青く燃えないで! シャムール
♯1
N0!
I do not love me
Absolutely not
変えなくては……
殺さなくては……
♯2
のひょー♪ 広いですわ、果てしないですわ、このお屋敷。
ああ、ここが私のショクバになるのですね。これだけ広けりゃイイ男バイキング状態→なりゆきショクバ結婚→ゆくゆくコトブキ退社な「乙女の夢」すら完全成就。はふぅ、であります。そうと決まれば就職面接激勝ちあるのみでございますぅ!
って、だからぁ、面接会場はどこなんですか? 先ほどからおたずねしているでありましょう。どうしてどなたもいらっしゃらないのです。ま、まさか開始時刻を過ぎている? それどころか採用試験自体が終了している?
いえ、ちゃんと駅の時計で確認しましたもの、そんなはず。
で、でも、そういえば先刻、正面玄関より大量に流れ出たメイド服の一団は何だったのでありましょう? 泣き叫び、顔を覆い頭をかかえ、全力疾走なさっていた皆さんの姿こそが面接終了にて希望ついえるの合図だったのでは?
いやあーっ! 私ゼッタイ受からなくてはならないのですぅ! 面接終了なんて信じませぇん!
そ、そうですわよ。もしすでに採用グランプリが決定したなら、メイド日和にあてこんだあのカメコの皆様がその娘に群がって今ごろはお祭りのはず。なのにカメコの一群までシャッター切らずに先を争って門から出たのは何か他の理由があってのこと。絶対そうでありますよ。
みてごらんあそばせ、この静けさ。試験特有の重苦しき沈黙ふだんより増量中、ではありませぬか。試験はまだまだ続行中。そうです、そうにきまった。
だってそうでなけりゃあ、あまりに惨めなこの私。不合格は許されぬ「家賃滞納三か月、でもって荷物おいたまま出て行け処分検討中でもその前にちょいと風俗店ご奉公で不足家賃分払わんかいプロジェクト」が、あのハゲ大家によって発動されてしまいます。
試験会場に突入せよぉ!
輝け! 合格してドン底からはいあがりまショー!
って、だから面接会場はどこなんですか!どうして「面接はコチラ」の張り紙がボロボロになって床に散乱しているのですか? すでにこれはイジメなのですか?
ハッ、そうか! これは試験の一部? 私の試験はとっくに始まっている? すべては私の適応能力をかげでモニターする式のドッキリ型面接。カ、カメラはどこ?
「御玉賀池メイ・十六歳でございます。姓はおたまがいけ、名は片仮名でメイドのメイ。よろしくお願いいたしますですぅ」
ふふふ、読めましたわ。さあ、どこからでもいらっしゃい。全財産を捧げてしつらえた完全無欠のメイディアンスタイル。たっぷりDVD録画なさいな。ほーほほほ!
「グルルルぅ」
「は、はい!」
やっと声がしたでございます。この部屋からでしたよね?
「受付番号六万七千三百五番、御玉賀池メイ、入らせていただくであります!」
れれ? なんで開かないのよ、このドアっ! でございます。とおっ!
バキッ!
開きましたわ! 上半分だけギザギザ状に。
「ああん……」
こ、今度は女の人の声! しまった、何とおっしゃったかイマイチ不明。これって「どんな小さなご注文の声だろうともれなく聞き取りテスト」なのでは? も、もっとドアに顔をくっつけて聞かなくては。
りゃりゃ? 中は真っ暗? あ、いえいえ、真ん中が光ってますわ。青白くボーッと光るその中でなにやらうごめいているような……。
どわあ! ななななな何してるのでございますか、みなさんは! あ、いや、ここで大声だしたらきっと不合格。ででででも、裸の、おおお女の人が机の上に寝かされてぇ、へへへへヘンな毛皮をかぶったでっけえ男の人が、女の人をペロペロとー!
え? ペロペロ? トラ皮の敷物から舌が出てる? あんな長い舌が? じゃじゃじゃじゃあこれは、毛皮じゃなくってホンモノですかあ!
ああっ! 今度は女の人を引っくり返して、おおいかぶさるその勢いで大口あけて、たたたた食べられちゃうううう!
「やめてえ! きゃあああ! うえーん!」
カッ、カッ、カッ(靴音) バタン!(ドアの音)
「だれですっ、あなた! いつからこの廊下で泣いてるの!」
「ウェ、ウェ、ウェーン」
「答えなさい! ん? その服は、もしかしてメイド採用受験者かしら?」
「ああ、よかったぁ、無事だったんですぅ」
「無事? なにを寝ぼけているのです。さあ、だれなのか言いなさい!」
「受験番号六万七千三百五番、御玉賀池メイですぅ。あ? あなたさまは昨日受付してもらった、えー、確かメイド頭の、あーと」
「田頭です。やっぱり受験者なの? 今日は急に姿が変わ、いえ、事情が変わったので面接は急きょ中止ですよ。驚いて全員帰ったと思ったのに」
「中止! そ、そうはいかないんですぅ! 手ぶらで帰ったりしたら吉原たずねて三千里生娘売りとばし格安世界一周ツアー御一行様ご出発おめでとう、になってしまうですぅ!せめて面接なりともぉ! お慈悲でごぜえますぅ!」
「あっちが出口よ」
「ですからぁ」
「帰りなさいっ!」
「……あ、そう。そういう態度に出るんすか。そうすかそうすか、ふーん。お肌に直接バスタオル・じか素足ハイヒールがこのお屋敷の正式メイド服だったんすねぇ?」
「こ、これは今シャワーしてたから。面接中止なんだし」
「私このまま警察いっちゃうかもしんないなあ、でございます」
「ええっ? な……」
「それとも保健所とか税関ですかぁ? あんな大型野生動物こんなところで放し飼いなんてねぇ、でございましょう?」
「う、な、何のことかわからないわ」
「別に何でもないですよぉ。ただ私ぃ、メイド募集試験に来たから面接受けたいかなあって、それだけのことでございますけど」
「くっ。わかったわよ。もう一つ上の階で待ってなさい」
♯3
「えーと、ご主人様は? だれもいない?」
「これです」
「これってラジカセ? あの、どういう…」
「お館さまはご不在なのです。長期の海外出張で。しかしお館さまが直々、メイド面接用のご指示をテープに吹き込まれてお残しになっています。ですからそれで」
「はあ」
「ふん。そのような返事のしかたではつとまりませんね」
「す、すみません」
「それからお館さまは極端なキレイ好き。そんな涙と鼻水でよごしたメイド服ではとてもとても。はんっ」
ううう、ケンアクぅ。いかん、このままでは……。おおっ、大変だ! あんな美しい超高級テーブルクロスの上に、ねねねね猫が!ご主人さまはキレイ好きなのに!
「おらおら、このネコどかんかぁい、とっとと廊下に出とれやあ、でございます!」
猫はニガ手なのです。早く放り投げるです。ほれっ。
「バ! な、何するの!」
おほーっ、いきなりダイビングレシーブ。この人バレーボールの選手なんだあ、きっと。あ、でもないか、勢いあまって階段下。すごい迫力ですねえ、この階段落ち。そうか、映画の大部屋女優さんかあ。って、納得してる場合か、でございます! 田頭さーん! だいじょうぶでありますかあ!」
※
「では、ご家族のかたに連絡ついたら病院のほうへお願いします」
「はあ……」
「あの、メイドさんですよね、ここの?」
「え? は、はい! もちろんっす!」
おお、救急士のかたから既成事実ゲットぉ! ここはなしくずし的すでにここのメイドと世間が認知で正式採用作戦発動ですわ!
「では病院に運びますので」
救急車さん、田頭さん、さようなら~。おーし、これで押し切るでありますよ。そうよ、ご主人様にそうご報告してしまえばいいのよ。厳正なる審査の結果、御玉賀池メイが採用されましたと。うひょひょひょー。ねえ、私ってちょっとワル? ワル? ぬひょひょひょ。
それにしても、まずあのテープをチェックですわね。三階、三階と。
あれ、またラジカセのとこにあの猫がいる。テーブルからおりなさいっ。コロコロの三毛猫、ほんとにここの飼い猫でありますか? しっ、しっ。あ、カーテンの裏に入っちゃった。あとで追い出さないと汚すでございます。
では、スイッチ・オン。
「……予が当屋敷の主シャムールである」
(…………)
「予が主のシャムールであるっ! 聞いておるのか!」
「え? あ、はいはいっ! ??」
「よく聞くのだ、メイド。まずお前がやるべきは」
「やるべきは、って。これ面接用のテープのはずよねえ」
「いいから聞かんか、このメイドめが!」
「ぬわっ! は、はいであります。???」
「まずお前がなすべきことはメイド頭・田頭の言いつけに絶対服従すること」
はあ、それがご入院中なのでございましてねえ。はは、やっぱテープねえ。不慮の出来事には対処できないのでありますねえ。
「ただしメイド頭不在の場合はシャムールに従うこととするものなり」
そりゃもうご主人様ですもの、帰ってらしたらなんなりと仰せに従いますですよ。でも今はいないもんね。うわあ、これってなんかいい感じ。もう採用済みって雰囲気ですわあ。
「返事は?」
「へ?」
「返事を! シャムールに従うか!」
「はい! も、もちろんでございます。お帰り次第に」
「よく聞くのだ、メイド。この場合シャムールとは予の愛猫のことである」
「アイビョウ……ね、猫ですか?そんなあ」
「メイドよ、シャムールは人語を解する。また彼は紙片を以ってその欲せざるところを汝に通知するであろう。主だった部屋には予があらかじめ用意した指示書が置いてある。予が帰るまでシャムールの面倒を十分にみなかったときは違約金のほかに多額の損害賠償金が請求されるであろう。ついでに動物虐待の訴えも。わかったな。以上である」
「ままま待ってください。お給金も猫からもらえと? せめて今月分の家賃を持って帰らないと即刻出国手続きなんですぅ!」
「給金についてはシャムールが所定の引き出しを示すであろう。しかし言っておくぞ、頭軽ろきメイドよ。シャムールが導く部屋以外にはけっして入ってはならぬ。特にこの三階の奥の部屋へ近づいてはならぬぞ、よいな。終わり」
「ニャーゴ」
あ、猫が食器棚をひっかいて! やめなさ……あ、ひょっとしてこの引き出しを? おひぇーっ! さ、三万円! じゃ、テープの言うことはホントなのでございますね。
「ニャハハハ。ングング」
ってことは、一番のお宝は三階のこの奥の部屋にあるってことでございますねっ!
