5品目 とある未来の大魔王と隠しボス
他の人々は食わんがために生き、己れ自身は生きんがために食う。
【 古代ギリシャの哲学者 ソクラテスの言葉 】
観れば観るほどに異様さを極める外観であった。
火の精霊力も魔力の波動もまるで感じない照明器具。
一見して大陸中央の建築様式に見えて何処に該当しない外装。
玄関前には来客に店の内容を知らせるメッセージボードらしき黒い板が立てられており、その黒板には食品を連想させる簡易的な絵と、絵の説明と思しき摩訶不思議な言語らしき記号、および翻訳されたルビが石筆らしきもので白く書きつられてあった。
「本日の日替わりディナー【アジフライ定食】……80ベリアか」
どうやらメッセージボードには大銅貨八枚分の値段がする食事を来店客に奨める内容が書かれていたらしい。文字の上に描かれている絵は椀に盛られたライスと、椀に入ったスープ、あとは大皿に三枚ほど乗せられたトゲトゲした大葉のような扇状の何か。
「そういえば出陣からなにも口に入れていなかったな」
黒板のメッセージを読んで、ノヴァは軽い渇きと空腹感をおぼえた。
思えばここまでずっと飲まず食わずの強行軍で作戦を行ってきた。
張り詰めていた戦場の緊張が『飲食店』という身近な光景を目にすることで軽くほぐれ、日常に引き戻された肉体が体力の減衰を認識しだしたのだろう。
敵のアジトを不意打ちで強襲するアサルトは速度がすべてだ。
たとえキツくても休憩も補給も行わず一気に遂行せねばならない。
そのおかげで内容的には獲物をギリギリのところまで追い詰められた。
結果として自身の慢心からのミスによって取り逃すことになったが。
「それにしてもこの店の外観。玄関に置かれた黒板に照明器具……」
これまで訪れてきた者たちとは違う反応をノヴァは見せた。
通常、この店を初めて見る客は文化圏の違いに唖然とするものだ。
この様相、この外装、この照明。どれも異世界の産物ゆえに。
しかしノヴァは店構えに臆しもしなければ呆けることもなかった。
違和感に驚きはしても、未知の存在へ対する恐怖は微塵もない。
なぜなら彼にとってはすべてが既知であったから。
どれも彼が忘れかけていた遠い遠い日常の風景の一片だったから。
「現実的に考えるなら幻覚系のマヨイガの一種だろうが……」
マヨイガと呼ばれる旅人ホイホイのトラップの中には、獲物となる旅人を確実に誘い込むために、対象の望郷の記憶を読み取って故郷にある我が家の幻覚を見せるものがあるという。
だが、そのテのものであれば魔族の王たるノヴァにはすぐにわかる。
コレは紛れもなく本物の建造物だ。もはやなぜ此処にとは問わない。
周囲の次元の歪みから何者かが【現実世界】に割り込ませた異界のようではあるが、いまのところ自分に害意に及ぼすような存在の気配は感じられない。侵入者を拒む障壁らしき波動もない。
彼ら魔王が魔界の環境を強制的に現実世界に塗り替えるかたちで具現化する『魔王空間』も似たような現象を生み出せるが、これはもっと高度で複雑な次元歪曲の末に別世界と現実世界が繋がれている。
「ならばこれは竜宮城や鼠浄土の類か」
しばしの思考の末にノヴァは結論に至る。
セーヌリアスには魔界や天界や地上の他にも、創世記に生まれながらも現実世界に固定できなかった、泡沫のように脆い小世界がある。
それらは俗に妖精界や精霊界などと呼ばれ、神話の時代に天・地・魔の三界に居場所を見出せなかった太古の生物や原初の人類が入植しており、常にセーヌリアスに接する次元の周囲を漂いながら、こことは違う時間の流れの中に取り残され彷徨っているという。
ごくごく稀にだが、なんらかの拍子にセーヌリアスの次元と噛み合うことで、近くにいた旅人がそういった異世界に飛ばされ、御伽噺に出てくる『海神の末裔が住む海底宮殿』や『二足歩行の鼠が喋る夢の国』といった異界渡りの物語がつむがれることがあると聞く。
なるほどとノヴァは思う。どおりで追撃隊がディーンを見失うわけだと。
どうやら自分は異世界に繋がる次元の狭間に迷い込んだらしい。
おそらくは同じ谷底へのルートを渡ったであろうディーンも。
見れば見るほど懐かしさを覚える。
この建物の外装や調度品は魔界のものとも地上のものとも違う。
彼が生まれ育ったセーヌリアスとは異なる世界の建物によく似ている。
(もしかしたらこの先は泡沫の小世界どころか……)
人には言えぬ期待が膨らむ。ノヴァは胸の高鳴りを抑えられなかった。
だから懐かしさのあまり、彼は普段ではとても拝めない無防備を晒し。
警戒もほとんどせずドアノブを掴み、黒樫作りの引き戸のドアを開け、
カラン♪ カラ……
「えっ?」
「あ……」
出会いがしらにドアの先に立つ給士と顔を合わせることになった──
(天空人ッッッッ!!!)
