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7. リアルな夢デスケド。

『アリシャ、アリシャ』

 小さなタシファレドが走りながらアリシアを呼ぶ。前を走っていたアリシアはその声を聞いて立ち止まった。

『たっちゃん、おそい』

 そう言いながら、アリシアはタシファレドに手を差し出す。それを見て、タシファレドが嬉しそうに駆け寄り、手を取った。幼い手を繋ぎ、二人で走り始める。

 アリシアとタシファレドはいつも一緒に遊んでいた。たとえ寒い冬であっても、外に出て駆けまわっていた。この日も、二人の子供は朝から元気よく遊んでいた。二月に入って、雪も降るくらいに寒かったのだが、その寒さにへこたれることはなかった。タシファレドの六歳の誕生日を明日に控え、タシファレドなんかはいつもよりテンションが高かったくらいだ。

 アリシアとタシファレドは、庭に積もった雪を素手で触り、雪玉を作って遊んだ。手がかじかんで、赤くなると、アリシアが魔法で二人の手を温めた。そうして二人で遊んでいると、アリシアの両親が様子を見に来た。アリシアはそのことに気づくと、雪玉を数個両手で抱えて駆け寄った。

『かあさま、とうさま、みてみて。たっちゃんといっしょにつくったの』

 アリシアは自慢げに雪玉を見せた。アリシアは両親を喜ばせたくて見せた。でも、二人は決して嬉しそうな顔はしなかった。特に、母親は厳しい顔をした。

『アリシア!タシファレド様とお呼びなさい』

 母親がぴしゃりと言った。アリシアはびっくりして、持っていた雪玉を全て地面に落としてしまった。せっかくタシファレドと一緒に作ったのに、地面に落ちた雪玉はぐしゃっとつぶれ、割れてしまった。

『まだ子供なんだし』

 アリシアが怯えていると、父親が見かねたように言った。アリシアの後ろではタシファレドも恐怖に震えていた。タシファレドは幼い頃から怖がりで、自分が怒られているわけではないとわかっていても怖がらずにはいられない。

『ノオトの家に生まれた以上、その自覚はなくてはならない。それはアリシアも例外ではありません。どんなに小さくても、主人は主人と認識しておく必要があります。明日にはタシファレド様も六歳になられるのです。先延ばしにしていたアレも明日にはしなくてはいけません』

 母親が夫と娘に聞かせるように言った。そして、乱暴にアリシアの手をつかむと、帰ると言って引っ張った。明日までにアリシアにノオト家としての意識を植え付けると言う。

『やだ!やだ!』

 アリシアは力いっぱい腕を引っ張って逃げようとした。だが、母親の力は強く、逃れることはできなかった。

『アリシア!』

 アリシアが泣きながら抵抗していると、母親が怒って言うことを聞くように怒鳴った。

『いきたくない』

 アリシアが泣いて訴えても母親は許してくれなかった。しかし、このまま無理矢理アリシアの腕を引っ張り続けると、アリシアが怪我をしてしまいかねない。父親がアリシアを抱き上げた。

『僕が連れて行くから』

 結局、アリシアはタシファレドと引き離され、強制的に家に帰ることになってしまった。家に着くなり、母親はアリシアにみっちり教育を施した。ロット家とノオト家の関係について、事細かく説明した。明日、行われる予定だと言う儀式の話もされた。アリシアはそれをしっかり聞かなかった。アリシアは、タシファレドと一緒に遊ぶことを許さなかった母親に怒っていた。これがアリシアなりの反抗だった。しかし、アリシアの反抗はいつまでも続かなかった。

 翌日、アリシアは両親と一緒にロット家本家を訪れた。ロット家とその分家たちは広大な敷地の中に屋敷をこしらえ、近くで生活している。分家の者が本家に近づくのは容易ではなかったが、それは物理的な距離の問題ではなかった。

 アリシアはタシファレドと遊べるのかもしれないと少し期待していたが、すぐにそれは無理なのだと悟った。アリシアはたくさんの大人が集まっている部屋に連れて行かれた。そこにはタシファレドもいて、何かに怯えるような顔をしていた。怖がりな性格のタシファレドのことだから、もしかしたら、大勢の大人に囲まれてることで緊張しているのかもしれない。

