17. 説明がほしいんデスケド。
ファレンミリーから約一か月が経った。七月に入り、完全に夏の気候になった。残念ながら、未だにタシファレドとアリシアのデートが実現に至っていない。文化祭が近づくにつれ忙しくなり、なかなか時間が作れないのだ。それでも、よっとこさ次の週末には予定が合わせられそうになったので、ルキナはそこを狙ってデートの計画を進めている。
(今日はアリシアちゃんを誘うのが良いかしら)
ルキナはそんなことを考えながら、ユーミリアが来るのを待った。今日の放課後も生徒会の仕事をすることになっている。これから二人で生徒会室に向かうのだが、ユーミリアが今さっき授業を受けていた教室に忘れ物をしたと言うので、ルキナは外で彼女が戻ってくるのを待っている。七月ともなると、日陰にいても、動いていなくても、汗でびっしょりになる。思った以上に、ユーミリアが帰ってくるのに時間がかかったので、屋内で待っていれば良かったと、ルキナは後悔した。
そうして、ルキナが一人で立っていると、チグサが通りがかった。マクシスも一緒だ。チグサは、ルキナに気づくと立ち止まって、ルキナの胸元を見た。
「シアンからもらった?」
チグサがルキナの首にかかっている指輪を指さして言った。
「え…、うん」
ルキナは話しかけられると思っていなかったので、驚いて反応が遅れてしまう。しかも、指輪の話をされるとは予想もしていなかった。指輪をもらったのは一か月も前のことで、今その話をする人は周りにもういない。完全に無防備状態だったので、チグサの問いは難しいものではなかったのに、返事に時間がかかってしまった。
チグサは、ルキナの返事に間があったことを特に気にする様子もなく、マイペースに「良かった」と言った。チグサののんびりな話し方に、ルキナはほっとするような気持ちになった。チグサも最近忙しいようで、なかなかこうして話をする時間がとれていない。チグサと話すこと自体、とても久しぶりだ。それこそチグサの中での話題がファレンミリーで時が止まっているくらいに。
「チグサと一緒に買いに行ったの?」
ルキナは、チグサが良かったと言っていた理由をなんとなく想像し、そう尋ねた。チグサはシアンが指輪を購入し、ルキナに渡そうとしていることを知っていたようだし、ルキナの手に指輪が渡ったと知って安堵している。そこから導き出されたのが、シアンがチグサと一緒に指輪を買いに行ったということだ。
「色が見えないからって」
チグサが頷き、答えた。ルキナは、「あー」と納得したように相槌を打った。シアンは普段の生活では違和感を感じないが、視力を完全に失っている。シアンが器用で、魔法の能力に長けているから忘れがちになるが、シアンは色すら識別できないのだ。だから、シアンが誰かに頼んで買い物についてきてもらうという手段を取るのは、普通に考えればわかることだった。
それでも疑問に思ったのは、シアンがサイズを無視して指輪を買ったこと。チグサが一緒なら、サイズのことを知ることができたのではないか。まさかチグサまで指輪にサイズがあることを知らなかったわけではないだろう。ルキナがそのことを問うと、チグサは、シアンが指輪を買う瞬間まで見ていたわけではないから、シアンがサイズの確認もせずに買ったことも知らなかったと答えた。
「そうよね。何も初めてのおつかいでもあるまいし、そんな最後まで見守ったりしないわよね」
ルキナは、チグサから聞いた真相に腑に落ちない気がしたが、全ての出来事に明確な理由があるわけではないのだから仕方ないと思った。結局、シアンがアクセサリーに詳しくなかったというだけの話なのだ。ルキナがシアンは物知りなのに時々抜けてるところがあるんだよなと思っていると、マクシスが「でも、そのお店、不親切だよね」と言った。
「どういうこと?」
ルキナはマクシスの言っている意味がわからなくて、間を置かずに尋ねた。
「ほら、ああいうお店って普通、買う時にこのサイズで間違いないですかって聞かない?」
マクシスの答えを聞いて、ルキナは「たしかに」と頷いた。
「だから、不親切ね」
