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4品目 とある未来の大魔王と天女の羽衣

   食べているうちに食欲は起こるものだ。


  【 哲学者 ミシェル・ド・モンテーニュ 】

 【暴】が森の中を蠢いている──


「見つけたか!? 上空の偵察鳥には反応が無い」

「いや、滝側には人間が流れ着いた形跡は無かった!」

「滝壺はおろか滝の裏側に隠れた様子もなかった」

「谷の上側へまわした部隊の報告はまだか!?」

「残念ながら思いのほか渓谷が深く……」


 禍々しい闇のオーラをまとった暗黒馬ナイメアに跨る黒騎士たち。

 統一された甲冑の中身は一人一人が魔界でも名だたる魔法剣士や戦士。

 一騎が暴れただけで村程度の規模なら壊滅させられる屈強の猛者たちだ。


  七大魔王の一角『蝕星王ノヴァ』が率いる暗黒の騎士団。

 彼ら黒騎士は一騎当千を誇る猛者であると同時に魔王軍の戦力の要である。

 その中でも蝕星王親衛隊インペリアルガードこと『五蝕星』を名乗る【弦】【盈】【晦】【朔】【朧】の五名は魔王軍の軍団長を任される大幹部であり、その五名のすべてが先頭に立って作戦に参加するなど前代未聞の大進軍であった。


 本来ならば侵攻中の前線基地でふんぞりかえるか、占領した支配地の統治に明け暮れているはずの五名が雁首そろえて一つの作戦に参加する。


 これほどの重要な大作戦とはいったいなんなのか。

 王都へ向けての電撃戦か? 山脈防衛線を支える大砦への侵攻か?

 はたまた光の神を信奉する神官たちが待機する街道大結界の破壊作戦か。


 どれとも違う。

 強いて言うのならばコレは要人の暗殺作戦であった。

 ただ、単なる要人の暗殺ならば幹部の一人と取り巻きの軍団兵を派遣すれば済むことである。たとえ王国騎士団長のギュスターヴや宮廷大魔術師マーリンといった王国の両腕がターゲットであろうと、魔王軍の大幹部すべてを一気に派遣するなど有り得ない。


 ましてや……


「まことにもうしわけありません、ノヴァ様……」

「ターゲットの行方は依然として掴めず」

「周辺の捜索を全力で行っておりますが死骸の発見は未だ」


 この魔軍を率いる魔族の長『蝕星王』自らが本陣の宮殿を捨て、たかが暗殺計画の先陣に立って作戦指揮を取るなど、あってはならない事態であった。


「谷底に向かった【晦】と【朔】の報告は?」


 大幹部三名が傅く先には青黒い甲冑に身を包む一人の少年がいた。

 人間で言えば年のころは十六歳くらいだろうか。

 戦士の精悍さと王者の威厳の中に、やや幼さを残した顔立ち。

 闇よりも暗い癖のある黒髪に黒真珠のような棲んだ黒の瞳。

 彼こそが七大魔王の一角にして最年少魔王『蝕星王』ノヴァであった。


「ハッ、現在ターゲットが落ちた谷底へ向けて騎士隊を向かわせ……」

「死骸または逃走跡の発見の報を待つ状態にございます……」

「光の子の首、いましばらくのお待ちを……」


 三人の大幹部は跪きながら震えていた。

 あと一歩のところでターゲットを逃し、発見できずにいる。

 これがどれほどの失態か。その場にいる全員が理解していた。

 最悪の場合、大幹部五名全員の首が飛んで挿げ変わるだろう。

 それこそ文字通りに首が跳ね飛ぶ……物理的に……


「もうよい。ヤツはオレが探す。お前たちは本拠地に戻れ」


 どのような処罰おしかりも甘んじて受けよう。

 三人の覚悟をよそに魔王が放った言葉は意外なものだった。

 お前たちに任せても無駄だろうと帰還命令を下されたのだ。


「ヤツが拠点にしていた村は焼き払い、抵抗した騎士くずれどもは皆殺しにした。ヤツの仲間の二人を逃がしたことについては追って沙汰を下すが、お前たちに命じた作戦の七割は遂行した。手負いのヤツの追撃あるいは死骸の発見ならばオレ一人で十分に事足りる」