完全に油断していた。
このドアの先には懐かしいものが待っていると彼は信じていた。
でも現実はまるで違っていた。
目の前に現れたのは魔族とは神の時代から不倶戴天の敵である天空人。
魔族の神である邪神と永劫の戦いを繰り広げる聖なる神の使徒。
魔族を統べる王として決して相容れない、分かり合ってはならない存在。
天空人の女性を目撃した瞬間、反射的にノヴァは愛剣を抜刀していた。
邪剣抜刀──!
それは人間から魔族に堕ちた外様の身でありながら、魔界でも屈指の剣豪と称され各地の魔王からも讃えられるマスターサムライ【ミフネ】から教えを受けて習得した居合いの術理。
収刀状態からでも後の先で敵を先制で斬殺できる最速無比の抜刀術。
マスターサムライ【ミフネ】をして『あと十年ほど研鑽を積み重ね、良き宿敵に巡り合える事ができれば、お前は永き魔界の歴史に名を残す当代最強の魔剣士になれるであろう』と言わしめた彼の異才。
そこらの三文勇者や雑魚魔王であれば、太刀筋はおろか相手が抜刀したことも認識できぬままに首を刎ね飛ばされ即死する。
加え、彼が愛用する魔剣【邪王百竜剣】は、危険極める魔界の深奥でのみ産出されるダークオリハル鉱を素材に、東方の鍛冶家が作る『ワ刀』と呼ばれるサムライ専用武器を参考にして魔界の名工が鍛えに鍛えた一級品。地上ならば伝説の武器に相当する逸品である。
避けようとしても避けきれないほどの速度。
受けようとすれば受けたところから切り裂かれる切れ味。
それほどの一撃必殺の居合いを──
ギィィィィィィィィィィンッッッッッッッッ!!!
「な……ッ!?」
盆で受け止められた、
「お客様、店内での暴力行為は御法度になっております♪」
「お客様だと?」
この女はいったいなにを言っているのだ。
「天空人の女……余の一撃を防ぐとはいったい何者だ!?」
完璧なタイミングだったはずだ。
出会い頭から相手に反応させる間も与えずに抜刀術の先制攻撃。
狙いは首一点。角度も左下方の死角から。最高速度での抜き放ち。
避けることは不可能。防具で受けたところで防具ごと叩き斬られる。
たとえ自分以上に優れた勇と武を備える七大魔王の燻し銀『鉄騎王アイゼン』が相手であっても、決して無事ではすまない会心の一撃だった。
そんな必殺剣を──この女は軽々と受け止めたのだ。
「いらっしゃいませ。飯屋『エンジェル・ハイロゥ』へようこそ」
ノヴァの質問には答えず、女はペコリと頭を下げた。
冷静に見れば、天空人の女はメイドに似た給士の格好をしている。
少なくとも天空城の聖戦士や神都の大神官という身なりではない。
「飯屋だと……?」
たとえここが飯屋だとして、貴様のような給士がいるか!
