エピローグ的なアレデスケド。
最終決戦の後、ルーエンはこの世を去り、ルキナとシアンは新たな約束を交わした。秘議会は国軍によって全員逮捕され、過去に行われてきた全ての悪事が暴かれた。城内で残党が一掃されたため、数日の間は国政の現場が荒れた。しかし、それも次第に収まり、元気を取り戻したルイスのもと、新たな体制が整えられた。
ルキナとノアルドの偽装結婚式から一か月。緑の匂いが気持ち良い五月。リュツカ家の屋敷にて。
「今日は遅刻しなかったみたいで良かったよ、眠り姫」
タシファレドがニヤニヤしながらルキナをからかう。最終決戦の後、自宅に帰ったルキナはぐっすり眠って疲れを癒した。その際、ぐっすりすぎて、翌日の夕方にやっと起きるほどだった。他の皆もゆっくり寝ていたが、ルキナほどのんびりな者はいなかった。しかも、国軍が後処理のために話を聞かせるように言っていたので、アイザックと会う約束があったのだが、ルキナだけ参加しなかった。だから、ルキナが大寝坊したことは周知の事実で、タシファレドは今もそれをネタにルキナを笑う。
「そんなに暇なら準備の手伝いしてきなさいよ」
ルキナは後から来たルキナをからかうためだけに玄関をうろうろしていたタシファレドを怒る。今、リビングではとある準備が行われている。タシファレドもその準備のためにここにいるのに、全然働こうとしない。
「先生!」
ルキナがイライラしながらタシファレドの相手をしていると、ユーミリアが飛んできた。
「お疲れ様ですぅ。これでやっと終わりましたね」
ユーミリアがルキナに抱きつく。ルキナはここに来る前に国軍に寄ってきていた。秘議会の処遇を決定する最後の裁判に立ち会ってきたのだ。だから、ルキナだけは遅く来ることになっていた。ユーミリアはこれで本当に秘議会との闘いは終わったのだと言う。
「私の戦いはまだ終わってないのよ」
ユーミリアの言葉に賛同したかったが、そういうわけにはいかなかった。実はルキナにはまだやらねばならないことが残っている。
「お父様とお母様の説得がまだ残ってるのよ」
ルキナは、これまでのことを全て両親に説明した。その中には、ノアルドとの婚約を利用した出来事も含まれていた。だというのに、ルキナはノアルドとの婚約を破棄した。婚約解消自体は随分前の話なのだが、両親はいまだに納得していないようだ。それは、ルキナの結婚相手が王族でなくなることを残念がっているからではない。あの二人が地位や名声を目的に娘に結婚相手を強要するわけがない。両親が怒っているのは、結婚式未遂まで行っておきながら、結婚は最初から嘘だったということを話しておかなかったから。大切なことを一言も言わないで、勝手に独断で決めてしまったのが寂しかったらしい。
「私も協力します」
ルキナが両親の説得の方法に悩んでいると、リビングから出てきたノアルドが言った。他の誰でもない元婚約者のノアルドなのだから、両親も彼の言葉には納得せざるを得ないだろう。
婚約解消の手続きをした際、ノアルドはルキナに「これからもよろしくお願いします。良き友人として」と言った。ルキナもそれに握手で応え、その言葉通り、今は良き友人だ。
「ありがとうございます、ノア様」
ルキナはニッコリ笑顔でノアルドにお礼を言う。
ルキナたちが玄関近くの廊下で話をしていると、二階からシアンが下りてきた。騎士をやめたシアンは、ミューへーン家ではなく、リュツカ家に戻った。今は、第一貴族リュツカ家の当主として、この屋敷を守っている。
「それじゃあ、約束通り、行きましょ」
ルキナはそうシアンに声をかけ、書類保管室に向かった。その間に、ユーミリアたちはリビングに戻って行った。
「やっぱりあの竜が入口だったんですね」
書類保管室の本棚の間、絵画に隠されていた竜のオブジェを見て、シアンが言った。シアンもこの竜の壁飾りを見たことがあるらしかった。
(やっぱり前に見た時はシアンも一緒だったんだ)
