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3. 女心は変わりやすいデスケド。

「ミューヘーンさん、論文の確認が終わりましたよ」

 シュクラがルキナに紙の束を手渡した。ルキナがリュクラル史に関する論文を書き、シュクラにそのチェックをお願いしていたのだ。

「どうでしたか?」

「とても良い内容でしたよ。特に、建国に関する見解は興味深かったです」

 シュクラが感想を言いながらお茶を淹れる。お茶を二つのカップに注ぐと、一つをルキナに渡した。

「でも、どうやってあの歴史書が建国に関するものだとわかったんですか?」

 シュクラが不思議そうに尋ねる。ルキナが書いた論文は、リュクラル史のメインテーマであるウィンリア王国の建国に関する内容だったのだが、その意見は今までにないものだった。ルキナが取り上げた書物自体は既に世のリュクラル史学者に知れ渡ったものだが、そこに書かれた内容がいつのどんな出来事なのかは解明されていなかった。古代語が読めないのではなく、内容があまりに奇怪で、史実とは到底思えないようなものだったからだ。そこで、ルキナはその真相をつきとめたという論文を書いた。歴史書の真相がわかったとて、書かれていた内容はさほど重要と思えるようなものではないので、功績としてはさほど大きいものではないが、シュクラが手放しで褒めるくらいにはすごいことだ。

「ああ、歴史書が建国に関するものだっていう根拠が甘いとか言ってるんじゃないですよ。そういうことではなく、どうしてあの歴史書を選んだのかなっていうだけのことです」

 シュクラは誤解を生む言い方だったと言って、質問し直した。ルキナは、どうやって答えようかと考える。その間に、シュクラがニコニコしながら、ずずっとお茶をすすった。

 ルキナはリュクラル史を愛し、学を深めている。リュクラル史に関しては専門的な知識も十分身についている。しかし、学者としては優秀とは言えない。たとえば、教科書を読んでその内容を知識として蓄えることは得意だが、今もまだ謎とされている書物や遺物をから新事実を発見することは苦手だ。新事実の発見は並大抵な所業ではないが、ルキナには勉学における応用力や斬新な発想というのが欠けているため、おそらく一生そのような偉業をなしとげることは不可能だ。そんなルキナが歴史書の真相を突き止められたのには、当然ながら裏がある。

 シアンの誕生日会をした翌日、ルキナはシアンと一緒に一日中リュツカ家の先祖たちの記憶を見ていた。歴史の長い家なので、水晶に保存された記憶は莫大なものだ。時間感覚が狂ったあの部屋で一日を過ごしても、全てを見切ることは不可能だった。

「ディメラルシェ先生、もし、リュクラル史のことが全てわかる資料があったらどうしますか?」

 ルキナは、カップを両手で持っているシュクラに問う。シュクラは、ルキナが何か面白い話を始めるのだと思い、カップを机に置いて聞く態勢に入る。

「たとえば、ルーエンがどんな姿で、どうやって国を建てるに至ったのか具体的にわかるとしたら、先生はどうしますか?」

 ルキナが笑顔で尋ねると、シュクラは「うーん」と少し考えるように唸ってから、「そんな資料があったら夢のようですね」と言った。

「まあ、研究者の端くれとしては、今までわからなかったことを知りたいですね」

 シュクラは、書物によって書いてあることが変わり、真偽が不明な部分を解明したいと言う。

「でも、そんなものがでてきたら、今までやってきたことが無駄に思えるかもしれませんね」

「無駄ですか?」

「どっちが正しんだろうと考える時間や議論をした時間が無駄に感じてしまわないか心配なんです。単純に答え合わせを楽しめられたら良いんですけどね」

 シュクラはそう言って、机の上においていたカップを持ち上げ、一口お茶を飲んだ。その後、ほっと息を吐くと言った。

「やはりそういった資料の存在は、言葉通り、夢のままだと思いますよ」

 シュクラは、まさかルキナが実在するものの話をしているとは思わず、所詮夢物語だと言って話を終えた。

 ルキナは、二つ、三つ、話をし、お茶を飲み終えた頃に研究室を出た。今はもうシュクラの研究室にはルキナしかいない。彼の研究室に所属していた先輩たちが卒業してしまったのだ。後輩もまだ入ってくるような時期ではないので、まだしばらくはこの研究室はルキナとシュクラだけ。シュクラには申し訳ないが、ルキナはそれでも良いと思っている。二人だけの研究室は居心地が良く、話をしていると時間を忘れてしまう。何より、尊敬するシュクラを独り占めできるのが嬉しい。しかし、シュクラはルキナと違ってやはり生徒が増えてほしいようで、研究室には入っていないが、シュクラの授業を受けている生徒たちが課題の提出のために研究室に訪ねてきた時は、とても嬉しそうにする。シュクラ自身、優しく、素敵な人なので、個人的にシュクラに会いに来る生徒もいる。そういう人たちと話しているシュクラはとても生き生きしている。

