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38. 不変の憧れデスケド。

『カミラ姉、イェーナがついてきてる』

 キルメラ王国第二王子アイルが小さな妹の姿を見つけて姉に教える。カミラはアイルに言われるままに後ろを振り返った。

『あれ?今日はちゃんと留守番してると思ったのに』

 カミラはイェーナが重たそうな頭を持ち上げて真っすぐ自分を見つめているのを確認する。カミラたちは城を出て中等学校に向かっているところだ。イェーナを連れて行くつもりはない。

『イェーナ、外は危ないって言ったじゃないか』

 カミラが注意をする前に、第一王子であるヘンリーが注意をした。ヘンリーがしゃがんでイェーナと目線を合わせるが、イェーナはカミラからちっとも視線をそらさなかった。ヘンリーの声など全く耳に届いておらず、カミラのことをじっと見つめている。カミラはそんな妹を可愛く思った。

『イェーナはどうしてそんなに可愛いんだい?』

 カミラは自分のカバンをアイルに押し付けると、イェーナをひょいっと抱き上げた。

 カミラは王家の長女として生まれ、たくさんの弟たちを迎えることになった。そのため、自然とたくましく育ち、男勝りな性格になった。体力作りが趣味で、全く優美ではない。筋力もそれなりについていて、もともと凛々しい顔立ちをしていることもあって、時々男性に間違われる。だから、三歳の子供を抱き上げるくらい楽勝なのだ。

『今日も学校についてきたいのかな?』

 カミラがイェーナの頭をがしがしと撫でる。イェーナは目を閉じ、カミラにされるがままになる。その後、くしゃくしゃになったイェーナの髪は、アイルが手櫛で直した。

『カミラ姉さんがそんなんだから、イェーナがいつまで経っても言うことを聞かないんじゃないか』

 ヘンリーが立ち上がりながら言う。ヘンリーが怒ってカミラを睨むが、カミラはどこ吹く風という顔で聞き流す。

『いいじゃない。イェーナは学校でも人気者だったよ』

 カミラは甘えるイェーナを中等学校に連れて行ったことがある。しかも一回や二回じゃない。無論、ヘンリーはそれを良いと思っていない。

『姉さん!』

 ヘンリーが声を荒げると、イェーナはびっくりしてカミラに顏を押し付けた。耳の近くで大きな声が聞こえてきて怖かったのだ。

『そんなに怒鳴るな。イェーナが怯えてる』

『ヘンリー兄、もう少し声を抑えて』

 カミラはイェーナを心配して、アイルは周囲の人からの視線に耐えかねてヘンリーの声量について注意した。二人から同時に一方的に注意される形になってしまい、ヘンリーは不満に思う。ヘンリーは正しいことを言っていただけなので、悪いことをしたと思っていなかった。

『なんでアイルまでカミラ姉さんの味方を…』

『イェーナ!』

 ヘンリーが不満を訴えようとしたが、その途中で妨害された。第三王子のチャリオがイェーナの名を呼びながら走ってきたのだ。イェーナが城から消えて心配して探しに来たようだ。

『残念。今日はお迎えが来ちゃったね』

 チャリオの姿を確認すると、カミラがイェーナを地面に下ろした。チャリオが来たということは、イェーナを連れ帰ってくれる人が来たということだ。チャリオがいるのに、反対意見を押し切ってまでイェーナを学校に連れて行く理由はない。

 イェーナは離れがたそうにカミラの服の裾をきゅっと握りしめた。カミラはそれを優しく離させる。

『さあ、イェーナ、今日はチャリオの言うことを聞いて、お留守番をしているんだよ。お利口さんには、私がご褒美をやろう。もうすぐ四歳になるんだ。できるだろう?』

 カミラは最後にイェーナの頭を撫でると、ヘンリー、アイルと共に学校に向かって歩き始めた。イェーナはチャリオと一緒にそれを見送る。

 カミラはイェーナと十一歳も差があり、接点といえば、八人兄弟の中でたった二人の女性というだけだった。だが、その年齢差故に、イェーナからはカミラがかっこいい大人に見えていた。だから、イェーナはカミラによく懐いていたし、歩けるようになれば、よくカミラの後ろをついて歩いていた。カミラもそんなイェーナを可愛がってくれた。

『イェーナ、帰ろうか』

 チャリオはイェーナの手を引き城へと連れ帰る。チャリオは中等学校に通っていない者の中で一番年上なので、弟と妹の世話を任されている。特に末っ子のイェーナは目を離すとすぐどこかに行ってしまう。チャリオは今のところ文句を言わずに面倒を見ているが、内心面倒くさいと思っている。ヘンリーからお願いをされなければ、ただ疲れるだけの兄弟の世話などすぐに放り出していただろう。