ルキナは、消えてしまった記憶の片鱗を見た気がした。きっとこれからも、シアンとの記憶の齟齬が生じるだろう。しかし、その度にいちいちショックを受けていたらきりがない。だから、極力、気にしないようにする。
「その口に血を入れれば、扉は開くわ」
ルキナがそう説明すると、シアンが指先に針を刺し、血が出てきた指先を竜の口に入れた。竜の舌らしき部分に血が付着すると、すぐに壁が透け始めた。チグサから血は少量で良いと言われていたが、本当に数滴で良いようで安心した。壁が消え、やがて暗い通路が見えてくる。
「シアン、開いたよ」
ルキナはシアンの手を引き、通路を歩く。シアンは視力を失っているが、物にぶつかったりすることはない。それでも、狭い通路だったので、ルキナは心配になってしまった。シアンも必要ないと思いつつ、ルキナと手を繋ぐのを拒まない。
二人で長いような短いような通路を歩くと、水晶が一つ置かれただけの部屋に到着した。
「この部屋よ」
ルキナはそう言って到着を告げる。パッと手を離し、ルキナは部屋の壁際に寄る。
「どんな部屋ですか?」
シアンが見えない目で辺りを見回して、ルキナに問う。シアンは物がどこにあるのかはわかっているが、それがどのような見た目なのかはわからない。
「うーん、暗くて洞窟みたいかな。でも、床が光ってて、なんかちょっと神秘的よ。これは、そうね。ちょうど青の洞窟みたいよ」
ルキナが説明を終えると、シアンがたとえがわからないとコメントした。青の洞窟というのが存在しないのか、知名度が高くないのかはわからないが、シアンは青の洞窟を知らないらしい。しかし、ルキナはそれ以上のたとえが思いつかなかったので、ひとまず部屋の暗さや色の説明は諦める。
「で、真ん中に丸い水晶みたいなのが置いてある」
ルキナが指さして言うと、シアンがその水晶玉にゆっくり近づいて行った。
「それはわかる?」
シアンが水晶玉に触れようとしたので、ルキナは水晶玉の位置はわかるのかと問う。シアンは「はい」と答え、そっと水晶玉に触れた。
「基本的に色とか明るさがわからないんだと思ってください」
シアンがそう話しているうちに、周囲の景色はどんどん変わっていった。シアンの隣に美しい銀髪の男女が立つ。シアンは二人の顔が見えるように一歩ずれた。この水晶はこの部屋にいる者の望むものを見せる。だから、その男女がシアンの両親であることは、ルキナもすぐに察した。
「見えるの?」
ルキナはシアンのそばに寄って尋ねた。誰の記憶かはわからないが、おそらく今見ているのも誰かが見たシアンの両親の姿だ。でも、動かないのは、シアンが静止した状態の二人を見たいと望んだからだろう。二人はとても優しそうな笑顔で微笑んでいる。ルキナはその姿がシアンにちゃんと見えているのか確かめる。
「見えますよ。実体のある人間よりずっとはっきり見えます。どんな表情しているのかも」
シアンが両親の顔を見つめて嬉しそうに笑った。幼少期の記憶はなく、シアンは両親の顔も全く覚えていない。だから、こういう形でも両親の姿を見られるのは嬉しいのだろう。でも、シアンはもう一度水晶に触れ、映像を消してしまった。シアンは後日ゆっくり時間を作って見直すと言った。
「どういう仕組みで見てるわけ?」
ルキナは、水晶が映し出す映像をシアンがどうやって見ているのか疑問に思う。シアンは両親のいた場所から目を離し、ルキナの方を見た。
「魔力を感じているだけですよ。全ての生き物と物には微弱であっても魔力が宿ってるって話はしましたよね?この立体映像も、魔力で映し出しているものです。だから、見えるんですよ」
シアンが映像を見ることができた種明かしをする。ルキナは「ふーん」と曖昧な相槌を打ち、シアンにもう外に出るかと聞く。シアンが頷き、出口に向かって歩き始めた。
また感覚だけ長い通路を歩き、外に出た。ルキナ達が隠し部屋にいた時間は現実世界において一瞬なのだろう。窓から見える夕焼けはあまり変わっていないように見える。
