3品目 とある駆け出し勇者とおむすびセット
自立への大いなる一歩は満足なる胃袋に在り!
【 ローマ帝国の哲学者 ルキウス・アンナエウス・セネカの言葉 】
「心の闇……ですか?」
「ああ、そう構えなくてもいい。軽いお悩み相談みたいなモンだ。俺としては普通にハラに溜まってる悩みを打ち明けてくれって言いたいんだがよ」
城下町で土木作業に明け暮れる荒くれオヤジを連想させる無精髭の料理人、態度からして店主と思しき人物はチラリとテーブルを拭く給士を一瞥し、
「うちの女房が情緒ないからソレっぽく言えって強要しやがってな」
「わたしがなにか?」
「いんや。なにも?」
ギンと向いた給士の鋭い視線をおどけた調子で受け流す店主。
なんと、店主と店員の関係と思いきや、この二人は夫婦なのか。
美女と野獣。あるいはドワーフとエルフのような見事なミスマッチ。
これもまた異世界ならではの価値観の相違なのだろうか。
「話がそれちまったな。ウチにやってくる初見の客は心に酷い悩みを抱えている連中が多くてな、料理人としちゃあ喰いモンでそんなやつらを幸せにしてやりてぇのよ。もちろんプライベートに関わる問題だから、言いたくないのならそれでもかまわんが……」
店主は右手の親指をクイっと天井へ向け、
「ここは向こうとは無関係の異世界。幸い閉店前の時間帯で他に客もいねぇ。だから【あっち】じゃ言い辛いことも存分に吐き出せる。喉の奥に詰まったモンを吐き出してから喰うメシは格別だぜ。世の中にはメシを通じて解決できることもヤマとあるしな」
「ボクが口にしたことを他人に言うようなことは……?」
「絶対にねぇよ。俺も女房も口は堅いんだ。それに俺らは【あっち】には干渉できない身でよ。知ったところでどうにも出来やしねぇよ。もちろん【あっち】から訪れるほかの客に漏らすようなマネもしねぇ」
自信満々に語る店主の顔に嘘は感じられなかった。
少なくともおしゃべりな地元の懺悔室の神官よりは信用できる。
こういう人は命懸けで秘密を守る。王様の耳がロバの耳だと井戸に向かって叫んだ床屋のようなことには絶対にならない。
「でしたら聞いていただきたいことがあるんです」
ディーンは普段なら口にしない自分の身の上の話を淡々と吐いた。
きっと長い逃亡生活による心身の疲れが限界にきていたのだろう。
村の焼き討ちのこともあってすでに彼の精神はボロボロだった。
だから溜め込んでいたものを見ず知らずの店主にありったけ吐いた。
自分が光の神の寵愛を受けて生まれた光の子であること。
伝説の勇者の卵として魔王討伐の使命を果たさねばならぬこと。
それ故に命を狙われ、流浪の旅に出なくてはならなくなったこと。
王子としての責務、民衆からの期待、魔族の敵意、神からの寵愛。
それらすべてが背中にのしかかる日々に苦痛を感じていること。
淡々と少年は語り続け、最後に彼は涙を流しながら口にしてしまった。
選ばれし伝説の勇者ならば決して吐いてはならぬ弱音の塊を。
「……ボクは……本当は勇者になんてなりたくなかったんだ……ッ」
神に選ばれし者──
それは言い換えれば本人の意思とは無関係に押し付けられた責務。
自分は神に選ばれたんだと有頂天になる頭がお花畑の勇者も多いが……
一方で神の見えざる手に翻弄される運命に嫌気がさす勇者も少なくない。
光の子と讃えられる少年勇者の心境は最初から最後まで後者だった。
本当なら何もかも投げ出して運命から逃げ出したい。
だけど神の意志が、民の期待が、王の責任が、一切の逃避を許さない。
勇者への道とはこんなにも堅苦しく息苦しく重苦しいものなのか。
生まれて初めてだった。ここまで自分の本音を他人にブチ撒けたのは。
「タイヘンだねぇアンタも。救世主はつらいよってか」
ポリポリと頬を掻きながら店主は視線を天井へ向けて、
「坊主の悩みのいくらかは分かるよ。俺も昔も似たようなことがあってなぁ。結局、その問題を解決する唯一の方法が『魔王をこらしめる』だった」
「えっ?」
「同情するよ。勇者ってのはたまんねぇよな。魔王をなんとかしてくれと神さんに勝手に呼びつけられて、どんなに嫌がっても魔王を倒さないと元の生活に戻れねぇ。なーんも知らねぇ連中は勇者様と讃えて責任のすべてを押し付けてきやがるし、そのくせ魔王がいなくなりゃあ用済みだと掌を返しやがる。ある意味で呪いの類だよ勇者の使命ってぇヤツは」