「しかし──!」


 と、自身が王に見放されたと思った【弦】が立ち上がり、


「ノヴァ様おんみずからヤツの捜索に奔走するなど……」


「よい。ヤツ取り逃したのは全面的にオレの失態だ。責は自分にある」


 命令違反と不敬の罰で胴と首が生き別れになるのを覚悟で進言する【弦】を、ノヴァは右手を突き出すポーズで制して宥める。


「今一度、蝕星王ノヴァが『五蝕星』に命ずる。お前たちは全軍を撤退させて各陣に帰還せよ。あとは余に任せて次の作戦に備えていろ」


 王の絶対命令。

 ここまで言われてからの意見は進言の範疇を抜けて反逆になる。

 五蝕星の三人は「ハッ」と声を合わせ、王の命に従い各隊を撤収させる。

 谷に向かった別働隊には使い魔の伝令を放ち、各自帰還命令を伝達する。


(ああ、そうとも。ヤツに生還フラグを立てさせてしまったオレの失態だ)


 五蝕星の三人には聞こえないよう、ノヴァは心中で自身の過ちを唾棄した。


 魔王とは常に余裕でなくてはならぬ。急いては事を仕損じる。

 いかなる状況であれ慢心を忘れるべからず。王の威厳とはそういうもの。


 追い詰めたぞ光の子ディーン。随分とオレの手を煩わせてくれたものだ。


 彼はターゲットを崖っぷちまで追い込み、そして余裕綽々でそう言った。

 そもそも、その前口上自体が間違いであり、致命的なミスであったのだ。

 あの言葉はターゲットに逃走経路を選択させる時間を与えてしまった。


 もうひとつ己を責めずにはいられない大きな過ちがある。


「バカなマネを。恐怖で気でもふれたのか……」

「…………………」

「愚かね。名誉ある戦死よりも自ら谷底に落ちる道を選択するなんて」

「流石の奴も、この断崖から浮遊魔法もなしに落ちれば助かるまいよ」

「ああ、この高さから落ちたのだ。もはや生きてはおりますまい」


 ターゲットが谷底へ向かってダイブしたとき、呆気に取られて五蝕星の全員に個々の感想を言わせてしまったことだ。


 特に『助かるまい』『生きてはいまい』という台詞が一番やばい。

 ノヴァは知っている。幼い日に読んだ数々の絵物語で知っている。

 敵側がこの言葉を吐けば崖から落ちた主人公の生還率は100%だと。

 今も昔も勇者とはそういうものだ。死体を見つけねば安心などできない。


「──【浮遊落下レビテーション】──」


 予め落下速度を減速させる魔法を使ってから、彼はターゲットが飛び降りた地点から同じ角度で飛び降りる。魔王らしくクールにスタイリッシュに。


 ゆるりゆるりと崖下の闇へ降下していく王の姿を見送っていた三人の大幹部たちは、王の姿が完全に闇に消えて見えなくなると、互いに顔を見合わせ、フルフェイスの兜を脱いで大きな溜息をついた。