「あっ、ルキナ、シアン、終わったの?」
ルキナが元に戻った壁の絵画の扉を閉じていると、マクシスが書類保管室に顏をのぞかせた。マクシスはたまたま通りかかっただけのようだが、ちょうど伝言もあったようで、部屋に入ってきた。
「もう準備終わったんだけど、どうせなら早く始めようかって。まだ夜になってないけど。それで、二人とも行けるならみんなに声かけてくるけど」
マクシスはリビングで行われていた準備が一通り終わったと言う。ルキナは早く始めるという案に賛成する。シアンは自由にしてくれと言い、判断をマクシスとルキナにゆだねる。
「それじゃあ、みんなに言ってくるから」
マクシスはたったかと軽やかな足取りで書類保管室を出て行き、リビングに向かって駆けて行った。
「まあ、一応、シアンは少し遅れて行った方が良いわ」
ルキナはそう言い、時間をつぶすため、少し話をしようと言う。しばらくバタバタしていたので、ここのところシアンとゆっくり話をする機会もなかった。だから、ルキナはいろいろと話したいことはたまっている。
「シアンはもううちに戻ってこないの?」
ルキナは、ずっと一緒に当然のように生活してきた相手が家に帰ってこないのは寂しいと思う。シアンはルキナの想い人である以前に、家族同様だった。だから、このリュツカ家の屋敷に戻ってくる理由はあっても、休みが短い時はミューヘーン家に帰れば良いと思っている。でも、シアンはもうミューヘーン家に世話になるつもりがない。
「そうですね。私には…」
「私っていうの嫌い」
シアンがルキナの問いに答えようとして、「私」と言った。なかなか指摘するタイミングがなかったので言えなかったが、ルキナはシアンには「僕」と言ってほしいと思っていた。ルキナはやっとそのことを言え、心のモヤモヤが少しすっきりする。シアンはルキナの好みに従い、「僕には」と言い直した。
「僕にはもう帰られる場所がありますから。家を維持するだけの収入は得られましたし、家政婦さんや執事を雇うこともできます。だから、住み込みで働く必要もありません」
ルキナはシアンの話を少し不機嫌ぎみに聞いた。「敬語もなくして」という要望をシアンが聞かなかったせいもあるが、シアンはミューヘーン家に厄介になっていたのをあくまで住み込みの仕事だったとしか認識していないらしい発言があったからだ。
「別にそういうの関係なくうちに来れば良いのに。前と同じ状態に戻るだけじゃない」
ルキナはシアンと過ごせる時間が少しでも長い方が良いと思っているので、いっそミューヘーン家に厄介になっていてくれた方がルキナとしては都合が良い。でも、シアンは自立する術を手に入れ、もうミューヘーン家には帰って来ないと言う。ルキナはそのことを心底残念がる。
「なんでそんなに家に呼びたがるんですか」
シアンが不思議がる。ルキナがシアンをこき使おうとしているのではないかと変な疑いまでかけ始めた。ルキナは慌てて否定し、本当の理由を言う。
「そんなの一緒にいたいからに決まってるじゃない」
ルキナがそう言うと、シアンが目を輝かせてルキナを見た。本当に嬉しそうな顔だ。その顔を見て、ルキナは自分が恥ずかしいことを口走ったことに気づいた。
「ごめん、今の失言」
ルキナは、恥ずかしさに顔を赤くしながら、シアンに忘れるように言う。しかし、シアンは絶対に忘れないと言い、ニヤニヤ顔を止めない。
「シアンのバカ」
ルキナはシアンから顔をそらして、火照った顔の熱が下がるのを待つ。ルキナがパタパタと手で顔を仰いでいると、シアンが勇気を振り絞って一つの提案をした。
「それなら僕の家に来ますか?」
シアンはもうミューヘーン家で寝泊まりするつもりはない。だが、もしルキナが一緒にいることを望むなら、ルキナがシアンの屋敷の方に来れば良い。単純な話だ。移動する人間がシアンからルキナに変われば良い。