「ニャゴ?」
すすめ、トレジャーハンター私。宝の山を確保せよ!
「ニャ、ニャニィ?」
財産の所在位置確認こそメイドたる私の責任。ああ、この重責に耐えねば。行けーっ!
「ニャメニャメニャメーッ!」
♯4
ほんとしつこい猫でしたわ。
急に「食事にすべし」だの「散歩させるべし」だの、やたらに紙切れ持ってきて。いったいナニサマのつもりでございましょう。でもしょせんは畜生。お出かけ前にはシャンプーリンスと言ったらシャワールームにのこのこと。閉じ込めて正解でしたわ。これ以上つきまとわれてはたまりませんもの。
さあ、奥の部屋ですわ。電気をつけます。
ジャワランっ!
おお、ゴージャスなこの響き。明かりをともすシャンデリアの音がセレブでしょう。やはりこの部屋で決まりです。えーと、この書き物机からまいりましょうか。
ギバッ! メリメリメリッ!
ほらほら出ました、現金の束が二つ、三つ、四つ、ふふふふ。って、何にもないじゃありませんか! なんでございましょ、この錆びた鍵は? ラベル付き?
『宝物蔵 Aー3』
えええーっ! 宝物蔵とはどこですかぁ!お、落ち着いて。きっとこの部屋のどこかなのであります。なるほど立ち入り禁止なわけですわ。ゲッチュアチャーンス!
よく見ると、やたらクローゼットの多い部屋なのです。おおっ、それぞれナンバーがふってあるじゃございませんか。「Aー1」がありますよ。そしてここには「Aー3」が!鍵は合う? ひ、開きましたですぅ!
ほお、ダンボール箱の山。そうきましたか。察するところ証券類かスイス銀行は秘密口座番号のメモがぎっしり。さすが大物! ではこの箱から。どうだっ!
え? 古着? カ、カモフラージュ用の箱にあたってしまいましたね。次! また古着? じゃこっちは? こっちはこっちはこっちは! だ、だめだハアハアハア……。なぜにこんなハムレット様がお召しになりそうなヒラヒラ付きの男もの古着ばっかしなんですか! サイズもみんな同じみたいだし。そうか、金銀の糸で織ってある? いえ、ちがいますねえ。
おお? 箱の山がくずれて何かが頭を出していますわ。これ額縁? あ、絵なのです。肖像画みたいですけど、ここちょっと暗くて。あらら、急にライトが。金色の照明とはさすが高級クローゼット。
うわおっ! なんとお美しいおかたでしょう! クリーム色の巻き毛がふんわり頬にかかって、まるで王子さま。もろタイプ。宝さがしも忘れて思わずうっとり、ですわん……。ん? この絵ったらますます金色に輝いていくでございます。も、もしかしてこの絵自体が金細工とか! となればこの絵こそが「宝物蔵」の超お目玉品? やりましたわ! おお、どんどん輝くもんだからこの広いクローゼット全体が金色にゆらゆら揺れて。
「きさま誰だ! そこで何をしておる!」
は、背後から声が……うぎゃあ! な、なんですの!と、虎? 虎が金色に光りまくってるぅ。これはあんたの光だったんすかあ!
「た、助けてー!」
「なんだ、お前か。予にシャンプーをほどこすと申したくせに急に消えおって。おかげで予はバスルームにおいてけぼりだったぞ。こんなところで何をしておる、メイド?」
「え? 誰が話しているのでございます?」
「予だ。ようく見い」
「ああっ! 虎がネコになった? 青い炎も金色の光も消えたのであります。あれあれ? あんたシャムールでございますか?」
「何をしておるかと聞いておる、メイド」
「シェーッ! この猫がしゃべっているざんすか?」
「む、きさま、ざーとらしく昭和なリアクションとりおって。予が年寄りというあてつけのつもりか。早くそこから出るのだ!」
「おごーっ! 話してる、ほんとに猫がお話しているのでございますですぅ! こいつを売り飛ばしちまえば大儲けなのでございますぅーっ! 一発逆転、貧乏脱出大作戦! やっとわが家に春が来る、この春のがしてなるものかっ。いえーいっ!」
「あ、何をする? 首をつかむな!」
「私、小動物の扱いには慣れていますの。さあ、おとなしくそこのダンボールに入りやがれでございます」
「き、きさまそういうやつだったのか。さてはバスルームの戸もわざと閉めきったのだな。むう、今までおとなしくネコかぶりおって」
「ネコはあなた様でございましょう。ささ、この中へ」
「おのれ!」
「うわあああっ! と、と、虎になったあ。忘れてたあああ! おまけに青く燃えているぅぅぅ。ななな、なんなのでございます、その青い炎は! 青い火なのになんでまわりが金色に染まるのですかあ! これって一体全体なんなんですかあ! ああ、イケメンと二枚目のちがいって何ですかああああああ!」
ピンポーン。
「正直に言え。その絵を見たのか!」
「ははは、見てませんともゼーンゼン。絵ってなんですか、エ? なーんつって。はは」
ピンポーン。
「よりによってあの絵に手をかけるとは。ほかのことなら許せもしよう。だが」
「ああっ、何ですの、そんな鋭い爪を私の胸にひっかけて! シャムールやめなさい! 誰かいないのー!」
ピ・ン・ポーン!
「新調のメイド服を真っ二つにするのは気もひけるが」
「誰でもいいから偶然とおりすがってぇ!」
ピ! ン! ポ! ンンン!
「どうして誰も来てくれないのぉ!」
「だあああからっ!来てるでしょ! ピンポーンってさっきから鳴らしてるだろっ! 無視すんなよっ!」
およっ、そういうあなたはメイド頭の田頭さん? 病院からお戻りに? まあまあしっかり松葉杖なお姿で。
「おお、マダム。大事なくてなにより」
「こ、これはどういうことです、シャムール様? なぜこのメイドがここにいて、しかもその胸を開こうとしているのですか?」
「え? 予がメイドの胸を? あああっ! いや、これは」
「わたくしというものがありながら……。四百年もの禁欲は耐えがたいと泣きつかれるから無理をとおしてわたくしは……なのにこれほどふしだらなおかたとは。ああ、やっぱり急いで帰ってよかった」
「マダムはかん違いしておられる。もとより弁明など必要ないが、つまり」
「あなたなど、これでもなめていればいいでしょう!」
「うわ、それだけは! マ、マタタビだけは、どうか! う、うーん……」
ほえ? また猫になった? 猫がホントの姿なのでございましょうか? なにやら野草を一本抱いたまま倒れてしまいましたけど。
「いたたた。立つのもつらいわ。あんた、こっち来なさい」
「は、はいです」
「余計なときに余計なものを見て。いいこと? このまま外へ出たら殺すわよ」
「こ、殺されるのでありますか!」
「だけどわたくしのいうとおりにすれば考えてあげてもいい。いたたた。まずわたくしを下の部屋のベッドへ連れていきなさい」
まあ、弱ってらっしゃいますのね。殺すなんてとても無理じゃございませんか。どうぞご心配なさらずに。私、外へ出たりいたしませんから。だってここに居ることに決めたのございます。〝しゃべれて、青く燃えて、金色に染まる虎猫〟という宝の山をみすみす捨てていかれっかよ、でございますもの。
♯5
「へいへい、田頭さんのおっしゃるとおり一回りしてきましたです。台所の様子もつかめましたから、これから温かいミルクとビスケットをご用意……あれ?ちょっと田頭さん? 寝てる?」
しめしめっ! お宝回収再開ゴーッ! とにかくあの絵を確保ですわ。あれだけ騒ぐのですもの、よほどの貴重品なのであります。万一売れなくても私好みのカオですものぉ☆私のお部屋に飾りましょう。も、もちろんちょっとお借りするだけなんですからっ。その、家賃が全部払えるまで、なのでありますよぅ。
さーて、この部屋ですわね。トラ猫はまだ寝てるのかなあ? あ、いないです。ラッキ……ええっ? だ、誰か倒れてますですよぉ! お、女の子が! しかも何も着ていない? 金髪だし、外国の子なのですか? ちょっとしっかりして。起きて欲しいのです!「うーん……」
寝返りうった。
「えええーっっっ! お、お、男の子!」
ししーッ! でございます。階下でメイド頭が就寝中でありますぞっ。ででででも、こんな外国産の美少年さまが私の目の前でかくもあらわに仰向けに! う、う、う、うひょおーっ! だ、男子ってこうなっているのでありますかっはっはっはあはあはあ……。
「メイ、これはチャーンスなのよ」
な、なにがでございましょうか、私の心の声よ。
「変われるチャンスじゃないの!」
か、変わるって?
「あなたイヤなんでしょ、昨日までの自分が。なんとか少しでも自分を変えたいからそんなメイド服まで買いこんだんでしょ?」
そ、それは、まあ。
「そんなに無理していっぱいしゃべるのも、二度とひとから無口だって馬鹿にされたくないからだよね?」
…………。
「無口にもどってるよ、ほら」
とんでもございませんわ! もう私は十分変わったんですからっ!
「じゃあ握ってみろよ」
はい?
「ほれ、目の前にあるじゃないか。見るのも初めてなんだろう?」
あーたね、何いってるざますか。わ、私そのような考えなど脳みそにかすりも……。
「ひとりごとはもういいから。そら、股間に手をつき出せ。それそれ、こうだよ」
あ、あああっ! に、握ってしまったでございますぅぅぅ! は? なぜこのようなときに眠気が? 強烈に眠、い、……あ……
「起きて! 起きて、レディ!」
「はやん? あれ、この子いつの間に起きたのでございますか?」
「何ねぼけてるの? ボクは寝てなんかいないよ。おねえさんが道に倒れていたから起こしてあげたのさ」
「キャンユースピーク・イングリッシュ?」
「日本語でいいでしょっ!」
「それに、服きてるじゃないの?」
「え? そりゃそうだよ。散歩するときは誰だって着るでしょう?」
この子の服、とっても風変わりだわ。学芸会のような、仮装行列のような、いかにもどこかの王子さまって感じで。髪の毛も金髪というかクリーム色で……はっ、これは!
