6品目 とある未来の大魔王と卵かけ御飯
酒と女と歌を愛さぬ者は一生を阿呆のままで過ごすのだ。
【 ドイツの神学者 マルティン・ルターの言葉 】
「殺せ。この首くれてやる。煮るなり焼くなり好きにするといい」
ノヴァは剣を鞘に戻し、小太刀ともども傘置き場へ投げ込んだ。
もはや自分に抵抗するつもりはないという意思表示であった。
死するならば不敵に、そして誇り高く死なねば魔王の名が廃る。
「天空人の女、貴様ほどの強者に屠られるならば悔いは無い。余の首をグローリア王都に持ち帰り、天下百年続く家門の栄誉とせよ」
恥を知る者は強し。
常に郷党家門の面目を思ひ、いよいよ奮励してその期待に答ふべし。
生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ。
「そうかい。じゃあ煮物に焼き物。好きなモンを注文してくれや」
「はぁっ?」
店の主らしき無精髭の男の言葉に、思わず素の声がついて出た。
「悪いがウチは人肉料理は取り扱ってなくてな。ンなとこで打ち首やられても困るんだわ。ってか、アストも止めようと思えば止められたろうに、なんでそこで大喜びで応戦するんだよ」
「あら? わたしは普通に接客しただけですけど?」
「よく言うぜ。一撃目を防いだ時点で素に戻る寸前だったじゃねーかよ。俺が小僧の捨て身の攻撃を止めなかったら文字通りに店が潰れてたぞ」
やれやれとあきれ果てながら頭を掻く店主。
「なかなかやるなぁ小僧。女房が素になりかけたのは久方だぜ」
どれだけぶりだろうか。
あれほど上機嫌で獣の笑顔をする妻の貌を見たのは。
あぶなかった。
もし女房が本気になって暴れたらこの店は数分ともたないだろう。
それにしたって驚くべきは妻を刺激した魔族の少年の剣の腕前だ。
さっきの勇者のボウズもなかなかの腕だったが、地力はこっちが一枚上だ
それに若い。
魔族は年齢不詳が基本だが店主にはおおよその検討がついた。
人間に換算するなら十五歳か十六歳、それくらいの年齢だろう。
先ほど来店した勇者とだいたい同い年くらいだろうか。
顔には両頬と額に刺青のように浮かぶ魔王の紋章が刻み込まれている。
この若さで魔王の座に上り詰めるとは、かなりの実力者と見ていいだろう。
客との談話で七人の魔王が地上で暴れているとは聞いていたが……
まさか魔王までウチに来店してくるとはねぇ……
あまりといえばあまりのケースに店主も苦笑するしかない。
「本当にここは飯屋なのか?」
「ああ、魔王や救世主も来店するような変わった飯屋だがな」
「メシヤが通う飯屋だけにか?」
「おう、うまいこと言うじゃねぇか小僧」
うわぁ、寒い。
給士はぶるりと震えたが、聞かぬフリをするのも乙女の情けだ。
「なら、その救世主は何処にいる?」
「残念だが入れ違いだな。もうどっか遠くに転移してるよ」
「座標位置は?」
「これがまた無作為でなぁ。すまんが俺にも分からん」
チッとノヴァは舌打ちする。嘘を言っている様子はない。
やはりここに来ていたのか。そしてすでに立ち去ったあと。
次元の曖昧な場所での転移。どこに飛ばされたかも不明。
これで光の子の追跡は完全に手詰まりになったわけだ。
「ならいい。店の中を騒がせた侘びだ。一食いただこう」
「お客さん、なかなかの紳士だね」
軽口を無視してフンと鼻を鳴らし、ノヴァはカウンター席に座った。
もはや光の子の追跡は不可能。探すだけ無駄だと察した。
腹もすいたし喉も渇いた。手土産もなしに帰るのも気分が悪い。
いや、これは言い訳がましい。歯に絹を着せず本音を言うべきだ。
この見覚えのある外観の異界の飯屋が出す食い物に興味がある。
これだ。これが魔王ノヴァをここに繋ぎ止める最大の理由だった。
「本日のオススメとやらはまだ作れるのか?」
「あー、すまねぇなぁ。仕込み済みのアジフライは一時間前に切らしちまってよ。いまから鯵かっさばいて作るにしてもラストオーダーが過ぎた閉店直前の時間でさ、のんきにやってたら閉店時間になっちまうし、揚げ油も片付けて残ってねぇんだわ。これまた運の悪いときに初来店しちまったもんだな」
申し訳ないと店主は詫びる。
「なら簡易的なもので構わん。飯はあるか?」
「ライスならまだたくさんあるぜ」
「ならそれをドンブリで。付け合せに生卵があればありがたい」
「ほぅ?」
「用意できないのか?」
「いいや、あるぜ。健康的で清潔なイキのいいやつがな」
「わたしが用意しましょうか?」
「アスト、お前は正面玄関の片づけしてくれ。お客さん緊張すっから」
店主に言われ、給士は「はーい」と返事して店の奥に消えた。
「ヘイ、生卵とドンブリ飯おまちっと」
カウンター席にトンと置かれるドンブリいっぱいに盛られた白飯。