言われてみれば、購入時に店側がそういうことを確認しても良さそうだ。だからといって、店を責めるつもりはないが、多くの店がサイズの確認をするだろうから、不親切だという評価をされても仕方あるまい。
「それに、お店に行ったら、サイズって直してもらえるんじゃない?もしかして、行っても直してもらえなかったとか?」
「ううん。私も、お店に行ったら直してもらえるかもとは思ったけど、これはこれはこのままの方が良いのよ。完璧なプレゼントより、思い出よ」
「興味深い意見だね」
ルキナが納得して指輪をそのままのサイズにしていると聞き、マクシスが笑顔になる。
「それじゃあ、先に行ってるね」
チグサとマクシスも生徒会室に向かっている途中だったようで、マクシスが「またあとで」と言う。二人が歩き始めた時、ルキナはチグサに聞いておかなければならないことがあったことを思い出した。せっかくチグサに会えたのだから今聞いておくべきだろう。
「あ、そうだ。チグサに確認しておきたいことがあるんだけど…」
ルキナは慌てて二人を引き留め、チグサにとあることを確認した。チグサはルキナの提案を快く受け入れ、許可をくれた。そして、用がすむと、チグサたちは今度こそ本当に生徒会室に向かって歩いて行った。
再びルキナが一人になると、建物の中からパタパタと階段を駆け下りる音が聞こえてきた。
「せんせーい!」
ユーミリアの声だ。やっとユーミリアが来たのだろう。ルキナはユーミリアが顔を見せたらすぐに「遅い」と言うつもりで、足音のする方を見た。
ユーミリアは、最後の数段をジャンプして飛び降りると、ルキナのいる出口に向かって駆ける。ルキナが用意していた文句を言おうと口を開きかけた時、突然、ルキナの手首が誰かに掴まれた。ルキナはそのまま引っ張られ、無理矢理走らされる。
「ちょっと!」
ルキナが連れ去られ、ユーミリアが怒る。せっかくルキナが自分を待ってくれていたのに、あと少しのところで奪われてしまったのだから怒るに決まっている。
「シアン?」
ルキナは、走りながら、前を行く人物の名前を呼ぶ。
「時間がありません。急いでください」
ルキナを連れだし、急ぐように言うのはシアンだ。シアンは、ルキナを走らせる理由も語らない。ルキナは、仕方なく、シアンに従って走る。
二人は、生徒会室もある中央塔に向かって行った。ルキナは途中まで、生徒会室を目指していると思っていたが、どうやらそうではないらしいことに気づいた。生徒会室のある三階まで上らず、二階で止まったからだ。
「間に合った」
出入口が開放されている会議室に入ると、シアンが安堵の息を吐いた。シアンが息を整えるように大きく息を吸った。視力を失い、聴力も人並みまで衰えたシアンは、体力も普通の人と同じくらいまで落ちている。竜の血が薄くなったとかで、身体能力が全て普通の人と同じになったのだ。だから、以前はこの程度走ったくらいでは息が切れていなかったのに、今は見ての通りへばっている。
「ちゃんと説明しなさいよ」
ルキナも息が乱れており、いきなり走らされたことを恨むようにシアンを見る。こんなに暑い日に外を走らされたら喉もカラカラだ。
「すみません。ルキナに聞いてほしい説明会があったんです」
シアンはそう言って、汗を拭った。
「何事かと思ったじゃない」
ルキナは、シアンから突然ここに連れてこられた理由を聞き、少し落ち着く。何も説明もなしに走らされたものだから、変な事件に巻き込まれでもしたのかと思った。
気持ちが落ち着いて来ると、視野が広くなってくる。この会議室には机と椅子がたくさん並べられており、既に集まっていた生徒たちがバラバラに座っている。彼らもシアンの言う説明会とやらに参加するのだろう。
そして、ルキナはまだしなければならないことがあることに気づく。
「参加するのは良いけど、生徒会に欠席の連絡してないわよ。言ってくれれば、ユーミリアに伝言を頼んだのに」
幸い、ここは生徒会室の真下。シアンの様子を見る限り、説明会が始まるまでの時間が迫っているようだが、生徒会に欠席することを伝えに行って戻ってこられるだろう。
ルキナは、言うが早いか、さっそく生徒会室に向かって歩き出そうとしていた。しかし、それをシアンが止める。