「あなた、もしかしてあの絵のヒト?」
「?」
「あれはあなたを描いた絵なのね? そうよ、そうなんだわ。そっくりだものね」
こいつ、きっとお金持ちのおぼっちゃまにちげえねえ、でございますわ。このお屋敷のオンゾーシかも。こいつなら金のありかもよく知ってるはず、さっそく案内させちゃおう。って、こ、ここは一体なんなのよ? あの部屋はどこいっちゃったのでございます!
「ここは何? どこなの? なんで花や小鳥や小川のせせらぎが?」
「ここは王宮直轄領の狩場だよ? と思うけど」
「思うけど、って?」
「ボク、あの……道に迷っちゃったみたいなんだ。おねえさん道わかるんでしょ? ボクをお城へ連れて帰ってくれますか?」
「え? 私が? どうして?」
「どうしてって、おねえさんとても賢そうなレディだし、それに……きれいだから」
「き、きれい?」
「うん……う、う、う、うえーん!」
「あ、急に泣かないで、坊や」
「坊やじゃない、もう九歳だもん。えーん」
「泣かないで、ね?」
「教えてよレディ! ボクどうしてここにいるの? どうしてさっきからここを出られないの? 歩いても歩いてもどうしてここに戻ってきちゃうの? お家に帰りたーい、うえーん!」
どういうことなんでございますか? なぜここはさわやか青空風光明媚でヨーロッパ新婚旅行おふたり様ゴアンナーイ的な草原なのでありますか? あの絵クリソツなこの子は何者ですかあ? ああもう頭があ! だからイケメンと二枚目のちがいって何なんですかあああああ!
「その問い、答えてやろうかえ? ふふ、その小僧さえこちらへ渡せばな」
わわっ、なんなのいきなり黒マントのこのオバハンは?
「こ、こわいよう。こいつ森の悪い魔女だよう」
ま、魔女? ですか。
「腰にしがみついた小僧のその手をふりほどくだけでよいのじゃ。そしたらさっきの問いにも答えてやろうぞえ」
「え、ほんとにほんと? って、なりゆき上この子を渡せるわけないじゃないの。ほっといてあげなさいよ」
「お金を払っても?」
「お金とか、そういう問題じゃないっ!」
「レディ!」
「って、私いま何て言ったの?」
「けっ、ならばよいわ。ふたりして猫の身にでも堕としてくれようぞ。魔覇招鬼シャムール堕畜永劫回回」
「うわあ、く、苦しいよ、レディ!」
「どうしたの坊や、しっかりして!」
「手が、足が、頭が、熱い、燃えちゃう、ちぎれちゃうよう! 助けてレディ!」
「熱いの? よし! こっちよ、いらっしゃい、走って! とびこむのよ!」
ザップーン。
「この川の流れにのって逃げるのよ。あれ? ガブブ、しまった! お、泳げないんじゃないの、私! ガボボボボ」
「レディ! カポポポポ……」
ぷはっ!
「い、息が、できる、ゲホッ、ゲホッ。息ができるよ! 助かったわよ坊や! あら?」
なんで? どうして? ここってもとの部屋ではございませんか。んー? なんでございますか、右手にクニャリのこの感触は?
「おひょぉぉぉーっ! ま、まだ握ったままでありましたあああ!」
「うーん……」
ね、寝返ったでございます。
それより今のは何だったのでありますか?夢を見た?
「さ、寒いよう……水の中……」
「ま、待っててね坊や! すぐに暖かくしてあげるのであります。さ、こっちのソファへ移りましょう。この毛布をかぶって。そうだ、すぐに温かいミルク持ってきてあげるのでございます。そこから動いてはだめでありますよ」
台所へ急ぐのであります!
♯6
チャポッ、チャポッ。私の手の中で温かく揺れているこのミルク。さあ早く、あの子に運んであげるのでございます。
「坊や、温かいミルクよ。これを飲んで元気になって。さ、毛布をとりましょうね。ゴワワッ! いたたぁーっ! 何するの!」
「きさまぁ! 予の顔に毛布なぞかけおって息をとめようとしたな! 許さぬ!」
「ああッ? 毛布の中はシャムール? 痛いっ! 頭をたたくのはやめなさーいっ!」
「なぜ予の命を狙う? 申せ!」
「猫になんて毛布かけないです! あの子はどこへいったのでありますかあ! 痛い!」
「あの子とは? よ、よもや、きさま。予のまことの姿まで盗み見たか!」
「まことの姿……ええっ! あれシャムールなのでございますか。ははははははは」
「笑う場面か?」
「笑えませんっ!」
「じゃ笑うな! この無礼者めが、すておけん! 心して聞け、メイドよ。お前が見た予の真の姿こそ、さる大国の皇太子なのである。ま、驚くのは無理ないが」
「驚かないよ知ってるもん、でございます」
「え?」
「春風にあそばせるその長き髪こそ黄金の調べ。その瞳の青きこと森の湖に勝れり」
「む……」
「笑うと右の頬にぽっこりエクボ。泣くとまず左の目から涙こぼれる愛らしい九歳の童」
「ふむ、まあそのようなとこだな」
「やっぱりあの子でありますか! するとあの黒マントのおばさんに魔法をかけられたのでございますね! それで猫の姿になったのでございましょう?」
「まあね。って、なぜあの『女』を知っておるのだ! それに笑った顔とか涙とか、どうしてそんな予の表情までわかるのか! やはりおかしいぞ。どこでそのようなものを見たのだ。言え!」
「どこって、そりゃさっき一緒にお話したときでしょう?」
「?? 何のことか」
「小川のほとりのお花畑で」
「花畑、とは?」
「シャムールは何も覚えてないのでございますか? 気絶してたときのこと?」
「あたりまえであろう! 気絶中のことが思い出せるようならば、それはもはや気絶とは言わぬのだ。この低能メイドが!」
「て、低能とはなによっ! このみさかいなしスケベネコめが、でございます!」
「ご主人様と呼ばぬか! おのれかずかずの罵詈雑言。やはりお前はクビだ。だが帰す前に脳みそをゴチャゴチャにかきまわして全て忘れさせるからな」
「どひょーっ! そ、そんなことさせはしませぬでありんす!」
「ふん、かきまわすほどの脳みそがあるのか心配だがな」
「そんなこというお口はお仕置きよ! 魔覇招鬼シャムール、ええと、それからなんでしたっけ?」
「おおっ、忘れもしないその呪法! ぬぬぬ、きさま『女』の一味なのだな?怒髪天! メラメラメラーっ!」
「めらめらめらーって、まさか……ぬおおおおうっ! やっぱり青く燃えあがったぁ!トラになっておりまするぅ! 青い炎なのに全身金色のトラになるのはなぜですかあ! 金製のトラ一頭、質屋でいくらになりますかあああ!」
「覚悟! グオーッ!」
「こ、今度こそ食われる? いやあー、やめてー、たすけてー、せめてイケメンと二枚目のちがいを教えてからああああああっ!」
「お答えしましょう」
「へ? あんた誰?(メイとシャムール同時に)」
「まずは回答をすませてから」
なんざましょ、このちっこいサラリーマンは? それとも屋敷の執事かなんか? 黒いスーツに黒帽子、黒い手袋、黒い靴……まさか煙突掃除屋さん?
「イケメンとは(イケてるメンズ)+(イケてる面)の合成語。そして二枚目とは歌舞伎用語でその昔、芝居小屋前にかかげた出演役者の看板のドンと一枚目に来るものは主役・座長の看板役者。三枚目にはコメディリリーフの道化役。その両看板に挟まれた二枚目こそが女にもてるヤサ男役者というわけで。おわかり?」
「はあ」
「イケメンか。こういった無用な新語の氾濫こそはまことに好ましい兆候ですな、実際」
「ぬし、誰の許しで屋敷へ入った! 名乗る名があるなら申してみよ!」
「ランダム社・調整部配属を拝命しました新入社員のPでありまして。別名〝地ならし屋のピー〟と電話交換手に申していただいても通じます」
「その場合、〝申して〟は誤用であろう。正しくは〝おっしゃって〟だ」
「へえ、シャムールって国語辞典みたい!ちょっと見直したでございます」
「ちょっとではなく盛大に見直さんか。まあよい。ふふ」
「誤記訂正は好ましくない兆候ですな。当方といたしましては」
「だから、きさまっ! 何用あって」
「あんたに用があったんです! そこのメイド服のねえちゃん!」
「わ、私でございますか? ねえちゃんではないのであります。このスケベドラにさえも〝レディ〟と呼ばれる身の上ですよ」
「誰が? いつ? どうしたらこんなアホをレディなどと?」
「シャムール! ユーは何にも覚えてないんですから黙って、静寂、世はすべてこともなしでございますよ」
「それだよ、それそれ、そのあんたの話し方。でたらめなようでいて変に統一性があるのが困るんだ。見てごらんなさい。瞬間的に針が振り切れましたぜ」
「腕時計の針がふりきれるのですか? けっこうアナログでありますね」
「こりゃ腕時計じゃない。反エントロピー測定器です」
「きさまこのメイドに用があるのか。ならばさっさと回収していけ。許す」
「火曜金曜の生ゴミですか、私は。それに今日は収集日ではございませんよ」
「ただし連れて行く前に、こやつの脳みそをちょいちょいと」
「だが、今はあんたにも用がある」
「予に?」
「あんた本当の虎だな? じゃなぜ話せるんだ! 呪法とかいってたが、まさか……」
「予に面会なら手続きをとってから参れ!
きさまごとき若造に魔導師の何がわかるか」
「魔法なのか、やはり! チッ、やっかいな奴にはやっかいな仲間がくっつくってわけだな。いいかね、あんた。魔法ってのはこの世の不合理性をかき集めてファイル名をつけ、統一性を与え、管理し、呪文キーワードのもとに任意実行しようっていうまことに好ましくないアプリケーションなんだ。ひょっとしてあんた、魔法かけられてるな?」
「む……」
「その女中とあんたの存在のおかげで、見ろっ! 針が戻らなくなった。ここはもうエントロピーの墓場・ブラックホールと化してるんだぞ!」
「何者だ、きさま!」
「だからランダム社の新入社員なんでね。夕方五時までにはノルマ報告書を提出しなけりゃならないんだ」
「なにをするつもりか知らんが」
「そうよそうよ、シャムールはともかく私だって今日中に大家さんのとこ行かないと」
「よし! シャムールってのが虎の名前なんだな? 勾勾曲曲、魔覇招請シャムール滅消護邪」
「ううう、く、苦しい、きさまぁ、魔法は好ましくないと申したくせに……グォッ」
こ、この苦しみかたは夢の中のあの子と同じ。おお、金色の虎の毛がまるであの子の波打つ金髪のよう……ハッ! そ、そうなんだ。やっぱりシャムールがあの子なんだっ!
