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大猪

「……はぁ」

 

生徒会室で会長席に座った葵は、すでに何度目かのため息をついた。

 

正直気の進まない仕事だ。


でも、生徒会顧問からの直々の指示となれば個人的な感情は脇に追いやらねばならない。

 

山岳部長の武井を放送で呼び出してすでに数分が経つ。


クラブハウスから全力で走ってくればそろそろ来るはずだ。


「……ぅぉぉぉぉぉぉ」

 

案の定、雄たけびを上げながら廊下を駆けてくる足音が近づいてきて、葵はもう一度盛大にため息をついた。


あの男は、廊下を走るなと小学校で習わなかったのかしら。


「おおおおおお!!」

 

ノックもなしに生徒会室のドアが盛大に開け放たれ、巨漢の男子生徒――武井 真人が飛び込んでくる。


ターミネ○ターを彷彿させるような筋骨隆々の逞しい肉体に坊主刈りとかなり迫力のある外見だが、不似合いなまでにつぶらで黒目がちな目が妙な愛嬌を彼に付与している。


「葵さんっ! 葵さぁぁぁん!!」

 

つぶらな瞳をきらきら輝かせながら武井が葵のもとに駆け寄り、葵が反応する間もなくその手を取って握りしめる。


「ちょ、ちょっと!」


「やっと、やっとオレの愛に応えてくれたんだな! おおうっ、この日を幾星霜(いくせいそう)待ちわびたことか! 葵、そうだこれからは葵と呼ぶぞ。葵という前人未到の峰への初登攀(はつとうはん)を成し遂げるのはオレしかいないとずっと信じていたんだが、やっぱり間違いじゃなかった! ああ、この日は素晴らしい日だ。オレたち二人にとって記念すべき愛の第一歩となるのだから」


「ちょっと、いい加減に……」

 

手を振りほどこうとする葵だったが、武井は完全にトリップしている。


「そうだな、葵が高校を卒業したらすぐに結婚しよう。うん、そうしよう! 大丈夫、オレはお前をしっかり養っていくぐらいの甲斐性はあるつもりだ! それから二人でアメリカに行くんだ。オレは探検家になるからな。子供は、そうだな男と女一人ずつで、息子はオレがりっぱな探検家に鍛えてやろう!」

 

話が結婚後の人生設計にまで及ぶに至り、さすがに止めなきゃ、と葵は空いた片手で会長の執務机の引き出しを探り、対武井用に準備してあったクラッカーを取り出して紐を口に咥え、なおも熱く語り続ける武井に向けて構えるなりそのまま発砲した。


――ぱぁんっ!!


「のわっ!?」


甲高い炸裂音が生徒会室に鳴り響き、色とりどりのカラーテープまみれになるに至って、ようやく武井は葵の手を放した。その隙を逃さず、開放された手を机の下に避難させる。


「な、何をするんだ?」


「何をするんだはこっちの台詞です! いきなり人の手を握って、自分だけ勝手な話で盛り上がって! 寝言は寝て言ってください!」


「しかし、葵がオレの愛を受け入れてくれたから……」

 

放送で呼び出しただけでどうしてここまで勘違いできるのかと葵は正直頭が痛い。


「まだ言いますか、武井先輩! あたしがあなたを呼び出した用件はそんなことじゃありません。それと、馴れ馴れしく呼び捨てにしないでください!」


「そんな……」

 

葵の厳しい言葉にしゅんとなる武井。


そんな彼の様子を見て、もう一度大きくため息をついて葵は幾分か口調を和らげた。


「今日の呼び出しの用件ですが、山岳部は前の三年生が卒業したので現在のメンバーは武井先輩を含めた三人で間違いないですね?」


「ああ、間違いない」


「インターハイの山岳競技への参加条件が四人以上というのも間違いないですね?」


「そのとおりだ」


「結論から申しますと、現時点で山岳部はインターハイ予選への参加すらできません。ですから、この勧誘祭期間に新入部員が確保できなかった場合、山岳部は今期同好会への格下げが確実です。それで……」