 アリシアは、部屋の中央に立たされ、大人たちの視線をいっせいに浴びた。両親はアリシアをそこに残して、離れて行った。その際、父親が『大人しくしててね』と優しく言った。アリシアはなんだか嫌な予感がした。

 アリシアがポツンと部屋の中央で立っていると、少しして、部屋にさらに新しく大人が入ってきた。アリシアも知る親戚のお婆さんだ。この部屋にいる大人たちは皆赤い髪色で、考えるまでもなく、ロット家の関係者であることは明白だった。

 老人は、何かを手に持って、アリシアの前にやってきた。そして、何も言わず、スッとアリシアに向かって手を伸ばした。その手には赤い絵の具のようなものがついた筆が握られていた。老人はアリシアの額にそれを近づけてくる。

 直感で危険を感じたアリシアは顔をそらし、老婆の筆から逃れる。そのまま部屋から逃げようとした。が、すぐに大人の手に捕まってしまった。両脇を大人に掴まれ、アリシアは身動きを取れなくなる。

『やあだっ!』

 アリシアは大人たちに抑え込まれてもなお暴れて逃げようとする。だが、所詮子供の弱い力だ。ガッと頭の動きを止められると、その隙に老婆がアリシアの額に筆を伸ばした。その筆先が肌に触れる。額についた液体は冷たかった。

『やだぁー』

 アリシアが泣いても、誰も助けてくれなかった。

『タシファレド、目をそらすな』

 タシファレドの父親のタシファレドを叱る声が聞こえてきた。タシファレドは目の前で起きる出来事に恐怖を感じ、目をそらしていた。

 老婆はアリシアの額に何かを書くと、筆を離した。彼女の役目はそれで終わりらしく、仕事を終えるとさっさっと素早く退出して行った。アリシアの動きを止めていた大人たちもアリシアを解放した。

 アリシアはその場にペタンと座り込み、大声で泣き始める。今まで、これほどの恐怖を感じたことはなかった。誰も彼もから裏切られたような気分だった。両親すら敵だと思った。

 アリシアが声を上げて泣いていると、父親がそっとアリシアを抱き上げた。それでも、何も安心できなくて、アリシアは泣き止まなかった。

『本日は、お立会いくださり、ありがとうございました』

 アリシアが父親に抱かれて大泣きしている中、両親は親戚たちに頭を下げた。アリシアは、なんでこんな人たちにお礼を言うのだろうと思った。アリシアが怖い思いをしても、泣いても、手を差し伸べてくれる者は誰一人としていなかった。それどころか、当然のことのように傍観し、両親からの感謝の言葉に呼応するように頭を下げるだけ。アリシアは、誰も信じてはいけないのではないかと幼心に考えた。

 その日、アリシアは家に帰ると自分の部屋から一歩も出なかった。泣きつかれて、明るいうちから眠っていた。だが、そのおかげで、翌朝には頭もすっきりしていた。

 元気を取り戻したアリシアは、朝早くからタシファレドに会いに行った。いつもタシファレドと一緒に遊んでいる庭に行った。

 アリシアは、そこの噴水に自分の顔を映した。額には赤い何かの印がついていた。昨日、筆で書かれたものだ。この印は、ゴシゴシこすっても消えなかった。お風呂で何度も顔を洗ってみたけど消えなかった。そのうち消えると両親は言っていたが、目に見えなくなるというだけの話で、印そのものが消えてなくなるわけではない。

 アリシアが噴水で自分の額を見つめていると、タシファレドが現れた。アリシアに気づくと、黙って立ち止まった。いつもならタシファレドが最初に何か言うのだが、タシファレドは静かだ。

『アリシャね、たっちゃんとおなじがっこうはだめっていわれた』

 アリシアは何も言わないタシファレドの代わりに、先に口を開いた。今朝、突然、両親に初等学校に通うなら、タシファレドと同じ学校では駄目だと言われた。アリシアはタシファレドと一緒に抗議しに行ってほしくて、タシファレドと離れるのは嫌だと訴える。それでも、タシファレドは何も言わない。