「シャムール、シャムール、シャムール! しっかり! こらあ、煙突屋っ! ソージャ、ソージャ、サラソージャ、ショギョームジョーの響きアリーっ!」
「何だと! 何て言った?」
「そっちが呪文をかけるなら反対魔法でいくまでよ、でございます!」
「ンやぁ」
「落花の雪に踏み迷うカタノの春のサクラガリ、モミジのニシキを着て帰る嵐の山の秋の暮れ、一夜をあかすほどだにも、ペニーレインでイチゴガリ、旅寝となればもの憂きに、カイジャリソージャのスケソーダラ、憂きをばとどめぬオウサカの、バンパク終わって四十年、アノコロ君はワカカッタ、ゆくえも知らず思い置き、月光町はイイトコロ!」
「めェェ」
「文治二年の春のころ、おててつないでヨーチエン、きさらぎやよいのほどなれば、余寒もいまださめやらず、イヨカンポンカンデコポンポン、谷のつららもうちとけずぅ、遠山にかかる白雪はぁ、ナンデアール愛デアール、散りにし花の形見なるぅ♪」
「ろぉぉォォォ!」
「さりながら生まれおちてよりのち背一寸ありぬれば、クシャミ三回ルルサンジョーホーシはサイユーキ、コムラガエリなキムラカエラよ、一寸法師と名づけたりーっ!」
「やめんかあ! ハアハアハア、い、息苦しい。あああっ? 測定器から針が、と、跳び出してる。局地的に危険なほどエントロピーが低下してるぞ! くそう、おまえのせいだ! 『やめろ』とおれが一言いう間に、ううう、あんなに濃くしゃべりおって。しょ、昭和式まで組み込むとは、こ、こしゃくなまねを。ハアハアハア、ちくしょう、ゼーゼーゼー、こ、こんな成績じゃ、け、研修所に戻されちまう。いやだあ、あ、朝の六時から、べ、便所掃除は、い、や、だ……バタリ」
倒した。フゥ、夕陽がやけに目にしみるわ。
「ま、まだ午前だろメイドよ。ううう、頭が痛む。おお、あやつが? やったのか!」
「ほよ? また猫に戻ったのでありますかシャムール?」
「ならばお前は魔女の一味ではないのだな、メイド?」
「あたりまえでありまする」
「にしても、こやつの呪法、あの『女』のものに似ておった。ランダム社とはなんだ?」
「あ、倒れてる人の頭をそんなにしばいたらいけないのです」
「じゃこうしてやる」
「オ、オシッコかけるのはもっとだめでございますよォ! ほら、目をさましたであります」
「ト、トラがいない? ひっ! 女中め、いたのか! きょ、今日は見逃してやる。だからこっちへ来るなあ! ひ、ひとりで立てる。あっち行けーっ!」
逃げた。あ、階段でこけましたわ。田頭さんより派手に落ちるとはなあ。すると煙突屋さんではなく、大手映画会社の超大部屋俳優さんなのでありましょうか。ナゾなヤツ、ですわね。
♯7
「わが警視庁の資料によれば、ランダム社の構成は」
「あ、あのう、すいません失礼しますです。ちょっとちょっと、シャムール」
「なんだ、メイド」
「この人ホントに刑事さんなのでありますか?」
「そうだ。現役のな」
「そいでシャムールのお友だち?」
「だから客の前でくらいご主人様と呼べんのか、おめーは」
「なんでこんなお友だちがいるんです! あんた猫でしょう!」
「どうしますか、シャムール様。ランダム社の報告を?それともお嬢様のご質問から?」
「まあ刑事さんたら。お嬢様、ですか?」
「メイド、早く茶をいれよ。菱目、報告をたのむ」
「お茶とはなによっ、でございます。さっきシャムールを助けてあげたのは誰ですか!」
「ああ、いいですよお嬢様。お茶ならこの猫たちが。さ、お行き、おまえたち」
「わあ、可愛い子猫さんたちなのですぅ。でも、どうして子猫たちが?」
「シャムール様、ランダム社は世界各国の大企業が出資して作られた多国籍企業で、本社はロンドンにあります」
「で、何の会社か」
「はい。その創設の主旨は『エントロピーの極大化』にあるそうです」
「エントロピー? たしかあの小僧もそのようなことを。何なのだ、それは」
「エントロピーとは熱物理学の用語で〝ものごとのデタラメさの度合いを表すもの〟だそうで」
「ほお。で、そいつが『極大化』するとどうなる?」
「世の中がすべてめちゃくちゃになるということでしょう」
「ランダム社とは悪の秘密結社なのか!」
「いえ。エントロピーが極大化して宇宙全体が〝熱的死〟を迎えるというのは物理学上の話でして、ランダム社のよりどころはこちらにあるのです。この本をご覧ください」
「これか? えー『エントロピー増減が経済にもたらす致命的効果の考察』とな?」
「ノーベル経済学賞のスタニフラフスキー教授の著書です。これを鵜呑みにした経営者たちが大儲けの独占をもくろんで作った組織がランダム社です」
「よくわからんが? で、こやつら何を作っておるのか」
「メーカーではありません。が、あえて言えば〝情報を作ってる〟ということでしょうか。実を言うとランダム社の主な活動は企業買収と妨害工作なのです。しかも無国籍のプロたちを大量にかかえる一種の傭兵組織が実体なのではないかと警視庁では分析しています」
「傭兵組織! 戦争屋か!」
「ひょえーっ! ト、トーワキコウ?」
「わからんなら黙っておれ、メイド」
「たしかにノンボーダーの兵力ともいうべきものを所有しておりテロまがいの行為が行われている疑いも濃厚なのですが、彼らの目的はあくまで経済的なものです」
「ではどうしてそのような者がここへ? 予は大規模な経済活動とは無縁だが」
「と申しますか、たしかそちらのお嬢さんをまず狙ったというお話だったのでは?」
「ふはははは。こんな貧乏人をか? ふへへへへ。どわっ、いてててっ!」
「シャ、シャムール様だいじょうぶで? しっぽを持たれ逆さ吊りにされて、よくお怒りになりませんな。いつもの短気はどこに?」
「いいから続けろ、菱目」
「いえ、以上で終わりです。しかし」
「ん?」
「今回の件は警視庁ファイルからでは予測不能の出来事です。ランダム社の相手はあくまで大企業のはず。これは何か裏があるのでは?」
「メイド、おまえ裏があるのか」
「やらしいですわね、このスケベドラ!」
「ど、どこがスケベか! きさまあ」
ニャーニャーニャーゴロロン。
「お茶がはいりましたよ、シャムール様」
「あ、そうだ。どうしてこの子猫ちゃんたちはこんなお利口さんなことができちゃうのですか?」
「そりゃあ菱目の子だから、それくらい容易であろう」
「へ?」
「お嬢さん、私は猫なのです」
「ほわっ?」
「私もシャムール様に呪いをかけた『女』の弟子の呪術師にやられまして。こんな独身男性警察官の体に閉じ込められてしまいました。だからほんとは女なの」
「ぱーどん?」
「で、いかがいたしますシャムール様。私めへのご指示は?」
「指示といわれてものぉ」
「ちょ、ちょっとー。パードンと聞きなおしてるでございましょう? 何がどうしてどうなっているのでございますかっ!」
「お嬢さん、猫社会に伝わる伝説ですよ。いったん猫社会の頂点に立ったものはどのような魔術をも打破できるというあれです。ご存知ありませんか?」
「知りませんっ!」
「頂点めざす戦いを始めてもうどのくらいたつでしょう。今やシャムール様は押しも押されぬ猫界の名士なのです。ですから私も前々からお慕い申しておりました」
「菱目っ! ななな、なんと!」
「ほほお。さすが遊び人。男にまで」
「し、知らんぞ、予は!」
「ごめんなさいシャムール様。でもこの気持ち、もう押さえきれなくて」
「でもこの猫、メイド頭の田頭さんと怪しいよ。ていうか完全クロでございますよ」
「知っております。でも私は……」
「わ、わかった。後で話そうな菱目、後で」
「ええ……。でね、お嬢さん、シャムール様は努力の結果あと一歩で猫界の最高位につかれるところまでお登りになりました。もちろん多くの協力者に力添えしていただいてね」
「す、すると、もしかして、さっきからあのテーブルに並び座りしている猫さんたちは」
「そうです。シャムール様の支持者でいずれ劣らぬ猫界の名士たち。右はしから便利屋」
「よろしくニャーゴ」
「掃除屋」
「よろしくですぅ」
「ご用聞き」
「ちわぁ」
「ポン引き」
「よろしくねン、お嬢ちゃん」
「ほんとに名士っすか? あ、そうか。これって皆さんのコードネームなのでございますわね?」
「いえ、本名ですけど」
「ほんまかい! でありますよぅ」
「ではシャムール様、次のご指示を」
「うむ。よし、こうするしかあるまい! このメイドの家へ行く」
「ええっ! どこが『よし!』なんです!」
「冷静に考えてみよ。ランダム社なる者はまずお前に狙いをつけていたではないか。つまりお前はすでにいつからか尾行されていたはずであろう?」
「尾行……」
「身辺調査といってもよい。ランダム社はそこから何かを拾いあげて、お前をターゲットにしたのだ」
「タ、ターゲットって、私、殺されかけたのでございますか?」
「わからん。しかし予はバッチシ身の危険にさらされたぞ」
「それを私が救ったのでありますよね! ね! ね! おボーナス給金、ねっ!」
「だが予の機転により事なきを得た。やはり自分の身は己で守らねばのう」
「無視かよっ! でござりますがな!」
「だからだ、メイド! ランダム社がどのようにお前をマークしていったのか、やつらの行動をなぞってみて、そこからやつらの動機に迫ろうというのだ。皆も協力すると言うておる」
「まさか皆で私の家に来るつもりじゃ……」
「第一に狙われとるのはお前だぞ? ほかに妙案があるというなら言ってみよ、低能メイド」
♯8
「なんだ、あれが大家か。どうということもなかったではないか、メイド」
「そりゃあ、この近所で人身売買のタレコミがあったから警視庁が捜査する、なーんていわれたらタイガイびびりますですよ」
「あの大家、青くなって震えたとこをみると案外本気でお前を売り飛ばすつもりだったのではないか? 菱目は本物の刑事だからな、どうだ、役に立つであろう」
「うん……。あの、シャムール……」
「あん?」
「あ、ありがとう……なのです」
「?」
「大家さんに、その、家賃のお金わたしてもらって、えっと、ありがとう……かな?」
「ふん! あれはメイドとしての給金ではないか。礼などとはとんだおかどちがい。わかっておろうな。今後十か月は無給だぞ」
「ぬわぁに! あれって今月分だけじゃないの? あーた、あんなはした金で私の青春十か月を買ったつもりになってるのでございますかあ!」
「は、はした金! きさまぁ、無断でわが家を物色していたことを菱目に訴えなかったことだけでも大恩あろうに、言うにことかいてはした金とは! ゆ、許さ」
「しっ! シャムール様。ほんとにこの部屋がお嬢さんのですか?」
「203号。そうだな、メイド?」
「そうですけどね、外まできてメイドって呼ばんでくれであります」
「しっ、誰かいるんです。この中に!」
「ランダム社? 持ってるのか、菱目?」
「持ってますよ、スミス・アンド・ウェッソン・リボルバー六連発」
「よし、入れ、メイド」
「ど、どうして私が先になるかなあ、この場合」
「お前の部屋であろう」
「お嬢さん、だいじょうぶです。援護しますから」
ニャンパイニャイ、ニャンパイニャイ。
「ほら、この猫たちも加勢します」
「あ、あてにしてます?」
バタンッ!
