しゃぶしゃぶ
「おい、返り血のヘルセアだぞ」
「あれが、そうなのか。確かに真っ赤だな。マジで仮面つけているのか」
今日も冒険者ギルド内に私を畏怖する声が響く。
赤茶色の髪に真っ赤な鎧。これがいつの間にかトレードマークになってしまっている。
鎧の色がくすんだ赤なのだが、それが何故か返り血が乾いた色に見えるらしい。……私が内気で陰気なので少しでも明るく見えるように、赤の鎧を選んだだけなのに失敗したなぁ。今更鎧を変えると、人の目を意識している自意識過剰と思われそうだし。
仮面だって人の目を見て話せないから、失礼にならないように仮面をつけているだけなのだけど。
「今日も凛々しいわね、ヘルセア様」
「そこら辺の冒険者の男どもとは、カッコよさが段違いよねぇ」
冒険者の女性たちが潤んだ瞳でこっちを見ている。
褒めてくれるのは嬉しいけど、同性の冒険者からカッコいいと言われるより可愛いと言われたい。
でも、男性に並ぶ身長だと可愛いとは無縁よね。
今、話しかけたら仲良くなれるかな。でも前に思い切って同性の冒険者に話しかけたら、相手が緊張して敬語で話されちゃったし。
それに……知らない人に話しかけるのは恥ずかしい。
うん、今度にしよう。また明日頑張ろう。今日は別の目的があってギルドに来たんだし。
私は冒険者ギルドの奥にいる職員の一人に話しかけた。こんな私にも優しく接してくれる素敵な女性だ。
「あら、依頼を見に来たの、ヘルセア」
三つ編みにした濃い緑の髪の先をいじりながら、受付嬢――ラライミが話しかけてくれた。私と違い聞いているだけで気持ちが安らぐ声に、少したれ目気味の見るからに優しそうな目。本当に羨ましい。
あと、大きな胸も羨ましい。
「いや……そうではない」
「あら、あなたが依頼絡み以外で来るなんて珍しいわね」
確かに人の多いところでは注目されて恥ずかしいので、冒険者ギルドは極力避けているようにしている。そのことを指摘しているのかな。
「相談があってな……ラライミに」
「あら、貴女から相談してもらえるなんて、嬉しいわ。内密な話なら、奥の依頼用の個室に行きましょうか?」
「頼めるか」
こういったさりげない気遣いができるのも女子としてポイントが高い。私とは全く違うわね。
武骨な父さんや屈強な男性に囲まれて過ごすことが多かったので、口下手なのも相まって話し方が男のようになってしまった。彼女のような女らしい言葉遣いに心底憧れる。
彼女に促されるまま奥の部屋へと移動すると、温かい飲み物をそっと机においてくれた。
「で、相談って、なーに」
対面の椅子に腰かけ、いつもより嬉しそうに微笑んでいる。
とても恥ずかしい頼み事だけど、ラライミ以外に頼れる人はない。勇気を出すのよ、ヘルセア!