 アリシアは噴水から離れ、タシファレドに近づく。タシファレドの下ろされた手にアリシアが手を伸ばす。すると、タシファレドがパッと手を引いた。

『たっちゃん?』

 アリシアはどういうつもりかとタシファレドに聞く。タシファレドはいつだって喜んでアリシアと手を繋いでいた。それなのに、昨日の今日で、タシファレドが手を繋いでくれなくなってしまった。

『たっちゃん、アリシャのこときらい?』

 アリシアは泣きそうになりながら尋ねる。昨日、アリシアはとてもひどいめにあった。それでも、タシファレドに会えれば、また前みたいに元気になれると思っていた。でも、頼みの綱であった、タシファレドも冷たくなってしまった。この時、アリシアは、さすがにタシファレドが嫌いとまでは言わないだろうと思っていた。しかし、タシファレドはアリシアの期待を裏切った。

『きらい』

 タシファレドが低い声で言った。アリシアを拒絶するような声だ。アリシアは思わず『え?』と聞き返してしまう。

『だーいっきらいだっ』

 タシファレドは、聞き返してきたアリシアに向かってはっきりと告げた。タシファレドはこれまでこんなひどいことを言ってきたことはなかった。タシファレドは優しくて、怖がりで、いつもアリシアにくっついて歩いていた。アリシアは、タシファレドはアリシアのことが大好きなのだと思っていた。

『アリシャはたっちゃんのことすきだよ』

 アリシアは、タシファレドの言っていることが信じられなくて、泣いてしまう。タシファレドはそれでも言ったことを取り消さない。アリシアは、それがまた悲しくて、すがるようにタシファレドに手を伸ばした。すると、タシファレドはさっとアリシアの手を払った。

『さわるなっ。おまえなんかどっかいっちまえ!』

 アリシアは、タシファレドの大声を聞いたのは初めてだった。おまえと言われたのも初めてだった。

『たっちゃんのばかぁ!』

 アリシアは泣きながら叫ぶと、タシファレドから逃げるように走り出した。アリシアは、この日、世界の全てが変わってしまったように感じた。



「ルキナ様、ルキナ様、朝ですよ」

 アリシアの声だ。ルキナは重い瞼を持ち上げて、欠伸をする。アリシアが先に起きたらしく、まだ寝ていたルキナを起こしてくれた。

「すみません、ベッドを借りてしまったみたいで」

 アリシアが申し訳なさそうに言う。

「そのくらい大丈夫よ。むしろ大丈夫だった?私、寝相あんまり良くないのよ」

 ルキナは体を起こしながらアリシアに笑いかける。すると、アリシアもつられるように笑った。

「それでは、私は部屋に戻りますね」

 アリシアがベッドから下り、ペコリとルキナにお辞儀をした。そして、タタッとドアの方に走って行き、ルキナの部屋を出て行った。

 ルキナは、アリシアの後姿を見送ると、自分もベッドから下りた。部屋着を脱ぎ、制服に着替える。

(あの夢は何だったのかしら)

 髪を櫛でときながら考える。目を覚ましても夢を覚えていること自体久しぶりな感じはしたが、やけにリアルな夢だった。ルキナが想像で作り出したにしては、見たことのないような景色ばかりで、会ったことないはずの人たちの顔も本当に存在するかのようだった。しかも、アリシア目線の夢だった。アリシアの過去の記憶をそのまま見たような不思議な感覚。

(まあ、しょせん夢よね)

 ルキナは夢のことを深く考えるのをやめた。さっさと身支度をすませ、部屋を出た。廊下ではユーミリアが待っていて、一緒に朝食を食べに行こうと言った。二人は寮の外を目指して歩き始めた。

「次はタシファレドに話を聞かないとね」

 ルキナは伸びをしながら言った。

「何を聞くんですか?」

「そりゃあ、アリシアちゃんのことをどう思ってるのかよ」

「聞くまでもなくないですか?」

「ちゃんと本人に言葉にしてもらうのが大事なのよ。それで、あわよくば、さっさと動いてもらえたら良いわ」

「動いてくれますかね」

「そうよね。その程度で動けるような人なら、もう状況は変わってるわよね」

 アリシアは自分の状況を変えられないようだった。だから、彼らの状況を変えられるとしたら、タシファレド以外にいない。ただ、タシファレドは肝心なところで素直になれない性格をしている。タシファレドの自主性にはあまり期待できない。