続いて置かれた小皿にはコロリと転がる大玉の鶏卵。
「これでいいかい?」
「御代は?」
「いらねぇよ。初見の客は無料ってのがウチの流儀でな。とはいえ、さすがにコレだけじゃあ寂しいから、それ食って追加オーダーしたくなったら二品目も頼みな。閉店前でまかないもどきしか出せなくてすまねぇな」
「構わん」
ノヴァは一緒に出されたスプーンには目もくれず、慣れた手つきで割り箸入れから割り箸を引き抜くと、パキンと縦に真っ二つにした。
次に鶏卵をカンと小皿の縁に叩きつけて割り、生卵の中身を皿にあけると、まず白身だけを白飯の上にブッかけて大雑把にかき混ぜ、それから皿に残った黄身に醤油をたらして飯の上に乗せる。
プルンと膨れる新鮮な黄身と醤油を混ぜ合わせ、そこからゆっくり丁寧に白身と混ざり合ったホカホカの御飯に広げていく。
時はきた。
そういわんばかりにノヴァはドンブリを持ち上げて飯をかっこんだ。
美味い。
白身のヌルリとした粘りが短粒種の米を包み込んで生まれる独特の食感。
アツアツの米に絡んだ卵白が飯を適度な温度に調節してくれるのもいい。
ちょうどよく飯が時間経過で水分が飛んだ固めのものになっているのも好都合で、米はヌメリを持ちつつも程よい歯ごたえを与え、さらに黄身の濃厚な味と醤油の塩気が卵白のローブを纏った甘い米に乗って口いっぱいに広がり、舌の上で三味一体となった交響曲を奏でてくれる。
たかが溶いた卵をかけて調味料をたらしただけのぶっかけ飯。
されど単純にして強力な味。そして大陸では味わえぬもの。
よもやこの完璧な味を再び味わえるとは思いもしなかった。
生卵を食すという文化そのものが魔界や大陸には存在しないからだ。
この味にたどり着くのにだれだけの苦難に出会ってきたか。
最初は身分を隠して王都に訪れて再現を目指した。
ひどいものだった。まず白米そのものが大陸中央にはなかった。
かろうじて麦飯があり、それを使って試したが腹を壊した。
原因は鶏卵の衛生観念の悪さだった。
保存技術の乏しい大陸では鶏卵は火を通して当たり前のもの。
そのため常温保管も当たり前で悪菌と腐敗の精霊でビッシリ。
注文を受けた飯屋の店主が物狂いを見る目になったのも当然だった。
産み立ての鶏卵を使うことで食中毒の危険性は回避できるようになったが、やはり生卵を食べるという行為自体が奇特なため世間の反応はよろしくない。
あと麦飯との相性もそこまでよくなかった。
やはり卵かけ御飯には白米だと結論付け、大陸を横断してついに長粒種に巡りあえたが、こちらはどうにも香りが強くて卵の味を殺してしまう。
ただ、パサパサとした食感の長粒種の歯ごたえに対しての、白身のとろみとヌメリの絡み具合はわりと好相性でアリといえばアリであった。
なれどやはり卵かけ御飯は短粒種の米でいきたい。
最後に彼が目指したのは故郷と文化圏の似ているひんがしのワ国。
そこで彼は目的の米と出会うと同時に、故郷の偉大さを思い知った。
彼が食してきた【コメ】は数百年に渡るお百姓さんたちの努力の結晶。
原種から進化させてきた品種改良の差がここまで味の差になるとは。
それでもないよりはマシと彼は東方米を買い付けて本陣に戻ったが……
「王が痰壷の中身をライスにかけておられる! 御乱心! 御乱心!」
牙城の宮殿で卵かけ御飯を朝食にしていたところ、それを見ていた配下がなにを勘違いしたのか自分が米に痰をかけて食っていると大騒ぎしてえらいことになる始末。この話は魔界にいる母親にいまでもネタにされてる。死にたい。
おかげでわざわざ占領地の村々で魔術の素養のある村人に魔術師を派遣し、腐敗の精霊を御する闇属性または氷属性の魔法技術を伝え、新鮮で清潔な卵を産む養鶏の飼育を徹底させ、ついでに田園の知識を教えて東方短粒米の栽培を行い、コッソリと人目を忍んで食べなくてはならなくなった。
そのおかげで蝕星王ノヴァは敵対するものには冷酷だが反抗さえしなければ魔族はおろか人間にも慈悲深く、さらには占領地では人間の領主よりも善政を敷いてくれる王の中の王と魔族にも人間にも慕われ、村を魔族の手から開放しに来た勇者を「勇者の出入りお断りと」全力で追い出すほどの人間側の信奉者を大量に増やす結果になったのだが、たかが好物のメニューひとつ再現するだけで天地が引っくり返る大騒動である。
ちなみに彼は頑張って卵かけ御飯の良さを占領地の皆に布教したが、評価的にはいまだ成人の儀式の肝試しの域を出ていない。
「いい食いっぷりだねぇ」
もはや食べるというよりも啜る飲むといった勢いのノヴァ。
「ところで小僧。あんた【あっち】で魔王をやってるみたいだが」
そのとき店主が言った。
「お前さん、もしかして日本人かい?」
「…………!?」
ノヴァの箸が止まった。