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状況が急変したんデスケド。

 ルキナたちはリュツカ家の屋敷を後にし、行きと同じく汽車で学校に向かった。その途中、ルキナだけ違う駅で降りた。ついでに家に荷物を取りに行こうと思ったのだ。ルキナは一人で列車を乗り換え、家に向かった。

「ただいま」

 ルキナが家に帰ると、使用人たちが慌てて出迎えに来た。ルキナが帰ってくることは誰にも知らせていなかったし、いつもなら馬車で来るのでタイミングも測りやすいのに、今日は静かに帰ってきた。出迎えが遅れても仕方ない。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 メイドがルキナにペコリと頭を下げる。

「ちょっと荷物を取りに来ただけだから」

 ルキナはそう言って階段を上り自室に向かう。その道中、メイドが夕食は食べていくかと尋ねた。

「んー、すぐ出ようと思ってたんだけど。せっかくだし食べていこうかしら」

 ルキナはギリギリまで家で過ごすことにする。夕食後でも、馬車を飛ばせばそう遅くならずに学校に戻れる。ルキナは夕食まで何をして過ごそうかと考える。取りに来た荷物は休みの日に着るための私服で、特段持って行く準備に時間がかかるわけではない。

「ルキナ、帰ったなら一言くらい言いなさい」

 ルキナが部屋で荷物をまとめていると、メアリがドアを開けて言った。どうせ使用人が伝えるだろうと思って、ルキナは両親に何も言わなかった。だが、どうやらそれは良くなかったらしい。

「ごめんなさーい」

 ルキナは軽く謝り、母親のそばに寄る。メアリは目線がほとんど同じ高さになった娘を見て、ふっと微笑む。

「大きくなったわね」

 メアリがしみじみと言う。ルキナは母親似で、髪色も目の色もメアリの遺伝子を色濃く受け継いでいる。身長も同じくらいになった母娘を見て、最近はハリスはメアリが二人いるみたいだと言う。ルキナも、たしかに自分は母親によく似ていると思った。

「ねえねえ、お母様はお父様とどうやって会ったの?」

 ルキナはふと気になってそんなことを聞いてみた。ルキナは両親のなりそめを知らない。メアリがそういうことを自ら語るタイプではないだろうことは理解しているが、聞いたら答えてくれるだろうと思った。でも、メアリは困ったように笑うだけ。ルキナは、聞いてはいけないことを聞いたような気分になって、どうやって話を変えようかと考える。その時、ハリスが二人のもとにやって来て、「恋愛結婚だよ」と言った。話そうとしないメアリの代わりに、ハリスが答えた。

「実は許嫁がいたんだけどね、メアリと会ってこの人しかいないと思ったんだよ」

 ハリスが恥ずかし気もなく言う。本人が目の前にいて、娘もいるというのにだ。メアリは何も言わないが、少し恥ずかしそうだ。

「いつ会ったの?」

「会ったのはたぶん上級学校の時かな」

「へー、同じ学校に通ってたの?」

「ううん。でも、一目会った時から、この人しかいないって思ってね」

「お父様の一目惚れだったんだ」

 ルキナとハリスが楽しそうに話していると、メアリが耐えかねたように走って逃げてしまった。ルキナは見逃してしまったが、メアリの顔は赤かったように思える。

(お母様って、意外と足速いのよね)

 あっという間に姿を消してしまった母親を見てぼんやりと思う。根っからの貴族育ちのハリスとは違い、メアリは身のこなしが運動ができる人のそれなのだ。ハリスが全く運動できないとまでは言わないが、やはり家で過ごす時間の長い貴族はそれなりに動きが鈍い。それに対し、メアリはどう考えても貴族育ちではない。

「ね、可愛いでしょう?」

 ハリスが恥ずかしさのあまり逃げてしまったメアリのことを想ってニヤニヤする。ルキナは、娘の前でなんてだらしないと思ったが、同時にメアリの可愛さは理解できた。

「そうね。私も男だったらああいう人と結婚したいわ」

 メアリは基本ドライで感情も表に出にくい。ルキナを叱る時や心配する時ばかりは全身にその気持ちが出ていたように見えるが、普段の生活ではあまり表情が変わらない。でも、だからこそ、今のように恥ずかしがったり、思わず逃げてしまうところがギャップになって可愛い。ルキナはハリスがなぜメアリと結婚したのかわかったような気がして、ハリスに賛同する。

「むっ、ライバルかな?」

「娘をライバル視しないで」

 ハリスがニヤニヤしながらルキナを見る。ルキナは、さすがにそれは気持ち悪く思って、ふんっと顔をそらす。

「でも、お父様に許嫁がいたなんて知らなかったわ」

 ルキナはハリスの思い出話を聞いて意外に思った。ハリスがわざわざ婚約者ではなく許嫁というところを見ると、おそらく許嫁相手に恋愛感情を抱いていたわけではなく、あくまで親同士が決めた関係だったのだろう。しかし、そもそもルキナはその存在を知らなかったので驚いた。

