小型化多機能化 -メタ的な会話の成立-
"ヤバイ”という言葉を皆さんは一日に何度用いるのであろうか。
"ヤバい"という言葉は不利な状況や不都合な様を意味する『やば』が形容詞となった言葉である。
しかし、おそらく多くの現代人は不都合な場合ではない時も"ヤバい"という言葉を用いている。というのも、現代での"ヤバい"という言葉には『並外れである』という意味や『強調』としての役割などを加えられており、古くから用いられてきた不都合な様を表すだけの形容詞である"ヤバい"を、あらゆる事象を時と場合によって最適に形容することのできる便利語"ヤバい"に若者達を筆頭に現代人が昇華したという背景があるからである。
ことような、古くから用いられてきた意味を超えて更に便利になった言葉(これからはメタ的な言葉と呼ぶ)はいくつかある。例えば"マジ"や"エモい"更には"卍"などはメタ的な言葉の筆頭であると思われる。
多くの言語学者はメタ的な言葉を嫌い、正しい日本語で古き良き日本文化を継承していくべきだと発言しているが、筆者はそうは思わない。その理由は科学の進歩と同様に言葉の進化を見ていくことで読者も理解できるだろう。
読者諸君は"ケータイ"についてどのような形状を思い浮かべるであろうか。恐らく多くの読者はスマートフォンの形状を思い浮かべたであろう。しかし、2000年代後半であれば多くの人は、現代でいうガラケーの形状を想像したのでは無いであろうか。更に振り返り1980年代まで遡るとショルダーフォンなるものが一般的な"ケータイ"の形状であった。1980年代、ショルダーフォンが最も"ナウい"と感じていた当時の若者達は携帯電話がポケットに入り何のストレスもなく携帯できるとは思いもしなかったであろう。しかも、ショルダーフォンよりスマートフォンの方が機能が多い。つまり、大型で機能の少ないものから、小型で多機能な物に進化してきたのだ。
ここで"言葉"の話に戻らせていただくが、"ヤバい"を例にとってケータイの話に置き換えていくと、"本来の意味でのヤバい"はショルダーフォンであり、"メタ的な言葉のヤバい"はスマートフォンである。長くて意味の少ない言葉が、省略され、いくつかの意味が付加される事でメタ的な言葉となる。これは大型少機能から小型多機能へと進化したケータイに通ずるものがる。つまり、メタ的な言葉の使用は文化を壊しているのではなく、順当に進化していると考えるのがベターである。
さて、ここまで話したところで、この作品のタイトルである『メタ的な会話の成立』に論を進めていく。
この作品で先程ケータイの例を話したが、勘の良い読者は"携帯"という単語だけで、小型化多機能化こそが物事を便利にする進化の本質であるという話の全容を察したに違いない。つまり、私が論じたケータイについての話は、勘の良い読者達にとって必要不可欠な話ではなく、単なる答え合わせに過ぎなかったのである。この様な、人の話を聞く際、純粋に聞くのではなく、答え合わせの様にして聞かなくてはならない事例に多くの読者は遭遇しているのではないのであろうか。私はその様な事例に遭遇するたびに、将来的に話し手が伝えたい内容を感づかせるいくつかの言葉や単語を言うだけで聞き手がそこから話の全容を察する事で成立する"メタ的な言葉"ならぬ、"メタ的な会話"がいずれ主流になるのではと考えてきた。
とはいえ、 2018年、私がこの作品を執筆している時点では、全く有り得ない事であると筆者でさえ思う。
しかし、進化とは小型化多機能化。ショルダーフォンを最先端なものとして認識していた当時の人々がスマートフォンを想像していなかった様に、メタ的な会話が成立した時代から、今この時代を覗いた際、あの頃の人々の誰がメタ的な会話を誰が想像したであろうかと懐古する時代がいつか来るのではないかと私は思う。