深呼吸をしてから、相手の顔を見据えて……仮面の下では目をそらしているけど、意を決して声を出す。
「料理を教えてほしい」
あっ、ラライミが笑顔のまま凍り付いている。やはり、私がこんなことを言うのは予想外だったのね。ごめんなさい。
自分でも似合わないことを口にしているのはわかっているの。
「っと、ごめんなさいね。意表を突かれたわ。でも料理に興味を持つのは、いいことよね、うん。あー、もしかして好きな人でもできたのかしら?」
ニヤニヤと口元の笑みを深くして目を輝かせながら、身を乗り出してきた。
あれっ、変なところに食いついてきたわ。
「違う……両親がやってくるのだ」
「両親って、あの剣聖と呼ばれた英雄よね」
「そうだ」
両親は共に冒険者として名を馳せ、英雄と呼ばれる程の知名度がある。
そんな両親に幼い頃から剣技を叩き込まれ、私もそれなりの腕にはなっているのだけど、二人に勝てた試しがない。
「でも、両親と料理ってどういう関係が?」
「母が結婚しろとうるさいのだ」
「あー、わかるわー。ほんと、わかるわー」
激しく頭を上下に揺らしているラライミも、私と同じような経験をしたことがあるのかな。
美人で人当りもよい彼女なら引く手あまただと思うのだけど……ダメよ、恋愛事の経験がない私には理解できぬ世界なのだから、勝手な思い込みはいけないわ。
「花嫁修業を怠ってないか料理の腕を確かめたいから、手料理を振る舞えと言ってきたのだ」
一度も料理を教えてもらったことがないのに、母さんは無茶を言いすぎだと思う。
「なるほど、それで料理を教えてほしいってわけね。でも、私が教えられる料理は一般的な家庭料理だし、世界各地を回っているご両親を納得させられるとは……あっ、いいこと思いついたわ!」
ぱんっと手を打ち鳴らし、またも頭を上下に振って頷いている。何か妙案を思いついてくれたようだ。
「ご両親が来るのは何日後?」
「四日後だが」
「じゃあ、今日の夜から特訓よ! 私の家の住所は……ここだから、夜ご飯前に来てね。一緒に料理しましょう」
「感謝する!」
快く承諾してくれたラライミの手を握り、感謝の言葉を伝える。
――この日の決断が彼との出会いに繋がるとは、この時は思いもしていなかった。
「ほー、鮮血のヘルセアの噂は聞いていたが、凄腕冒険者だけあって最高の肉質だな。硬さだけではなく、しなやかさと弾力も兼ね備えていそうだ」
ラライミの住む一軒家を訪ねると、そこには見知らぬ黒髪の男性と魔法使いらしき衣装を羽織った白銀の髪色をした少女がいた。
やたらとポケットのあるズボンをはいた男性が、私をまじまじと見つめるとさっきの言葉だ。なんて失礼な人なのだろう。
女性の体を舐めるように見ただけじゃなくて、こんな事を言うなんて。
「何者だ」
ちょっとキツイ言い方かもしれないが、こういう男にはガツンと言わないとつけ上がると、父さんがいつも言っていた。
勇気を出さないとダメよ、ヘルセア。
「もう、師匠! だから女性を見て肉質を褒めるのをやめてください! 上質の肉に例えられて喜ぶ女性は一人もいません!」
「そうか? 霜降り牛と例えると『それはさしが入っているってことだよなっ! 適度な脂肪があるということかっ!』って怒るのは分かるが、弾力のある筋肉を褒めるのはありだろ」
「ありじゃないですし、霜降り牛というのがよく分かりません!」
失礼な男性を叱っているのは、どうやら弟子のようなのだが強気の対応をしている。
父さんの弟子達は師匠に対してあんな口の利き方をしない。師匠とは名前だけで、尊敬されていないのかもしれないわ。
「はいはい。二人ともちょーっと静かにしていてね。ごめんね、騒がしくて。この二人は私が呼んだの、料理の先生として。センさんとミユクちゃんよ」
奥の扉が開き、そこから姿を現したラライミが苦笑している。
料理の先生? つまり師匠と呼ばれている方が……。
「これが、料理を教えるのか?」
「料理人のセンだ。よろしく」
そう言ってセンは私に手を差し出した。
握手を求めているの? この私に?
冒険者ギルド内では近寄る者がいないこの私に、ためらうことなく握手をしようだなんて、どういうつもりなのだろう。
このセンという男性は妙な言動で気が付かなかったが、仮面を装着している私の顔を見ても驚かなかった。肝っ玉が大きいのかな。
「センさんは見た目で人を判断しないから。料理に関しては厳しいところもあるけど」
第一印象は最悪だったが、ラライミがこれだけ信頼しているのだから悪い男性ではない、と思う。だったら握手をしないのは失礼よね。
男性の手に触れるのは緊張するけど、震えないように気を付けて握り返す。
毎日剣を振っているので手は豆が潰れてボコボコで、厚く硬い。本当は恥ずかしいけど、礼儀は何よりも大切だってお母さんも言っていた。
「皮の厚い、しっかりとした手のひらだな。物事へ真剣に取り組んでいる者にだけ許される、最高に魅力的な手だ」
目の前のセンという男性が予想外すぎる言葉を口にした。
私のこの手が魅力的? 女性らしさの微塵もない、柔らかさもなく荒れたかさかさな手を……。
「センさん。誰がナンパしろって頼みました?」
「師匠はしれっとそういうことを言いますよね」
二人の言葉にはっとなり、握手していた手を慌てて離す。
ラライミは笑顔なのだが、凄く迫力がある。あれはギルドの受付で無理難題を言ってくる、依頼者や冒険者に向ける笑みに近い。
弟子のミユクはあきれた様子で、額に手を当てて頭を振っている。
センさんは頭を掻いて、何を責められているか理解していないみたい。
「正直な感想を口にしたまでだ」
何故だろう。センさんを見ていると顔が熱くなって、鼓動が激しくなる。
強敵と対した時よりも、興奮している?