「まあね。こういう家に生まれるとそういうことも多いから」

 ハリスはそう言ってルキナの頭を撫でた。ルキナにもノアルドという婚約者がいる。これは親同士が、というより先代国王が決めたものだ。もしかしたら、ハリスはその婚約関係をルキナが破棄するだろうと思っているのかもしれない。

「血は争えないってやつかもね」

 ハリスはそんなことを言って、笑った。

「それは私も一目惚れをするかもって話?」

 ルキナはハリスの言いたいことがわからないというフリをして問う。それを聞いて、ハリスはもうそれ以上何も言わなかった。

「私ね、夢があるの」

 ルキナは唐突かもしれないと思いつつ、ずっと心に秘めていたことを話し始める。ハリスは驚いたように「ん?」と聞き返した。

「貴族も四頭会議も何もかもなくしたいの。身分の隔たりなんてなくなれば良いと思ってるの」

「そうか」

 ハリスが少し悲しそうに笑った。ルキナは、ハリスが貴族という身分を嫌っているだろうと思っていた。だから、きっとルキナの夢を応援してくれると。でも、ハリスは喜ぶどころか、むしろ辛そうだ。貴族であることをやめたくないのかもしれない。ルキナは、ハリスのことを勝手に自分と同じ考えをもつ人間だと思っていたが、ハリスは実は逆だったのかもしれないと思った。それはルキナにとって大変ショックなことで、夢を打ち明けなければ良かったと後悔する。

「そろそろ夕食の時間だ。メアリも待っているだろうし、行こうか」

 ハリスは空気を変えるように言った。ルキナも努めて笑顔で返事をし、何事もなかったかのように二人でダイニングに向かった。

 春休みが終わる前に学校の寮に戻ったが、それでもまだ数日しか家を空けていない。それなのに、ルキナは家族団らんの時間が久々に感じた。家族三人での食事は楽しかった。だが、同時に寂しくもあった。以前まではここにシアンもいた。当たり前にシアンがいたのだ。シアンが家を出てから八か月ほど経っているが、それでも慣れるものではない。

 ルキナは夕食後、すぐに家を出るつもりだったが、なんとなく家を離れがたく思い、もう少しのんびりしていこうと思った。でも、特にすることがあるわけではないので、屋敷の中をうろうろする。ルキナの屋内散歩はよく見られる光景なので、両親も使用人も何かあったのかと尋ねることはしない。ルキナは、夏休みまで帰ってくるのを我慢するのは難しいだろうな、なんてことを考えながらゆっくり廊下を歩く。

(そろそろ出ようかしら)

 ルキナは使用人に馬車の用意をお願いする。馬車の準備はすぐにできるものではない。もう少し出発まで時間がある。

(お父様たちに声をかけてこようかな)

 その時、玄関の方で大きな物音がした。ルキナはちょうど玄関の近くをうろついていたので、すぐに駆け付けることができた。玄関に行くと、ドアが豪快に開け放たれていて、その中心に、シアンが立っていた。ルキナは驚いた。なぜこんなところにシアンがいるのか、と。

(目が赤くない)

 ルキナはシアンの顔を見てさらに驚いた。シアンの目からは涙が溢れ出し、その瞳は以前の美しさを失っていた。チグサの左目のように、輝くようなあの赤色は消え、白くなっている。ただ、完全に色をなくしているわけではないので、視力もまだあるのだろう。

「良かったぁ」

 シアンはルキナの姿を見るなり、その場に座り込んだ。この様子を見ると、ルキナの無事を確かめにでも来たのだろうと予想がつくが、ルキナは心配をされる理由がわからない。

「どうしたのよ」

 ルキナはシアンの傍に寄り、しゃがんでシアンの手をとる。シアンの手は冷たく震えていて、ルキナは思わず両手でぎゅっとシアンの手を包み込んだ。そして、理由を聞き出そうと、優しく問う。

「私の血を飲まないでください」

 シアンがほっとしたように言う。ルキナに会えたことで力が抜けてしまったらしい。シアンは冗談でも言おうとしているのかもしれないが、とても笑っているように見えない。ルキナは、シアンが血を飲むなんて本気で言っているとは思わず、笑う。

「飲まないわよ。私にそんな趣味ないし、普通に他人の血を飲むなんて、体に悪そうだわ」

 ただ、ルキナも突然の展開に気が動転しているので、少々笑顔がひきつってしまった。ルキナはまたシアンが何か言うのではないかと待ったが、シアンは何も言おうとしなかった。

 ルキナはシアンがこんなところまで一人でやってきた理由を考えた。シアンがルキナに会いたくて来たのだろうと思うと嬉しくなるが、やはり恐れの方が勝った。シアンが衝動的にミューヘーン家を訪ねてくるくらいなので、ただ事ではないことは察しがつくが、ルキナにはそのただ事ではない何かが思い浮かばなかった。

 ルキナは、シアンの気持ちが落ち着いて、何か話してくれるのを待った。シアンは結局何も言わないかもしれないが、無理矢理問いただすのは違う気がする。とにかく、シアンが落ちつくまで待つべきだ。