「部屋はたくさん余ってますし、夏休みに遊びに行っていた時期もあるんですから、気軽に。もちろん、ご両親のもとを離れるのが嫌なら無理にとは言いません」
シアンは自分で提案しておきながら、実現不可能な意見だと思っているようで、守りの体勢に入る。ルキナに断って良いという逃げ道を作りながら、シアンはあくまで気楽な提案なのだと繰り返す。
ルキナは、少し焦り気味のシアンを見て、くすっと笑う。シアンが自分の家にルキナを呼ぶのはもちろん、ルキナが一緒にいたいと言ったからだろう。でも、やはり、シアンもそれなりにルキナと一緒にいたいと思ってくれているはずだ。でなければ、そんな大胆な提案はできない。
同じ屋根の下で暮らすと言っても、基本は学校で寮生活なので、帰ってくるのは長期休暇がメインだ。帰省の期間などたかが知れていて、わざわざ家を移る意味はない。でも、ルキナは合理的な考えを無視できるくらいに、シアンと少しでも長く一緒にいることを望んでいる。だから、もちろん答えはイエスだ。
「それじゃあ、お父様たちに相談しないとね」
ルキナはそう言ってニヤリと笑う。シアンはルキナから良い返事がもらえたのでほっとする。ルキナたちは、ルキナの両親の婚約破棄に関する説得がまだ終わっていないことを忘れてしまっている。でも、そのような困難も、二人なら容易に乗り越えられるだろう。
「お二人さん、お熱いところ申し訳ないけど、みんな待ってるよ」
ミッシェルがあまりにも来るのが遅い二人を呼びに来た。開いているドアをコンコンとノックして、自分の存在を知らせる。ルキナは反射的にミッシェルに「ごめん」と謝り、部屋を出た。三人で早歩きで廊下を歩き、リビングに移動した。
「シアン、最初に入って」
ルキナはシアンの背中を押してリビングの扉の前に立たせた。シアンは皆が何の準備をしていたのか知っているので、ルキナがシアンを最初に入れさせようとする理由はわかっている。シアンは言われるままに先頭に立ってリビングに入った。
「「「シアン、誕生日おめでとう!!!」」」
シアンがリビングに入ると、パンパンとクラッカーが鳴らされた。クラッカーから魔法の粉が飛び出し、その粉が集まって様々な動物の形になった。
「ありがとうございます」
シアンは皆にお礼を言い、嬉しそうに笑った。実は皆、シアンの誕生日会の準備を取り行っていた。ただ、本人の家でのパーティだったので、サプライズにはならなかった。結局、快く場所提供をしてくれたシアンのもとで、ホームパーティの準備をすることになった。
ルキナはシアンがリビングの奥に入って行ったのに続いて中に入り、ミッシェルもそれに続いた。ルキナがリビングにやってきたのを見るなり、ユーミリアが素早く駆け寄った。
「先生、何飲みますか?いろんな飲み物があるんですよ」
ユーミリアがルキナの腕を引っ張る。ルキナはそんなユーミリアに引っ張られながら、シアンのことを目で追った。皆がシアンのもとに集まり、話しかけている。その中心には当然のようにイリヤノイドがいて、シアンにくっついて離れようとしない。シアンはイリヤノイドをくっつけたままノアルドやベルコル、タシファレドと話す。その流れで、ティナを連れたシェリカがシアンに近づいて行った。
「シェリカも、シアンと普通に話せてるわね」
ルキナは意外そうに言った。本当に最近まで忙しくて、友人たちと話をする時間もろくにとれなかった。だから、シェリカがわだかまりのあるはずのシアンと仲良さそうに話しているところも見たことがなかった。
「あの日、いろいろあったみたいですよ」
「あの日」というのは全員共通で最終決戦の日を指していると認識している。ユーミリアによると、シアンを探しに城の中に忍び込んだシェリカたちが、やっとの思いでシアンを見つけた時、少しもめ事のようなことがあったらしい。でも、そのおかげでシェリカはシアンとも気まずそうな様子を見せることなく、ごく普通に会話を楽しめているようだ。