「ばか者! もっと静かに開けんか!」
「だって派手に突入するっていうからでございます」
「言っとらん!」
「何者でしょう、あの後ろ姿。女でしょうか、シャムール様? 紅白のハカマ姿といえば」
「巫女か? 友だちなのか、メイド?」
「巫女さんに知り合いなどいないのです」
「お嬢さんは知らない? キミ、すまんが両手を頭にのせたままゆっくり立ってくれ。振り向くな! そうだ。次は足を大きく開いて……うわっ、飛んだ? あうっ? いつつつつ! じゅ、銃をとられた! シャムール様気をつけて! プロです!」
「あ、お兄ちゃん!」
「おう、メイか。なんだこいつら?」
「だめだよ、手なんてねじりあげちゃ。その人、猫の刑事さんなんでございますよ」
「猫の刑事? メイ、いつから猫好きになったんだ。そんな猫を抱いたりして」
「猫を抱く? おおうっ! いつのまにシャムール私の胸にー、でありまするぅ!」
「お、お前が勝手にしがみついてきたのではないか。離せ! イタッ! 急に離すな!」
「床に尻から落ちるとは不器用な猫だな。飼ってるのか?」
「ちがうよ、お兄ちゃん。飼うわけないじゃん、こんなきたない猫、ははははは、でございます」
「今日はよくしゃべるな、メイ。それにそのしゃべり方はどうしたんだ?」
「待てメイド。先ほどから何を申しておる。姉と呼ぶべきであろう、女なら」
「え? お兄ちゃんは男だよ、でございます。ただ、どういうわけか女装のバイトが多いだけだよ」
「ヘ、ヘンタイ兄妹」
「お嬢さんの兄上どの。銃を返してくださらんか。実弾入りです」
「猫の腹話術をやめにしなけりゃいやだな」
「腹話術ではないのでして。えー、その」
「じゃ警察手帳」
「は? あ、どうぞどうぞ。ね? ここにちゃんと、あっ、ありがとう返してくれて。ふう、しかし身軽な人だ」
「菱目、こやつを逮捕しろ! ぐお? く、首をつかむなあ~」
「騒ぐな! カードハウス壊されて頭きてんだぞっ。ようやっと完成しそうなとこで!」
「お兄ちゃん、続けてるんだ。まだ……」
「なんだメイド、深刻な顔して。納得いく説明あらば許してもよい。が、なければ」
「ありますでございますよ! 実はトランプで立派にお家かお城がつくれたら、私たち」
「こんなやつらに話すんじゃない、メイ!」
ニャーニャー、ベツニャン。
「そうだったんですか。ご両親が別居を。ふんふん、それで?」
ニャランプ、ニャメジジョーニャン。
「ほお! トランプで姫路城が完成したらこのご兄妹のご両親も戻ると。カードハウスは家族・家庭のシンボルで? なるほど、そういう願かけをねえ。なんとケナゲな。くう、シャムール様、私なんか泣けてきました」
「どどどど、どういう奴らだ! メイ!」
「すみません、兄上どの。うちの猫たちは幼いゆえか人の心が読めるもので、つい。まだ子どもですからカンニンしてくださいね」
「カードハウスで家庭の復元? かあー、病気じゃの。それともなんかのマジナイか?」
「ちがうの。これはパパとの約束が」
「話すな、メイ! 心も読まれるなよ」
コンコンコン。
「ノック? 誰かしら。まさか大家さん?」
「えー、ここ203じゃよなあ?」
「はい、そうですけど。おじいさんは?」
「おい、じいさん。こっちです」
「おお、真一くん。用足し中にずいぶんとお客が来たもんじゃのう。一階にしか共同トイレがないとは不便なアパートじゃわい」
「メイにこのじいさん紹介するためにお兄ちゃん来たんだぞ。これドクター・メレンゲ」
「ゲレンダーじゃ! 日本人じゃよ。母方がオーストリアでの」
「いよいよ理想のトランプ部屋ができるぞ」
「ほんと? お兄ちゃん!」
「ああ、わしの半重力球でな。さっきの携帯版はどうじゃった?」
「よかったよ。信じらんねえほどカードが積みあがった。こいつらが来るまではな」
「そうかそうか。で、満足できそうかね?」
「ああ」
「じゃ、そのう、写真のほうは?」
「何枚でも撮らせてやる。今でもいいぜ」
「ほ、ほんとか! すまんのう。こんなじじいの頼みをきいてもらって」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん。なんだかすっごくアブナイ会話に響くのは私の耳がわるいせい? なのでござりませうか」
「いやメイド。お前の耳は正しいぞ」
ミニャニャ、ゲロゲロー!
「女装専門盗撮マニアですって、このおじいさん。ややこしくてうちの猫には理解できないみたい。ほんと教育上よくないわ」
「お兄ちゃん! どこで、こんな人と?」
「バイト先の店長さんの知り合いだ。最初は蹴飛ばしてやったが話してみるとわりといいじいさんでな。それに天才なんだ。おれのバイト姿の写真を撮りたいだけらしいし」
「でも私、お兄ちゃんがそんなこと」
「それよりそのメイド服どうしたんだ。それになぜ家を出たりしたんだ。戻ってこいって言ってるのに」
カンカンカンッ。
「またノック。こんな騒ぐから今度こそ大家さんでありますよ。皆さんもっとお静かに」
ガンガンガンッッッ!
「ほら怒ってる。はーい、今あけますぅ。わわわっ! なんですあなたがた。SWAT?それとも警察の人? ひ、菱目さーん」
「動くんじゃない! ほ、銃器を持った人がいたとはね。じゃあなたにはこれらが本物の自動小銃だってこと、わかるわよねえ?」
「シャムール様、重火器です。三、四、五人。
だめです、抵抗不能だ。すべて外国人? おまえたちランダム社か!」
「ふふふ、わたくし〝地ならし屋のF〟よろしくね。どうも新入社員がお世話になりまして。さあメイドさん。あなただけわが社までご足労ねがえれば済むのだけれど? トラはいないようだしね」
「行くな、メイド!」
「でもシャムール。皆がケガでもしたら」
「ふ、しゃべる猫か。で、こっちの子猫はどうしようかねえ?」
ニャニャケテー、ママーッ!
「うちの猫をビニール袋から出しなさい!」
「まず銃をもらおうか。おっと、この袋にアルコール溶液ぶちまけてもいいのかい?」
「おのれー、許さん! メラメラメラッ!」
「あ、青い炎? うわあ、ト、トラがいつの間にここに! どうしたんだこの金色の光!
目標トラ・集中射撃しろ! どうした、なにつっ立っている? シュート! ナウ!」
「むだだ。シャムール様がこうなったら、そんなものは無力だ」
「あ、誰がビニール袋をほどけと言った! 子猫が逃げてしまうわ」
「シャムール様をなめてかかるからだ」
「グルルゥ。このメイドには近づけぬぞ」
「シャムールが、私を……」
「くう、まずい。お? 待て、そこのじじい! 顔を見せ、ああ、やはりゲレンダー博士! この裏切り者め、こんな所にいたか。さては我々のことを密告したな?」
「し、知らん知らん。おまえたちこそなんでこんなアパートへ来たんだ!」
「よし。せめて博士を確保しろ。こちらのほうが収穫だ。一斉にかかれ!」
「ひーっ!」
「じいさんに手を出すな!」
「なんだこの巫女は? こいつも押さえろ」
「ああ、お兄ちゃんが! シャムール、なんとかして!」
「よし、まかせろ。きさまら、どけ!」
「ぎゃわー! このトラにはかなわない!」
コンコンコン。
「こんなときに誰がノック? もう勝手にしてえ! ほえ? 田頭さんでありますか?」
「わたくしをほったらかして皆で何を? あああっ! シャムール様! こここ今度は巫女の上におおいかぶさったりして! もう許しません、これでもおあがりィーっ!」
「マ、マタタビ! ううーん……」
ああ、猫の姿に、そして男の子に。
「シャムール! お、お兄ちゃんの服をこの子にかけてあげて! 早くして!」
「え? ああ、よし、これでいいだろう。だけどこれ、どうなってんだ、メイ?」
ズダダダダダ!