 二人はしばらくの間、そのまま黙って見つめ合った。無言で目を合わせているなんて変なことなのに、不思議とおかしな気分にはならなかった。ルキナはむしろずっとこのままでいたいと思った。

 しかし、ルキナは大切なことを忘れていた。二人が堂々と会える立場にないことを。

 突然、シアンがルキナから手を離し、立ち上がった。ルキナには気づけない何かの存在に気づいたのだろう。ルキナも急いで立ち上がる。だが、残念なことに、シアンの反応すら遅かった。

「シアン・リュツカ、そこで何をしている」

 ルイス、、もとい、ルーエンの声だ。なぜかルーエンがミューヘーン家の屋敷に来ていた。ルキナはパニックになる。見られてはいけない人に、ルキナがシアンと一緒にいるところを見られてしまった。ルーエン、及び、秘議会は、ルキナがシアンの記憶をなくしていると思っている。だが、今はそれを否定する行動をとっている。ルキナは何か言い訳を考えようとしたが、うまく頭が回らない。

「…っ」

 ルキナが混乱していると、ルーエンがキッとルキナを睨んだ。ルキナは、その全てを見透かすような青い瞳にドキッとした。その目は、まるで嫉妬しているようにも見えた。その後、ルーエンはシアンの方を見ると、低い声で言った。

「シアン・リュツカ、ルキナ・ミューヘーンと会話をすることを禁ずる」

 ルーエンはそれだけ言うと、シアンの手首を引っ掴んだ。そのままシアンを引っ張って連れて行き、門の前に止めてある馬車に向かった。ルキナはただ呆然とその姿を見送った。途中、シアンが引きずられるように歩きながらルキナの方を見た。何か言いたげに口を開いたが、そこから声が出てくることはなかった。シアンはルーエンによって強制的に馬車に乗せられ、そして、二人が乗った馬車はすぐに走り去ってしまった。

(どうしよう)

 ルキナはその場にペタンと座り込んだ。シアンに会えた嬉しさのあまり、その危険性を忘れていた。これでもうルキナはシアンにこっそり会いに行くことは叶わない。それどころか、ここまで積み上げてきたものが水の泡になってしまうかもしれない。決行が決まっていた作戦も無駄になる。ルキナは一瞬の気のゆるみが招いた事態を後悔した。

 その後悔は、翌日になっても消えることはなかった。ルキナは早朝に家を出て学校に戻り、寮で女子にあったことを全て話した。ちょうど、ルキナが朝になって帰ってきたことを皆が心配して、いつでも話を聞ける状態にあった。

「まずったわ。まさかシアンの方からうちに来るなんて」

 ルキナはそう言って冷静を保とうとしたが、自分のしでかしたことの大きさは理解しており、余裕ぶることはできなかった。

「ルキナ、大丈夫」

 チグサは、ルキナの心中を察し、ぎゅっとハグをした。ルキナは涙が出そうになったが、ぐっとこらえた。一方で、ハグの役目をチグサに奪われたユーミリアは、羨ましそうにチグサを見つつ、作戦を練り直そうと言った。

「むしろ良かったじゃないですか。これで潔く堂々と動けますよ」

 シェリカがルキナを励まそうと明るく言った。

「とりあえず、皆さんと合流しましょう」

 シュンエルがそう言ったので、寮を出た。男子は皆、食堂にいるだろうと思い、ぞろぞろと食堂に向かった。その道中、ノアルドが目の前から走ってきた。

「ルキナ!」

 ノアルドが、手に一枚の紙を持ってルキナを大声で呼ぶ。

「ノア様?」

 ルキナは、ノアルドがひどく焦っている様子なのを見て、不安になる。どう考えても良くない報せだ。

「これを!」

 ノアルドは息を切らしながらルキナに紙を突き出した。ルキナはそれを受け取り、そこに書かれていることを読む。

「えっと…ノア様と私の…婚約を破棄!?」

 ルキナは驚いた。きっとこれは秘議会の仕業だ。

「昨日の夜、突然城に呼び戻されて、兄上からこれを渡されたんです。それと、シアンの部屋の前の木が切り倒されていました」

 ノアルドは早口で報告する。ルキナは、秘議会の動きが早いことに驚く。ルイスがミューヘーン家に来たのも早かった。おそらくシアンはずっと動向を監視されていて、秘議会に報告されていたのだろう。

(よっぽど私をシアンに近づけたくないらしいわね)

 こうなったら意地でも婚約破棄をしないでいてやろう。婚約破棄が秘議会の望むことなら、逆のことをしてやれば良い。ルキナがそのようなことを口にすると、ノアルドはすぐに頷いた。ノアルドも同じことを考えていたらしい。

 これまでルキナとノアルドをくっつけようとしていたくせに、ルキナにシアンの記憶があるとわかったら、途端に、「婚約破棄しろ」だ。王令でルキナたちを縛り、婚約破棄を拒否していた王はどこへやらだ。

「とにかく打ち合わせをしましょう。みんなもう集まってます」

 ノアルドはそう言い、生徒会室に向けて歩き始めた。ルキナは後悔で頭がいっぱいになっていたが、やるべきことが示され、それももう忘れてしまった。

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