8品目 とある駄天使と孤独の野営飯
最も優れた人々は、はかない物事を捨て去り、永遠の栄光を選ぶ。
しかし、多くの人々は、家畜のように腹一杯食べることを選ぶ。
【 古代ギリシャの哲学者 ヘラクレイトスの言葉 】
焦るんじゃない。わたしは腹が減っているだけなんだ!
冒険はいい。ほんとにいい。
危険なことも多いし、命懸けになることも沢山だけど、
これほど心潤う娯楽をわたしは知らない。
これまでのわたしは、神の座の傍らで跪き、天上に住む神の代弁者として地上で這いずる人間たちに神の意向を伝える仲介役【天空の聖女】として、ただただ天空神殿に引き篭もり、世界のありようを本で得た知識だけしか知らなかった箱入り天使だった。
自身のありようが根底から変わったのは何時ごろだったか。
箱入りには決して理解できない真理を得たのは何時からだったか。
生で感じる地上を至極の快楽と認識したのは何時からだったか。
きっと昔のわたしが今のわたしを見たら、
「なにやってんのー!?」
と、仰天することだろう。
わたしの名前はエスティエル。通称エスト。
偉大なる天空王家の第二王女にして──
天を総べる聖竜神さまにお仕えする【天空の聖女】だ。
でも、その素性は下界では明かせない。
誰も知らない知られちゃいけない。
なぜなら天空人は下界の者にとって神に最も近い雲の上の存在。
天使とか雲上人とか言われる気高き存在だからだ。
まして天空の覇者である聖竜神を守護する由緒正しき王家の血筋となれば、それこそおいそれとその存在を下界の衆目に晒してはならない。古事記にもそう書いてある。
それでも稀に、ごくごく稀なケースだけど、羽衣をなくして村人と恋仲になった天女の御伽噺のように、下界に落ち延びたあと多くの男を垂らしこんだ月の姫君のように、下界に憧れを抱いて地上に堕ちる天空人はいる。
神話の時代から続く長い永い天界の歴史の中で、童話や伝説として幾たびか登場する変わり者の天女たち。
その一人が数十年前に行方不明になったわたしの姉。
そして、もう一人がこのわたし。
御転婆というなかれ、人生はそうでなくちゃあ面白くない。
だって下界や異世界には天界にはない山ほどの未知があるのだから。
こうして天空から地上に降りて、舗装もそこそこで車輪跡だらけな冒険者の街道を歩いていると、たびたび実感することがある。
世界は広い。
天空城から眺めているだけじゃ絶対に理解できないくらい広い。
わたしの知るココとは違う異世界を含めれば、世界はもっと広い。
大陸があり、諸島があり、半島があり、天界があり、魔界がある。
独自の文化、独特の文化、独立した文化。
これらの未知を好奇心のままに見聞して新しい世界を知る喜びは、冒険者の最大の楽しみの一つといって差し支えないだろう。
元来、旅の目的とは自身の知らない【未知】を知ることにある。
この真理に異論を唱えるものはいないと思う。
わたしとは方向性は違うけど随分前に城を飛び出した姉もそうだった。
それぞれの国家に特色があって、それぞれの人種に違いがあって、同じ国でも地方ごとにまったく異なる文化がある。
その違いは武器・芸術・言語・法律・信仰といろいろだ。
これだから下界は面白い。
こういう多様性と多面性は、千年単位の鎖国で思想も人種も文化も管理され、完璧に統一化された退廃的な天界にはないものだ。
何も引かない。何も足さない。
閉鎖的でなにもかもが停滞した小さな小さな天国。
空に浮きし神の箱庭の中では知りえない様々なもの。
それらを直に手に触れ、目で見て、耳で聞いて、舌で味わって、肌で感じることに、わたしはいつだって至上の喜びを感じる。
そんな無数の体験の中でも、わたしが特に求めてやまない未知がある。
ときどき異世界人が持ち込んでくる異世界の道具や文献?
それも当たりのひとつかな。でも違う。
とことん未知の言語でしたためられている書物を絵だけで愉しんで妄想したり、用途のよくわからない謎のテクノロジーで構成された異文明の道具のあれやこれやをコレクションしてみたり、旅先で偶然に異世界本の翻訳ものや写本などの掘り出し物を発見する喜びは、それこそダンジョンでレアアイテムを手に入れる快感に匹敵するけど、どっちかというとランキング2位の喜びだ。
なら何がランキング1位なのかと訊ねられれば、わたしの答えはひとつ!