「マタ弾ガ出マス、ミス・サクラコ」
「オーケー。形勢は逆転よ。なるほど本物の魔法か。となると、やはりあなたがたの処置はアレのお世話になるしかないようだわね」
「アレ? まさか、完成した?いやそんな」
「しましたともドクター。あなたの残された設計プランは完璧でしたわ」
「こんなとこでアレを使ったら町が吹っ飛んでしまうぞ! わかっとるじゃろ!」
「もちろんですわ。わたくしだって巻き込まれるのはまっぴらですもの。ですからあなたがたには半島の〝岬〟まで来ていただきましょう。絶好のドライブ日和よ、フフフ」
♯9
「はい、車から降りて。ここからは少し歩いていただくわ」
どうしてこんな映画みたいなことになっちゃったんだろうでございます。あ? この柵の立て札は、映画撮影所って……。
「ここよりダイゴ映画・岬撮影所敷地。入場許可証を胸につけてください……これ、なんなのでありますか? ここ映画会社?」
「ここなら何でもアリってことなんだろうよ、メイ」
「お兄ちゃん? それってどういう」
「あーら、あなたおいくつ? そう、まだ高校生? きれるのね」
「はや? ねえ、お兄ちゃん」
「ここで何が起きようが、たとえそれが部外者に目撃されようが『あれは撮影ですから気にしないで』の一言ですんじまうってこと」
「じゃもう終わりなの? そうだったんだ……では、せめてひとつだけきかせて」
「へえ、潔いのね。何かしら?」
「今日のロケ弁の中身はなに?」
「ロ、ロケ弁? ロケ弁当のこと?」
「いつ出るのでございますです?」
「な、なに? それがいまわの際の質問?」
「おいメイ。いったいお前どうしたんだ?ガラでもないギャグとばして。なんだって急にそう変わっちまったんだ? その変なしゃべり方いつまで続けるつもりなんだ」
「へ、変じゃないもン! なのでございます。それよかお兄ちゃんこそハゲシクお変わりになったではございませんか。カードハウスづくりばかりを黙々と部屋の片隅でやるようになってしまって」
「おれは別に……」
「ほお。すると以前は、お嬢さんの兄上どのも実は明朗快活なスポーツマンであられたとか?」
「そうなんです菱目さん! すごいんでありますよぉ。それはもうあらゆるスポーツを」
「ふむふむ」
「電気もつけずに部屋の片隅のテレビで夜通し観戦しまくって」
「は? く、暗そうな感じですが、これも」
「暗くなんてありませんです! テレビ画面がそりゃもう七色に輝いて部屋中の壁に選手の影が躍るのですわ。それにお兄ちゃんの観戦時の身振りといったら」
「なるほど! 試合のなりゆきに熱狂乱舞するわけですな? こりゃ私と同じタイプだ」
「いえ、ときおり人差し指同士で小さく拍手するだけのいたって紳士的マナーに徹し」
「はあ?」
「それが今はカードハウスですよ、トランプの家づくり! テレビ画面にコウコウと照らし出されていたあの明るいお兄ちゃんはどこへいってしまったのでございましょう?」
「そ、それは兄上どのが明るいというよりも深夜の部屋でテレビ画面がやたら明るく光っていただけなのでは?」
「重てえな」
「あ、ごめんお兄ちゃん。やっぱり重いの、この話されると?」
「ちがう。背中のガキだよ」
「もうじきおろせるわよ。ついでにあなたがたの人生の重荷もきれいさっぱりね」
「君ら、こんなことしてすむとは思っていまいな。法の前にはランダム社もへったくれもないんだぞ」
「刑事ってそうやって一般人をおどすわけ?それにしても現職の刑事さんがいたなんてねえ。ちとやっかいだけど、とりあえずあなただけは生きてここを出られるかもね。その後はもちろん当社へご同行ねがうけど?」
何でございますか、この一連のセリフは。これじゃまるで私たちがここでお亡くなりになるみたいじゃないすか。し、死ぬの?
「いやああああああっ!」
「悲鳴はむだよ。役者の発声練習、ですませられるわ」
「うう……」
「お嬢さん、単なるおどかしですよ。手を出させるもんですか。それに彼らも来てるんです。覚えてますか、あの名士たち?」
「名士……あの四匹が?」
「しっ。ですからチャンスが来るまでこの女に合わせてやりましょう。だがマタタビは困った。田頭どの、いつになればシャムール様はおめざめに?」
「いてて。みんな、あんまり早く歩かないでよ。こっちは足くじいてんだから」
「田頭どの! シャムール様はいつ?」
「わかんないわよ。しつこいわね、このオバサン猫。まず明日の朝までは無理だと思うけど? なにしろ口いっぱいにつっこんでやったから」
「なぜそんなに!」
「だって! 部屋のドアあけたら、シャムールったら、そりゃもう青く燃えあがって、興奮しきって、この娘におおいかぶさって!」
「このかたは男性ですよ。お嬢様の兄上で」
「もうわかったって。だけどこの人、どう見たって若い巫女さんにしか見えないもの。ほら今だって」
「ひひ、そうじゃろそうじゃろ。これだけの上玉は稀じゃよ。セレブじゃて」
「どうも」
「お兄ちゃんっ! どうも、って返事しないで! なぜに最近女装バイトばかり選ぶのでございますか!」
「ワリがいいから。おれたちが生きるためだろ、メイ?」
「だからといって」
「じゃ、おまえのメイド服はなんだ。それにそのとってつけたような言葉遣いは」
「こ、これは違うもん、でありますよぅ」
「じゃ何だ」
「これは、わ、私が、自分を、その」
「わるいけどピクニックはここで終わりだよ。岬だ」
「お嬢さんごらんなさい!」
「み、見てます。あの、いかにも断崖絶壁なガケップチでしょ?」
「その手前ですよ。大規模な撮影セットが組まれておりましょう? こりゃ時代劇? 戦国時代の合戦のシーン? あんなにヨロイ武者が。だがみんなマネキンでしょうか。動いてない」
「ていうより特撮映画じゃねえのか。あの一体だけバカでけえし」
「確かに。あの大将格の人形だけ巨大だ」
「サ、サクラコくん。では、あれか!」
「サクラコはやめなさい、ドクター・ゲレンダー。もうあなたの助手ではないのだから。ええ、そうとも。アレですわ」
「いや、寸法が大きすぎよう」
「あなたの設計とはちがうのですよ! 改良に改良を重ね、すでに別機種といってもいいほど高性能だ。何の前触れもなく姿を消して助手を置き去りにした無情なあなたをいつか見返してやろうと、わたくしがどれほど心血を注いだか!」
「サ、サクラコくん」
「よく見るといいのよっ! さあ、お立ち。ランダム社の誇る最終殲滅兵器。さあ逃げまどえ、愚かなる一般市民どもよ。ここがお前たちのゴールだ。後ろは断崖、海面まで五十メーター、そして前には彼が!」
「え、立つって、まだ座ってたのでありますかあ? ぬおおお、立ったあ! 何ですかあ、このデカさは! ジャンボサイズのヨロイ武者!」
「ふふ、そこのメイド服よ」
「しゃ、しゃべるでありますよぅ! この五月人形」
「ちがーう、美形男巫女の妹よ! そんなアッチョンブリケな名前ではないのじゃ! このゲレンダーが発案設計したわがリーサル・ウエポンこそ、その名を」
「だあーっ、やめんか、じじい! ここは最終開発者たるわたくしが名前をいう場面でしょっ! ひっこんで! さあおまえたち、恐怖にその身をゆだねるがいい。ランダム社がその全財力と頭脳を結集した究極の掃討兵器。その名は」
「そ、その名は?(全員)」
「乱打武者!」
(寒い風の音 ヒュー)
「はい? もう一度いいかな?」
「乱打武者! だからぁ、ら・ん・だ・む・しゃ」
「…………(全員)」
「つまりぃ、ほらウチの会社名がランダム社じゃない? で、そこからぁ」
「……おっしゃ。じゃみんな帰るか、あしたも早いから。お疲れさーん」
「お疲れさまでしたあ」
「どうもぉ、です」
「帰るなあっ! ナロー、ばかにしおって」
「だってえ、あんまりベタなもんで、つい」
「つい何だよっ! これからすぐにキッチリ生死の境をさまよってもらうからな。彼の目を見たか! どうだ、にらまれただけでチビるだろう! フフフ」
「フフフって、ハンカチくわえてヨヨと泣きぬれてるみたいですけど、あの落ち目武者」
「ああっ! こらあ、女すわりしてないで立て! にらみつけろっ!」
「ンゴオーッ! わが地獄の業火にひれ伏すべし!」
「ひえーっ!」
「よーし、そうだ。もういい、時間のムダだ。そのまま一気にその目でにらみ殺しておしまい」
「わがマナコの紅蓮もて汝今生の送り火となすべしーっ! ぐふふふ……ゲホ?」
あっ! なんでございましょう! どこか横のほうから鋭い光がとんで、あのヨロイ武者の目につきささっているでございます。
「グエ?」
武者が目をおおいましたわ。た、助かったでありますよぅ!
「掃除屋!」
「よお。みなさんお元気?」
あっ、屋敷で紹介された四匹の猫さんたちがあんなとこに立ってらっしゃるのであります。
「あいつは目がウリモノみたいだからな、軽くレーザー照射しといたよ」
「よくやってくれましたぞ、掃除屋どの」
「なあに。便利屋が調達してくれたブツの引き金をちょいとなでただけさね」
「あーら、あたしが警備主任の気を引いといたから無断借用できたんじゃなくて?」
「もちろん忘れてないよ、ポン(フェアフェー)引き(ラリン)」
「へいへい、誰がブツのありかを情報提供したんでしたっけねえ。地味な役はやだね」
「ふふ、ひがむなよ、御用聞き(リスナー)」
「なーんかカッコいいでありますよぅ、猫なのに」
「よくやってくれましたぞ、おのおのがた。さ、お嬢さん、いまのうちに!」
「ははははは、バカなことしたもんだよ、あんたたち。ねえ、ドクター・ゲレンダー。乱打武者の基本機能を説明してあげたら?」
「う、これはのう、相手からの攻撃エネルギーを吸収・増幅して数倍ものパワーで同種反撃が可能なことから〝乱打〟と呼ばれておっての。つまり今の場合」
シュピーン、パパパパッ。
「ぐわぁ!」
「きゃあ!」
「あちちちーっ!」
「ああ、掃除屋、ポン引き、便利屋、御用聞きっ! ひ、ひどい火傷だ。しっかり!」
「武者のヨロイが虹色に光って、光線の槍を乱射した?のでございましょうや。だだだ、だいじょうぶでありますかあ!」
「くっ、へ、平気だ……あ、ううう」
「ふーん、さすが猫だねえ。人間なら丸コゲのとこをうまくよけたもんだ。ふふ」
「ひ、ひどいであります!」
「少しは身にしみたかい? いかなる攻撃もやすやすと吸収し倍返しする究極の防衛反攻システムなんだよ。全方向からの攻撃でも虹のようにはね返し、攻撃元を徹底破壊する。ゆえに乱打武者。おーや、どうしたの。もうその名前を笑わないのかえ?」
♯10
「わ、私がやる! でございます」
「え? 何を? ま、まさか、お嬢さん!あの武者と対戦する気ではっ! しかし、あなたではとても」
「わかってます。でもどんな武器もだめなのですから、手は一つ。ですわ」
「手? とおっしゃると?」
「あの新入社員を倒した手です」
「おお! 私は現場を見てないが、そうでした。それなら、あるいは」
「その手とはなんだ、メイ?」
「私の言葉遣いよ、お兄ちゃん。言葉こそわが力。ペンは剣より強し、だよね!」
「そのたとえ、はずしてるぞ。メイ」
「お兄ちゃんてば! と、とにかくね、もしまたこれがうまくいったら、自分を徹底的に変えようと誓ってそのために始めたこの話し方でうまくいったら、そのときこそ私は、自信をもって、私を変えることが……」
「ふん、望むところだよメイド服。試してごらんな?」
いよいよ対決だわ、自分との! ほかの誰かになんか私を殺させはしない。私が自分で殺すの、古い自分を! 嫌いで二度と戻りたくない自分を!
