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キャロラインは裏切れない


 東の塔の下で、キャロラインは最上階を見上げた。

 夫への報告は使いの者を出して済ませた。そろそろ食事のプレートを回収しにいかなければ。

 しかし、彼女はいまだに階段を上がれないでいる。その作業は憂鬱な時間だ。いつ扉の向こうにある皇女の死体を見つけるかわからないから。

 その先のことも見えていた。キャロラインは、皇女殺しの犯人に仕立て上げられる。夫は適当な理由をでっちあげ、悲痛な顔でキャロラインを離縁することだろう。

 夫はあの優しげな外面の下で、キャロラインを切り捨てるタイミングを推し量っている。そのことを知っている人間はどれだけいるのだろう。

 キャロラインは美貌のために金で買われたザーリーの後妻だ。夫の方はどうだったかわからないが、キャロラインにとっては最初から愛のない結婚だ。ザーリーは控えめな妻にすぐに飽き、余所に愛人を作ったのはまもなくのことだ。やがて、彼女は皇宮に出仕するように命じられた。リュドミラ皇女の世話をさせるために。

 今、ザーリーの邸宅には彼の愛人が女主人面で君臨しているという。キャロラインは体よく皇宮に追い払われたとわかるのはそう難しいことではなかった。

 食事に毒を盛っていることに気付いたのは、夫の言いつけ通りに皇女が食事のプレートに口をつけるのを見守っていると、そのまま顔を青くしてのたうち回り、嘔吐するのを目撃したからだ。

 彼女は怖くなって逃げだした。夫に言えば、「そうか」と気のない返事が返るだけ。彼はこのことを黙認しているのだ。

 キャロラインは自らが途方もない悪意の罠に引っかかっていることに気付いてしまった。しかし、夫という存在がキャロラインをがんじがらめに縛る。彼はいまだ、キャロラインの実家の援助を形だけでも続けていた。家族を人質に取られているようなものだ。しかも、夫から逃れられないのはそれだけではなくて……。

 彼女が左手の薬指に嵌めた指輪を眺めていると、コツ、コツ、コツ、と塔の中から足音が近づいてきた。

 螺旋階段の扉から出てきたのは「宝玉騎士」になったという青年クローヴィス。夫はあらかじめ知っていただろうが、キャロラインにはついぞ知らされなかった存在だった。


「お、ちょうどいいところに」


 人よりも大柄な青年が親しげな口調で歩いてくる。キャロラインは威圧感のある風貌に委縮しながらも「何か御用でしょうか」と尋ねた。

 彼は半分以上残った昼食のプレートを片手に持っていた。やはり今日も皇女はほとんど食事に手を付けなかったのだろう。あまりにも細い肢体を思い出し、彼女は気の毒に思った。


「厨房へ案内してくれ」

「厨房ですか? 一番近いのでしたら、あそこの……」


 キャロラインが説明すると、彼は「わかった、ありがとう」と言い置いてその場を去った。あっという間の出来事だ。

 それからすぐに、彼がプレートをそのまま持って行ったことに気付いた。回収は彼女の仕事なのに。

 それに、万一、彼が食事を口にし、食事に入った毒を知ってしまったら……!

 彼女は自分より長いコンパスを持つ彼に追いつくべく、慌てて彼の後ろを追いかけた。






 クローヴィスはキャロラインに教えられた場所に小さな厨房があるのを発見した。小さいと言っても、町の食堂ぐらいの大きさがあるが。

 中には数人の料理人が忙しく立ち回っている。すでに夕食の支度を始めているのだろう。


「こんにちは」


 気軽な調子で彼は中に入る。すると、彼らは目を丸くして作業の手を止めた。すぐに誰かが「休むな!」と檄を飛ばして再開する。


「騎士様。申し訳ありませんが、ここは皇宮の使用人たちの食事を作るところなのですが……」


 クローヴィスの騎士服を見て、厨房の長らしき男が恭しく接してきた。騎士という立場もなかなかに便利なものだなと思いつつ、彼は口を開く。


「そうか。それはいいんだ。ただ、俺も少しここを使わせてもらいたくて寄らせてもらったんだ。どうだろうか?」

「はい? 騎士様が料理をなさるんで?」

「厨房に来たらやることは決まっているだろうに」

「そ、そうですか。それは、また、どうして?」

「皇女殿下に腹いっぱい食べさせてやりたいからだ」


 そういえば、男は口をあんぐり開けた。おそらく彼らにとって「宝玉騎士」はそのようなことを言い出さないぐらいに高貴な人なのだろう。


「し、しかし、皇宮の厨房には料理人と配膳の者しか立ち入れない決まりになっておりまして。とてもとてもそんなことは……」

「面倒な決まりだなあ」

「た、たしかに……」


 クローヴィスに気圧されたようにこくこくと首を振る男。


「それなら食材を分けてもらえないか?」

「それも皇女様の口に入るんで……?」

「当たり前だろう」

「し、しかし、ここの食材は使用人のものですので、あまり良いものではなく、とてもとてもそんなことは……」

「決まりがあるのか?」

「……はい」

「面倒だなあ」


 彼は黒い頭をわしゃわしゃと掻きながら考えた。さて、どこに行こうか。そうだ。

 すぐに解決策を思いついた彼は、少し帰りが遅くなることを知りつつも、遠出を決意した。



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