「光の子の死骸、このまま谷底で見つかると思うか?」


 蝕星王軍きっての武勇と剛を誇る【盈】が言い、


「十中八九生きてるわね。若もたぶんそれを理解してる」


 五蝕星の紅一点【朧】が応え、


「死体確認しに行った二人が返り討ちになっておらねばよいが」


 軍の最年長【弦】がフゥと白髭を撫でながら息をついた。


「片腕の一本でも見つかれば多少の貢献になるのだがな」

「それは悪手の結末ね。魔剣の義手とかつけて改造強化されるだけよ」

「せめて頭を強打して記憶喪失で彷徨ってくれていれば御の字よ」


 魔王ノヴァもそうであったが、大幹部たちも誰一人としてターゲットがあのまま谷底に落ちて死んだとは思っていなかった。


 三人の表情にあるのは安堵。作戦失敗にホッとしているフシがある。

 そもそもこの暗殺作戦は彼ら五人はあまり乗り気ではなかったのだ。

 光の子ディーンが勇者として覚醒する前に暗殺し、災厄の芽を摘み取れ。

 純正な魔族である彼ら五蝕星からすれば、それはあまりにも邪道すぎた。


「なにゆえにノヴァさまはこのような魔族の禁忌に等しい作戦を」

「あの方の御意志である以上、忠義を尽くして従うべきとはいえ」

「やはり質が違うのだよ。我らとは異なり、あの方は思考が人に近い」


「なにが言いたいの【弦】?」

「果たして我らが王は本当に魔族なのかと此度の作戦で疑問に思ってな」

「やめろ」


 それは禁句だと【盈】が【弦】をたしなめた。


 彼らが忠義を尽くす魔王は魔族としては純潔ではない混血種であった。

 それ自体はいい。魔族は異種族との交配を禁忌としていないからだ。

 多種族との交わりでより血を高みに上らせられるのであれば文句は無い。

 魔族の因子は非常に濃く、どの種と交わっても生まれる子は魔族ゆえに。

 混血でも相性がよければ強き子が生まれる。ときに真祖を越えることも。


 しかし──あの子だけは桁が違った。


 彼の母親は魔界において侯爵の地位にいる中位の魔王であった。

 ある日に、侯爵はフッと魔界から姿を消し、およそ八年後に魔界に帰還を果たしたのだが、その傍らには人間との交配で生まれたと思しき子供が連れられていた。


 そのときは皆が『侯爵様は一族の繁栄のために旅に出られ、どこかの地上の人間と交わり、跡継ぎとなる子を宿したのであろう』と軽く見ていた。実際、このような事例は魔界では別段珍しくもない。


 神話の時代より純潔血統主義を守り続ける真祖の王侯貴族ならば眉もしかめようが、侯爵家クラス以下であれば異種族交配は血の可能性を広げる良きものとして認識されるため、いちいち他者が口を挟むことではないのだ。


 父親も分からぬその子が魔界の常識を引っくり返す怪童であるのが判明したのは、侯爵様の子が人間と同じ速度で成長し、魔族が地上活動で必ず受けるはずの制約を無視する、極めて人間に近い特異体質であることが分かってからだ。


 通常、魔族というものは成長が早く、八年あれば成人として完成する。

 しかし侯爵の子は違い、十歳になっても人の子と同じ成長しかしなかった。

 彼は魔族でありながら魔族の因子があまりにも少なかったのである。

 それだけなら単なる突然変異の劣等種として片付けられだろう。


 だが、子供から少年の年齢に達した彼の才覚は母を越える規格外だった。

 齢十二にして上級魔族なみの魔力を有し、武においてもまた悪鬼の如し。

 十三になった彼を近隣の伯爵位の魔王が『混ざり物』と侮蔑したとき、反撃の間すら与えられず嘲笑した顔のまま一撃で少年に首を刈られたエピソードは、侯爵家の支配地周辺に棲む敵対勢力の魔族たちを震え上がらせた。


 その事件のおよそ一ヶ月後である。

 少年が魔界の上層部から認められ、正式に魔王の冠を授かったのは。


「私は時折思うのだ。侯爵様はいったい誰と交わられたのかと」

「それも禁句よ【弦】。うちらごときが詮索することじゃないわ」

「人間なのはたしかだ。問題は『何処の』人間なのかということだが」


 蝕星王ノヴァは数千年に渡る魔界の歴史で例のない異端児だった。

 魔族にして魔族に非ず。突然変異では片付けられない異常性。

 一時は父親は魔族の祖である邪神ではないかと噂されたこともある。


 それほどまでに少年は常識ハズレに強かったのである。

 魔族が地上で活動するときに大なり小なり必ず受ける、善なる神々が地上に張った世界結界による力の減衰が通用しないというのも大きかった。


 肉体面だけではない。精神面もそうだ。

 彼の思考はあまりにも人間のソレに近かった。

 魔族が本能的に持っている美学や倫理が通用しない。

 だから勇者を芽吹く前に摘み取るという邪道も平然とやってのける。


 いったいダレと交わった? ではない。

 いったいナニと交わった? としか言いようのない埒外の才を持つ怪物。


 だから軍団員は忠義を尽くし、敬いつつ、心の底から畏れていた。

 異端・異質・異常をそろえた魔王の形をした名状しがたきあのナニカを……


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 ノヴァの両足が谷底に到着したとき、彼の疑問はついに確信に変わった。