「そいやあ! ウのときばかりに船いだすぅ、でございますよ! みな人々の船出つぅ、これをば見ればあ」
「これを見れば、春の海に秋の木の葉しも散れるようにぞありける。おぼろげの願によりてにやあらん、風も吹かず、よき日出て来てこぎゆく。(メイの3倍速で語る乱打武者)ふ、土佐日記か、一月二十一日の条よの」
「あ……。そ、そいやあ! 月もおぼろにシラウオのカガリもかすむハルのソラ、あ、オヨビデナイネ、庭なる美登利はさしのぞいて、アラワタシドウシマショウ」
「月も朧に白魚のかがりも霞む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持好く浮か浮かと、浮かれ烏の又一羽。(やはりメイの三倍速で)まずは三人吉三廓初買だな。あ、お呼びでない、こりゃまた失礼いたしましたっ! これは聖・植木等のお呼びギャグ。お次は樋口一葉、庭なる美登利はさしのぞいて、ええ不器用な、あんな手つきしてどうなるものぞ。竹くらべか。あらワタシどうしましょう、ムチャクチャでござりますがな。いわずとしれた花菱アチャコの黄金コントだ。なるほど昭和なやつ。が、しょせんは平成生まれのつけやきば。グフフ。これで何かやってるつもりなのか、ぬしは? ブハハハ」
「ぐぐっ! ア、アチャコ先生まで切れ返されるとは、果てしないやつ……ハァハァ……私は、どうすれば……」
「ああ、お嬢さんがガックリ膝をついた!」
「メイ!」
お、お兄ちゃんまでめずらしく心配してる。たしかにこんなところにひざまずいたままでは何も動かない。以前の私に逆もどりするだけ。全部ヒトから決められて、いい子かぶって、誰かの後ついて、うつむいて……いやよ! そんなのもうやめたんだから! でございますぅ。
「おおっ! お嬢さんが武者をにらみ返している。あのかたがあんな強い目つきをされるとは」
「メイ、……ついにマスクをとるのか」
あるがままの心で。そのままの私で!
「ハッ!」
「え? あ、兄上どの、お嬢さんはどうしたのです? ただフワフワ動いて。あ、枯れ枝を拾った。投げつけもせずクルクル頭上でまわしている? なぜ一言もしゃべらないのでしょう」
「♪春こーおーろーおーのー、花のーえーんんんん♪」
「わわっ、兄上どの、いきなり歌いだされていかがなされました? はっ、そうか! もしかしてそれは伴奏? お嬢さんがやってるのはダンスですか? こ、これは突然ミュージカル!」
踊るわ、私。このシューズがぶちぎれるまでいついつまでも。ここが私の晴れ舞台。そよぐ潮風、ふりそそぐ陽の光、最高のステージじゃないの! もっともっと!
「♪サッちゃんはねーっ♪」
「え、兄上どの? 今度は童謡ですか。あ、お嬢さんのステップ・リズムが変わりましたぞ!」
ニャ? アアッ! ニャニャニャニャンンン!
「なにっ? ほんとか、お前たち? お嬢さんはそこまでやるつもりだと! あ、兄上どの! やめさせてくだ」
「しっ! ♪バーナナーがだーいすぅき、ホーントだよぉ♪」
「グフフフ、恐怖のあまり狂いおったわ。それは新体操のつもりか? だが、そう手足が震えておってはのう。ガハハハ」
「お嬢さん……」
「新入社員は倒せても我の敵にはあらず。ぬしもしょせんは人間。よいか、今でこそランダム社の所有物に甘んづるもそれは仮の姿よ。ゆくゆくは我が手でこの世界を」
「見なさい!」
「ん? 小娘がまた口をひらいたわ」
「まだ気づかないのでありますか。よーくご覧なさい。この棒の先を」
「枯れ枝がどうしたというのだ。ただクネクネと……E? N? D?おまえ、まさか! さっきから空中に字を書いたりしていなかっただろうな!」
「ひっかかりましたわね」
「なんの、巻き戻し・再生。あ、なぜ録画してないのだ! 〝高級DVDにつき水準以下動画の録画自動キャンセル機構実行済み〟だと? ぬし! わざとヘタに踊ったな?」
「命のかぎり踊りましたっ!」
「なーに、ディスクのメモリーがあるわ。ほら出た。やはり宙に書いておるな。き・よ・う・は・も・つ・を・た・べ・た・う・ま・か・つ・た・う・ま・れ・て・は・じ・め・て・の・か・ん・げ・き・を・だ・れ・に・
何だこれは、日記なのか? お? 待て待て。ぬわわっ! ぬし、足まで使って字を書いてるのかっ! うおーっ! ただでさえ動画は重いのにィー! クルクル向きを変えるから字が逆さになってるだろうが! キィーッ! これではホログラム解析せねばならん! だがまだホログラム・ディスクは搭載してなーい! 画像から文字処理するコンポーネントもなーい! す、すぐ作らねば。え? こりゃサンスクリット文字か? いやアラビア? か、顔文字だな! 一日分全部顔文字で日記すなあああっ! しかもオリジナル顔文字なぞ作るなあ! だが、あせるな。容量ギリギリだがなんとかなるわい、フフ……」
「休息をはさみまして第二章の舞をお目にかけます。アン・ドゥ・トロゥワ」
「やめぇーっ! おおおおっ、ギャル文字満載! せめて地面に書けぇー! ドワワワワワ、重すぎるぅ! 処理不能ランプ点滅中。って、なんでだよぉ! おれ、最終兵器なんだぞ。真打がたった数ページで消えていいものかあああああ!」
「ホーホホホ。短編大賞ですもの、展開早いのでございます!」
「さ、最後までワケわからんことを……ガクッ。バラバラバラーッ」
「乱打武者が! ぶ、分解? バカな、ありえない! 乱打武者ぁ!」
「お嬢さん、兄上どの、今です。出口へ!」
「させるか! 包囲せよ! 続いて全員で集中掃射しろっ! 五分間連続で射撃を続行せよ!いいな!」
「まずい、やけになっておりますぞ。ああ、シャムール様どうかおめざめを!」
「そうだっ! 私ならシャムールを起こせるかもっ!」
「え?」
「お兄ちゃん、その子をここに寝かして」
「うん? こうか? あっ、メイ! なんてとこへ手をつっこむんだ! そこは男の……おまえほんとにメイか?」
「これしかないの! お兄ちゃんは私の左手を握って。みんな手をつないで! あああ、やっぱりきたきたぁ! ドーンと眠気が…」
(さわやかな小川のせせらぎ。と思い
きや町の雑踏の音)
ドサドサドサーッ。
「いたたたた! 天から何ぞアタシらの上に降ってきたぞえ? 人間三人、猫十匹?」
「ああ、レディだ! どこ行ってたの? たすけてえ。ボク悪い森の魔女の家に連れてかれちゃうところだよぅ!」
「坊や!森の魔女って、ここ町の中だけど」
「うん、住所が森町三丁目なの。でしょ?」
「黙れ小僧! ちっ、多勢に無勢か」
「あ、逃げちゃった。よかったあ。ありがとうレディ、また助けてくださって」
「坊や! シャムール!」
「うん?」
「すぐにあの女を追いかけるのよ」
「や、やだよぅ。なんだって、そんなことするの?」
「あの女をやっつければ、きっと全部うまくいくからよ」
「なんで?」
「どうしてもそうなの!魔女の家はどこ?」
「知らない。まだ行ってないもん。でも近いって言ってたよ」
「このへんか。うーん、どれもドイツ風の同じような家ねえ。でもだいじょうぶ。〝ヘンな家〟をさがせば一発なのよ」
「ヘンな家って?」
「だって魔女は〝オカシナ家〟に住んでるもんよ?」
「そりゃ〝お菓子の家〟だろうが、メイ」
「し、知ってるもん。だから〝お菓子な家〟って言ってるじゃん。……びえっ! お、お兄ちゃん!」
「なんだ」
「そのド派手で中世騎士なスタイルは?」
「そういうお前だってバッチシお姫さまコスチューム」
「じゃ子猫ちゃんたちは? わあ、やっぱり長グツをはいた猫コスプレ! かわいい!」
「お嬢ちゃん、魔女の家がみつかったわよ。この猫たちが一軒一軒なめてまわったら、あの家が甘いって」
「あのう、おばさまはどなたで?」
「ヒシメよ。夢の中だと女性にもどるみたいね。それでも人間のままだけど」
「じゃ田頭さんは? あの人きっと黒皮ビキニ、黒皮ブーツでムチ持ってそう」
「彼女ったら手をつながずにどっか走ってったわ。だからここにいないみたいなの」
「メイ。魔女の家だぜ」
「ここ? 家の壁が半分ないけど」
「うちの猫たちお菓子が大好きで食べちゃったの。ごめんね」
「いやあ、いいんですよ。では、お兄ちゃんと私で突入!」
「なんでおれも?」
「魔女退治といやあヘンゼルとグレーテル兄妹じゃないの。だから」
「ヘンタイとグレてる娘じゃと?」
「あ、魔女め。かくれていたな!」
「かくれてねえだろっ! それにアタシのギャグを無視すんなよ!」
「さっさと暖炉に落ちろ! キーック!」
「ふ、不意をつかれた! ぎゃわー!」
「……やった」
「まだ落ちとらんわ、バカモノめ! こんなことしてアタシを殺せばその少年の呪いを解くものはこの世にいなくなるのだぞ」
「キーック! え? 今なんか言った?」
「ぎょえー!」
「うわーん、おねえちゃん何すんだよぉー!もしボクが猫になっちゃったら誰が呪いをといてくれんのさあ!」
「あ、そうか。誰だろうね?」
「バカ娘め。アタシが死ねばお前がこの国の妃にでもならぬ限り呪いは永遠に続くわい。妃などお前じゃとてもとても。ヒヒヒ」
「なんだと! 半分燃えながらイヤミ言うなっ! とっとと燃え尽きろ! ファイナル・アンサー・キーッッック!」
「ぎゃわあああああああ!」
「だから! どうして殺しちゃったのさあ! ボクもう猫になるしかないよう!」
「そ、そうだった。ごめん。ついなりゆきで、ね?」
「ね? じゃないでしょ! うえーん!」
「お嬢ちゃん、まずいですなあ。これではシャムール様の目がさめないのでは?」
「よし、坊や。結婚しよう」
「ええ? 誰と誰が?」
「きみと私が」
「や、やだよ。まだ九歳なんだよ?」
「その前に、大変よ、お嬢ちゃん。王宮への階段があふれ流れる水でとても登れないわ。きっと魔女の呪いね」
「そうだったのか! このために、掃除屋さん、便利屋さん、ポン(フェロ)引き(ン)さん、御用聞きさん、あなたがたはわざわざ長グツをはいていたのですね!」
「え、そうなの? っていうかルビ全部まちがってるんすけど!(四匹の名士猫)」
「いざ王宮へ! 運んでね、クロネコ便」
エイサ、ホイサ、ホイサッサ。
「お、王宮です。鏡の間に着きました」
「パパ、ママ! ボクもどったよ!」
「王子よ! この者たちがお前を?」
「うん、助けてくれたの。でも時間がなくて急ぐからすぐ帰るって。残念だね?」
「ちがうでしょっ! 私は坊やと結婚してこの国のお妃にならなくちゃいけないの」
「そなたはメイか?」
「は、さようでござります。って、どうして私の名を?」
「メイや、わらわの顔をよく見るのじゃ」
こ、これは? ああ、なんだかとてもなつかしい香りが。まだ小さかったころ、お風呂あがりに大っきなバスタオルでお母さんに体をふいてもらうような、そんな暖かいなにかがこの人から……あっ?
