26. 構ってほしいんデスケド。
リュクラル史学会の視察が入ってから一週間。ルキナは、シアンが国家魔法技術士に依頼することを拒んだ理由を知ることになった。
お決まりのようにルキナとシアンが一冊の本を一緒に読んでいると、チカとティナがやってきた。ルキナはティナがシェリカと一緒に現れなかったことを不思議に思ったが、ティナは数日の休暇をもらい、私用でリュツカ家を訪ねてきたようだった。
ルキナはシアンがチカとティナを呼んでいたことを知らず、二人の登場にかなり驚いた。そんなルキナをよそ眼に、シアンは二人を秘密の部屋に連れて行った。あの部屋の魔術をチカとティナに解明してもらうのだ。夏休みが始まる前の時点で、シアンは二人とその約束を交わしていたらしい。魔術研究科のチカたちにとって、あの秘密の部屋と水晶はとても興味深いものなのだろう。シアンと一緒に部屋に入ったきり、何時間も戻ってこなかった。
(今日はリュカとミカが来る日だっていうのに、ずっと出てこないつもりかしら)
ルキナは、シアンが構ってくれないのを面白くないと思った。シアンだって好きなことがあるし、その専門的な話が通じる相手と話せるのは楽しいことだろう。しかし、シアンがそちらに行ってしまったら、ルキナは一人になってしまう。使用人が忙しそうに廊下を歩いているとはいえ、一人で過ごすには屋敷が広すぎて寂しく感じる。
(でも、邪魔はしたくないし)
ルキナはシアンのところに突撃してやろうかとも思ったが、そんなことをしたらうざがられるに決まっている。ルキナは諦めて一人の時間を過ごすことにする。どうせ小説の締め切りが迫っていて、いずれ執筆作業に集中しなければならないのだから、シアンたちが戻ってくるまで部屋に籠って小説を書くのも良いだろう。
(元非リアオタク女子をなめるんじゃないわよ)
ルキナは変な気合を入れて自室に向かった。リュツカ家にもともとルキナの部屋があったわけではないが、何回かこの屋敷に泊まりに来ているうちになんとなく定位置が決まり、実質ルキナの部屋になった。ルキナがリュツカ家に身を置くことに決めてからは、さらにルキナの部屋という意識が高まり、私物がどんどん増えていった。おかげで十分環境が整い、執筆作業に集中できるようになった。
ルキナは部屋に入ると椅子に座り、鍵をかけていた引出しから書きかけの原稿用紙を取り出すし、机に向かった。ルキナは小説家として名がそこそこ知れ渡り、立場が安定してきたことで、作品を出す頻度が落ちていった。これはルキナがさぼっているというわけではなく、無理に頑張る必要がなくなったということだ。今なら固定ファンのおかげで新作が出るまでのスパンが長くとも、必ず買ってくれる人がいる。名前を売ろうと、とにかく量を書いていた頃とはわけが違うのだ。
ルキナは時間も忘れて小説に没頭した。小説のことを考えている間は、シアンのことも忘れ、何の音も聞こえてこなかった。そうして熱心にペンを動かしていたが、集中力が切れた週間に下の階から子供のはしゃぐ声が聞こえてきた。
(ミカの声?)
ルキナははっとして顔を上げた。時間を確認すると、もう昼を過ぎていた。リュカとミカがやってくる約束の時間もとっくに過ぎていた。
ルキナはペンを置き、原稿用紙を引出しにしまうと、急いでリビングに向かった。そこではシアンが双子の相手をしていて、双子はシアンに遊んでもらえて喜んでいた。
「ごめん、シアン。私が相手するつもりだったのに」
ルキナはシアンに駆け寄り、声をかける。シアンは、リュカたちが来たことを報せようと一度ルキナの部屋を訪ねていたが、ルキナが集中しているところを邪魔することはできなかったので、何も言わずに一人で子供たちの相手をしていた。ルキナは、せっかくシアンがチカたちと楽しんでいたのに、それを中断させてしまったのを申し訳なく思う。
「シアン、もう行っていいよ。私が面倒見とくから」
ルキナが双子の相手を代わると言うと、シアンがきょとんとして「え?行くってどこにですか?」と言った。シアンはルキナの気遣いを全く理解できていない。ルキナは、チカたちのところだと答えると、シアンは行かないと言った。
「二人ならまだやってるとは思いますけど、僕は行きませんよ。ルキナにリュカたちを任せてるのに…。」
シアンはルキナ一人に双子を任せるわけがないと言った。それを聞いて、ルキナはシアンを睨んだ。
「私に双子のお守りを任せるのは不安だって?」
ルキナが怒ったように言うと、シアンが「そういう意味ではありません」とすかさず否定した。シアンは、ルキナのことを頼りないと思って、ルキナに双子を任せておけないと言ったのではない。ルキナばかりに苦労をさせるつもりがないというつもりで、シアンは言ったのだ。ルキナもそれはわかっている。さっきまでルキナをほったらかしにしていたくせに、双子のことは構ってあげていたのが悔しくて、意地悪を言いたくなっただけだ。
ルキナとシアンが双子に聞こえないように話をしていると、ミカがドンっとルキナの脚に体当たりし、抱きついた。
「オジョウ!」
ミカが全力で愛情表現をする。ルキナは、ミカの力が強くなったのを感じ、受け止めるのも少し大変になってきたことを実感する。
「二人とも少し見ないうちに大きくなったわね」