「生徒会にはもう言ってあります」
シアンは、ルキナを迎えに行く前に、生徒会室に行き、ベルコルに欠席のことを伝えに行ったそうだ。シアンが直前に受けていた講義は生徒会室の近くで行われていたわけではなかったようなので、生徒会室に寄るのはだいぶ手間だったはずだ。シアンがルキナよりずっと長い距離を走っていたことについては称賛に値するが、生徒会への連絡など後回しにして、先にルキナのところに来てくれれば、こんなに疲れることもなかったはずだ。時間ギリギリでなければ、苦労せずに間に合っただろう。これに対し、シアンはその時は焦りすぎて冷静な判断ができなかったのだと弁解した。
「そもそも早めに連絡くれれば良かったじゃない」
ルキナは、だいぶ息が整ってきて、腕を組んでも話せるくらいになった。シアンに腹が立っていることを伝えるため、あえて腕を組み、文句を言う。すると、シアンはそれも仕方がなかったのだと言った。
「今日が説明会だってことを知らなかったんです。さっき、たまたまイリヤがその話をしてて……とにかく座りましょう」
シアンは事情を話しかけ、途中でやめた。生徒たちがわらわらと集まって来て、席がだいぶ埋まってきたのだ。説明会がじきに始まる。いつまでも壁際で話していないで、席に着くべきだ。
シアンが空いている席に向かって行ったので、ルキナもそれに続いた。シアンが端の席に座り、ルキナがその隣に座る。
「それで、何の説明会なの?」
ルキナは、椅子に座るなり尋ねた。イリヤノイドも興味がある説明会と聞き、自分がこれから一体何の説明を受けるのか気になって仕方ない。でも、周りにルキナのように何の説明会ということすら把握せずに参加しようとしている者はおそらくいない。周りの人には聞こえないように、小声で尋ねる。それに伴い、シアンも小声で対応する。
「国外留学の説明会です」
「留学?」
ルキナは、思ってもみなかった言葉に驚く。
「イリヤが留学を?」
「イリヤは再来年に行くことを考えているようです」
「再来年?」
「今日の説明会は来年に留学を考えている人のためのものです」
「でも、なんで留学?シアンはどこか行きたいところがあるの?」
「ルキナがキルメラ王国に行きたいのだと思ったんです」
シアンは、『りゃくえん2』の攻略対象であるメディカ・キングシュルトの母国、キルメラ王国に行く方法を考えていた。留学を終え、国に帰ってしまったメディカを追うためだ。攻略対象と接点を作るためには、まずルキナが彼に近づかなければならない。その手段として、シアンは留学を提案する。学生の身である以上、留学が一番確実かつ現実的だ。
ルキナは、シアンがルキナのためにここまで考えてくれていたのだと知って、とても嬉しくなった。シアンは、逆ハーレム計画に協力しないとか言っていたが、なんだかんだ言って、ルキナに手を貸してくれる。
「とは言っても、私、そんなに成績は良くないわよ。良くて平均レベルよ」
シアンには申し訳ないが、留学を許してもらえるほどの学力をルキナは持ち合わせていない。気持ちだけあっても仕方ない。留学となると、それなりに学力が必要なはずだ。誰も彼もが行けるわけではない。足きりが必ず存在する。ルキナはそれを超えられている自信がない。
しかし、シアンは全くその心配をしていないようだ。シアンは「たぶん大丈夫です」と言って、ニコッと笑った。
「キルメラ王国は倍率が低いですから」
シアンが言うには、キルメラ王国は、属国としての歴史は短いが、隣国なだけあって、言語は同じなのだそうだ。留学を志す者たちは語学留学を望むものがほとんどなので、あえてキルメラ王国を選ぶという生徒は少ない。だから、成績に自信がなくても、それほど心配することではないのだ。ルキナは、シアンの話を聞き、ひとまず安心した。
説明会はなかなか始まらなかった。急いで来たというのに、留学の担当教員が遅れているとかで、開始時刻が遅らされることとなった。その間に、別の教員が黒板に説明会の内容らしきものを書き始めた。
ルキナは、黒板の字を見て、シアンにはあれが読めるのか気になった。