呆れ返った表情で肩をすくめる店主。
自分も昔は少年と似たような境遇だったといわんばかりなセリフ。
少年の話にあわせて嘘をついているようにはとても見えない。
「でもな、勇者の使命も悪いことだらけってワケでもねぇのよ。使命さえ果たせればオツリが来るくらい報われることもある。たとえば旅先でステキな女と出会って、ラブラブなパワーでテンションあげまくりで魔王をブチのめして、そのまま元の世界に連れてって結婚しちまったりとかな」
「それってもしかして……」
ディーンはチラリと後ろにいる給士の女性を見た。
給士は二人から視線をそらして黙々と店の掃除を続けている。
ただ、その頬がちょっと赤くなっていることを少年は見逃さなかった。
「あの、もしかしてあなたも? では、あなたは伝承に聞く異邦……」
「それはいいっこなしだぜ坊主。メシを喰う飯屋に個人の背景は無用だ」
店主は最後まで言わさずにトンと少年の前にお冷を置いた。
「勇者の使命っていう呪いの束縛は魔王を倒さねぇと解けねぇ。なら、さっさと魔王をとっちめて自由を取り戻すしかねぇよなぁ。そんな坊主に相応しいのは戦勝祈願の縁起のいいメシだな。となるとやっぱアレだな。うんうん、手早くエネルギーになるモンも入れたいしアレでいこう」
なにやら一人で呟きながら、うんうんと頷く店主。
宮廷画家が同じような仕草をしているのをディーンは見たことがある。
彼らがこういう動きをするときは、必ずなにかしらの発想が湧いた時だ。
「おーいアストぉ、大陸人って海苔を喰っても大丈夫だったっけ? ワカメとかコンブとかは消化できなくてアウトだったよな?」
「海苔ですか? 焼いたものを少量でしたら大丈夫ですよ」
ノリ? ワカメ? コンブ? どれも未知の単語だ。
「あとコレだけは体質的にとか宗教的な問題でダメっていう食材はあるか? 例えばタマネギを喰うと下痢をする猫獣人みたいな種族特有の中毒症状とか、エルフが守っている菜食主義の戒律とかそういうの」
「あ、いえ、特にそういうのは」
「それなら安心だ。坊主、縁起のいいもん作ってやるから少しだけ待ってな。テイクアウト分も作るからアストも手伝ってくれ」
「はいはい」
そう言って店主は不器用に笑って給士とともに厨房へ戻っていった。
「豪快な人だなぁ」
ディーンはドワーフさながらなぶっきらぼうで奔放な対応をする店主の迫力に押されっぱなしだった。客商売として彼の品格の乏しい態度や言動はどうかとは思うが、ああいわれても悪い気はしないのは言葉の一つ一つに人情味を感じさせるからだろう。
「おまたせしました。【おむすびセット】になります」
ほどなくして給士が料理を持ってきた。
カウンターに置かれたのは樹皮を編みこんだものと思われる籠。
その中には小人の拳サイズの三角形のライスの塊があった。
「おむすびせっと?」
「形を整えて握り固めたライスの塊の中に様々な具を入れた料理です。麦文化の大陸では見られない米の食べ物ですが、向こうでは東方はひんがしのワ国で一般的な携帯食として知られています」
「つうか、ひんがしの国を建国したのが本能寺の変を生き延びて異世界転移した織田信長で、もともとは日本で生まれた由緒正しい日本食なんだが、そこんところのルーツがしっちゃかめっちゃがで説明しづれーんだよなぁ」
厨房から顔を出す店主の言葉は専門用語だらけで意味不明だったが、ライスを固めた料理というのは理解できた。古来より麦の食文化でパンか麦飯が民の主食であった内陸では米は滅多に見られないので、ライスは宮廷で異国の料理も嗜んできた王族の彼でもなじみが薄い。
「このまま手で持って食べればいいんでしょうか?」
籠にはナイフもフォークもなかった。
グローリア王家は基本的に食事の際は銀食器を使うが、辺境地区では古来の伝統に則って手掴みで食事を取る貴族は珍しくない。
彼自身、そういった食文化圏での食事は幾度も経験している。この『オムスビ』とやらもそういった素手で食べる系統の料理だと察した。
「はい、素手でがぶりといってください」
給士に言われるままにディーンはおむすびのひとつを齧る。
「うおっ」
口に入れた途端にパラリとほどける米粒。舌に広がる具材の味。
この強烈な酸味は梅の塩漬けか。以前に山岳部で味わったことがある。