「あああっ、お母さん! それにお父さん!
どうしてここに?」
「メイ、わたしたちを連れもどしにきたのだね。でも行けないの。わかっておくれ」
「お母さん…何とか言ってよ、お父さん!」
「遅いのだよ、メイ。もう決めたのだ。今よりこの国もふたつに分かれようぞ」
「そんなのダメ! ほら、お兄ちゃんも来てるんだよっ! お父さん、お母さん!」
「さようならメイ。兄さんと仲良くな」
「行かないで! 行っちゃだめぇ! みんなで家に帰るんだからあ! お父さん! お母さーん! う、う、ううううう……」
「お嬢さん、お嬢さん!」
「ううう……え?」
「夢は終わりましたよ、お嬢さん。さ、涙をふいて目をあけて。ここは岬の撮影所です」
「ハッ! シャムールは目覚めたの?」
「いえ、まだお休み中です。あの、そろそろその右手をですな、その、お放しに」
「じゃ私たち銃殺なのでございますか!」
「いやいや、こういうありさまですから」
「え? みんな倒れてる? ほえー、誰がやってくださったのでありますか?」
「それが、やつらの反エントロピー測定器というものを見てみましたら」
「あの腕時計の?」
「ええ。どれも針が跳び出してメチャクチャに壊れておりまして」
「つまり?」
「これは私の推測ですが、我々の夢がこの付近のエントロピーを極限近くまで低下させたのではないでしょうか? で、おそらくそれに耐えきれずに自滅したかと」
「じゃ死んだの、みんな?」
「気絶です。しかし放置すれば死ぬかもしれないほどの昏睡状態です。今のうちに去りましょう。そのあとで救急車をよこしてやればいいでしょう。それでいかがです?」
「え? ええ……」
「行くぞメイ。だからいいかげんその右手を放せって! いいか、このガキを背負うだけで兄ちゃんは精一杯だからな。おまえはちゃんと歩いてくれよ」
「……」
「だいじょうぶか、メイ。歩けないのか?」
「うん……歩けるよ、私……で、ござい、ます……」
♯11
「シャムール様、私どうしても解せない部分が残るのですが」
「申してみよ菱目。予の屋敷で遠慮は無用じゃ」
「はい。その、エントロピーとはデタラメさの度合いを示す尺度で、デタラメなほどエントロピーは高くなるわけですよね?」
「うむ。メイド、早く茶をいれよ」
「……はい」
「だとすると分かりませぬ。お嬢さんの言葉遣いにせよ昨日の夢の中身にせよ、まさにエントロピーが高い見本のようなものだと思うのですが。でしょう?」
「む。メイド、予に茶をもう一杯」
「……はい」
「きゃつらの腕時計は本当に反エントロピー測定器なのでしょうか?」
「む? もっとはっきり申してみよ、菱目。
そらそらメイド、早く茶を」
「……はい」
「つまり私が申し上げたいのは、どうもランダム社の狙いには裏があるのではないか、ということでして」
「ふーむ。メイド、どう思うか。お前やはり裏があるのか?」
「……はい……え?」
「だから裏がスキなのかと聞いておる。なんじゃ朝からボーッとしおって。裏ズキなのかといっておるのじゃ。それ、ウラウラウラ」
「し、しっぽで私のアゴをなでるのではありませぬっ! なんですか、裏裏って。なーんかいやらしいでございますよ!」
「予が目を覚ましてからこのかたボンヤリしておるからじゃ。このうすらメイド」
「シャムールったら何にも知らないのでございます! このネボケネコめが、でございます」
「ふふ……」
「ふふ……とは何だ、菱目? 何のふくみ笑いか。よもやメイドの今の暴言に同調したのではあるまいな」
「いえ。ただ、めずらしいなと思いまして」
「何が?」
「シャムール様が他人を気遣うことがです」
「なんだと?」
「しかも元気づけようとなさっておられる」
「バ、バーカな。なぜ予がこんなアホメイドを気遣ってやる必要が? ただ、予に呪いをかけた『女』とランダム社には何かつながりが感じられるから両者の接点たるこのメイドを注視する必要がある、と菱目がしつこく申すから構ってやっておるだけじゃ」
「アホとか低能呼ばわりするのは二度とヤメッ、でございますよ。夢の中ではちゃんと、レディ、と呼べるくせに」
「それだ! なぜに誰も昨日の夢の話を予にせぬのだ? え? メイド。何をした!」
「知りませんでございます。だれがシャムールのお妃なんかになるものですか!」
「妃? なぜお前がそこで赤くなる?」
ニャロニャロニャロイン、ニャロニャロニャロイーン!
「ヒロインとは誰だ? このメイドが大活躍しただと?」
「ええ、みごと魔女を殺しましたのは、お嬢さんで」
「エッヘン。少しは見直したでありますか」
「殺した? ババババ、バッカモン! それでは永久に呪いがとけぬであろう!」
「あ、魔女もそう言ってたような気が」
「き・さ・まあっ! やっかいなランダム社をひっぱりこんできたうえに呪法打破のカギまでつぶしてくれおって! ああ、一刻も早く人間界に戻ってこんな場所からはズラかりたいと思っておるのにィ!」
「あっ、無責任! ズラかるなんて下卑たコトバでお里が知れたでございますよシャムール! お給金も払わずトンズラこいたらこうなんですからっ!それポカポカポカポカ!」
「おわわわっ、痛いであろう!いいかげん呼び捨てにせず、ご主人様といわんかあーっ!これっポカポカポカポカ!」
「やったわね! ならもっとポカポカポカポカ!」
「ではシャムール様、次のご指示を。『女』亡き後とて、次善の策としまして私めに呪法を施したる例の呪術師から洗いますか? あの『女』の弟子とおぼしきあやつの線から」
「そういたせ。そして早くズラかるのじゃ。ポカポカポカポカ!」
「ざけんなよ、ズラからしてなるものか、でございます! ポカポカポカポカ!」
なによこのトラネコ! このようなメイド使いの荒いショクバからはガッポリお給金もらわねばネバギバップッ。そしてそのお金とお兄ちゃんのバイト代を合わせて「わが家」を再び取り戻すのでありますからっ!
でもお兄ちゃんたらカードハウス完成に人生賭けちゃってるし、それをあおる半重力球じいさまは出てくるし、ランダム社は全然つぶれてなんかないし、いったいこの先どうなるの? って、詳しいコト知りたいのなら続きを読めばいいじゃないっ! でございますぅ!
「ひとりごとは控え部屋でやらんか、ポカポカポカポカ!」
「大事なこと言ってるんでしょっ! でありまする、ポカポカポカポカ!」
※
「みんなぁ……わたしのことシッカリ忘れてるでしょ? くぅーっ!(岬ちかくの町病院でうなっているメイド頭の田頭さん)」
(おわり)
♯ エンディング・ロール
メイド服・・・・・・御玉賀池メイ
猫(虎・少年)・・・シャムール
刑事(猫女)・・・・菱目大三郎
掃除屋・・・・・・・プッツゲレーテ
便利屋・・・・・・・クール
ポン引き・・・・・・フェアフェーラリン
御用聞き・・・・・・リスナー
巫女(兄)・・・・・御玉賀池真一
盗撮マニア・・・・・ドクター・ゲレンダー
メイド頭・・・・・・田頭澄子
新入社員・・・・・・P
F・・・・・・・・・梅頼桜子
子猫・・・・・・・・ザ・コネコーズ
♪オール・ユー・ニード・イズ・ラーフ♪
END
最後までお読みいただき有難うございました