25. 密かな計画デスケド。
夏休みが始まり、一週間も経つと、ルキナはシアンと一緒にリュツカ家の屋敷に帰った。これまではルキナは自分の家に帰省していたが、長期休暇にはシアンの家で過ごすようになった。ルキナはシアンと一緒にいたいのでその選択は迷うことがなかったが、家に母親だけ残すのもかわいそうだと思った。夏の間は四頭会議でハリスが家を空ける。そのうえルキナも帰らないとなると、メアリは一人になってしまう。ルキナは、タイミングを見てミューヘーン家に顏を見せに行くべきかもしれないと考える。だが、しばらくの間、それは難しい。リュツカ家に来客があり、ルキナも残る必要があるからだ。
「シアン、この橋がどうのこうのってどこから来たの?」
「えっと…この文じゃないですか?これがイシェロ語で橋って意味で…」
「橋って意味の単語は何個もあるの?」
「橋は例外に含まれると思いますよ。基本的には、さっき言ったように、対象の物が近くにある時と遠くにある時で単語の形が変わるんですけど、時々、完全に単語そのものが変わってしまうものがあるんですよ」
この日、客が来ることになっているが、ルキナは客が訪ねてくるまで勉強をしていた。勉強といっても趣味というだけなのだが、他国の言語に詳しいシアンに外国の本の読み方を習っているのだ。キルメラ王国への留学では絶対に使わない知識だが、今後も『りゃくえん2』の攻略対象に出会ていく中で、多少の言語の知識はあった方が必要となるかもしれない。ルキナの記憶では、『りゃくえん2』の攻略キャラはウィンリア王国国内にいることの方が少ない。外国の知識は少しでもある方が良い。
ルキナとシアンが椅子を横に並べて一つの本を二人で覗き込んでいると、マリアが客が来たと声をかけに来た。
マリアは、シアンがリュツカ家に戻ってきたのと同時にリュツカ家に再雇用された。マリアはこれまで通りリュツカの屋敷のメイド長を担っているが、雇用主がミューヘーン家からリュツカ家に戻った形になった。マリアは、シアンの両親の代からリュツカ家で働いていたので、シアンがリュツカ家に身を落ち着けるようになると、主人が戻ってきたことをたいそう喜んだ。彼女の仕事ぶりは以前にも増して生き生きしているように見える。
「おじい様がいらしたのね」
ルキナは椅子から下りると、シアンと本を残して玄関に走って行った。そこにはルキナの祖父、ヒルトンが立っていた。
「おじい様、お久しぶりです」
ルキナはスカートをちょんとつまんでヒルトンにお辞儀をする。ルキナは普段祖父と話す時も敬語を使わないが、こうして久しぶりに会う時は最初にしっかり挨拶をするようにしている。ヒルトンも、ルキナの丁寧な挨拶がお気に召したようで、優しい笑顔で「久しぶりだな」とルキナの頭を撫でた。
「おじい様、おばあ様は元気?」
「ああ、元気だ。一緒に来たがっていたが、ユネルにはつまらないだろうからおいてきた」
「最近はデートしてるの?」
「なんでデートなんぞしなならんのだ」
ルキナとヒルトンが玄関で話をしていると、シアンが遅れてやってきた。ヒルトンは、シアンに気づくと、途端に不機嫌になった。
「年頃の男女がひとつ屋根の下で暮らすっていうのはいかがなもんなんだ」
ヒルトンは、シアンを見るなりいきなり文句を言った。
「えっと…。」
シアンは、自分にだけ当たりが強いヒルトンに戸惑う。ヒルトンは、自分の息子がシアンを使用人として雇い、ミューヘーン家に住まわせていたことを反対したことはなかった。多少のためらいはあったが、ルキナに同い年の友達ができることを喜び、シアンをミューヘーン家に出入りさせることにあまりいい顔をしない親戚たちの説得もしてくれた。少し前までは、ヒルトンもシアンに優しく接してくれていたのだ。それが一変して、ヒルトンはシアンに軽蔑の目を向けている。
「ハリスの奴、簡単に許可を出しおって」
ヒルトンはかわいい孫が親元を離れてシアンしかいない屋敷で生活していることに納得がいかないようだ。ハリスはルキナの気持ちを尊重して、好き勝手やらせてくれているが、ヒルトンはそうはいかなかった。たとえ相手が守るべき対象だと思っていたシアンであろうとも、孫をたらしこむ悪い男に見えている。
「他に人いるって」
ルキナは、何も二人きりで暮らしているわけではないのだから大丈夫だと言う。しかし、ヒルトンは「使用人だろう」と一蹴する。使用人はほぼ力をもたず、シアンが屋敷の中で最も上の立場にある。上に立つ者が信用ならんのだから、使用人も信用できるわけがなかろうというのがヒルトンの言い分だ。
