋭い視線を向けた。
「よそ者が口を挟むな」
メディカがルキナに邪魔だと言う。ルキナはその言葉にショックを受けたが、メディカの前をどこうとはしなかった。すると、メディカはまたルキナを無理矢理押しのけて行こうとする。
「兄様」
そこでテオが怒った。テオはイェーナの面倒を見てくれたルキナたちに恩を感じているので、メディカの言い方に不快感を抱いた。メディカは視野が狭くなっているが、テオはルキナたちがイェーナを誘拐したのではなく保護したのだと説明してある。普通なら、ルキナに対してこんな態度をとれるはずがない。
テオが怒ったことで、メディカは少し落ち着いた。人の話を少し聞けるようになった。そのタイミングを見計らって、カローリアが動いた。
「これから朝食だったのですが、食べて行かれますか?」
カローリアは料理が並んだダイニングテーブルを見せて、作りすぎてしまったと言った。ルキナはやけに豪華だと思ったが、やはり量も多かったようだ。朝食なのに力を入れすぎだ。でも、それが偶然にも状況を変える一手となった。
(カローリア、ナイス)
ルキナはカローリアの提案を良策だと思った。カローリアの張り詰めた空気に似合わぬ気の抜けた発言のおかげか、メディカの表情も緩んでいる。
「メディカ兄様、せっかくのお誘いです。いただいていきましょう」
テオがメディカを一押しするように言った。テオの話を聞いて、メディカは「テオがそこまで言うなら」とカローリアの誘いを受けることにした。
メディカは渋々イェーナの腕を解放した。イェーナは涙目になりながら掴まれていた右腕をさすった。よっぽど痛かったのだろう。
(妹が大事なら乱暴にしなきゃいいのに)
ルキナにはメディカが何をしたいのかわからなかった。彼が妹であるイェーナのことを心配して迎えに来たのは確かだ。でも、イェーナの無事を確認して全く嬉しそうな顔をしなかったし、妹が痛がっていようが力を緩めなかった。メディカはイェーナのことを本当に大切に思っているのだろうか。
(たしかキャラ設定では、キングシュルト一族は皆家族が大事で、攻略のキーだったはずなんだけど。メディカも兄弟が大好きで、優しい人だって)
ルキナはメディカの印象が想像とだいぶ違ったので驚く。これはメディカが妹のことが大切に思っているからこその暴走で、一晩も離すべきではなかったということだろうか。
「冷めないうちにお召し上がりください」
ルキナが考え事をしている間に、カローリアは皆を席につかせていた。ルキナも慌てて椅子に座った。
「いただきます」
メディカが最初に料理に口をつけた。毒入りかもしれないという恐れはないようで、平気な顔をして食べ始めた。
「美味しい」
メディカが呟いた。やはり喧嘩をしても兄妹なのか、この表情はイェーナととてもよく似ていた。
「良かった」
テオがほっとしたように言った。他の皆も声には出さなかったが、それぞれ胸をなでおろしていた。皆してメディカの反応を見守っていたのだ。
「ですよね!カローリア様のお料理はとても美味しいんです!」
メディカの感想を聞くと、イェーナが元気になった。イェーナは昨晩もカローリアの料理を食べたということを自慢げに語る。イェーナはしばらく無我夢中ではしゃいでいたのだが、メディカの視線に気づくと、しゅんと小さくなった。
「ごめんなさい」
イェーナはメディカに叱られると思った。しかし、メディカは叱らなかった。それどころかもっと話を聞かせてくれと言った。メディカはすっかりアクが抜けていた。
それからは驚くほど和やかな時間が過ぎた。イェーナは家出のことも何もかも忘れたように、兄たちにたくさん話をした。メディカはそれをニコニコと聞いていた。テオも聞いていたが、独り言が多いので、いつしかイェーナの話を聞かずにセルフトークを始めていた。
「カローリアのお手柄ね」
ルキナは仲の良い兄弟を微笑ましく思った。あの険悪な状態からここまで落ち着いたのは驚いたが、それもこれもカローリアのおかげだ。ルキナがほめたたえると、カローリアは嬉しそうに頷いた。
