1. 小さな恋と大きな秘密
あと1分。
私は目だけを動かし、イライラと時計を見た。
目の前では上司の昭野が、 「今洞さん、この作業だけでいいので……お願いできませんか」 と丁寧に頼んできている。
くっ……この丁寧な腰の低さ……清潔感……たまらない。
「無理です」
ピシャリと言い切ると、昭野の整った顔が情けなさそうに歪んだ。
ああ……可哀想。
可哀想すぎて、胸がキュン、と甘くしめつけられちゃう……っ!
顔が良いのが玉に瑕、だが……
「そこをなんとか……頼みますよ」
ペコリと下げられたその頭頂部が、課長に昇格してストレスが増したせいか、はたまた周囲への気遣いしすぎか、で少々薄くなりかけているのが、また可哀想で。
(瑕疵を補ってお釣りがくるぅぅぅ!!)
内心で悶えつつ、私は伊達眼鏡の縁をクイッと押さえた。
「私、朝から申し上げていましたよね? 覚えておられないんですか?」
「いえ、覚えています……」
「今日は残業できませんから、仕事は早めに回してください、と申し上げたはずです」
「いえ、部長が急に……」
しどろもどろの口調。ときめくこと、この上ない。
ああん。もっと困った顔を見せてほしい……っ!
そして、頭頂から毛髪がオールクリアされた後は、そこを優しく撫でてあげたい……。
妄想に心を和ませつつ、私は冷酷に言い放った。
「言い訳なさらないでください。されても困りますので」
「はい、すみません……」
時計の針が5時50分をさした。ついに、タイムアップだ。
……もっとお話していたかったけど、仕方がないな。
名残惜しい気持ちを、言葉にする。
「申し訳ありませんが、時間切れです」
断言された台詞に絶望的な表情をする、昭野。
そうそう。その顔が見たかったのよね……! もう……癒されること、この上無い。
最後は、少し御褒美を上げよう。
「明日、早めに出勤して始業前には終わらせます。それでお願いします」
「はい、ありがとうございます。助かります!」
深々と頭を下げる昭野。
部下に対してまで、こんなにペコペコしているようでは、きっと頭頂部の生命は後2~3年に違いない。
(うふふふ。もっと可哀想になぁれ♡)
失礼します、と軽く会釈を返して去る私の背に、「お疲れ様です」 と昭野が声をかけてくれた。
彼から見えているのは、黒いゴムで1つに束ねた髪と姿勢に気を付けた背中だろう。
どこからどう見ても地味な、アラサー独身OL。それが私だ。
私の、もう1つの顔…… それは、大好きな上司の彼には、決して見せられない。
★★★
ネオンに彩られた通りを抜けて、少し歩くと、隠れ家ホテルのような優美な佇まいの店。
黒地に流麗な金文字で 『辛子浣腸』 と描かれた、ゴシック風の看板の前を通りすぎ、裏口から入店する。
「おはようございます」
「おはようございます、シズナ様! お客さんの予約、もう3つ入ってますよ!」
さすがはナンバーワン、と誉めてくれる店長に 「おかげさまで」 と返して、私はロッカールームに向かった。
仕事用のグレーのスーツを脱ぎ、黒のハイレグボンテージに着替える。脚には網タイツとガーターベルト。
髪を束ねたゴムを外し、櫛で左右に解き流す。
(ふっ……完璧よ!)
鏡の中の私に微笑みかける。
そう、午後6時半からの私…… それは、M男の心を一瞬で支配する 『女王様』 なのだ。
さぁ…… 今日も、私の昭野たちを、しっかりと調教して差し上げなければね!