 ルキナは、シュクラから論文が褒められたのが嬉しくて、廊下をルンルンと歩いていると、アリシアにばったり会った。アリシアはシリルについて歩いていて、友達というよりは主従の関係に見える。シリルは楽しそうにアリシアに話しかけていたが、アリシアの顔は沈んでいて、返事も乏しい。

「珍しいわね、シリルがこんなところに来るなんて」

 ここは教授たちの研究室が立ち並ぶ建物で、来るのは研究室に所属している生徒ばかりだ。一級生のシリルがしょっちゅう来るような場所ではない。ルキナがそのことを指摘すると、シリルが得青で応えた。

「アリシアが部活に行くって言うので、一緒に来たんですよ」

 シリルがそう言ってアリシアの方を見た。ルキナもつられるようにしてアリシアを見ると、アリシアがぎこちない笑顔でルキナに頭を下げた。アリシアは、最近、シリルのそばにつきっきりだが、その時のアリシアの笑顔はいつも元気がなさそうだ。

「あー、鉱物研究部ね。シリルも部活に入ったの?」

「いえ、僕はアリシアについて行ってるだけですよ」

 シリルが上品にくすっと笑って言ったが、アリシアについて行っているというよりは、アリシアを連れて行っているように見える。

(アリシアちゃんがシリルに弱みでも握られてるのかと思ったけど、行きたいところには行かせてもらえているみたいね)

 ルキナは、シリルを悪い子だとは到底思えなかったが、アリシアの様子が明らかにおかしいので、シリルがアリシアを脅しているのではないかということも疑わざるを得なかった。しかし、アリシアはシリルに自分の希望を言えるようだし、行動も全て制限されているわけではなさそうだ。少なくとも、シリルがアリシアを脅しているということはないだろう。

「そっ、じゃあ、また後で」

 ルキナは二人に別れを告げ、歩き始める。シリルたちも自分たちの目的地に向かって歩き始めた。相変わらずシリルが前を歩いていたが、この時点で、ルキナの口から何か言えたわけではなかった。

 ルキナは一人で外に出て、魔法科の図書室に向かった。シアンがいつも勉強をしている場所だ。放課後、用事が生徒会しかないシアンは、皆が部活に励んでいるような時間はいつも図書室で勉強をしている。ルキナは、暇になると、シアンに会いに、その図書室に行くようになった。堂々とシアンに会いに行けるようになってから、それなりに時間が経っているので、こうして図書室に行くのも生活習慣として身についてきた。図書室に行ったところで何かするわけではないが、ただシアンの近くにいたいと思うのだから、図書室に通うことに、ルキナは疑問も感じない。

 ルキナが外を歩いて建物を移ろうとしていると、道の途中でユーミリアに会った。ユーミリアがルキナの習性を知らないわけがなく、魔法科の建物に向かう一本道でルキナを待ち伏せていた。

「先生、昨日のデートはいかがでしたか?」

 ユーミリアがニヤニヤしながら言う。そんな彼女を見て、ルキナは眉をひそめる。

「その質問、何回目だと思ってるの?」

 ユーミリアは昨晩から何回も同じ質問をしてくる。今日も朝からからかわれた。さすがに飽きても良いだろうに、ユーミリアはいつまでも同じことを繰り返す。ユーミリアがそこまでしつこいからには、それなりにルキナの反応が面白いのだろうが、そろそろ本当にやめてくれないと困る。

「えー、先生の反応つまんなーい」

 ルキナがユーミリアの質問に答えないで建物に入って行ってしまったので、ユーミリアは不満げに口を膨らませる。ルキナも最初の頃はちゃんと質問に答えていたが、既に一通り昨日の出来事は話してしまったし、同じことを二度も三度も話すつもりはない。

「もうそろそろこの質問もおしまいですね」

 ユーミリアが残念そうに言いながら駆け寄ってきた。ルキナは小さな声で「やめ時はとっくに過ぎてるわよ」と言う。ユーミリアはルキナの声が聞き取れなかったようで、何と言ったかルキナに尋ねた。

「シアンの前でそんなこと言わないでよ」

 ルキナは、同じことをユーミリアのためにまた説明してあげるのが面倒で、違うことを言う。ルキナが睨むと、ユーミリアはヘラヘラしながら「先生が悲しむことはしませんよ」と言った。