(本音を言えたってことかしら)
ルキナはユーミリアから具体的な話が聞けたわけではないので、勝手に想像して納得する。
「それで、先生、何飲まれますか?」
ユーミリアがぐいぐいとルキナの服を引っ張った。テーブルに並べられたジュースを順に説明していく。これらの飲み物を用意したのはユーミリアのようで、自分の成果をルキナに発表するように楽しそうに説明している。
「んー、なんでもいいわ。ユーミリアのおすすめで」
ルキナは途中までちゃんとユーミリアの話を聞いていたのだが、補足説明的なエピソードが各ジュースについていたせいで面倒くさくなってしまって、飲み物の選択をユーミリアにゆだねる。ユーミリアは、ルキナにおすすめを聞かれたため、どれを渡すか熟考し始める。
「ミューヘーン様はチョコレートケーキがお好きでしたよね?」
ルキナがユーミリアに捕まったままぼんやりと皆の様子を伺っていると、シュンエルが話しかけてきた。手にはチョコレートケーキの載ったお皿を持っていた。ルキナのために持って来てくれたのだろう。ルキナはありがとうを言って受け取った。ユーミリアの腕から強引に腕を引きぬき、ケーキを食べ始める。
「お口に合うと良いんですけど」
シュンエルが心配そうにルキナからの感想を待っている。ルキナはシュンエルの態度と手に持っているケーキをよく観察する。ケーキはたしかに美味しいが、ルキナが食べたことのある店の味ではない。そのうえ、ケーキに施されている装飾が少ないように見える。ケーキの上面や側面に多いであろうクリームのデコレーションがほとんどない。
「もしかして作ったの?」
ルキナはこの美味しいケーキが手作りかもしれないことに気づき、シュンエルに答えを尋ねる。すると、シュンエルは少し照れたように顔を俯かせながら「そうです」と答えた。
「ブランカ様と一緒に作ってみました」
シュンエルはリリと協力して作ったのだと言う。ルキナはその話を聞いてさらに驚いた。あの男勝りな性格と手先の不器用さからのイメージで、料理は絶対にしないと思っていた。女子部に興味がなさそうだったし、料理やお菓子作りの話をしているところを見たことがない。でも、たしかに、リリはベルコルに対抗するべく何事も極めようとしていたし、その分野の一つに料理があってもおかしくはないかもしれない。
「なんだ。私がどうかしたか?」
リリは自分の名前が呼ばれたことに気づき、ルキナたちに話しかけてきた。
「ブランカ先輩が作ったんですってね。このケーキ」
ルキナが手に持っているケーキを少し上に上げて言う。
「ああ。でも、私は手伝っただけで、作ったのはほとんどツェンベリンさんだ」
「いえいえ、逆ですよ。私は本当に手伝っただけです」
リリもシュンエルも自分の手柄にしようとしないので、「いやいや、そちらの方が」のやり取りが数回続いた。
「先生、これです。これが私のおすすめです」
ルキナがリリ達のやり取りを見ながらケーキを食べていると、ユーミリアがジュースの入ったグラスをルキナに見せた。
「まだやってたの?」
これほど時間をかけて選ぶ必要があったのか甚だ疑問だが、ユーミリアはとても達成感に包まれた顔をしている。ルキナは呆れつつ、ユーミリアが選んだジュースを受け取った。
「クイズゲームしようぜ」
ルキナがケーキとジュースを楽しんでいると、タシファレドが周囲の人間を巻き込んで言った。タシファレドの思い付きに乗る者は多く、タシファレドが参加者を募ると、ほとんど全員が手を挙げた。
「姉様に関する問題なら全問正解の自信あるよ!」
マクシスがクイズゲームと聞き、そのクイズの分野を問うた。だが、どう考えても、チグサに関する問題は出ないだろう。
「まーくん…。」
チグサが困ったようにマクシスを呼んだ。
「チグサ嬢が嫌がっているからなしでーす」
タシファレドはチグサが困っているのに気づき、チグサに関する問題はないと宣言する。マクシスはあからさまに残念がるが、誰もチグサの問題が出るなんて思っていない。