「はいはい。妙な空気になりそうだから、さっさとやることやりましょう!」
ぱんぱんっ、とラライミが手を叩き全員が注目する。
そうだった。今日は料理を教えてもらいに来たのよ。
「おっと、忘れかけていたよ。ええと、ヘルセアさんは料理の腕はどれぐらいなんだ?」
「ヘルセアでいい。さんはいらない」
「おっ、そうか。なら俺も呼び捨てで構わないぞ」
「分かった……セン」
名前を呼び合うのは少し恥ずかしいけど、名を口にしただけなのに心が弾む。
でも心の中では、センさんと呼ばせてもらおう。そうでもしないと、羞恥で上手く話せないから。
「紹介するんじゃなかったかな……」
ラライミが何故か私達を半眼で見ている。いつも愛想のいい彼女にしては珍しい顔をして、どうしたのかしら。
でも不思議な人よね、センさんは。
父さん以外の男性で、ちゃんと会話をしたのは彼が初めてかもしれない。
「あのーヘルセアさん、それで料理の腕はどれぐらいなんですか?」
私とセンさんとの間に割り込んできたのは弟子のミユクだった。
もう少し、いや、もっとセンさんと話をしたいのだけど今日は料理が優先。さっきから、その考えが頭から直ぐに抜けてしまう。
「日頃はしない。依頼中は保存食を口にするか、倒した獣や魔物を捌いて焼くか煮る程度だ」
「一般的な冒険者ってところか。必要に迫られると最低限の料理はするが、凝った料理はやったことがない、か。それじゃあ、一度作ってもらった方が早いな」
調理場まで移動すると、台の上に食材が盛られた籠があった。
「なんでも使ってくれていいから、一番自信のある料理を作ってみてくれ」
センさんがそう促すので、食材を選び調理に取り掛かった。
いつものように食材を適当に刻み、鍋に水を張ってかまどの上に置き火をつける。
先に肉を放り込み、野菜も入れる。塩を少し振って完成。
寒い日に野外でよく食べる具入りスープ。
「手際がいいですね。料理ができない人って、まず調理に手間がかかるのに」
「うんうん。ヘルセアちゃんとできるじゃないの」
二人は感心してくれているが、刃物で切るのには慣れているだけ。
食材は動いていないから、生きている魔物を斬るより容易いだけの話で、褒められるような事じゃないよね。
「一杯もらっていいかな?」
「ああ、構わん」
椀に注いでセンさんに渡す。
自分の作った料理を食べてもらうだけの行為だというのに、さっきよりも鼓動がうるさい。なんでこんなに緊張しているの。
センさんの唇が椀に触れる。そこはさっき自分が触っていた場所だと分かっただけで、更に顔の体温が上がった気が。
「野菜と肉のうま味が出ているけど、塩がちょっと薄いな。あと、これぐらいのぶつ切りならもう少し火を通した方がいい。肉を骨ごと入れるなら、先に肉だけをもっと煮込むと味がかなり変わってくる。でも、うん、悪くない。ほっとする味だ」
野菜を頬張って微笑むセンさんに、私は無意識の内に歩み寄っていた。
そしてすっと手を伸ばし、その頬に手を当て――。
「こらこらこらこらっ! ヘルセア、何しようとしているのかなぁ」
「ちょ、ちょっ! 何しようとしているんですか!」
むっ。二人が割り込んできて押してくる。
って、あれ、私は何をしようとしていたの? 変だ、私変だ。平常心を失っている気がする。ちょっと冷静になろう。
「すまない。自分でもよく分からない」
「おう、よく分からんけど気にすんな。それで料理なんだが、ご両親ってのは食通なのか?」
「食通かどうかは分からないが、各地を渡り歩き、その土地の名物を食べるのが生きがいだ」
お父さんもお母さんも料理の腕はそれほどでもないのだけど、新鮮な野菜や変わった魔物の肉を食べたりするのが好きらしい。
「特に好物とかはないのか?」