「今現在進行形で不快な思いさせられてるんだけど。別に悲しいとまでは言わないけど、いかがなものなの?」

「だって、あの人の話をする時の先生、可愛いんですもん」

 ルキナがやれやれのポーズで文句を言うと、ユーミリアがルキナに抱きついて言った。

 ルキナは、ユーミリアに抱きつかれたまま、魔法科の建物に入り、階段を上った。図書室に近づくと、図書室前のソファにシアンが座っているのが見えてきた。隣にはイリヤノイドもいて、どうやら二人で話をしているようだった。

「先輩、やっぱり手が止まってますよ」

「え?」

 イリヤノイドが、シアンが読書に集中できていないことを指摘する。シアンは視力をなくして以来、文字は指でなぞって印刷の際に残された魔力を感じ取って読んでいる。だから、シアンの手が止まっていれば、彼が本を読んでいないことがすぐにわかる。しかし、シアンはその自覚が全くなく、自分の手が止まっていたことに驚く。

「いつもなら一冊くらい読み終わるのに、今日は全然じゃないですか。十ページいったかどうかくらいじゃないですか?」

 イリヤノイドがシアンの手元を覗き込んで言う。シアンは自分でもページを確認し、「ほんとだ」と呟いた。

「先輩、何か悩みでもあるんですか?」

 イリヤノイドは、上目遣いでシアンを心配する。シアンはイリヤノイドから離れ、距離をとって「たいしたことじゃない」と言う。すると、イリヤノイドは、シアンに悩みがあることを知り、話すと楽になることもあるから話すように言った。シアンも少し人に話したいと思っていたところがあったので、イリヤノイドに言われるままに話し始めた。

「昨日のことなんだけど。僕が余計なことを言ったから、ちょっと怒らせちゃって。なのに、今日の朝会った時はそんなことは忘れたみたいな顔で…」

「惚気なら聞きたくありません」

 シアンが話し始めて数秒。イリヤノイドがシアンの話を止めた。イリヤノイドが話せと言ったのに、イリヤノイドは急に聞く気はないという態度をとる。

「別に惚気じゃないけど」

 シアンは真剣に悩んでいたことなので、惚気と言われるのは絶対に違うと思う。しかし、イリヤノイドは間違いなく惚気だと決めつける。

「だって、どうせルキナの話でしょう?」

 イリヤノイドが不満げに言う。シアンはルキナの名前を出していないが、イリヤノイドはシアンが誰のことを言っているのかすぐに理解した。イリヤノイドもシアンが昨日ルキナと出かけたことは知っているし、シアンがこのように悩むとしたらルキナ関連だろうと見当がついているので、シアンが名前をあえて口にしなくても、確信があった。シアンはただ単にルキナをどう呼べば良いのかまだ迷っているせいでルキナの名前を言えなかっただけなのだが、あえて名前を言わなかったのには違いない。

「愚痴って言うならわかるけど、なんで惚気なの?」

 シアンは純粋に疑問を抱き、イリヤノイドに問う。惚気は幸せ話のことを指しているはずだ。だが、今、シアンが話そうとしたのは、むしろ逆ともいえる話だ。愚痴と言うのも極端かもしれないが、少なくとも惚気は違うだろう。

「無自覚が一番きついんですよ。惚気自体は悪いことじゃないんですけど、僕としては先輩から聞くのは嫌なんですよ。心がえぐられますから」

 イリヤノイドは、内容に関係なく、好きな人のことを話しているのは惚気判定して良いと考えている。実際、シアンの悩みはイリヤノイドからしたらとても小さなもので、相手がルキナでなければ、こんなふうに上の空になるほど悩まなかっただろう。そんなしょうもないことで悩めるのだから、惚気と言って何が悪い。

「先生、聞きました?愚痴ですって」

 ユーミリアが頭の向きをくるっと変えてルキナを見た。ルキナは普通にシアンに話しかけようとしたのだが、ユーミリアがルキナを連れて壁の後ろに隠れたのだ。シアンとイリヤノイドが秘密の話をしていると本能的に察したユーミリアは、こっそり聞いて様子を伺うことにしたのだ。

「まあ、言いたくなるのも仕方ないと思うわよ」

 ユーミリアは、シアンがルキナの悪口に近いものを言っているのを聞き、なぜか楽しそうにする。しかし、ルキナはいたって冷静で、陰口にも満たないような話だと思い、特に起こる気配も見せない。ルキナは、シアンが何に対して悩みを抱いているのか理解していて、原因が自分にあると自覚しているので、シアンに文句を言うのも難しいのだ。

「なんでそうドライなんですか」

 ユーミリアは、シアンに悪口を言われても、それを仕方ないと受け入れているルキナに不満を抱く。こんなふうに本人のいないところで愚痴らしきものを言うのは、怒られて当然の行為だ。だから、ユーミリアはルキナにシアンを怒ってほしいと思っている。