「はいっ!はいっ!優勝者に景品はありますか?」
アリシアが手を挙げて元気良く質問する。タシファレドはそこまで考えていなかったようで、少し考え始める。それを見て、すかさずアリシアが提案する。
「まだ決まってないなら、たっちゃんと結婚する権利が良い!」
「そんなのもらって嬉しいのはほんの一部の人間じゃない」
ユーミリアが文句を言う。それにより、タシファレドが少しショックを受ける。ユーミリアは、それだったら景品はルキナとデートをする権限が良いと言い、シアンに視線を向けた。ユーミリアは本当にルキナとデートしたいと思っているが、一番の目的はシアンをけしかけることだ。ルキナの名を出せば、シアンがゲームに気合を入れるだろうと思ったのだ。しかし、シアンはユーミリアの視線に気づかず、イリヤノイドに暑苦しいから離れろと言っている。
「あ、だったら、僕は先輩とのデート権が欲しいです!」
イリヤノイドがシアンに抱きついたまま言う。ユーミリアが要望を言ったので、誰でも好きな景品を希望しても良い空気になってしまった。姉と一緒に寝る権利が欲しいだの、豆を一生食べなくて良い権利が欲しいだの、皆口々に希望を言い始める。皆が好き勝手言うものだから、収集がつかなくなってしまった。結局、タシファレドが「このゲームに参加している人にお願いを一つ聞いてもらえる権利にしよう」と言い、なんとか事なきを得た。
「ゲームに参加している人相手だったら、対象が複数人になっても良いことにしよう。ただし、お願いは一つだけ」
タシファレドが優勝賞品の説明をすると、アリシアがまた手を挙げて言った。
「じゃあ、たっちゃんと結婚できる権利は…」
「俺が却下」
タシファレドは自分の逃げ道も作るため、お願いは常識に則ったものでなくてはならないと付け足した。お願いをされた方は基本拒否権はないが、あくまでお願いなので、無理に言うことを聞く必要はないこととした。
「というわけで、ハイルック。問題を頼む」
タシファレドが中心になって進めていたが、急にその役目を下りた。ポンっとハイルックの肩を叩き、進行を任せる。
「えっ!?」
ハイルックは突然のことに驚き、タシファレドの顔をじっと見つめた。
「だって、クイズに答える側の方が楽しいだろ」
クイズゲームをすると言い出したのはタシファレドだが、問題を考えていたわけではなく、ただ遊びたいだけだったようだ。問題を作って答えさせる側だと、優勝の機会すら得られないわけだし、参加者側に立ちたいのは当然だろう。
「では、順番に問題を出して行くのはどうですか?全員が出題者と回答者の両方を務めるんです」
ノアルドが進行役の押し付け合いが始まるのを見越して言った。ノアルドの画期的なアイディアに皆納得し、すぐにゲームが始まった。
「問題、姉様のほくろはいくつあるでしょう」
「気持ち悪っ」
「チグサ様が引いてますよ」
「たっちゃんは二十個くらいだけど…。」
「本人も知らねぇのに、なんでおまえらは知ってんだよ!」
「ロット様、代わりに数えましょうか」
「数えんでいい」
「正解は…わかりませーん」
「わからなくて良かったです」
「ちなみに、たっちゃんのほくろの数も適当だよ」
「それ聞いて安心したよ!」
皆、楽しくゲームを始め、ユニークな問題がいくつも出た。しかし、終わりを決めていなかったので、だんだんぐだっていき、飽きた者たちからゲームをやめていった。最後まで残ったのは、優勝賞品が欲しい野望を抱く者たちだけで、必死に問題を解く。だが、この状態で優勝者が決まっても、参加者が減ってしまったのだから、きっと優勝賞品は価値ないものになってしまうだろう。
ルキナは、ユーミリアが必死にゲームに取り組んでいてくれるおかげで自由を手に入れ、同じくイリヤノイドから解放されたシアンに近づいた。シアンはソファに座ってジュースを飲んで、静かにしていた。ルキナは当たり前のような顔をしてシアンの隣に座る。