「もう、おじい様もシアンのことはよく知ってるでしょ?」
ヒルトンはついこの間までシアンと普通に話していた。ミューヘーン家で一緒に暮らしていた頃に、シアンを信用できないなどと言ったことはない。ルキナはヒルトンに過去のことを思い出させようとする。
「なんで急にシアンに意地悪するの?」
「それはこいつが常識も理解できない奴だと知らなかったからだ。知っていたら、ハリスに面倒を見させなかった」
「シアンは常識人よ」
「常識を知っていたらルキナを家に呼ばないだろ」
ルキナとヒルトンが言いあっていると、シアンが申し訳なさそうに「すみません」と言った。ルキナとヒルトンは仲が良く、このように喧嘩をしたことなどなかった。その原因が自分だとわかれば、シアンが謝るのも当然のことだ。
「シアン、謝る必要はないわよ」
「いーや、謝られても許さん」
ルキナとヒルトンが同時に言い、ピッタリ声を合わせる。シアンはルキナとヒルトンの顔を交互に見て、その後、肩身狭そうに俯いた。
「そもそもおまえたちはどういうつもりなんだ」
ヒルトンがため息混じりに言った。ヒルトンは、ルキナとシアンが一緒に暮らす理由がないだろうと言う。ルキナは、そんなヒルトンに「恋人なんだから一緒にいたいと思って当然でしょ」と言い放った。ルキナは言った後に少し恥ずかしくなって気まずそうにする。一方、ヒルトンは血相を変え、照れているルキナの両肩をがしっと掴んだ。
「ルキナにそういうのはまだ早い」
ヒルトンがルキナに恋人という関係を解消するように言った。それに、ルキナは「年頃ってさっき言ってたのに」と口を尖らせる。
「成人してるのに、それでも早いって言うのなら、いつなら良いの?」
ルキナはヒルトンの手を肩から外させ、問う。ルキナは、ヒルトンにできれば自分たちのことを理解してほしいと思っているので、ヒルトンの考えを順番に聞き出す。
「…十年後」
ヒルトンは少し考えるように黙った後、絞り出すように答えた。
「おそっ。花の命は短いのよ。そんなこと言ってたら、婚期逃しちゃう」
「自分で言うな、自分で」
ルキナが素直なリアクションをすると、ヒルトンが呆れたようにため息をついた。シアンはともかく、ルキナの説得は難しいと理解したらしい。孫に優しくありたいヒルトンは、諦めたように、ルキナが自由にすることを許す。
「何かあったらすぐに逃げるんだぞ」
ヒルトンは、一応はシアンと同じ家で暮らすことを許したが、ルキナにしつこく注意をした。心配なものは心配らしい。
長々と話していたため、玄関から移動する前に、次の客が来てしまった。
「コルト殿、久しいな」
コルト・イースと名乗る白髪の男性が現れると、ヒルトンがコルトに握手を求めた。コルトはリュクラル史学の学会の長のようなものを務めている人物だ。今日はルキナたちがコルトをリュクラル史の学者としてここに招いた。そして、ヒルトンはコルトの旧友。今回、ヒルトンがリュツカ家を訪ねてきたのは、シアン、ルキナとリュクラル史学会の人間を繋げるためだ。といっても、ヒルトンとコルトもここ最近は手紙のやり取りだけで、実際には会ってなかったようだが。
また玄関で長い話が始まりそうになったところで、マリアがやってきて、深々とお辞儀をした。
「紅茶をご用意いたしましたので、どうぞこちらへ」
マリアが気を利かせて招待客が揃うまでの待ち場所を用意してくれた。ルキナたちは全員そちらに移動した。しばらくすると、他の学会の者たちも順番に集まり始めた。その中には、シャクラもいた。
「孫がお世話になっております」
シャクラが現れると、ヒルトンがすかさず挨拶に向かった。ヒルトンもルキナ同様シャクラのファンだ。シャクラの本はもれなく読んでおり、その憧れの人が目の前にいるとなると、渋い顔がデフォルトのヒルトンだって今まで見せたこともないような笑顔を見せる。
「こちらこそ、ミューヘーンさん…ルキナさんにはいつもお世話になっています」
シャクラがヒルトンと握手をし、挨拶を返す。
一通り挨拶を終えると、ヒルトンは、シャクラから離れて、素早くルキナのもとに戻った。そして、頬を緩ませて言うのだ。
「握手してもらっちゃった」
ヒルトンが推しに会えたことに歓喜するJKのような反応を見せる。ルキナはヒルトンの気持ちがとてもよくわかるので、ヒルトンがらしくない言動をしても特に気にしない。代わりに、ルキナの傍にいたシアンがぎょっとした。
「サインはもらった?」
ルキナも思わずテンションを高めながら、ヒルトンとひそひそと話す。
