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焼き鳥

「わざわざ、呼び出して悪いな」


 使いの者を出してセンを呼んだのだが、思いのほか早くやってきた。

 わしを前にしても緊張感はなく、いつものように若干眠たげで緩んだ顔をしている。

 ハーフオーガなので人間よりも厳つい顔と巨体により威圧感があり、更に冒険者ギルドの会長という地位が加算され、冒険者の大半はわしの顔を見て怯えるのだが。

 センだけは今も昔も変わりない。肝っ玉が据わっているのか、それとも鈍感なだけなのか、未だに判断しかねている。


「んや、気にしないでくれ。ちょうど、アレを持っていこうかと思っていたところだったからな」


 いや変わったところもあったな。昔は敬語を使っていたところが違う。

 今は敬語はいらぬと言い聞かせたので、こうやって自然体で接してくれておるが。

 センは右手からぶら下げていた紙袋をすっと差し出した。


「ほほう、新作かね?」


「ああ、そうだ。ただ、最近砂糖が値上がりしているから、甘さは控えめだけどな。こっちは木の蜜や虫の蜜を使っている」


「他国との唯一の繋がりである、国境付近の吊り橋に魔物が湧きだしていてな。物流が滞っておるのだよ。前回の討伐隊もその魔物を狩るためだったのだが。これで少しは行き来が楽になるとよいが」


 魔物の異常発生により街道の危険度が跳ね上がってしまっている。優秀な護衛を雇える商人以外は避けているようで、最近は不足気味の調味料が値上がりする一方だ。

 センが持ってきてくれた菓子もかなり貴重な砂糖を使用しているのだろう。じっくりと味わわなければ罰が当たる。


「わしはこの見た目と地位が邪魔をして、菓子類を購入するのが困難でな。一応、ギルドの長としての威厳も保たねばならん」


 実は無類の菓子好きなのだが、男が甘味に(うつつ)を抜かすと蔑まれるような風潮がある。荒事を引き受ける冒険者ギルドを取り仕切る者として、他者から見下されるような弱みを見せるわけにはいかないのだ。


「それだけ、甘い物が好きなら自らの手で作ってみるのはどうだ?」


「料理か……オーガの手は大きすぎてな、細かい作業は苦手なのだよ。それに、この手のサイズに合う調理器具が存在せんのだ」


 センと比べて倍ぐらい手が大きい。専門の器具でも作ってもらわぬ限り、自らの手で料理をする日は来ないだろう。


「特注品がご所望なら、オッサンに作ってもらえばいいさ。俺も色々と調理器具の制作頼んでいるからな」


「オッサン……武器屋のドルズのことか。考えておくとしよう。っと、話が弾んでしまって忘れるところであったわ。センを呼んだのは菓子談義をするためではない」


「おっ、そうだったな。何かあったのか?」


「うむ。調味料が不足している話にも繋がることなのだが。最近、大量発生をしている魔物の一斉駆除が行われ成功を収めた。その際に倒した魔物肉が大量にあってな。最近は流通不足と魔物の被害で動物の肉も市場に出回りにくい。そこで、お主に魔物肉を食べる方法を編み出して欲しい」


 魔物肉は固くて食べることが困難で、顎の力の強い若いハンターや亜人が稀に食べるぐらいなのだ。

 しかし、食料不足も懸念される現在では贅沢も言っていられない。魔物肉を食べられるようになれば、食料問題が一気に片が付くかもしれない。


「その魔物ってなんなんだ?」


「コカトリスだ」


「へええ、巨大な鶏の体に蛇のしっぽが生えたあれか。そうか魔物の鶏肉と言えば、やっぱ定番はこいつだよな。毒の方は処理済みなのか?」


「コカトリスは毒を持つ魔物として有名だが、それは尻尾の蛇に限られるのだよ。蛇の頭さえ落とせば問題はない。既に下処理は済んでいる……と、センには毒の説明をするまでもないか」


 魔物を食べることは忌避されがちだが、冒険者が手持ちの食料を失ったときは、必要に迫られて渋々ながら魔物を食べることがある。

 冒険者ギルドとしても、どの魔物が食べられてどの部位が危険なのか調べは済んでいる。

 一応ギルドでも食べられる魔物をまとめた本を無料で貸し出しているのだが、あれを借りて読破したのは数人しかいない。

 その内の一人が目の前にいるこの男だ。


「鶏肉かー。ここでは鶏は卵を食べるのが主流で、肉は卵が産めなくなった個体を食べる程度だからな。大量の鶏肉を放棄するのはもったいないか……。その肉は今どうしている?」


「ギルドの保存庫に放り込んでいる。時を止める魔法がかかっておるから、新鮮なまま保存可能だ」


「おー、いいね。じゃあ、色々と試したいから鶏肉……コカトリス肉を少し貰ってもいいか?」


「もちろんだとも。こちらが無理を言っているのは重々承知している。食べる事が可能であれば味の方は妥協する。食料不足の解決が優先事項だからな」


「料理人に、美味しさは二の次って依頼はどうなんだ? やるからには全力を尽くすぜ。俺の故郷は食に対しては貪欲でな。軟体生物や木の根みたいな野菜も美味しくいただく民族だ」


