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素敵な人

「望君、起きて。おーーぉーい、あ、さ、だよー」


ほんわりとした柔らかな声が聞こえ、優しい手つきで揺さぶられた。ああ、朝だ。

ゆっくりと目を開けると、眩しい太陽の光が差し込んでいて俺は目を細める。一番に視界に入ってきたのは、オタマを右手にもってふんわりと笑う母親が立っていた。


「朝ごはんだよ、早く顔洗って一緒に食べよ」

「おはよう、お母さん」

「うん、おはよう」


朝の挨拶をするとふわりとまた笑った。

小さな頃「ママですよー」と言って育てられてきたものだから小学生くらいまではずっと「ママ」と呼んでいた、小学生の時人前で恥ずかしくて「お母さん」といったりしていたけれど、家では「ママ」だった。

中学生になって家でも恥ずかしくなり、どう呼べばいいのか迷った時期がある。ママはやっぱり恥ずかしいし、母さんというのはこの人には合わない気がする、母ちゃんやお袋はもってのほか。

それでお母さんに落ち着いたのだけれども。それでも学校では「なに、お前!お袋のことお母さんって呼んでんの!?」とびっくりされる。うーん、親の呼び方って難しい。


母親は「早くご飯食べましょうね」と言いながら俺の部屋を出て行った。制服はご飯食べてから着替えるので、俺は顔を洗うためにパジャマのまま部屋を出て、未だぼんやりとした頭で階段を下る。


そういえば今日はなんだか不思議な夢をみた、願いを叶えてくれるという不思議なカフェ。現実には絶対に起きないであろうことなのにやけにリアルな夢だった。


階段を下り終えると洗面所の扉を開くそこには、父親が寝癖で跳ねた髪の毛を水で撫で付けているところだった。うちの父親はやたらとこういうことを気にする、営業だから身だしなみには気をつけているらしい。


「おはよう、パパ」


母親の呼び方も悩んだのだが、父親はもっと大変だった。なんといっても「父さん」とか「お父さん」って呼ぶと「もうパパって呼んでくれないのかああ!!」と嘆きだしてとても面倒くさい。

こういう時俺が息子でよかったなと思う、もし俺が娘で「パパの洗濯物と一緒に洗わないで!キモイ!!」なんて言い出したときにはこの人の人生終わるんじゃないんだろうか。ちなみにこの父親は時間さえ合えばお風呂にだって一緒に入りたがる、仕方ないから付き合ってあげるのだけれど正直簡便してほしい。


「おはよう、望君。ああ、髪ハネてるよ、パパが直してあげよう」


にこにこと笑いながら父親が櫛を手に持つ、この人本当は娘が欲しかったんじゃなかろうか。


「あー……いい、ほらお母さん待たせたら悪いから」

「そ、そっか。そうだね、ママを待たせたら悪いね」


明らかにしゅんとした表情を見せる、この人こんなので仕事は大丈夫なのだろうか。そのまま食卓へと向かってしまった。俺はさっさとばしょばしゃと顔を洗って跳ねた髪の毛もそのままに食卓へと向かった。寝癖は学校に行く前に直せばいい。


そのまま3人で食卓を囲んで朝食の時間、俺は結構このぽかぽかとした空気を気に入っている。外でぱらぱらと降っている雨の音が混じるなかテレビを見る。

信じているわけじゃないけれど今日の占いを毎日欠かさず見てしまう。


「素敵な出会いが訪れるでしょう。だって。やったね、望君」

「う、うん」


何故か夢のことが脳裏にかすめて曖昧な返事をしてしまった。その後も母親と父親の星座占いの順位も発表されていたけれども、夢のことが頭にちらついて俺はなんだか落ち着かなかった。



「行って来ます」


母親のいってらっしゃいの声に見送られて外へと出ると、どんよりとした厚く黒い雲が空を覆って、ぱらぱらと雨が地面を打ちつけていた。

まだ小雨だがこれから酷くなりそうだ、学校へ行く間にはこのままの状態を保ってくれると良いのだけれど。透明なビニール傘を広げ、水溜りを避けながら足を進めていくと、地面を水滴が叩きつける力が強くなって、しだいに激しさを増していった。