会心の一撃を防ぎきられた衝撃を隠せないままノヴァは愚痴る。
動けなかった。一の太刀を受けられ、構えなおした状態から動けない。
ナンナンダコイツハ……?
視線を床に向けているのにもかかわらず一切の隙が見当たらない。
首を差し出しているように見える状態なのに二の太刀を出せない。
どの角度、どの位置、どの技で攻撃しても決まるイメージが湧かない。
ならば距離を置いて攻撃魔法を使うか?
駄目だ。
目を離すだけでも致命傷になるのに意識を魔法や退避に向けるのは。
一歩でも退く仕草をすれば、その隙を突かれ飛び掛られてやられる。
それに天空人は抗魔の力が強い。牽制としてもリスクが高すぎる。
(このオレが動けんだと……? どうする? このままでは……)
ゆるりと顔を上げ、姿勢正しく微笑む給士は微動だにしない。
シロウトが見ればいつでもどこでも叩ける隙だらけの無構え。
一方で見るものが見れば、給士の正中線に一本の芯が入ったあの自然体は、脱力の状態から予備動作抜きで即攻撃に移れる達人域の構えだと分かる。
(まるでEXダンジョンにセーブなしで迂闊に入り込んだ気分だな)
頬を伝うひとすじの冷や汗。
こうして対峙して初めて分かることがある。
こいつは強い。勇者はもとより、他の七大魔王さえ勝てるかどうか。
実力の底も頂上も見えない。強者であればあるほどバケモノに見える。
例えるなら──
この女はラスボスよりも格段に強いのに正義感も野心も持たず、人知れぬダンジョンで自由気ままな隠遁生活を送り、道を極めて地上に敵がいなくなってしまった廃人冒険者の挑戦を待ち続ける隠しボスのようなものだ。
(……だからといって逃げられんッ!)
── 大魔王からは逃げられない ──
これはとある大魔王が残した名言。ならばその逆もしかり。
── 大魔王は逃げられない ──
魔王が勇者や冒険者に背を向けて逃げることは許されない。
その瞬間から魔王は魔王たりえず。永遠に謗りを受ける惰弱に堕ちる。
魔族の王ならば心せよ。逃げて恥を晒すならば名誉ある死を望め。
ノヴァは魔王であると同時に誇り高き戦士であった。
力がなによりも優先する魔界において武勇は魔族の存在意義そのもの。
魔族の王ならば野蛮な【暴力】でなく誇り高き【武力】を愛するべし。
魔界侯爵である母は言っていた。お前の父は立派なサムライだったと。
だからノヴァは武人として恥ずかしくない誇り高き道を歩んできた。
ときに魔王の禁じ手を使うのも躊躇わぬ彼も、この理だけは厳守した。
ならば──
勇者様の常套句を体を張って真似するのは少々いけすかないが……
一縷の望みに未来を託し、己のすべてを燃やし尽くす一撃に賭けるか?
刀の構えを八相の構えから天の構えに切り替え、刀身に気を練り込む。
狙うは特攻突撃からの全身全霊の気を込めた捨て身の斬り下ろし。
この一太刀で決める。二の太刀はない。1%の勝機に己のすべてを……
「あー、ストップだ。飯屋で刃傷沙汰はカンベンしてくれねぇか?」
いざ死地へ踏み出さんとしたそのとき、奥のほうから男の声がした。
ノヴァはビクンと小刻みに震え、たららを踏んで体勢を崩した。
彼は目の前の敵に集中しきっていた。そのため目配せを忘れていた。
屋内に女以外の人間がいる可能性を考慮する余裕がなかったとはいえ。
予想外の伏兵の声に気を取られ技の出初めを潰されるというこの失態。
「クッ……!」
捨て身の攻撃も失敗した以上、もはやこれまでだった。