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小悪魔マユ  作者: 大橋むつお
72/118

72・期間限定の恋人・4

小悪魔マユ・72

『期間限定の恋人・4』   




――人生でやり残したことを成し遂げるのは、けして楽しいことばかりじゃないんだよ。


 小悪魔のマユは、美優の体の中で呟いた……。



 むろん、マユの呟きが美優に届くわけもない。また、マユも、それを承知で、美優を死の瞬間まで元気でいさせることだけに専念する。人間を死の瞬間まで苦悩させ、それによって、より魂を高潔にしてやることが、悪魔の道……だと、悪魔の先生に教えられてきたから。


 美優は、一つ手前の地下鉄の駅でタクシーを降りた。

 

 急な思いつきだった。タクシーの窓から、懐かしい街並みが見えてくる。その中にAKR47の看板がチラホラ見えてきた。AKR47はそのシアターまで、街の要所要所に看板やポスターを貼っている。

 その一枚は『最初の制服』というレパのコスを着た大石クララを中心とした主要メンバーが、女子高生のようなフレッシュさで写っている。美優は、数年前の女子高生のころの自分の姿と重なった。いろんなことに憧れていたあのころの自分に……。


――そうだ、高校生のときの気分で家に帰ろう。


 そう思い立ってタクシーを止めた。そして、たった一駅だけど、高校生のころ、通学に使っていた地下鉄に乗ることにした。

 美優は、たった一駅の間に時間を巻き戻した。美優は、このあたりでは少しセレブな乃木坂学院高校に通っていた。ダンス部に所属し、コンクールの前などは、遅くまで練習した。あのころは部員も10人そこそこで泣かず飛ばずだったが、今では文化部の花形だった演劇部を追い越し、都の大会でも三位につける好成績ぶり。あのころはリハーサル室なんか使えなくて、練習場所の確保に四苦八苦……でも、持ち前のマネジメント能力の高さで、美優は、いつも十分ではなかったが、必要なだけの練習場所は確保してきた。


――充実してたなあ……地下鉄の揺れが、懐かしく思い出を呼び覚ましてくれる。


 カーブに差しかかると、独特の軋み音とともに、パンタグラフと架線がスパークして、瞬間ストロボのようになる。美優は、そのストロボが好きで、このカーブに差しかかると、持っていた携帯や文庫から目を離し、窓の外のストロボに目をやったものだ。ときに、このストロボは、思わぬアイデアや思い出を閃かせてくれた。ダンスの振りが、今ひとつ決まらないときも、このストロボでアイデアが浮かんだものだった。

 

――そうだ、あの振り付けは、自分のアイデアじゃなかった……そのころ、近所のビルにHIKARIプロが引っ越してきた。引っ越し挨拶に、近所の店にシアターの招待券が配られた。

 美優は公開レッスンを見に行った。春まゆみという振り付けの先生が厳しく教えていた。メンバーの一人が、なかなか振りを覚えられずに、袖に駆け込んで泣き出した。レッスンは、そんなことで中断されることもなく続けられたが、美優は泣き出した子に興味があった。こんな局面は、自分のクラブでもよくある。スタッフが、どう対応しているかが気になった。

 カッコいいディレクターが相手をしていた。

「さあ、ゆっくり深呼吸して……」

 過呼吸になったその子を優しくハグし、クシャクシャになった髪を撫でながら、あまやかすでもなく、叱るでもなく、落ち着かせていた。

 後で黒羽というディレクターだということが分かった。ローザンヌは、小売りだけではなく、プロダクションなどの卸の仲介もやっており、そういう仕事で、ときどき黒羽が店に来ることもあったし、母のアシスタントで大量の見本を運ぶこともあり、黒羽とは、いつか挨拶するぐらいの仲にはなっていた。


――いい人だなあ……その程度の気持ちは持っていたが、淡い憧れ、ご近所の知り合いの域を超えるようなことはなかった。HIKARIプロについては、そんな思い出だけだったんだけど、その時思いついた振りは、無意識に見ていた春まゆみの振り付けを真似していたことに気づいた。この瞬間までは、自分のアイデアだと思いこんでいた。美優は、そんな自分をお調子者とも、吸収力の高い少女であったとも、くすぐったく思いだしていた。


 ストロボの余韻に浸っているうちに駅についてしまった。


 美優は、女子高生のように軽々と階段を駆け上がって出口に出た。目の端に出口のところで座り込んでいる酔っぱらいが見えた。よく見かける光景なので、無視して数歩スキップして気がついた。


 その酔っぱらいは……HIKARIプロの黒羽ディレクターだった……。

 


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