74・期間限定の恋人・6
小悪魔マユ・74
『期間限定の恋人・6』
スズメの鳴き声で、半ば意識がもどってきた。
いつもの朝である。このスズメの泣き方で、おおよその時間がわかる。いつもなら、もう一群れのスズメたちがやってきて、ちょうど起きる時間になる……ちょっと変だ。
黒羽は、音楽事務所のプロディユーサーをやっているので、音感は並の人間よりは鋭い。スズメの鳴き声が微妙に違う……。
――そうか、友だち……いや、恋人でも連れてきたかな……スズメも、なかなかやる。
おめでたい誤解は、コーヒーの香りで打ち消された。
「このベッド……この部屋……?」
「黒羽さーん。もう起きて、朝ご飯できたから」
――この声は……?
「おはよう!」
明るい笑顔が視界に入った。
「み、美優ちゃん……!」
「すまん、この通りだ!」
朝食を前にして、黒羽は深々と頭を下げた。
「そんなのいいから、冷めないうちに。話は食べながらでいいわ」
「お母さんは……この状況……?」
「まだ帰ってない。黒羽さんのせいよ」
「ボクの?」
「正確には、HIKARIプロのね……五日で四十七人分の衣装。うちだから引き受けられたのよ」
「ああ、新曲の発表に間に合わせなきゃならないから……無理言った。ごめん」
「縫製にクレームついて、お母さん、とうとう泊まり込み……トーストお代わりする?」
「うん……ああ、すまない」
「そんな忙しいときに、チーフプロディユーサーが酔いつぶれていていいのかなあ……」
オーブントースターに食パンを入れながら、美優は、少し意地悪を言ってみた。
「いや、面目ない。ちょっと事情が……」
「黒羽さん。ほんとは恋人のとこに行けばよかったのに……」
「ゲホ、ゲホ、ゲホ……」
黒羽は、派手にむせかえった。
「あ、ごめん。ひょっとして、まだナイショのことだった?」
「ナイショもなにも、恋人なんていないよ。このクソ忙しいHIKARIプロのプロディユーサーに、そんなヒマはないの」
「でも、夕べは、さんざん言ってたわよ。わたしのこと妹さんと間違えて」
「それは……」
「どーよ……」
黒羽は観念して病院でのこと話した。恋人がいるなんて出口の無いウソの話を。
「じゃ、お父さんは婚約者がいるって信じてるんだ……」
「ハッタリだってわかってるよ」
「だったら、なんで、あんなにヘベレケになっちゃうのよ」
「……だよな。でも無いものはしょうがない、今夜にでも正直に話すよ」
「でも、お父さんガッカリ……長くないんでしょ、お父さん?」
「そんなことまで、しゃべったのかオレ?」
「わたしも病人……だったから」
「そうだ、たしか、美優ちゃん入院してたんだよな」
「『だった』って言ったのよ。昨日退院しちゃった」
「そうか……それはおめでとう。元気になってなによりだ……オヤジは、あと一週間……なんか、他の方法で親孝行考えるよ。じゃ、オレそろそろ行くわ」
「やだ、黒羽さん、自分の家の感覚になってるでしょ。HIKARIプロはすぐそこだよ。まだ八時まわったばかりだし」
「いや、夕べはレッスン見てないからね。早く行ってスタジオの空気吸っとかなきゃ。クララなんか九時には、スタジオにやってくるからね」
そう言うと、コーヒーを一気のみして、上着を手にした。美優は、ときめく心を無意識に押さえ込んだ。
「そうよね、うちのお母さん徹夜させるぐらい熱が入ってるんだもんね」
「ごめん、迷惑かけたね。落ち着いたら、お礼させてもらうよ」
黒羽は、右袖に腕を入れながら、ドアに向かった。
マユは、少しだけ美優の心臓を刺激した。ラノベでいう「胸キュン」である。
「わたしが恋人になってあげようか」
「え……」
左袖をぶら下げたまま、黒羽が振り返った。
「一週間だけの期間限定の恋人……だけどね」