「私はドライじゃないわよ」

 ルキナは壁の陰からシアンたちをのぞき見するのをやめ、壁にもたれる。腕を組み、しばらく間をおいてからシアンたちに声をかけに行こうと言う。

「先生が怒らないなら、私が文句言ってきます」

 ユーミリアはルキナの話もろくに聞かず、一人で陰から飛び出した。

「ちょっと」

 ルキナはユーミリアを引き留めようとしたが、あと一歩のところで手が届かず、ユーミリアはずんずんとシアンたちの方に行ってしまった。

「先生を悪く言ってるなら私が許しませんよ」

 ユーミリアはシアンたちの後ろから急に話しかけて驚かせた。

「悪く言うつもりはなかったんですけど」

 シアンは困ったように笑う。

「でも、悪く言ってるように聞こえました」

 ユーミリアは、ことを荒立てないようにするシアンを見降ろして言う。腰に手を当て、怒っているのだという意思表示をする。

「姉さんからしたら残念かもしれませんけど、先輩は被害者ですから、ルキナに文句を言うのは当然だと思いますよ」

 イリヤノイドが横から口をはさみ、シアンをかばう。が、今はそれが逆効果で、ユーミリアは「やっぱり悪口だったんだ」と言った。

「イリヤはどっちの味方?」

 シアンは問題を大きくせず、早く話を終わらせようとしていたのに、イリヤノイドはシアンの思惑と逆の行動をとる。イリヤノイド本人はシアンをかばったつもりのようだが、シアンからすれば余計なお世話だ。

「被害者ってどういうこと?なんで先生が悪く言われて当然なの?」

「そんなの先輩がルキナに振り回されてかわいそうだからですよ」

「どう振り回したって言うのよ。それに、先生に振り回してもらえるなんて幸せじゃない。なんで文句をいうことになるのよ」

「姉さんは、女心の脅威を理解してないんですよ。姉さんも、女心と秋の空って言うことくらいは知ってるでしょう?」

 シアンをおいて、アイス姉弟が言い合いを始めてしまった。いつもお互いに協力的な仲の良い姉弟なのに、なぜか今日はためらうことなく喧嘩を始める。

「もともとそれは男心と秋の空って言葉だったんだけど、知ってる?」

 シアンは喧嘩を止めようと、わざと話をそらすように口をはさんだ。ユーミリアとイリヤノイドが同時にシアンの方を見た。

「え、ちょっと気になるけど、話をそらさないで」

 そもそも喧嘩の原因にはシアンがいるのだから、シアンが冗談を言って場をちゃかすのはおかしい。ユーミリアは一瞬、シアンの作戦にまんまと乗ってしまいそうになったが、すんでのところで我に返り、シアンの行動はおかしいと指摘する。

「はいはい。三人ともそのへんにしておきなさい」

 ルキナは、広げなくて良い話を無駄に広げるユーミリアたちに喧嘩をやめるように言った。この場はルキナ以外に止めに入れる者がおらず、本当は傍観していたかったルキナも会話に入るしかなかった。

「先生、先生は許すことないですからね」

 ユーミリアがルキナに自分はルキナの味方だと念を押した。だが、ルキナは味方を求めているわけではない。

 ルキナが喧嘩を止めに入ると、イリヤノイドはすかさずルキナを睨んだ。喧嘩のおおもとの原因はルキナにあると言っていいだろう。そのルキナが喧嘩を止めるのは変な話ではある。イリヤノイドが怒っても無理はない。

「イリヤの言いたいこともわからないでもないけど、今はこらえてちょうだい」

 ルキナはイリヤノイドの気持ちがわかったので、文句は後にしてくれと言う。イリヤノイドは、わかったと言う代わりに「イリヤって呼ばないでください」と答えた。

 ルキナは、三人にここを移動しようと提案する。図書室の近くでするような話でもないし、熱中して大声を出すのも良くない。だから、ここは場所を変えるのが先決だ。三人は素直に頷き、ルキナの後ろについて移動を始めた。ルキナは後ろを振り返り、ユーミリアとイリヤノイドに向かって言った。

「今後のためにも言っておきたいんだけど、私とシアンの問題は私とシアンの二人で話すわ。二人とも口を挟むことないのよ」

 ルキナは最後にニッコリ笑った後、前を向いた。ユーミリアはルキナが怒っているのを察し、「ごめんなさい」と謝った。一方、イリヤノイドはルキナに言い負かされるのが悔しくてルキナの背中を睨んだ。

「結局、惚気られただけじゃん…。」

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