小梅の塩漬けのカリっとした歯ごたえと塩味。
そして米の甘みと独特の粘り気を帯びた食感がマッチしていて素晴らしい。
「梅を当てましたね。大陸の人には紫蘇を使った梅干は不評なので単純な小梅の塩漬けを使用しています。梅の塩漬けには腐敗を遅らせる毒消し作用に加えて疲労回復の効果があります」
「具に使われている梅の塩漬けは分かります。でもこれ……本当にライスなんですか? 前に食べたときはもっと香りが強くてパサパサしていた記憶が」
「ああ、大陸米は長粒種だからな。おむすびに使われているライスは東方の短粒種でベツモノだ。粘り気があって甘みも強くてイケるだろ?」
短粒種のライス。
そういえば王宮図書館の東方の文化を記した文献にそのような記述があったのをディーンは思い出す。大陸米のようにそのまま畑で育てず、わざわざ人工の沼地を作って泥に植えて栽培するという奇妙な稲だとかなんとか。
驚くことはもうひとつある。
「すみません。この海の臭いがする黒い紙はなんですか?」
思わずガブリといってしまったが、オムスビについている黒い紙ははたして食べてよかったものなのだろうかと今更に疑問に思う。もし手を汚さないように配慮された包み紙だったとしたら笑い話になってしまう。
「ああ、そいつは海苔っていって海草を固めたモンだ。一緒に食っていいぞ。ってか、米粒と一緒に喰ってこそ味が引き立つモンだ」
海草か。
だから大陸の内陸人には尊い遥か彼方の磯の香りを感じたのか。
貴重な経験だった。海草を食するという文化は大陸には無いからだ。
「さぁて、次はなにが入っているかな?」
ニヤニヤと次を待つ店主。
よほどこれから少年がやるであろうリアクションが楽しみらしい。
「ひとつひとつ中身が異なるんですね。これはクジ引きのようでなかなか」
一品目の梅の塩漬け入りのオムスビを平らげ、次の二品目を齧る。
「これは……塩焼きにしたサーモン?」
二品目の中身は赤い身の魚の塩焼きだった。
サーモンは川魚を主食にする王都民にも馴染みが深い。
運河にはフナ科の川魚が豊富に取れ、北方から南方へつながる大河川ではサーモンやマスがよく取れる。鮭は王侯貴族にもこよなく愛され、歴代王の中には「もし皮の厚みがインゴットほどもあるサーモンの塩焼きを食べられるのなら、百万の数の石に等しい黄金と取り替えてもよい」と宣言したほどの愛好家がいたほどだ。
「みっつめは……うわっ! 辛いっ!」
三品目の中身は酷く辛い魚卵だった。
「ソイツは明太子っていう鱈と呼ばれる海魚の卵の辛子漬けさ。さすがに予備知識なしだといいリアクションしてくれるな」
そして四品目と五品目は完全に正体不明のナニカ。
「すみません。甘く煮込んだ何かの正体がまったくわかりません」
「おかかと高菜だな。鰹って海魚の燻製を削ったのと刻んだ菜っ葉さ」
先ほどの魚卵もそうだが、海の幸は内陸部の人間には難しすぎる。
菜っ葉は内陸の人間もよく食べるものだが、この高菜というのは初だ。
けれどそれらがまったくの未知でるが故に食べるたびに面白く楽しい。
「最後は……甘く煮付けた胡桃ですね」
「どいつもこいつも速攻の栄養補給にバッチリな具さ。米自体も炭水化物のカタマリで遅効性のエネルギーになるシロモノでな、おむすびは長い旅を続ける人間に最適な携帯食なのさ」
それに加えて、
「おむすびってのは【結び】の意味があってな、縁と縁を繋げる縁起物なんだ。これからはぐれた仲間を探すんだろ? 早く合流できるといいな」
腹だけでなく心も癒える、なにからなにまでのもてなし。
「ごちそうさまでした」
ときどき勢いあまって米を喉に詰まらせかけながら、ディーンはおむすびの全てを米粒一つ残さず食べ尽くし、二人に向けて最大級の礼を述べた。
腹も心も満たされた。胸のつかえも完全になくなっている。
これまで多くの場所で様々な食を体験してきたが、これほど心身が満ち足りた気分で食事を終えるのはいつぶりだろうか。
「いい面構えになったな。じゃあコイツをもってきな」
「これは?」
店主がディーンに投げてよこしたのは一枚のカードだった。
「うちの会員証だ。ソイツがあれば不定期だが持ち主の前に店の入り口が現れることがある。またウチの飯が食いたくなったときは会員証を懐に入れて強く願ってみな。んでもし路が現れたら気軽に寄ってくれや」