ミカを脚から離れさせ、しゃがむと、双子の顔をそれぞれ見て言った。今はミカの方が少し身長が高くなり、顔つきも変わってきた。二卵性双生児なので、何もかもそっくりの双子のまま成長するのは難しい。これなら二人を見分けることはさほど難しいものではなさそうだ。
「リュカ、今日は可愛いを恰好してないのね」
リュカは一年ほど前にゴスロリに目覚め、季節など気にせずにいつでもゴスロリの恰好をしていたはずだ。しかし、今は暑い夏も元気に駆け回っていそうな男の子の恰好をしている。
「僕、好きな恰好をするのは家の中だけにしたんだ」
リュカがニッと笑う。ルキナは、学校で女の子の恰好をしていることでいじめられてしまったのではないかと心配する。しかし、リュカが外でゴスロリの恰好をしなくなったのは、そういう外的な要因があったからではない。リュカは、可愛いものを見に着けるのが好きだが、それを誰かに見てもらいわけではない。だから、わざわざ大切な服が汚れそうな場所にお気に入りの服を着て行きたくないと考え、外出時は男の子らしい恰好をするようになったそうだ。
「まあ、リュカがいいならそれでいいけど」
ルキナは、イジメではないということにほっとして、胸をなでおろした。その時、ルキナと向かい合って大人しくしていた双子がパッと走り出した。ルキナの両サイドを走り抜け、ルキナの後ろにいる者に向かって走って行く。
「子分だ!」
気づけば、リビングの入り口にチカがいた。初めて会った頃から、二人ともチカのことを子分と呼んで気に入っていたが、まだそのことをちゃんと覚えているようだ。学校の授業がある間、同じ王都にいるとはいえ、そんなにしょっちゅう会うことができない。子供たちは、大人が予想していないような意外なことを無駄に覚えていることがあるが、逆に、大人が覚えていて、期待している時は、無常にも忘れ去られていることがある。今、チカは双子に顔を覚えてもらえていたことを喜んでいるが、期間が空いていたのに双子が覚えていたのはチカが相手だったからに違いない。
ルキナは、双子が自分から離れて行ってしまったのを少し残念に思ったが、自分がまだ昼食を食べていないことを思い出し、チカが双子を構ってくれている間に食事を済ませておくことにする。
ルキナはたまたま近くにいたメイドに声をかけ、一人分の昼食を用意するようにお願いした。皆と同じタイミングで食べなかったので、厨房の者に迷惑をかけることになる。ルキナはそのことをとても申し訳なく思ったが、だからといって昼食抜きというのも辛いものだ。
ルキナがダイニングで一人座っていると、若いメイドが料理を運んできた。ルキナは、彼女の顔をみたことがないことに気づく。
「あれ?見ない顔ね」
ルキナが声をかけると、メイドは料理をルキナの前に置いた後、深々とお辞儀をした。精錬された美しい所作で、同性のルキナも思わず見とれてしまった。
「ご挨拶もせずに申し訳ありません。カローリア・メイレンと申します。昨日付けで配属されました」
「昨日?」
ルキナは、メイドが一人増えていることに全然気づかなかった。雇い主ではないとはいえ、ルキナに挨拶があるべきだったし、本人からの挨拶の有無にかかわらず、誰かそれとなく教えてくれても良かったはずだ。ルキナが眉をひそめていると、カローリアが怯えたように、「シアン様にルキナ様へのご挨拶は後日にするよう言われまして…。」と言った。カローリアがルキナのところに挨拶に来なかったのはシアンが止めていたかららしい。
「へー、シアンが若い女の子をね…。」
シアンがルキナの知らないうちに同年代のメイドを新しく雇い、しかも、それを意図的に伝えてこなかった。怪しいと言わざるを得ない。ルキナが意味ありげな視線を送ると、カロ―リアが慌て始めた。
「シアン様とは何もありませんよ」
「そうやって言われる方が怪しいんだけど」
カローリアがシアンとのいかがわしい関係はないと一生懸命否定するが、そうやって言えば言うほど、むしろ怪しく聞こえる。ルキナがそのことを指摘すると、はっとして口を噤んだ。
「まあ、いいわ。年が近い人がいてくれると、私も嬉しい。よろしくね」
カローリアは話をする限り良い人そうだし、立場の弱い彼女ばかり責めるとかわいそうだ。ルキナは、後でシアンを問い詰めることにして、カローリアには笑顔で対応する。ルキナが笑いかけると、カローリアはあからさまにほっとして、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
ルキナは、カローリアに給仕され、昼食をとった。一人で食べるのは寂しかったので、カローリアに話相手になってもらった。そこで彼女の出自や勤務内容を聞いた。カローリアは基本的にキッチンで仕事をしているそうで、だからルキナは彼女の存在に今日になるまで気づくことができなかった。
「…これ美味しい」
ルキナは話の合間に、料理の感想を呟いた。リュツカ家では初めて出てきた料理だが、ルキナはそれを美味しいと思ったので、また作ってもらうように厨房にお願いしに行こうかと考える。ルキナが珍しい料理に感動していると、たまたまルキナの呟きを聞いていたカローリアが「ありがとうございます」と照れた。
(なんでカローリアが照れるの?)