 城に帰ると、テオとジルが追いかけっこをして遊んでいた。この双子はとても仲良しでいつも一緒にいる。二人はイェーナを見つけると、意地悪な顔をした。

『あ、とーめーにんげんだ』

『とーめーにんげんだ』

 ジルは、イェーナに近づくと、イェーナの肩に手が触れそうな寸前で手を振り下ろした。まるで見ている物が触れないかのように。

『やっべぇ、触れねえぞ』

『ほんとだー』

 ジルがイェーナを透明人間だと言い、からかうと、テオもそれに乗っかった。その間、イェーナは無表情で全く興味も示さなかった。イェーナはジルたちにいじめられているという自覚もない。

『こら、ジルもテオもイェーナと仲良くしないと』

 イェーナが反応していないとはいえ、さすがに止めないわけにはいかない。チャリオは二人を叱った。すると、双子はそっくりな顔をそろえて口を膨らませた。

『だって、こいつ全然喋んないもん』

『こわい』

 イェーナは口数の多い子供ではなかった。何も感じないわけではないが、それを言葉や表情に表そうとしなかった。双子はそれを気味悪がっていた。

『ジル、妹をこいつとか言わない。女の子は大事にしないと駄目だよ。特に、イェーナは妹だから、みんなで守ってあげないと』

 チャリオが一生懸命説教をするが、ジルは真剣に聞いてくれなかった。チャリオはしょんぼりして『明日はお姉の誕生日なのに』と呟いた。

『カミラの誕生日?』

 ジルが誕生日という単語に敏感に反応した。続いてテオも目を輝かせた。

『うん。そう。明日はお姉の十五歳の誕生日なんだって。大事な日なんだから、みんな仲良くしないと』

 女性王族にとって十五歳の誕生日は特別な日だ。結婚相手が決まるのだから。幼い弟たちはそこまで理解はできていなかったが、誕生日は皆で祝う日だという認識があるので、ジルたちは大はしゃぎする。そして、何よりそんな大切な誕生日なら家族が揃うはずだ。

『メディカも帰ってくる?』

 テオがチャリオの服を引っ張って尋ねる。現在、メディカはウィンリア王国にて囚われの身となっている。この一年、メディカと会うことは難しい。だが、カミラの特別な誕生日となれば話は別だ。メディカだってキルメラ王国に戻ってきて、皆でお祝いできるだろう。

『ジルたちが良い子にしてたらね』

 テオが期待の眼差しを向けると、チャリオはニッコリ笑った。


 翌日、カミラの十五度目の誕生日がやってきた。この日は国中がお祭り騒ぎ。テオとジルは朝からハイテンションだった。そこにはメディカの姿もあった。イェーナも、国を上げての祭典に心躍らせていた。

『イェーナ、どう?楽しい?』

 カミラはイェーナと手を繋いで街を歩いてくれた。色とりどりに飾られた街はいつもと違って見えた。

『カミラ様はどんな方と結婚されるのかしら』

『え?あんたも出場するのか?』

『俺、力比べには自信あんだよ』

 街の人々も楽しく話している。イェーナはこの誕生日でカミラの人生が決まること、結婚のことも知らない。だから、彼らが何を話しているか理解できなかった。でも、笑っているから良い話なのだろうとイェーナは思った。

 そして、件の馬上槍試合になった。イェーナたち王族は特等席で一か所に集まって観覧することになっている。イェーナはカミラに連れられ、一番前の席に座った。

 イェーナは観衆が続々と集まってくるのをワクワクしながら眺めた。そのすきにカミラはイェーナのそばを離れた。イェーナはどんどん盛り上がっていく会場に夢中になっていたので、カミラが姿を消したことに気づかなかった。

『カミラ様がいらっしゃいません』

『見かけたらお連れしろ』

『カミラ姫を探せ!』

 気づけば緊迫した空気が漂っていた。イェーナは不思議に思って後ろを見た。大人たちがただならぬ空気を纏って動き回っている。イェーナはどうしたのかカミラに聞こうと思って横を見た。しかし、そこにカミラの姿をはなかった。イェーナは急に不安になって泣きそうになった。

『カミラはどこだ!』

 国王が叫んだ。この伝統的な祭典にはウィンリア王国の国賓も多く訪れている。それなのに、一番盛り上がるイベントが始められないのは大問題だ。特にウィンリア王国国王、他王族にかっこ悪いところは見せられない。国王は焦っている。国王は娘ではなく、儀式の成功を心配している。

 その時、観客たちが騒ぎ始めた。無論、もともと騒いでいたのだが、今何か空気が変わった。

 イェーナは皆が視線を集めている場所に目を向けた。他の王族たちも試合会場の中央を見た。そこにはカミラの姿が立っていた。だが、その姿は皆が想像していたものとだいぶ違った。カミラは女性用の伝統的な民族衣装を着ることになっていたが、カミラは男性用の庶民的な服を着ていた。動きやすそうなズボンに装飾のない上着。一目では誰も彼女が王族とはわからないような格好だった。