「あの夜が最終話なら、これはエピローグ的なものね」
ルキナはそう言って、シアンに向かってニッと笑った。シアンは、「あの夜」と最終話のくだりを瞬時に理解し、「言いたいことはわからないでもありませんよ」と言った。ラストシーンがどうのこうのと言っていたあの夜は一か月も前のことだが、シアンは記憶力が良く、なにげない会話も細かく覚えていることがある。
「でも、なんで誕生日会なんですか?」
シアンが騒いでいる友人たちの方に顏を向けて言う。シアンの目には皆がどんな顔をしているかは見えていないだろうが、楽しそうな空気は伝わってくるのだろう。シアンの口角が上がる。
「だって、シアンの誕生日祝えなかったじゃない」
シアンの誕生日は九月で、この誕生日会もだいぶ遅れたタイミングでの開催だ。でも、その理由は明白で、その時期はシアンの誕生日を祝ってあげられるような空気じゃなかったからだ。シアンは誰とも口をきかず、距離をとっていた。今日のこの騒ぎようはその反動とも言うべきかもしれない。
「それを言ったら他の皆の誕生日も」
シアンは誕生日を祝えなかったのは自分だけじゃないだろうと言う。たしかに、皆それぞれ忙しく、それどころではなかった。だから、こうして祝うべきなのはシアンだけじゃないだろう。
「まあ、誕生日会なんて名目で、騒ぎたいだけよ」
ルキナは手に持ってたグラスを傾け、グイっと飲み物を口に流し込む。そもそもこの国は誕生日を家族で祝うものと認識していて、友人であっても互いに誕生日をしらないということも稀じゃない。だから、一回誕生日を祝えなかったくらいで誕生日会を別の時期にやり直すようなほど、誕生日会に意義を感じていない者がほとんどだ。でも、こうして誰かを喜ばせるための準備や皆で騒ぐ時間は楽しいもので、こういう会を開くのはまんざらでもない。結局、シアンの誕生日会と言いながら、自分たちが一番楽しんでいるのだ。
「あ、そうだ。肝心なことを忘れてたわ」
ルキナがそう言うと、シアンがルキナの方に顏を向けた。別にたいした話ではないのだが、あの夜関連で思い出したことがある。
「ロミオとジュリエットって悲劇なのよ」
ルキナは、シアンにこっそり会いに行った時、自分たちのことをロミオとジュリエットにたとえた。でも、今はそのたとえは間違えだったと思っている。なぜなら、ロミオとジュリエットはまごうごとなく悲劇なのだ。当時から、ルキナは自分たちが悲劇の道をたどるとは思っていなかったし、実際全て上手くいった。だから、今更な話で、シアンが覚えていなくても、ロミオとジュリエットだとたとえたことは否定しておかなければならない。
「現実は悲劇ではない方が良いですね」
シアンがくすっと笑って言った。シアンはルキナが何を言いたいのかすぐにわかってくれた。こういう時に察しが良いのはシアンの良いところだ。
「まあ、個人的にはバッドエンドの方が好きなんだけどね」
ルキナはシアンがすぐにルキナの考えを理解してくれたのが嬉しくて、話を無駄に複雑な方にもっていく。現実が悲劇出ない方が良いという話をしていたのに、ルキナは論点をずらして、フィクションなら悲劇が良いと言う。
「でも、本はハッピーエンドの方が多いですよね」
シアンはルキナの話があらぬ方にそれるのにはなれっこなので、特に違和感を感じることもなく、話を続けた。シアンは、ルキナがバッドエンド好きにしては、ルキナの書いている本はハッピーエンドばかりだと指摘する。
「それは現実がハッピーエンドであってほしいからよ。読むならバッドエンド、書くならハッピーエンド、そんで、現実ならノーマルエンド」
「ノーマルで良いんですか?」
「本に書いたみたいにハッピーエンドになるならその方が嬉しいけど、高望みは危険よ。だから、現実に夢は見ないの」
「本に書いたみたいにって言うのは、『婚約物語』のことですか?」