「父は肉が好きだ。母は野菜が好きだ。それも生野菜ではなく温野菜が」
父さんはどんな肉でも喜んで食べる。母は生や焼くよりも茹でた野菜が好きで、二人が揃うとその二品は必ず食卓に上がっていた。
「両親の好物とヘルセアの料理の腕。となると……やっぱり、しゃぶしゃぶだな」
「「「シャブシャブ?」」」
私達の声が重なる。
聞いたこともない料理名に首を傾げている私達を見て、センさんが自信ありげに笑った。
「しゃぶしゃぶってのは、故郷の料理でな。鍋料理だ。大勢で一つの大きな鍋を囲んで好きな食材を取って食べる」
センさんの説明に頷く。
さっきのスープをもっと大量に作る感じなのだろう。
「鍋料理って前に家でやった寄せ鍋、みたいな感じですか?」
「まあそうなんだが、それじゃ面白味が無いからな。この料理は自国でも異国から来た人に好評だったんだよ。だから、その材料も用意しておいた」
「センさんの料理って変わったのが多いから、すっごく気になりますよ。じゃあ、今日は練習も兼ねて晩御飯はそれにしましょう!」
私よりもラライミの方が乗り気に見える。
晩御飯になるということは、センさんも一緒に食べるのかな。そうだったら、気合入れないと。……えっ、何でこんなことを思うのかしら。
「ラライミさん、ラライミさん。もしかしてヘルセアさんって、こういう経験がない人なんですか?」
「ずっと戦いに明け暮れていたそうだからね……」
二人が私を横目で見ながら、ひそひそと言葉を交わしている。
何を話しているのだろう。
「まずは野菜なんだが、キノコと葉野菜をこんな感じで切ってくれるか」
お手本を見せてくれるセンさんの隣に立ち、見よう見真似で切っていく。
指示に従って切っているだけだというのに、何でこんなに楽しいのだろう。
「純情に見せかけて、実は演技だという可能性は……」
「ないと思うわよ。あんな姿は初めて見るから……」
後ろで二人が何か言っているが、今は彼と料理中だからそれだけに集中しよう。
野菜の調理が終わると、乾燥させた植物で編んだ籠に入れる。
「おっ、野菜の調理は完璧だな。切り口がみずみずしくて綺麗だ。弟子ミユクよ、参考にするように」
「はい、師匠。でも本当に見事ですね。野菜の大きさも統一されていますし」
魔物を倒す以外で刃物を振るっても褒められるのね。
料理って楽しいかもしれない。
「それじゃあ、ここからが本番だ。よっこらしょっと」
ドンッと鈍い音を立てて、台に置かれたのは白い箱だった。
その箱の蓋を開けると、中から白い霧のようなものが噴き出てくる。
「冷たい」
「冷気だからな。凍らせたのを持ってきたから……。っと、これだ。牛系の魔物肉が手に入ってな、冷凍保存していたんだよ」
人の頭よりも大きいぐらいの塊が布に包まれている。
それを剥がすと中から、霜が張り付いた赤みの肉の塊が現れた。
「ただでさえ硬い魔物の肉が更に凍っている。硬度はかなりのもんだが、ヘルセアならこの肉を薄切りにできないか」
センさんの問いかけに、私は黙って頷く。
魔物肉を切るのはいつもの事だし、それに私への頼みごとを断りたくなかった。
「師匠。切るなら溶けてからの方がよくないですか? わざわざ凍った状態で切らなくても」
「いや、凍っていることが重要なんだよ。これならかなり薄く切ることができるだろ。この料理は薄切りの肉が欲しいんだ。その為にわざわざ凍らせた」
なるほど、柔らかい状態だと切りやすいが薄く切るのは至難の業だ。凍った状態なら切り裂ける腕があれば薄切りは……可能。
「包丁をいくつか持ってきたから、使いやすいのを選んでくれ」
握り手のついた黒いケースを開けると、中に刃物がずらりと並んでいた。これは冒険者の使う剣よりも刃が鋭い。切ることに特化した刃物。
昔から武具に触れる機会が多かったので、目利きには少し自信があるのだけど、これは見事としか言いようがないわ。