【食・文・化】
ごはんは素晴らしい。
天空人だってお腹がすくし、栄養が足りなければ病にかかる。
何も食べなければ餓えて死ぬし、何も飲まなければ乾いて死ぬ。
こればかりは生命の原罪。
平民も皇帝も雲上人も分け隔てなく背負う平等な生命維持の手段だ。
この世界を生み出した創造神だって、人々の信仰がなければ消え失せる。
何かを糧として何かを失う。誰一人としてこの業からは逃れられない。
なんて、小難しい哲学をこねくりまわしたって腹が膨れるわけもなし。
人間の三大欲望の思考はシンプルであるべきだ。
好きだから恋をして、眠いから寝て、お腹がすいたから食べる。
欲望を満たすなら貧相よりも豪華なほうがいいに決まってる。
性欲を満たすなら相性が良くて権力財力魅力暴力を備えたイケメンがいいし、睡眠欲を満たすなら馬小屋よりもエコノミールムでスヤスヤしたい。
当然、食欲を満たしたいな美味しいものを食べたいと誰しも思う。
そいつが未体験の食文化から来る全く新しい美味ならなおよし。
飲んで喰って馬鹿騒ぎ。
行く先々の冒険先で愉しむ食道楽。
ぶらりと立ち寄る美食探訪。
これがわたしが冒険で最重要視している旅の楽しみだ。
「うーん、こんなトコでキャンプ張るのもなんだし、もうちょい我慢かなー」
ここは街と街を繋げる冒険者の街道。
定期的な魔物討伐と舗装された道のおかげで、旅人や商人が安心して地方から都市圏へ出かけられる物流の生命線。
最近は旅人を狙う盗賊やモンスターが増えて治安が悪くなっているけど、それでも道なき道を歩くよりはマシだ。ずっとずっとマシだ。
んでもって、こういう街道をゆるりと徒歩で進むのが旅の醍醐味。
ムードもへったくれもなく転移魔法で「ぴょい~ん」では折角の旅も台無しだ。
あえて不便を楽しむ。急ぎの用事でない限りは、冒険者の一人旅はこれでいい。
「やっとついたぁー!」
ぺこぺこのお腹からくる強烈な飢えを我慢しつつ歩くこと一里半、神都ホーリーレイクと関所の宿場街を繋ぐ中継地点に到着したわたしは、急ぐ足で広場に向かった。
「よう、エストリアのお嬢、ずいぶんひさしぶりじゃねぇの」
「おひさー、肉屋の旦那。いると思った」
冒険者需要をあてこんだ携帯食や軽食の屋台列を通り過ぎる道すがら、途中でいつも世話になっている干肉業者の旦那の屋台をみかけて軽く挨拶する。
この旦那が取り扱っている食品は塩も肉も高品質なんで、旦那が拠点にしている王都を中継するときはいつも長旅の前に携帯食を買い込むことにしている。
「また食道楽の旅でもやってたかい?」
「むしろ現在進行形。ちょっとヤボ用でね」
今回、わたしはちょっとしたおつかいを天空王に頼まれている。
近年、魔物どもの動きが慌しい。モンスターが凶暴化して各地の被害も増加してる。
かなり久々に魔王による大規模な侵攻あるのではとわたしも父も予感している。
噂では早くも魔王対策に異世界の勇者の召喚を検討している神殿もあるとか。
そのあたりは聖竜神さまも予測していたらしく、来るべき魔王の地上侵攻に備えて、わたしは各国に散らばる聖女たちに挨拶回りをすることになった。
「目的地は?」
「とりあえずまずは王都の光竜神殿。そのあとは高原を渡って三千諸島へ」
真っ先に行くのは大陸中央部の王都にある光竜神殿、そっからは適当に。
そこまで急ぐ旅でもないし、各地の名物を愉しみつつ巡礼する予定。
魔王ったって、いつものように雑魚魔王がポンと出て終わりだろうし。
まっ、出たら出たで適当に対応準備が整ってる神様が勇者を招くだけ。
神託で地元民からデビューさせるもよし、異世界から異邦人を招くもよし。
んで、パパっと神の尖兵を魔王軍に送り込んでチャンチャンバラバラ。
適度に荒れて、適度に戦って、適度に退治して、物語はめでたしめでたし。
ましてここ百年の侵攻は魔王側も人材不足で成果がパッとしないし。
聖王ベリア一味が奮闘した六百年前のような大戦がそう起こるわけもなし。
不謹慎な言い方になるけど、もっと魔界側もハデにやってくれてもいいのよ。
大魔王が現れるとか、魔王が同時に複数やってくるとか、それくらいのヤツを。
「ああ、八大神の御遍路かい」