「前、ルキナに代わりにサインをもらってきてもらったのに、何回もサインをせがむなんて図々しくないか?」
「たしかに。でも、ダメもとで聞いた方が良いよ。ディメラルシェ先生、すっごく優しいから、きっと良いよって言ってくれるよ」
「後で声をかけてみるか」
「そうそう。せっかくだからたくさん話せると良いね」
ルキナとヒルトンがきゃっきゃっしていると、招待客が全員揃ったと報告が入った。ルキナたちははしゃぐのをやめて、真面目な顔に切り替えた。
「本日は、お忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。さっそくですが、事前に説明させていただきましたものを見ていただきたいと思います」
シアンが皆の前で挨拶の言葉を述べ、先導きって移動を始めた。今回、リュクラル史学会の人を集めたのは、この屋敷に眠るリュツカ家の過去の記憶を専門家に見てもらうという目的があってのことだ。これが夏休み前からルキナとシアンが計画していたことで、チグサにも協力を仰いだ。リュツカ家の記憶にはチグサの記憶も含まれているので、本人の許可なく、他人に視聴させるのはためらわれた。チグサは快く許してくれて、こうして計画を実行に移すことができた。
シアンは皆を資料保管室に連れて行くと、秘密の部屋の扉を開けた。その時点で、「おお」と歓声が上がったが、学会の目的はそれではないので、迅速に部屋の中へ移動した。
秘密の部屋に入ると、シアンが中央の水晶玉に触れ、記憶の投影を始めた。最初に映し出されたのはルーエンが王になった頃のもので、大人たちは興味津々といった様子で見入っていた。そうして区切りの良いところまで見終えると、ざわざわと感想を言いあい始めた。
「ミューヘーンさんがあの時言っていたことがやっとわかりました」
シャクラの最初の感想は、映像の内容ではなく、過去のルキナとのやり取りに基づくものだった。ルキナは、シャクラに、リュクラル史の事実が全てわかる資料が見つかったらどうするかと尋ねたことがある。シャクラはその時のことを覚えていたようで、ルキナがあの時点でこのリュツカ家の記憶のことを知っていたことを理解したようだ。
「どうですか?これはリュクラル史の研究に使えますか?」
ルキナがシャクラに問うと、シャクラはすぐには難しいと答えた。その言葉を引き継ぐように、コルトが少し大きめの声で言った。
「このシステムの性質を調べるまではここで見たことを学会に発表することはできませんが、もし、記憶を保存したという人たちの思想が反映されていたとしても、大きな発見に違いありません」
コルトの話を聞き、各々感想を言い合っていた者たちが、リュツカ家の記憶が資料としての役割を果たせる確証が得られていないことを思い出し、感想を言うのをやめた。記録されている記憶が何にも影響を受けていない経験の記録そのものなのか、それに加えて記憶の持ち主の感情が反映されたものなのか。それによって、資料としての力が大きく変わる。とはいえ、歴史の資料なんていうものは、誰かが書いたもので、書いた者の思想が反映されていることがほとんどだ。たとえ、調査の結果、思い込みで改変された記憶であると立証されたとしても、重大な発見であることに変わりない。コルトは、リュツカ家の記憶を見ることができて良かったと言った。
「それなら、魔法技術士に依頼をした方が良さそうだな」
ヒルトンが水晶玉をまじまじと見つめながら言った。水晶やこの部屋に施されている魔法、魔術の解明が、今最も求められていることだろう。ヒルトンは、その道のスペシャリストである国家魔法技術士に依頼をすることを提案した。ルキナもそれが良いだろうと思ったが、シアンは、それより前にしたいことがあると言って、早急な依頼はしないと言った。
(シアンが自分で調べたいのかしら)
シアンはサイヴァンからの熱心な教育の結果、魔法にかなり詳しくなった。魔術研究科の学生には敵わないにしても、魔術の知識だって十分ある。自分で調べようと思ったら調べることができる。
「時間の縛りがあるわけではありませんが、早めに結果を出していただけると嬉しいです」
シアンがすぐには調査結果を出せなさそうなことを言ったので、コルトが少し急かすようなことを言った。コルトは、このリュツカ家の記憶の研究を早く進めたくてうずうずしているようだ。
「できるだけ早くします」
シアンはそう答え、コルトと調査結果が出たらすぐに連絡をするという約束の握手を交わした。その後、時間が許す限り、リュクラル史学会の者たちはリュツカ家の記憶を見続けた。