魔物との戦いでは刃が欠けそうなもろさを感じる。でも調理で使うのであれば最高の逸品。料理用の短剣一本欲しいかも。
一番手に馴染んだ刃渡りの長い包丁を選ぶ。
凍った肉の塊の前に立ち、すっと息を吸う。
「ふんっ!」
一気に刃を振り下ろすと、凍った肉の塊から薄切りの肉片が剥離した。
想像以上にあっさり切れたのは、私の腕もあると思うけど、包丁と呼ばれるこの刃物のおかげ。
「お見事。これだけ薄ければ十分だな。この調子で頼んでいいか?」
「任せてくれ」
そこから凍った肉を全て切り終えた。
薄切りの肉をセンさんが大皿に弧を描くように並べていく。それはまるで皿に咲く大輪の赤い花のよう。
食材をこんな風に盛るなんて、この人にとっての料理とはなんなのだろう。
「これで食材の調理は完璧だ。あとはタレだな」
「えっとタレって、前に作ったポンズという黒い液体ですか?」
「あれも使うが、しゃぶしゃぶと言えばゴマダレと相場が決まっている。故郷ではどっち派でもめたりしたもんだ。懐かしい」
センさんと弟子のミユクの会話を聞いている限りでは、ポンズと呼ばれるタレとゴマダレというのが、シャブシャブには必要みたい。
「取り出したるこのゴマを」
小さい粒状の植物の種にしか見えないものを、袋から妙な形をした器に流し込む。
その器は底が深く内側に細かい線が幾条も彫られている。あと木製の短い棍棒も取り出したのだが、これも調理器具なのかな?
「このすり鉢に入れて、このすりこぎでごりごりと……ヘルセアにやってもらうか。タレもお手製の方がいいだろうしな」
「了解だ」
「他の調味料がちょっと特殊でな。地元の調味料を使わないといけないから、それはこっちで併せておいたのを使ってくれ」
そう言って瓶を取り出し、台の上に置く。最後にこれを混ぜればいいのね。
今、スリコギというものを回しているが、力任せにやればいいというものではないようだ。ゴマとやらが移動しないように丁寧に混ぜよう。
「師匠、このゴマって油を取るものですよね?」
「こっちでは食用じゃなくてそっちの使い方が主みたいだな。ゴマにも色々種類があって……そんな事は今どうでもいいか。まあ、食用としても使えるってことだ」
これが油にもなるというのか。戦う事ばかりで、こういった知識が乏しい自分が情けない。
もう少し知識があれば、彼らの会話に混ざることができたというのに。
「油といえばマヨネーズ作れるな。コカトリスの卵を使って……あれ、コカトリスの生卵使っても大丈夫なのか。作り方は知っているが、どうなんだろうな。人体実験してみるか、自分と弟子の体で」
「師匠、今不審なつぶやきが聞こえたのですが。……それはまあいいとしても、マヨネーズってなんですか?」
「万能調味料だ」
「あっ、私も興味あります。家主なのにさっきから一人だけ色々と取り残されている気がするのですが、気のせいでしょうか!」
みんな楽しそうね。あっ、ゴマってどれぐらい混ぜるんだろう。ゴマの原型がなくなっているのだけど。
「これはいつまでやればよいのだ」
「おっと、もう十分だ。ご苦労様。じゃあ、予め用意したそれを混ぜてくれ。それでゴマダレ完成だ」
これがゴマダレなのね。砂に水を入れて溶かしたような感じだけど、お世辞にも美味しそうには……センさんを信じよう。
「これで全部終わりだな。それじゃあ、食事をするか。ミユク、鍋の準備をするぞー」
「はーい。楽しみー」
「食器用意しますね」
みんながテキパキと食卓を整えていく。
こういう場面で自主的に動けないのが、日頃から料理をしていない証だよね。これからは頻繁に料理をやってみよう。
そうしたらセンさんと話すきっかけにもなるだろうから。