 

頭をぶん殴られたかのように呆然とする武井。そのつぶらな瞳にみるみる涙があふれてきて、


「そんなばかなぁぁぁぁぁ!! うおぉぉぉぉぉぉん!!」

 

床にひざをつき、頭を掻きむしりながら号泣しはじめた。


「今日は厄日だ! 葵さんに愛を拒まれた上にオレの愛する山岳部が格下げなんて!! なぜだ!? どうしてだ!? なぜ皆、山の素晴らしさを理解しようとしない!? あんなにも素晴らしい大自然とそれに挑む男の生き様をなぜ分かってくれないんだぁぁぁ!?」

 

握り締めたこぶしで床をがんがん叩きながら慟哭する武井。その顔の下にはすでに涙の水溜まりが出来ている。


どこまでも純粋でまっすぐで思い込みが激しくてせっかち。そんな武井のことが葵は正直言って、かなり苦手だ。


「……武井先輩、落ち着いてください。まだ格下げが決定したわけじゃないんですから」


「ぞ、ぞおなのが?」


「……とりあえず涙と鼻水を拭いてください」


武井が涙と鼻水を拭いて多少落ち着くのを待ってから、葵が再び口を開く。


「改めて現状を説明します。山岳部は我が校の伝統あるクラブですし、インターハイ常連の強豪という確かな実績がありますから、学校側としても存続させられるものなら存続させたいと考えています。でも、えこひいきをすることは出来ません。それで、折衷案としてインターハイ予選への参加条件である四人という部員数を満たせば今回の格下げは見送るということになりました。……もちろん、人数を満たしても実績を上げられなければその次の編成会議では危なくなりますが」


「……つまり、五月の前期編成会議までに一人でも新入部員が入れば半年間は格下げを先送りできるということだな」

 

武井の目に光が戻ってくる。


「そういうことです。それで、生徒会としてはこの勧誘祭の期間内に山岳部がなにかのキャンペーンをしてその存在をアピールすることを提案します。いきなり言われても思いつかないと思いますので、他の部員たちと相談してまた報告してください。こちらも可能な限りバックアップはしますので」


「そこまでしてくれるなんて! やはり葵さん、君はオレのことが……」


「違います! これはあくまで生徒会によるてこ入れであり、あたしの感情は関係ありません」


「そうか分かった。この武井真人、かならずや葵さんの期待に応えて君にふさわしい男であることを証明してみせる!」

 

何が分かったよ!? 何も分かってないじゃない、この猪突猛進の山岳ばか!!

 

葵のこめかみにはそろそろ井桁マークがぴくぴくと浮かびつつある。

 

まったく、大介たちがつけた【大猪】って、本当にぴったりの渾名ね!


「…………新入部員はなにも新一年生でなければならないというわけではありませんので、もし有望な二年生がいたら声をかけるのもありかもしれません。こちらからの用件は以上で……」


「そうかっ! その手があったぁぁぁ!!」

 

葵の言葉を遮って武井が叫ぶ。


「あいつらがいた! あの山岳部に入るために生まれてきたような奴らがいたじゃないか! くそっオレとしたことがうっかりしていた! あいつらを抱き込めば万事解決だ! がっはっはっはっはっ!!」


「……念のために伺いますが、あいつらとは?」

 

なんだか厭な予感がして尋ねると案の定な答えが返ってくる。


「サバ研に決まっているだろう! 特に茂山は将来オレの探検隊の副隊長になるべき男だ。よしっ善は急げだ! では葵さん、吉報を待っててくれ!!」

 

一瞬で完全復活を遂げた武井が生徒会室を飛び出していき、たちまち足音が遠ざかっていく。

 

しばし呆然としていた葵だったが、はっと我に返ってつぶやいた。


「……あー、これはちょっとまずいかも。……ゴメン、大介」


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