「次はさすがに有料ですよね」
「あったりめぇよ。ウチは慈善事業じゃねぇからな」
ガハハと笑う店主。あわせてクスっと微笑む給士。
「それと、これはお持ち返り分のおむすびセットです。あとご依頼どおり、お客様がお持ちの水袋にたっぷり水を入れておきました」
「ありがとうございます」
ディーンは頷き、快く水袋と布に包まれたおむすびセットの籠を受け取る。
「それではまた、縁がありましたら」
と、ドアノブに手をかけてから、
「あの、これを開けたら先は崖の途中とかいうのはありませんよね?」
彼は自分が谷底へ向けて落下中に入店したことを思い出した。
「普通は入店した座標に戻される仕様だったはずだが、お前の【どこだかドア】って迷い人をホイホイした場合は帰りんとき何処に出るんだっけ?」
前に船が沈没して海原に放り出された迷い人が来店したときは、帰りの際にドアが海とつながっててえらい目にあったことを店主は思い出す。
「それでしたら大丈夫です。前に店の中が海に没しかけた反省を活かして、自動的に座標が安全な場所に移るように改造しておきましたから」
「だとよ。安心して出ていいぞ。たぶん崖から落ちた付近からドアが自動検索して、ちゃんと麓に戻れる安全な場所に出られるはずだ」
いったいぜんたいどんな魔法技術があればそんなマネが出来るのか。おそらくは転移魔法を利用した転送魔道具の一種なのだろうが、魔法にはあまり詳しくないディーンには途方もない次元の世界だ。
「それではあらためて、ごちそうさまでした」
「あいよ」
「またの御来店をお待ちしてますね」
食堂をきりもりする凸凹夫婦に見送られながら、ディーンはドアを開けて、そのまま転移門特有のまばゆい光の中に消えていった。
「あの坊主、もしかしたら聖王ベリアを越える勇者になるかもな」
パタンとドアが閉じた後に店主は腕組みをしながら言い、
「いい目をしてましたね。勇者だった若い頃のあなたみたいに」
続けて給士が懐かしむ顔で店主の旦那を見た。
「よせやい。俺は勇者なんてガラじゃねぇ。ただの旅の料理人さ」
「ただの旅の料理人は包丁と鍋で魔王を倒したりしませんけどね」
「そりゃあ魔王軍との勝敗の決めかたが料理勝負だったからな」
「あんな戦い方をした勇者は後にも先にもあなただけですよ」
店主は照れくさそうに妻からプイと顔を逸らす。
もうかれこれ十数年前の話になるのか。
創造神の遺骸より造られた伝説の厨具を巡って、彼が妻と仲間たちとともに魔王グルメス率いる暗黒料理会と壮絶な戦いを西の大陸で繰り広げたのは。
外洋で隔絶された遠い遠い異国の地での物語ゆえ、彼の魔王退治の偉業は東の大陸で語られることは無かったが。
ディーンはたしかに感じていた。
あの無作法な店主が異邦の地からやってきた元勇者であることを。
偉大な大先輩の言葉と料理が彼にとってどれだけの後押しになったか。
ディーンも店主もこの時点では知らぬことであるが。
この一飯の出来事が翌年に東大陸の命運を大きく分ける分岐点になる。
真の勇者ディーンが誕生する記念日が今日であることを彼らは知らない。
「んじゃ、さすがに店じまいだ。【あっち】の札を裏返してきてくれ」
「はーい、ついでに明日の喫茶デーに備えて内装も変更しておきますねー」
店主に頼まれて給士は世界と世界を繋ぐドアの立て札を裏返しに行く。
店主ももう一方の入り口を閉めるため向こう側の店内へ向かい……
カランカラ……ギィィィィィィィィンッッッッッッ!
背後から突如聞こえた呼び鈴と、続けざまの衝撃音に足を止めた。
「おいおいおい、騒がしいな。またなんかヘンなのが迷いこん……」
言いかけて、店主は振り返った先で起きている緊急事態に目を見張った。
「お客様、店内での暴力行為は御法度になっております♪」
「お客様だと? 天空人の女……余の一撃を防ぐとはいったい何者だ!?」
そこには入り口付近で敵意むき出しで抜刀している金属鎧に身を包んだ魔族の少年と、刀の一撃を盆一枚で受け止めている妻の姿があったからだ。
「勇者様に続いて今度は魔王様かよ。今日は爆釣れだなオイ」
なにも驚くことはない。いつものこと。実にいつものことだ。
ここは迷える旅人が訪れる大衆食堂『エンジェル・ハイロゥ』。
異世界と異世界の狭間に浮かぶ不思議な飯屋でございます。