ルキナは、カローリアの顔を見て、首を傾げる。そして、考えてみれば当たり前の答えにいきつく。
「もしかして、カローリアが作ったの?」
ルキナが尋ねると、カローリアは謙遜しがちに肯定した。昨日の昼食からほとんどの料理をカローリアが作っていたと言う。ルキナは知らないうちにカローリアの料理を食していたようだ。
「私、カローリアの料理好きかも。とっても美味しいもの」
ルキナが素直な感想を述べると、カローリアは嬉しそうな顔になった。自分の料理を人に褒められるのは誰だって嬉しい。
ルキナは楽しく昼食をいただき、最後にカローリアにお礼を言った。ルキナは、カローリアのことが心底気に入った。まさにルキナはカローリアに胃袋を掴まれた。
(夜ご飯も楽しみだわ)
ルキナがほくほくした気持ちで廊下を歩いていると、不意に背後から視線を感じた。ルキナは立ち止まって、ゆっくり振り返った。物音もしなかったので、後ろに誰もいないかもしれないと思い、ルキナはホラー映画並みにゆっくりドキドキしながら後ろを確認した。そこにはちゃんと人がいて、でも、だからといって、驚かずにすんだわけではなかった。
「ティナ、びっくりするから何も言わずに背後に立つのやめてくれる?」
ルキナの後ろにいたのはティナで、相変わらずの無表情でルキナに視線を送っていた。何か用があって後ろについてきたのだろうが、用があるなら声をかけてくれれば良かった。何も無言で視線ばかり送ってくることはなかった。
「四頭会議に行かなくて良いんですか?」
ルキナがドキドキしていると、ティナは唐突に四頭会議の話を始めた。夏と言えば四頭会議の時期だ。第一貴族リュツカ家の当主となったシアンも、四頭会議に参加する義務と権利を有している。のんびりと屋敷で過ごしている暇はないはずだ。ティナはそれがずっと気になっていたそうだ。
「ティナって意外とマイペースよね。シェリカがいる時はあんまりわかんないけど」
ルキナは、ティナは強引なところがあると思っていたが、そこまでマイペースだとは思っていなかった。それは、チグサのような強烈なマイペースキャラがいるせいでもあるだろうが、やはり、ティナはシェリカのわがままに振り回されているイメージがあるせいというのが一番の理由だろう。ティナの本性が周りのより強い個性に隠されてしまっていたのだ。
ルキナがティナの性格について話している間も、ティナはじっとルキナの顔を見て、質問の答えを待っていた。興味のない話には相槌を打つ気すらないらしい。ルキナは別にそれで気を悪くしたりはしないが、さっき気配もなく背後に立たれたせいもあって、少し怖く思った。
「学生のうちは学業を優先しろってさ。シアンも今は会議の方はお休み」
ルキナは、ティナのために彼女の気になっていることを答えてあげる。すると、ティナは満足したように一度頷く。そして、なぜか話が戻って「私はマイペースではありません」と言った。ティナはやはり強引でマイペースだった。
ルキナが遅めの昼食をとった後は、双子を連れてツェンベリン家を訪ねた。ロリエは、シュンエルの兄、キーシェルの服をリュカのために譲ってくれた。ルキナはリュカを連れてそのお礼を改めてしようと思ったのだ。
「あら、この子がリュカ君ですね」
ルキナがツェンベリンを訪ねると、ロリエが顏を見せ、リュカに気づいた。リュカがキーシェルからのお下がりを身に着けていたので、すぐに理解したようだ。幼い頃のキーシェルを見ているようで懐かしいと笑う。
「今、シュンエルは夫と一緒に畑の方に行ってまして」
シュンエルは、夏休みに入ってすぐに真っ先に帰省していた。だから、ルキナは、会おうと思えばいつでもシュンエルには会えるだろうと思っていた。だが、畑仕事をしているところを邪魔してまで会おうとは思わない。それはさすがに申し訳ない。
ルキナは、ロリエにお礼に来たのだから構わないと答える。その後、ルキナはリュカに合図を送った。
「あの、服、ありがとうございました」
リュカが母親から持たされたお菓子の箱をロリエに差し出す。ロリエはお礼を言って受け取り、家に入るように言った。シュンエルの焼いたクッキーがあるし、お茶を淹れてもてなすと言う。