「生きているな。ディーン……」


 崖の上から谷底までの間にしがみついたような跡はなかった。

 谷底に到達して谷の狭い範囲に広がる荒地を見ても激突跡はない。

 よしんばなんらかの方法で無事に着地したとしても、足跡くらいはある。

 いささか離れた場所に渓流があるが、そこに直接落ちたのは考えづらい。


 不自然だった。不自然すぎるがゆえにノヴァは勇者の生還を予感した。

 降下中に飛行能力のある第三者の手で救出された可能性を考慮する。

 あるいは緊急転移魔法による転送。これも決してなくはない可能性だ。


「わずかながら空間の歪みを感じるな」


 最後に異界化された結界に呑みこまれた可能性を仮説に立てる。

 さきほどまでいた人間が突如失踪する神隠しの事例は山ほどある。

 空間操作系魔法に長けている者ならば必ず出てくる発想だろう。

 彼もまた魔王としてそのテの術理に精通する存在だからだ。


 亜空間に紛れ込んでの隠術は高度な魔術だが使い手はゼロではない。

 ディーンの仲間にそのような結界術士がいるとは聞いていないが。

 ここは光の子ディーンが逃亡生活の拠点にしていた隠れ里の周辺。

 未知の協力者や行きずりの後援者による匿いは有り得る話だ。


「このあたりか」


 谷底に感じる微細な魔力の乱れと皺のような時空間の湾曲の気配。

 自然現象で稀に発生する空間の一時的な亀裂や穴の可能性のほうが遥かに高いが、ノヴァは万が一のことを考えて空間の歪の発生源へ近づいていく。


「これは!?」


 正解だった──


 着地地点から二キロほど下流へ向かった先に一軒の飲食店があった。

 暗闇の中にポツンと、そこだけ雑な画像のはめ込みをしたかのように。

 なぜこのような谷底に、場に似つかわしくない建築物があるのか。

 闇に照らされる建物の灯りが状況の異様さをさらに引き立てる。

 道に迷った空腹の旅人でも入るには二の足を踏む不気味さだった。


「魔宮? あるいはマヨイガの類か?」


 結界魔法の中には現実世界に自分に都合のよい心象風景の擬似世界を創造する『魔宮パレス』と呼ばれる陣地結界が存在する。ひとつはその可能性。


 もうひとつは旅人に幻覚または建物に擬態した姿を見せて誘い込み、そのまま体内に招いて喰らうミミック系統のモンスターの可能性。


 そうでなければ、コレは現実にある建物だ。

 しかしコレが高級魔道具として巷で売られている携帯コテージのような簡易設置型の建物だとして、いったいどこの酔狂なバカがこんな谷底に飲食店など置くのか。


 これならまだ魔女が隠れ住んでいるお菓子の家や、偏屈で人間嫌いの魔術師が建てた迷宮のほうが理解しやすいし説明しやすい。


 なんにせよ不自然極めるこの建築物を調べる必要がある。

 もしディーンがこの建物に入り込んでいるのならば良し。

 いなくても己に害意のある存在ならば返り討ちにするまでのことだ。

 モンスターならば場合によっては自軍に取り込むことを検討しても良い。


「……喫茶『天女の羽衣』か……」


 ノヴァは建物に飾られている看板を名称を読み上げて歩を進める。


 このとき違和感があった。

 少なくともこの場に彼を良く知る幹部たちがいれば察知したはずだ。


 いま、ノヴァは一切のタイムラグもなく看板の内容を読み上げた。

 セーヌリアスの者にとっては意味不明の象形文字にしか見えない記号をだ。


 あまりの難解さゆえに解読は困難とされる異世界の文字。

 それを彼はまるで思考を巡らせる必要もなくサラリと読み上げた。

 記号にふられた大陸言語のルビ『エンジェル・ハイロゥ』を無視して。


 もう一度言おう。

 異世界セーヌリアスの魔界に住む魔王ノヴァはさらりと口にしたのだ。

 日本語で描かれた店の看板『天女の羽衣』の読みを発音まで正確に。

 象形文字の羅列にしか見えないそれを、まるで母国語であるかのように。

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