「教科書とかノートに書いてある字は読めるだろうけど、板書はどうやって読むの?」
シアンも、ルキナや他の生徒と同じように黒板に視線を向けていたが、読んでいるわけではない。黒板から目を離し、ルキナの方を見た。
「板書はもう諦めてます」
「諦めるって…。何か配慮してくれる先生はいないの?」
「たまに。でも、一応、手で触れなくても、なんとなく書いてあることはわかるんですよ。細かいとこまでは読み取れないですけど、ぼんやりと図くらいは見えるので。あとは、近くの人に聞いたりとか」
「大変ね」
「そうでもないですよ。やっぱり先生たちは話すのがメインですから、先生の言ったことを記憶するようにしています」
「体力は落ちたのに、記憶力はそのままなのね。竜の血っておかしなものね」
意外とすぐに担当教員がやって来て、説明会が始まった。ルキナはシアンと学科が違うので、なかなか同じ授業をとることはできない。こうして時間ギリギリまで話し、隣に座って話を聞くのは、中等学校以来、久々に一緒に授業を受けているような気分になって楽しいものだった。
初回の説明会ということで、そう詳しいことは話されなかった。ただ、この説明会に参加していない者は留学に参加することは絶対不可能だと言われた。これでやっとシアンがルキナを強引に連れてきた理由がわかった。
説明会が終わると、ルキナたちは会議室を出て、生徒会室に向かった。説明会は長いものではなかったので、今行ってもまだみんな集まって仕事をしているだろう。
ルキナは、階段をのぼりながら、今日、チグサと話したことを思い出した。シアンに伝えておくべきことがある。シアンをトントンとつついて話しかける。
「そういえば、あの話、チグサから許可がおりたわよ」
ルキナとシアンは、とある計画を企てている。最近、頭を悩ませているアリシアとタシファレドのこととは別に、二人で計画を進めている。それにはチグサの協力も不可欠で、今日、その許可をチグサにもらったのだ。
「それは良かったです」
ルキナの報告を聞き、シアンがほっとする。この計画はチグサを無視して進められないので、早めに許可をとっておく必要があった。とりあえず、そのタスクはルキナがこなしたので、本格的に計画に乗り出せることになった。これを実行するのは夏休みを予定している。まだアリシアたちのことや文化祭のことなど、考えなくてはならないことが多いが、来年に留学に行くとなれば、これも時期を遅らせるわけにはいけない。ルキナは、気合を入れ直す。
ルキナたちが生徒会室に到着すると、ユーミリアが扉の前で待機していた。ルキナを見るなり、駆け寄り、抱きついた。
「先生、留学しちゃうんですかー?」
ユーミリアはそう言って泣く。ルキナは、留学でたった一年離れるくらいで泣くなよと思いながら、「誰から聞いたの?」と問う。
「バリファ先輩ですぅ」
ユーミリアがぐずぐずと鼻をすすりながら答える。シアンが説明会に行くことをベルコルに伝えていたので、彼が留学のことを知っていてもおかしくはない。一応、ユーミリアはベルコルから話を聞き、急いで説明会の会場に向かったそうだが、間に合わなかったらしい。
「遅刻者に参加権はないって言われました」
説明会の開始時刻は遅れたが、会場に入れる扉は時間通りに閉められた。少し遅れて到着したユーミリアは、中に入ることすら許されなかった。留学を志願するような生徒は、時間厳守で当然だということらしい。これで、ユーミリアは一緒に留学できないことが決定した。ルキナが本当に留学を決めたなら、ユーミリアはその一年をルキナなしで過ごさなければならない。
「にしても、泣くのは早すぎよ。っていうか、そもそも泣くようなことじゃないし」
ルキナは「鼻水、制服に付けないでよ」と言いながらユーミリアを引きはがしにかかる。ルキナが留学に行ってしまうかもしれないと知ったユーミリアは、それからというもの、片時も離れる気はないと言わんばかりにルキナに付きまとった。ルキナは、ユーミリアの異常さは承知していたつもりだが、毎晩毎晩ルキナのベッドに忍び込まれるようになると、留学は考え直した方が良いかもしれないと思わなくもなかった。