「「クッキー!?」」
クッキーという単語に双子が食いついた。輝かしい期待の目をロリエに送る。ロリエは、子供が大好きなようで、顔をほころばせて「中へどうぞ」と双子を家の中に入れた。ルキナはお礼に来たのにもてなされるのは申し訳ないと思い、すぐに帰るつもりだったが、双子が勝手に入っていってしまったので、付き添うしかなくなってしまった。
「ミューヘーン様、いらっしゃってたんですね」
双子が喜んでクッキーを頬張っていると、シュンエルが帰ってきた。シュンエルは、双子が満足するのを待っている間、ルキナの話相手になってくれた。家がにぎやかだと嬉しいと言うロリエは、ルキナたちに夕食もごちそうすると言ってくれたが、さすがにそれは遠慮されて、夕食はいただかずに帰った。
屋敷に戻ると、夕食を食べた。双子とティナ、チカは泊っていくので、いつもより賑やかな夜になった。
ルキナは、夕食の後、自室で日記を書いた。その日あったことをノートに書き綴っていく。ルキナが黙々とペンを動かしていると、シアンがルキナの部屋にやってきた。ルキナの入浴の番になり、シアンが呼びに来てくれたのだ。
シアンがルキナの傍に来て、ルキナの手元を覗き込んだ。ルキナが書いているのが小説じゃないとわかると、内容を見ないようにそっと目をそらした。
「別に見ても問題はないわよ。ただの日記だから」
ルキナが日記を書いていたと言うと、シアンは日記ならなおさら見られないと言い返した。ルキナはたしかにそうだと思った。
「日記書くのは苦手とか言ってませんでした?」
シアンがルキナの手元から視線を外したまま言った。ルキナはたしかに日記を続けるのが苦手だったが、今のところは最長記録を更新し続けている。それは、ルキナの中に一つの意識が芽生えたから。それは、頭の中に保存しておける記憶には限りがあるということ。
「魔法で記憶を消されたからですか?」
ルキナが日記を始めた理由を言わないでいると、シアンがルキナの黙っている理由を察して言った。ルキナが否定しようと顔をばっと上げた。そこにあったシアンの顔は悲しそうだった。
「あれはシアンのせいじゃないよ」
ルキナが日記を始めたのは忘却魔法を受けて、自分の記憶の脆さを実感したからだ。しかし、シアンが何か悪いわけではない。シアンが悲しむことは何もないのだ。
「ところでシアン、カローリアって子、いつの間に雇ったの?」
ルキナは話を変えることで、シアンの悲しい顔も変えようとする。ルキナが意識的に明るい声で言うと、シアンもルキナに合わせて笑顔を作る。
「あ、もう会ったんですか?」
シアンはまだルキナにカローリアのことを隠すつもりだったらしい。ルキナにバレているとわかると、シアンはなぜか残念そうにする。
(なんでそんなのバレたくないわけ?浮気?…まあ、よりによってシアンがそんなことするわけないわよね)
カローリアの反応を見てもあり得ないとは思ったが、一応、浮気でもしているのではないかと疑う。シアンを信用していないわけではないし、シアンがそこまで器用だとは思っていないので、シアンが何かを企んでいるとしても、ルキナが変に勘繰る必要はない。
「なんで私には教えてくれなかったのよ」
ルキナは頭の中でぐるぐる考えるのはやめて、ストレートに尋ねる。シアンもこれ以上隠す気もないようで、素直に答える。
「驚かせようと思ったのと、メイレンさんの料理が口に合うかルキナに確かめたかったんです」
「料理?」
「いずれわかります」
シアンは何かこの先のことで考えていることがあって、カローリアの雇用もその一環らしい。詳しいことはまだ話してくれなさそうだが、いつかわかるとシアンが言うのならそうなのだろう。ルキナはそれで話を終えた。
「お風呂だったよね?さっさと行ってくるわ」
ルキナは椅子から立ち上がり、スキップ気味に扉に向かった。その様子を見たシアンが「ご機嫌ですね」と言う。ルキナはくるっと振り返ると、「シアンが構ってくれたからね」と満面の笑みを見せる。シアンは照れたように頭をかいた。