カローリアが朝食を作りすぎてくれたおかげで急遽人数が増えたわりに、全員お腹いっぱい食べることができた。朝食の後は紅茶を飲んでゆっくりした。
「カローリア様、火の強さはどのくらいですか?」
「最初は弱火で、全体に熱が広がったらぐつぐつ煮えるまで強火です」
しばらく皆で会話を楽しんでいたのだが、暇になったのか、イェーナとテオはカローリアにデザートの作り方を習い始めた。
「まだ食べれるの?」
ルキナはデザートを作って食べる気満々のテオたちに感心しつつ呆れた。二人はまだデザートが食べられるくらいの余裕があるらしい。満腹のルキナは食べ物のことを考えると苦しいというのに。
「あの、改めまして、メディカ・キングシュルトです」
ルキナとシアンがキッチンの三人を眺めていると、メディカが話しかけてきた。改まって自己紹介と挨拶をした。
「先ほどは大変失礼しました」
メディカの変わりようにルキナたちが驚いていると、メディカがそのことに気づいた。そして、非常識にも他人の家で兄弟喧嘩をしてしまったことを謝った。
「周りを見ろと兄たちによく言われてきたのですが、どうも一直線に突っ走ってしまうときがあって…。」
メディカはばつが悪そうに笑った。メディカも自分の性格が厄介だと思っている。
「ご兄弟のことでそれほど一生懸命なのは、何か理由があるんですか?」
ルキナはメディカに少し踏み込んだ質問を投げかけた。ルキナの不躾な問いにメディカは一瞬眉間に皺を寄せたが、散々巻き込んでおいて話さないわけにはいかないと考え直した。
「僕ら兄弟はこれ以上バラバラになっちゃいけないんです」
メディカは紅茶の水面を見ながら言った。
「僕らにはカミラという姉がいます。でも、もう姉は帰ってきません。誰も彼女がどこにいるか知りません。僕らを残して消えてしまったんです」
メディカは言葉を選びながらゆっくり話し始めた。イェーナはカミラが消えた理由とその後を知らない様子だったが、それはメディカも同じようだ。
「姉は僕らに仲良くするように言いました。自分がいなくても仲良くしなさい、と。そして、僕は姉と約束をしました。真ん中の僕が皆をまとめると」
メディカは兄弟の真ん中で、姉も兄も弟も妹もいる。両挟みされているからこその苦労も絶えないが、たくさんの兄弟に囲まれた生活は嫌いではなかった。だから、カミラに兄弟を任せると言われた時はとても誇らしい気持ちだったそうだ。
「でも、結局バラバラになりました。姉が消えた後、一番上の兄、ヘンリーは次の国王として勉強で忙しいからとなかなか会えなくなりました。二番目の兄もヘンリー兄さんの手伝いをすると言って、離れて行きました。僕の一つ上の兄、チャリオは海の向こうの国に婿入りをしました。弟のジルは反抗期なのか家に帰って来ないし、僕もいずれどこかの女性と結婚をし、家を出る時が来ます。せめて残された時間、残された兄弟だけでも仲良くしようって…全然上手くいきませんけどね」
現時点において、メディカ、テオ、イェーナは比較的仲の良い組み合わせだ。逆に言えば、この三人以外の仲が良好でない。皆、互いに関わりをもとうともしない。だから、メディカはせめてこの三人だけはバラバラにならないようにしたいと考えている。そんな時にイェーナが家出をしてしまったので、メディカは居ても立っても居られなくなって、つい過干渉なことをしてしまったのだ。
「なんだか話したらすっきりした気がします」
話し終えると、メディカは笑顔になった。言葉通りすっきりしたようだ。メディカは悩みを一人で抱えるばかりで、誰にも話せなかったのだ。話を聞いてくれそうな人すらいなかったのだから仕方ないのかもしれないが。
「また何かお話したいことがあったら声をかけてください。私もシアンも聞きますよ」
ルキナはメディカの悩み相談役を買って出た。この悩みを聞くポジションを確保すれば、好感度も上がるだろうと考えたのだ。ルキナは時に抜け目ない。
こうして予想外の形でイェーナの家出は終わりを迎えたのだが、帰る頃にはイェーナもメディカもすっきりしたような顔をしていた。最後に残った三人は皆兄弟想いの者たちだ。きっと家族内の確執もいつか乗り越えてみせるだろう。