「ヘルセア、食材とゴマダレを食卓に運んでもらっていいかな」
「分かった」
私が手持無沙汰にしているのに気づいてくれたみたい。こういう時に座って待っていてと言われるより、仕事を与えられる方が嬉しい。
偶然じゃなくて、彼の気配りだよね。こういう人と一緒に居られたら幸せなんだろうな。
「今日はずっと顔赤いわね」
「か、仮面で見えないだろう」
隣に立つラライミが私の顔を覗き込んで笑っている。笑顔には見慣れているのに、こんな表情は初めて。嬉しそうだけど、ちょっと怒っているようにも見える。
「目元しか隠してないでしょ。ほっぺも口も見えているから、顔色はすぐに分かるわよ。センさんって変なところあるけど、人を見た目で判断しない人だから惹かれるのも分かるわ。あっ、でも人を肉質で判断はするわね。私に向かって……柔らかくて美味しそうって言ったもの」
怒っているような口調なのに頬が赤い。思い出して照れているのかな。
ラライミに言われたことを心の中で反芻してみる。私はセンさんの事をどう思っているの。
「惹かれているのだろうか。よく分からない。友人になりたいとは思っているが」
「今まで恋愛の経験なさそうだもんね。その心が本物かどうかは……って、私がアドバイスするのも変かな」
小首を傾げるラライミの顔は、同性から見ても魅力的で羨ましい。
仮面をつけていないと人と会話もできない自分が、色恋なんておかしな話よね。
……今日はお父さんとお母さんの為の料理が最優先だった。ついつい忘れそうになる。
「よーし、食べるぞー。みんな座った座った。しゃぶしゃぶの食べ方を説明するから、聞き逃すなよ」
全員が席に座り、センさんに注目している。
長い二本の棒を手にして、肉を並べた大皿を手に取って私達を見回した。
「この土鍋にお湯が張っているだろ。鍋の下に仕込んだ火が出る魔道具で常時鍋が温められている。中に入れておいた昆布を沸騰前に取り出す」
黒に近い深緑色の長方形の植物のようなものを、お湯から出している。
これがコンブというものらしいが初めて見る……なんだろうこれ?
「師匠、みんなそれが何か分からないって顔してますよ」
「海藻を乾燥させたものだな。ここは海がないので馴染みがないだろうけど、この海藻を乾かしたものをお湯や水に漬けると、うま味が出るんだよ」
「センさん。うま味ってなんですか?」
私が抱いていた疑問をラライミが口にしてくれた。
「食事をしたときに、うまい! って、感じる素かな。正確には違うかも知らないが、俺はそういう認識だ。グルタミン酸とか色々あるらしいが、学者じゃないから細かいところはどうでもいいだろ。うまい出汁の元って考えるぐらいでいいさ」
入れたら美味しくなるって事でいいのかな。
詳しく説明されても理解できるとは思えないから、そう納得しておこう。
「それじゃあ、食べ方だけどちょっと特殊でね。野菜はある程度先に入れておくけど、あんまり大量に入れないように。本当は野菜も薄く切ったり、火が通りやすい野菜を選ぶんだが、そこは個人の自由だからな」
そう言ってセンさんは長い二本の棒で器用に肉を一枚掴むと、鍋へとゆっくり沈めていく。
「薄く切ったからいい具合に解凍されていてやりやすいな。こうやって箸で肉を摘まんで、湯の中で泳がすんだ。しゃぶしゃぶって、鍋を二往復ぐらいで完成だ」
湯から上げられた肉はほんのりピンク色をしている。
肉が薄いのであんな短時間でも火が通るのね。
「そしてゴマダレを入れた器に付けて、食べる!」
熱々の茹で上がった肉を口に放り込み、はふはふと口から蒸気を断続的に漏らしながら、センさんは肉を食べた。
ごくりと、喉が鳴る。誰かが唾を飲み込んだのかと、辺りを見回したら全員の視線が自分に向いていた。
えっ、もしかして今のは自分が……。