 ルキナは、今日もベンチに行けばタシファレドが黄昏ているだろうと踏んでいたのだが、改心をしたようで、ベンチにはおらず、ちゃんと授業を受けに行っているようだった。朝食の前も、後も、様子を見に行ったのだが、タシファレドの姿はなかった。そんな調子だから、放課後になってもタシファレドには会えなかった。

 放課後、ルキナはシアンと二人で外を歩いていた。今日は生徒会の日なのだが、ユーミリアが変な気を遣ってルキナたちが二人きりになるように手を回したのだ。ルキナたちは生徒会室を離れ、別の建物での仕事をしに行った。その途中、アリシアとタシファレドを見つけた。

「おい、アリシア。ちょっと待てって」

 タシファレドは、シリルがいなければ声もかけられるようで、アリシアに必死に話しかけていた。しかし、アリシアはタシファレドの話を聞こうともしないし、立ち止まろうともしない。早歩きでどこかへ向かっている。それでも、タシファレドはしつこく名前をする。すると、アリシアはぴたっと足を止め、タシファレドの方を見た。

「ごめん、たっちゃん。シリル様のとこに行かないと」

 アリシアはそう言って、走り出した。その行先には、シリルらしき姿がある。シリルとアリシアも、ルキナたちと同じで、生徒会の仕事で外に出ている。だから、タシファレドとおしゃべりをしている時間はないのだろうし、シリルの目があるのにタシファレドと話す勇気はないのだろう。

「アリシア…。」

 走り去って行くアリシアの後姿を呆然と見送りながら、タシファレドが呟く。その後、タシファレドは悔しそうに舌打ちをし、地面にあった小石を蹴った。

「なっさけないわねー」

 ルキナは何もできなくてイライラしているタシファレドに近づいて笑う。タシファレドはルキナの声に反応して顔を上げた。

「ルキナ嬢になら何とかなると?」

 タシファレドは少し不機嫌な顔でルキナに問う。ルキナに嘲笑されたのが不服なのだろう。

「まあ、あんたよりは上手くできると思うわよ」

 ルキナはタシファレドを見下すように言った。自信ありげに、髪をぱさっとかき上げ、顎を上に上げる。ルキナがかっこつけていると、「僕はそうは思いませんが」とシアンがぼそりと呟いた。ルキナはじとっとシアンを見る。シアンはルキナを器用な人間だとは思っていないので当然の評価だ。でも、ルキナは今回に関してはタシファレドより上手く立ち回れると思っているので、自信がある。シアンに頭から否定されるようなことを言われるのは不本意だ。

 ルキナがシアンを睨んでいると、タシファレドがルキナに向かって頭を下げた。

「手を貸してくれ」

 タシファレドは己とアリシアの状況を変えようと思っている。だが、自分の力だけではどうにもならない。タシファレドは現状を正しく見極め、協力を仰ぐべきだと判断した。ルキナは、ためらうことなく頭を下げられるタシファレドを見て、意外だと思う。タシファレドは、少なくともルキナに対しては、このように頼みごとができないと思っていた。

「人に頼りにされるのは悪い気分ではないわ。特にタシファレドに素直に助けを求められるのは」

 これはルキナなりのオーケーの返事だ。ルキナだって、タシファレドに頼りにされるのは嬉しいと感じる。ここは意地悪をせず、タシファレドに手を貸してあげることにする。それに、アリシアの辛そうな顔はこれ以上見たくないので、いずれにせよ、何とかするつもりではいた。ルキナが動くことに関しては、タシファレドに言われるまでもなかったのだ。

「それじゃあ、まずはタシファレドがどう思っているかについてから聞かせてもらいましょうかしら」

 ルキナはニヤッと笑うと、タシファレドを挑戦的な目で見た。タシファレドは、それに対抗するようにルキナの目をじっと見つめた。タシファレドの気合も十分だ。

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