「海竜神殿に挨拶したら山岳へ、その後は南方へ。そっから東部へぐるりかな」
「定番の巡礼コースだな」
「そうですね」
川沿いや湧き水地点の水場には必ず旅人の拠点が生まれる。
だいたいスタート地点から徒歩で夕刻くらいになる場所、川や湖が近いところほど、自然と旅人が寄り合う休憩所や野営地が出来上がる。
多くの冒険者や旅人がキャンプを張る公共広場に向かったわたしは、さっそく知り合いの干肉屋のおじさんとつたない談笑をかわして補給を済ませたあと、広場に簡易竈を作って鉄鍋を乗せる。
アウトドアにはアウトドアなりの良さがある。
キャンプを張り、組み立てた薪に【ティンダー】の着火魔術をかけて焚き火をおこし、鍋で川から汲んできた水を沸かして、背負い袋に詰め込んである簡易食材で飯を作る。
道すがらで採取した山菜やキノコ、キャンプ付近の川で釣り上げた魚、狩猟で得た獣肉などで作る夕飯は特に最高だ。
残念ながら山越えならともかく今回のような街道ではそういったワイルドな野営食は楽しめないけど、保存食を戻した豆スープくらいは楽しめる。
これがまた質素ながら、街の食堂で食べるときとは違った喜びがあるんだ。
【豆と干し肉の塩スープ・冒険者野営風(二人前)】
● 水 ──────鍋一杯
●干肉(羊)────大2枚
●黒胡椒───────適量
●薬草 ───────1株
●玉葱 ───────中1個
●乾パン───────1個
●蜂蜜酒───────適量
●混合豆───────300グラム
(大豆・レンズ豆・豌豆・雛豆など各種)
冒険者の長旅には日持ちのする食材が必要だ。
獣肉や魚肉の燻製や干物、歯が欠けそうなくらい気合の入った乾パン、麦などの穀物類、香味野菜にもなる薬草に毒消し草、塩胡椒の調味料、それと腐りにくい飲料水代わりの酒類。
このへんはもうなくてはならない必需品。
ただ飲料水については最近の冒険者は知力ステータスが伴っていれば魔法使い系でなくとも習得できる共通魔術の【クリエイトウォーター】を最低限の嗜みとして習得している場合が多いので、昔ほど水の確保に苦労しているわけでもない。
汲んできた川の水を徹底して沸騰させて消毒してっと。
まずは煮立ったお湯の中にカチカチの大羊の干し肉を投入。
肉を戻しつつ塩気と獣油のダシがほどよく出たところで豆を投入し、煮込んでいる間に玉葱と薬草を刻む。
保存が利いて栄養があって気温の低い大陸でも育つ玉葱は神の賜物。
下拵えの最中も定期的に灰汁をお玉で取り出すのも忘れない。
この豆と肉に火が入るのを待つ時間がまた至福だ。
沸騰したスープからほんのり香ってくる玉葱と薬草の匂いがたまらない。
この香味野菜にクセの強い大羊の脂が混ざると更に味は深みを増す。
肉も豆も野菜もきっちり煮立ったら、
最後に甘みつけの蜂蜜酒少量と乾パンを砕いて入れて完成。
保存食だけで作る豆スープは決して舌鼓を打てるほど美味しいものではないけれど、この雰囲気というかなんというか、そこはかとない野生感が奇妙にも原始的な豆スープの味を引き立ててくれる。
「はふっ、はふっ、はむっ」
出来上がり早々、豆スープをドンブリによそってガツガツかっこむわたし。
野菜の甘み、豆の歯ごたえ、羊肉の独特の臭みとどっしりとしたコク。
喉を通過して内臓に染み渡るスープの熱。
「ふぅ~あたたまるぅ~」
この快感。この快楽。旅の疲れが満腹感で一気に帳消しになる。
蜂蜜や肉を入れないと味気ないけど、豆スープは栄養価バツグン。
塩と糖・ビタミン・鉄分・カルシウム・蛋白質に炭水化物に脂質。
これぞすべてがそろった完全栄養食。
保存が利いて水と火があれば簡単に作れる。まさに旅人の料理だ。
嗚呼、満腹。
鍋の中身を平らげたわたしは即座に大の字になって寝転がる。
心地よい気分だ。これだから冒険食はやめられない。
「さて、二日くらいしたら次の宿場町か。あそこの飯もひさしぶりだなー」
ゆるりと旅。ゆらりと旅。ゆっくりと旅。
行く先々で楽しむわたしの食文化探訪はまだ始まったばかり。
今日もどこかで食道楽。明日もどこかで食道楽。
さぁて、次の町ではどんな味を楽しもうかな。