シアンが具体的な題名を出してきたので、ルキナは驚く。
「あー、あの本読んだの?」
『婚約物語』というのは、ルキナが自分自身と周囲の者たちをモデルにして書いた本だ。ユーミリアがそのことに気づいたように、シアンもその仕組みに気づいたらしい。
あの小説はもともと印象操作のために出版したものだ。ルキナはノアルドのことを婚約者と言ってきたが、ようは許嫁だ。親同士の約束であって、本人たちの同意が必ずしもあったわけではない。だから、普通に考えて、その婚約を破棄するのは難しいことではない。
だが、ルキナの元婚約者は王子で、そう簡単に話ではなかった。ルキナは十年ほどノアルドの婚約者として生きてきて、ほとんどの国民にはその認識が広まっている。その認識を変えるためには、婚約破棄は普通のことだと再認識させる必要があった。しかも、婚約を破棄した後、ルキナがシアンと良い感じなっているとなれば、いろいろと噂も絶えないはずだ。
ただ「婚約破棄は普通のことだ」という意識を広めるだけなら、わざわざ自分をモデルにする必要はなかったかもしれない。しかし、ルキナは、この小説に限りなくリアルに近いフィクションであることを求めた。ルキナが意識改革を求めているのは現実で、小説の中だけで話が終わってしまっては困るのだ。この話がノンフィクションかもしれないと思う者が一定数いてほしい。幸い、ルキナは己の小説家としての名前は明かしておらず、今の時点ではルキナ=ミユキ・ヘンミルという等式を導き出せる者はいない。リアルさを求めるがゆえに自分をモデルにすることを選んだとしても、そのことが読者にバレるリスクはかなり低かった。
「僕は、あんなこと言ったことありませんよ」
シアンは自分がモデルになっていることを前提に話を進める。シアンが恥ずかしそうに小さな声で言ったセリフは、たしかにルキナがシアンをモデルにして作ったキャラクターのものだった。
「そりゃあ、簡単にモデルが見つかったら困るもの。設定はいじってあるわよ。登場人物に変なことをさせてみなさい?訴えられて多額の慰謝料ぶんどられるわよ」
ルキナは腕を組み、足を組んで言う。ルキナは、モデルにした者たちから訴えられたとしても言い逃れできるように対策をしておいた。そのため、全てが事実と同じなってしまわないように、いろいろと設定がいじってある。ただ、リアルに近づけようとしたのに、現実世界の友人たちがもともとキャラが濃いせいで、リアルに寄せるのには苦労した。さすが乙女ゲームの住人達とも言うべきだろうか。
「っていうか、読まないでくれる?恥ずかしいから」
ルキナはジロリとシアンを睨んで言う。とても恥ずかしがっている人間の言い方ではなかったが、ルキナが恥ずかしさ故にシアンに読まれたくないと思っているのは本当だ。すると、シアンは不満そうに口を尖らせた。
「なんで本として発売しておきながら僕には読まれたくないんでしょうね」
シアンは、度々、ルキナにルキナの書いた本を読むなと言われてきた。友達には読ませるくせに、シアンには読むことを禁止した。シアンはちゃんとルキナの言うことを聞いて、そういう本は読まなかったが、そろそろ我慢の限界だ。自分だけ駄目だと言われるのは、シアンにとって辛いことなのだ。
「知ってた?皮肉っておいしくないのよ」
シアンが刺々しく文句を言ってきたが、ルキナは読むなという言葉は訂正しない。すまし顔でシアンの文句をかわす。
「リュツカ、チグサ嬢が呼んでるぞ」
シアンがまたルキナに文句を言おうとしたところで、タシファレドがシアンを呼んだ。
「シアン、呼ばれてるわよ」
ルキナはニヤニヤしながら、シアンに早く行ってこいと言う。シアンも、チグサが呼んでいるとあれば、すぐに駆け付けるしかない。
「あとでちゃんと話聞かせてもらいますからね」
シアンは捨て台詞を吐いてチグサの方に走って行った。ルキナはその後ろ姿を笑いながら見送った。