で、でも、凄く面白い食べ方をするのね。これなら父さんも母さんも珍しがって喜んでくれそう。残りの問題は味だけど。
「みんなお腹空いているみたいだな。ミユクとラライミは箸使えるからいいが、ヘルセアはこの箸使えないよな?」
「その二本の棒は今日初めて見る」
「じゃあ、そのフォークを使ってくれ。俺が肉をしゃぶしゃぶして渡すよ。では、いただきます」
「「いただきます」」
いただきます、とは食事の挨拶なのかな。
私も遅れて「いただきます」と呟くと、みんなが微笑んでくれた。間違いではなかったみたい。
「しゃぶしゃぶっと。じゃあ、食べてみてくれ」
ゴマダレを注がれた器に茹でた肉を投入された。この箸と呼ばれる道具は便利そう。今度私も覚えてみよう。一人だけ仲間外れみたいでちょっと寂しい。
ゴマダレをたっぷりつけて、タレの滴る肉を口へと運ぶ。
基本的に薄味が好みだけど、これはどう見ても味が濃そう。……えっ、美味しい⁉
薄切りの肉だけど確かな噛み応えがあり、魔物肉独特の臭みや無駄な脂が抜けている。肉としても野外で今まで食べてきた魔物肉とは桁違いの食べやすさ。だけど、それだけじゃない。
このタレが本当に美味しい。とろみがあって、独特な風味はゴマなのかな。甘みもあって濃厚なのに肉が食べやすくなっているので、このこってり具合が最高にあっている。
「これは、食が進むな!」
「うん、これいいですよ! こうやって肉を自分で茹でるの楽しいですし。孤児院のみんなも喜びそう!」
「肉もそうだけど、野菜も食べやすいですね。センさん、このゴマダレ余ったらちょっと譲ってください!」
「やっぱり、しゃぶしゃぶはいいなぁ。いくらでも肉が食べられる」
みんなも食が進んでいるみたいで、箸が止まらないようだ。
センさんは私と自分が食べる分を交互に茹でてくれているので、二人と比べてかなり忙しいみたい。それでも嫌な顔一つしないでやってくれている。
こういうのは「女の仕事だ」という男性が多いのに、センさんは文句どころか楽しんでやっているようにしか見えない。
「でも魔物肉を薄切りにしたとはいえ、すっごく柔らかくなってませんか?」
ラライミがそんなことを口にすると、弟子のミユクちゃんの肩が大きく揺れた。あれは驚いているようだが?
「薄切り効果だけですよー。ねえ、師匠。怪しい水なんて使ってませんよね」
「んや。炭酸水を使ったぞ。これを使うと肉が柔らかくなって灰汁も出やすくなるから、しゃぶしゃぶに向いてんだよ。高級料亭とかでもやっている手法だからな」
「人が無理してぼかしているのにっ!」
炭酸水というのがよく分からない。ラライミに視線を向けたが、彼女も分かっていない様子で首を傾げていた。
どんなものかは分からないけど、センさんが準備した物なのだから大丈夫に決まっている。私は気にせずに、また器に置かれた肉を口に運んだ。
「みんなで鍋を囲んで食べる晩御飯ってのは最高だ。そうは思わないかい?」
湯気の向こうから聞こえるセンさんの声に、私は頷く。
それは相手に合わせた訳じゃなく、心からそう思えた。
「センさん、人のを茹でてばっかりじゃないですか、はい、あーんして」
私の器に肉を入れたタイミングで、横合いから肉を挟んだ箸が伸びてきた。
気を利かせたラライミが、センさんの口元に肉を持っていく。
「おっ、いいのか。じゃあ、遠慮なく」
二人はお似合いだと思う。今日会ったばかりの自分が二人の間に割り込むこと自体どうかしているし、嫉妬するのもおかしな話だ。
自分の素顔も曝さないような私は、同じ場所に立つ権利すらない。
対面に座っているセンさんの顔は湯気でかすれてよく見えない。ということは、向こうからも私の顔が見えていないということに。
「セン、野菜もくれないか?」
そう言うと同時に、私は意を決して仮面に手をかけ――。