「降ってきた」


傘を差しているものの水は跳ねる、雨の日に外出するのは好きじゃない。足早に歩いていくと、だんだんと学校へと向かう人たちが見え始め、足早に過ぎていく。

そんななか俺の視界に入って来るものがあった、道路の端のダンボールの中にか細く鳴きながら子猫が雨に濡れて震えていた。


ダンボールには「ひろってください」と文字が書かれている。捨てた人は誰かが拾ってくれると思っているのかもしれないけれど、あまりにも無責任だし、かわいそうだ。 拾ってあげたい気持ちはあるけれど、俺の母親は猫アレルギーで拾ってあげることは出来ない。

それに今から学校だってある、結局同情したところでなにも出来やしない。そこに子猫がいるってことを認識せずに足早に学校へと向かって行く人達とさして変わらないじゃないか。悲しい気持ちになって、それでもなにも出来ず、その場を立ち去ろうとしたけれどそのダンボールに近づいていく人がいた。


同じ学校の制服、顔は見たことがない。上級生だろうか?その人は持っていた傘を子猫のダンボールのうえに被せて雨に濡れないようにして、何かいいながらその子猫の頭を撫でている。その間もざあざあと降りしきる雨はその人へと降り注いで、なにひとつとして濡れていなかったその人の制服をびしゃびしゃに濡らしていく。それでもその人は気にしていないようだった、自分よりも猫が濡れないようになったことにほっとしているのかその顔には笑みさえ浮かんでいる。


「素敵な人だ」


思わずぽつりと呟いた。無意識のうちに呟いた言葉だったけれど突然夢の内容が脳裏に過ぎって、はっと首を振るう。俺はそこでなにを願った?「素敵な人と恋人になりたい」と願ったのではなかったか。今あの男子生徒のことを素敵だと言った。うん、素敵だ。あんなことできる人間はまずいない。でも。だからって恋人同士になりたいかといえばNO。あの人は男だし俺だって男。…って待て待て、何を混乱しているんだ?あんなのただの夢じゃないか、何をバカなことを考えている。もういちど頭を振ってそのまま学校へと歩いて行った。ざあざあと降る雨の音に耳を傾ける。この雨が変な考えを全部洗い流してくれればいい。


下駄箱で靴を脱ぐ。家が近くてもあの雨では靴が水を吸って靴下まで染み込んできてしまっていて気持ちが悪い。靴下を脱いで持って来たビニール袋の中に入れて口を縛って、タオルで足を拭く。備えあれば憂いなし、。幾分かましになった素足のまま上履きを履いて教室へと向かった。2年1組と札が掲げられた扉のしたを潜って自分の席へ鞄をおく。


「はよーのぞむぅー」


テンションの低い声が聞こえて振り返る、隣の席の康成だ。


「おはよう、て、泥まみれじゃん」


康成は悲惨な状況になっていた。学校指定の学ランにはべっちょりと泥が付着しており、髪にまで泥が跳ねて、水も大量に含んでいてぼたぼたと床に水溜りを作っている。


「それ教室来る前に水絞って来ないと!床!水浸しになってる!!」


こっちにまで泥水が流れてきて俺は足を椅子の上に避難する。


「グラサンかけたこわいねーちゃんの車に浴びさせられた」


車が水溜りに入って水が跳ねたのか。


「理由はいいから。着替えて、床も吹いて」


そのままでは風邪も引くし、制服からぼたぼた落ちる水滴は床をさらに侵食していく。近くにいた山田さんが驚いて一歩飛びのいている。


「着替え持ってない」

「俺のジャージ貸すから」


何を思ったのか康成はその場で服を脱ぎ始めた。


「ちょと待って!!ここは女子もいるんだから、ここで脱ぐな!」

「別によくね?」

「よくねぇ」


俺が叫ぶと理解してくれたのか、しぶしぶと言った様子で教室を出て行った。かと思ったら数分もしないうちに上半身裸で戻ってきた。


「やややややや、やすなりくんっ!なんて格好してるんですsっすか!!」


学級委員のみすずさんなんて声が裏返ってるじゃないか!やっぱり理解なんてしていなかった!!


「ジャージ持って行くの忘れた!」


ジャージがおきっぱなしになっていてよかった。康成のことだ、なかったらそのまま上半身裸で授業を受けていたかもしれない。



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