 観衆が騒いでいる中、カミラはすっと右手を挙げた。その瞬間、会場が静まり返った。別に右手を挙げる動作自体に意味があったわけではない。ただカミラの動きに皆が集中して、話すことを忘れてしまっただけだ。

『我が名はカミラ・キングシュルト。キルメラ王国第一王女である。本日は、私のためにこうして集まっていただいたこと、心から感謝する。これほど豪勢で、嬉しい誕生日は初めてだ。ありがとう』

 カミラが右手を胸に当ててお辞儀をした。その瞬間、歓声が沸き起こった。皆がカミラの言動に釘付けだった。体から滲み出るカリスマ性が人目を惹きつけるのだ。

『ここで一つ、皆に伝えたいことがある。私はこれまでキルメラ王国の王家の人間として生きてきた。そのことを誇りに思っている。だが、私は同時に疑問を抱えてきた。この生き方は正しいのか。何度も考えてきた。そして、結論に至った』

 誰もがカミラの話に聞き入った。特別大きな声を出しているわけではないので、誰に言われるでもなく私語を慎む。

『やめさせろ』

 国王は嫌な予感を感じ、近くの家来に言った。しかし、家来は動かない。その間にもカミラは話を続けている。

『やめさせろ!』

 国王は痺れを切らしたように大声を出した。その声に皆が驚いて国王に視線を向けた。カミラは国王を睨むように見た。そして、言った。

『私は縛られずに生きていく。人生の伴侶を武力試合で決めるつもりはない。女にだって、弓を引く力はあるんだ』

 カミラは地面に置いていた弓矢を拾いあげ、弓を引いた。美しいフォームで射られた矢は力強く飛んでいき、国王の顔の横にあった柱に突き刺さった。偶然そこに刺さったのではない。狙ったのだ。

『自分の道は自分で決められる。心配しないで』

 最後にカミラはニコッと笑うと、試合場から退散した。その去る姿すら雄々しいものだった。

『カミラ様!』

『さっすが姫さんだ!』

『新しい時代よ!』

 王への反逆ともとれる行動に国民は歓声を上げた。決して国王を嫌っていたわけではない。波に逆らって進む勇者のようなカミラに感化されただけだ。熱に当てられて盛り上がっているだけだ。だが、国王がそれを面白くないと思うのは必然である。

『静まれ』

 国王は皆に黙るように言った。しかし、誰一人として聞く耳を持たなかった。

 イェーナは、いつも姉であるカミラに憧れていた。それがこの日、確実なものへと変わった。

『カミラねえさまー!』

 イェーナは椅子の上に立ち上がると、大きく手を振った。カミラはイェーナの声に気づくと、幕の後ろに入る前にイェーナに向かって投げキッスを贈った。

『とーめーにんげんがしゃべったー!』

『しゃべったー!』

 イェーナが珍しく大きな声を出したので、ジルとテオが驚いた。

 そうして、本来想定されていたものとはだいぶ違う形であったが、熱が冷めぬまま祭典は終わりを迎えた。

 国中がカミラの雄姿に熱狂していたが、全員が彼女の決断に納得したわけではなかった。国王はその第一人者だった。

『イェーナ、もうカミラには近づくな』

 カミラの誕生日の翌日、国王はイェーナにカミラに近づくなと命令した。カミラのことを尊敬していたイェーナにとって、このことがどれだけ衝撃的なことだったか。イェーナは当然父親を許せないと思ったが、逆らう勇気も力もなかった。

『それと、来年からウィンリア王国に行け』

 メディカの次はテオかジルのどちらか、あるいは両方がウィンリア王国に行くことになっていた。年齢を考えれば当然のことである。しかし、国王である父親はイェーナをウィンリア王国に送り出すことに決めた。さらには、本来なら一年で終わるはずのところを五年も帰らせなかった。それもこれも全てイェーナをカミラから引き離したかったからだ。イェーナまでカミラの悪影響を受けたら、また大切な儀式が滅茶苦茶にされてしまうかもしれないと考えたのだ。

 国王の命令はイェーナの意思を完全に無視したものだったが、イェーナはいつか姉と会って話せると信じて我慢した。その間も、イェーナにとって最も尊敬する人物は変わらなかった。憧れは不変だった。だが、イェーナがキルメラ王国に戻った頃にはカミラの姿はなかった。イェーナは、詳しい事情は知らされず、カミラは城を出て行ってしまったということだけを聞いた。彼女がもう城に戻らぬことは、他の兄弟たちを見て知った。あんなに仲が良かった兄弟たちは同じ城の中にいるというのに一言も会話をせず、それぞれが孤立していた。イェーナ以外の兄弟たちもカミラのことが大好きだった。だから、カミラが城を去ったことをきっかけに、兄弟は皆バラバラになってしまった。たった一人、たった一つの行動で一家の全てが変わってしまった。

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