海の向こうの間の間
短編に挑戦してみました。難しかったです。
大雨の中、必死に丸太にしがみつく。もうこのまま死ぬのかもしれない、と思いながら生への執着を捨てきれない。
――お願いします、助けてください。無事に助かったら何でもしますから! お供えとか神社の掃除とかちょっとお賽銭も弾みますから!
神への祈りが届いたのか届かなかったのか、俺はいつの間にか意識を失ってしまった。
次に目を開けた時、俺は柔らかいベッドの上で温かい布団にくるまれているという夢のような状況にいた。いやマジで夢のようだ。今の俺はありとあらゆることを幸せだと感じる自信がある。
「気がついたのか」
天井を見つめる俺の視界ににゅっと男の顔が入り込んだ。整った顔立ちの青年だ。
「あんた、浜辺に倒れてたんだ。俺の言ってることが分かるか?」
どうやら彼が俺を助けてくれたらしい。しかもこのふかふかのベッドに寝かせてくれたんだろう。感謝してもしきれない。
「分かります。俺、下西拡といいます。あの、あなたが俺を助けてくれたんですか?」
「いや、運んでそこに寝かせただけだ」
それがどれだけありがたいことか! というか寝かせた先がこのベッドとか最高かよ!
「助かりました。あの、ここはどこなんですかね。俺、難破して船の積み荷に必死でしがみついて流されて来たんです」
そこまで言うと、男がごくりと喉を鳴らした。
「そ、それはあんた……いやあんた魔法が使えるか?」
思いもよらない質問にきょとんとしてしまう。今この人は冗談を言ったんだろうか。いや、そういう冗談は言わなそうな顔をしてるけど。それとも童貞に見えるけど30歳こえてますかという婉曲的な表現なんだろうか。
「え? いや、えーと……使えませんけど。ちなみに年齢も30いってませんけど」
「年齢? ……いや、いやいや……大変だ、外の人だ!」
男がパニックになるのが目に見えて分かった。外の人……とは一体。
それからはもうてんやわんやだった。代わる代わる人が来て偉い人達も来て水晶玉のような物に触らされて俺は正式に「外の人」認定された。そこから俺は信じがたい話を聞かされることになった。この島は、昔魔女狩りから逃れた本物の魔女達が集団で避難してきた魔女の島らしい。万が一にも追手が来ないように決まった海路を通らないとたどり着けない海の間の間にある島らしい。魔女達の子孫だけが住んでいる魔女の島。そこに偶然にもたどり着いてしまった俺は「外の人」なのだ。突飛すぎてついていけない話だが、実際に魔法を見せられたらもう信じるしかない。秘密を知ってしまった以上、もう外には戻せないと言われてしまった。だから俺はここで、魔女の島で生きていくしかないのだ。
それからしばらくは大変だったが、何とかやっていこうと決心して今俺は生活している。
「よう、何をしてるんだ?」
俺を助けてくれた青年、シュクルは度々俺の様子を見に来てくれるいい奴だ。彼の助けなしでは今の所生活は難しい。というのもこの島には店がない。誰も彼もが魔法で物を出したり事をなしたりするので商売というものが成り立たないのだ。しかし俺には魔法がないため、自給自足しなければならない。自給自足するにも道具や何かが必要な訳で、そういうどうしても必要な物を彼にお願いして出してもらっている。ここにある発電機もそうだし、クワや何かもシュクルに出してもらった。
「こんにちは、シュクル。これから飯を作るところだったんだ」
「そうなのか、いい所に来たみたいだな。何かほしい物はあるか?」
金もなければ魔法もない俺がシュクルにできるお礼といったら飯を作ってやることくらいしかない。幸い俺の作る飯は彼の好みに合っているらしく、食べたい時にはこうして何か欲しい物があるかと聞かれる。
「うーん……そうだな、ジョウロ……いやそれは適当な器で何とかしよう。えーとに……肉」
野菜は育てるし魚は釣るからいいとして、肉は手に入れるのが難しい。だから貴重品なのだが必要な物が急には浮かばずつい口にしてしまった。
「よし、牛肉だ」
「やったぜ! ……いやいや、またやってしまった」
いつもシュクルがこうやってご飯を食べに来た時に欲しい物が言えるよう考えておこうと思って忘れてしまう。落ち込む俺にシュクルは微笑んだ。
「いいじゃないか。それよりその牛肉で俺に何か美味い物を食わせてくれ」
俺は頭をがっくりと垂れ、しかし立派な牛肉に腹がなる。牛丼にしよう。水、醤油、砂糖、酒、みりん、玉ねぎを鍋に入れて煮立てる。日本食安定の甘じょっぱいタレは汎用性が高い。分量次第である時はすき焼きのタレ! ある時は肉じゃがのタレ! 素晴らしいのだが、自分で作るには難しい調味料だらけというのが問題だ。
「いつも不思議に思うが、こんなこと手作業でやるのは面倒じゃないのか?」
何でも魔法でパッとやってしまうシュクルには何でも自分でやる俺がすごく非効率的に見えるようだ。まあそれはそうだろうな。俺だって魔法が使えたらそうするもんな。
「当たり前にやってることだから……面倒だと思うこともあるけど他に手段がないしね」
肉を投入してほぐしているとシュクルが俺の肩越しにそれを覗き込んで鼻から息を吸い込んだ。ここでは日本食は珍しいにしても、魔法で思い通りの料理が出せてしまうので1度食べれば再現できる。だからこそ料理屋もない。
「シュクルも魔法使えるんだからわざわざ俺の作る物食べに来ることないだろうに」
アクをとる俺の手元を見つめてシュクルは首を傾げる。
「俺もそう思って魔法で再現してみたんだがな、あんたの作る料理とは全然違うんだよな。味は確かに似てるんだけど根本的に違うというか……」
不思議なこともあるものだ。魔法も万能じゃないってことなんだろうか。くつくつとしっかり煮込んでご飯の上にのせる。うーんいい匂い。紅生姜はまだ手に入れていない。なくても料理が成立するから贅沢品の1種だ。
「できたぞー」
「いただきまーす」
シュクルの出した肉が良かったのか、牛丼が正義なのかは分からないが大変美味しい。ハズレのない味だ。シュクルも満足そうで良かった。
「やっぱりあんたが作った方が美味しいな……特別な魔法なのかもな」
シュクルがにっこりと笑う。何気ない1言のような何だか恥ずかしい言葉のような……俺は何だか答えづらくて口をつぐんだ。なんとなく無言のまま食事を続けていると、先に食べ終わったシュクルが俺に近づいてきた。
「なあ、俺はあんたの特別な魔法をずっと味わってたいんだが……」
硬直している俺の顔をシュクルがすくい上げる。強制的に目が合うと、シュクルは真剣な表情をしていた。顔に熱が集まっていく。
「あんたはどうだ?」
この島に来て、シュクルに初めに発見されたのは幸運だった。優しく面倒を見てくれて、足りない物は出してくれた。今や天涯孤独の俺がそんな風に大切にされて、ほだされないわけがないのに。
「俺……俺は……」
顔が俺の返事を如実にあらわしてしまっていたのか、俺が口で答える前にシュクルの唇がそれを塞いだ。小さな音を立ててその唇が離れると、シュクルの緊張していた顔がふにゃっと弛緩した。
「嫌だったって顔じゃ、ないな」
俺は恥ずかしくてぷいとそっぽを向いて牛丼の続きを食べ始めたが、後ろから抱きついてくるシュクルに抵抗はしなかった。
もちろん愛の魔法ですよ!!!