 センの生まれ故郷は遥か東の島国という話は、耳にしたことがある。

 この国の者では思いつかないような突飛な発想も、料理の腕もそこで(つちか)われたものらしい。


「どういう調理をするのか興味があるな。邪魔でなければ、見学したいのだが」


「別にいいぞ。荷運び係と試食係は多い方がいい」


 保存庫に案内するついでに、センの仕事を拝見させてもらうことにしよう。





「んじゃ、色々試してみるぜ」


 コカトリス肉一羽分を担ぎ、センの自宅兼調理場まで運ばされる羽目になった。

 弟子である魔法使いのミユクも手伝うと言ってくれたのだが、あのか細い体で重いものを持たすわけにもいかず、わしが一人で運んだのだ。


「見事な調理場だな」


 広々とした調理場には磨き上げられた洗い場や調理器具の数々。鍋も何種類もぶら下がっている。床は石造りでシミ一つ存在していない。


「元々一階が食堂だったらしくてな。買い取ってから、ちょっとリフォームさせてもらったよ」


 納得がいった。民家の調理場とは思えぬ充実っぷりはそういうわけか。

 巨大なコカトリスの肉を調理台に置くが、それでもまだ余裕がある。


「さーてと、肉を柔らかくするには幾つか方法があるんだが。弟子ミユクよ、分かるかな?」


 念入りに洗った指で肉を突いて弾力を確かめたセンが、彼の下で料理の修行をしている魔法使いのミユクに問いかける。

 少女は何度も頷くと、鼻を膨らませて自信ありげに口を開いた。


「もちろんですよ。ヨーグルトに漬ける、果汁に漬ける、あのちょっと辛い野菜のみじん切りに埋める。とかですよね?」


「おっ、前に教えていたことを覚えていたのか生意気な」


「当たったのなら素直に褒めてくださいよ!」


「間違っちゃいないが、その方法は今回使わないから、五十点だな」


「ええええっ! じゃあ、答えはなんなんですか!」


 自分の答えが正解だと思い込んでいたのか、不満を口にしてセンに迫っている。

 ミユクが口にした方法ですら初耳なのだが、他にもやりようがあるというのか。


「まず、よく考えろよ? 今回は大量のコカトリスの肉を食べられるようにして欲しい、という依頼だ。ってことは、その方法もなるべく簡単で分かりやすい方法が望まれる。あと元手ができるだけかからないのが一番だ。そうだよな、会長?」


「ああ。手順も複雑で必要となる物資が割高となると、人々に浸透するのは難しい」


 自分でも無茶を言っているのは自覚しているが、安く大量に売り捌きたいというのが本心だ。

 誰でもやれる方法でなければ意味がない。


「ということだ。肉を柔らかく食べる料理はある。煮込みやミンチにしてまとめればいい。そんな事は誰だって思いつくだろ。それが悪いってわけじゃないんだが、それだと出来上がる料理は限られちまう。そこで、肉を柔らかくする簡単な方法その一。肉を水に漬けて暫く寝かせる」


「「肉を水に?」」


 ミユクと同じ反応をしてしまった。

 今、センは水に漬ける、と言ったよな。煮るのではなく水に漬けるだけ? そんなもので肉が柔らかくなるというのか。


「おうよ。長時間煮れば柔らかくなろうだろうが、それじゃ毎回同じ料理になっちまうし、手間もかかっちまう。かまどを一つ長時間も占領するのも問題だしな。そこでもっと簡単な方法を考えたのさ。コカトリスの肉は、特にこの胸肉部分が硬くパサパサしているだろ。これを水に漬けることで柔らかくなるだけじゃなく、水分を含ませてジューシーにするって寸法だ」


 自慢げに語っているが、わしもミユクも疑いの眼差しでセンを見てしまっている。

 肉を水に漬けるだけで柔らかくなるなら、誰も苦労しないと思うのだが。


「論より証拠だ。会長、この胸肉を調理しやすい大きさに切ってもらえるか?」


「構わんぞ」


 噛み切るのに苦戦する弾力を保持しているコカトリスの肉は、普通の料理人では切る事すら困難だ。オーガであり鍛え上げられたわしの腕であれば、問題なく切ることができる。


「包丁……じゃない、料理ナイフはこれを使ってくれ」


「ふむ、なんだこれは。まるで鉈ではないか」


 手渡された調理用のナイフはわしが知るものではなかった。

 料理で使用するナイフは先端が尖り片刃の剣のような姿をしている。それが一般的な形だ。

 だというのに、これは刃が分厚く四角い。重量も大きさもかなりのもので、まさに鉈としか思えない代物。


「俺の国では肉切り包丁と呼ばれるものだよ。鍛冶屋のドルズに頼んで作ってもらった特注品だ。会長の怪力でぶつ切りにしてくれ」


 この刃物であれば硬い身のコカトリスの肉であろうが、切断は可能だ。

 しかし、センは本当に何者なのか。

 辺りを見回すと調理場には、他にも見たことがない様々な調理器具が並んでいる。これの殆どがドルズに作らせた特注品らしい。


「会長手が止まっているぞ」


「すまぬ。直ぐに取り掛かるとしよう」


 この肉切り包丁は想像以上に優れた刃物で、コカトリスの肉をやすやすと切り刻むことができた。

 これは武器としても優秀なのではないだろうか?


「水が浸透するようにっと」


 センは鉄の串を取り出すと、肉に何度も突き刺している。

 理解不能な行動だが、黙って見守るしかない。


「おっ、いい感じだな。それじゃこれを一口サイズに切ってっと」


 センが切断した肉をまな板の上に運ぶと、手にした片刃の調理ナイフで食べやすい大きさに切り分けていく。

 あれほど硬い肉質をあんなに容易に切れるのか。あれは刃物がいいのか、センの腕がいいのか、それとも……両方か。

 手際よく切断されたコカトリスの胸肉を今度は、底の深いガラスの四角い容器に放り込んでいく。それをミユクの前にすっと差し出した。


「弟子よ、水で浸してくれ」


「師匠は私の事を便利な道具だと思っていません? ……やりますけど」


 魔法で生み出された水が容器を満たす。


「うっし、これで後は待つだけだ。魔物の肉がどれぐらいで柔らかくなるか分からないから、五分おきに取り出して、適切な時間を調べてみるか」


「ちょっと待て。本当にこれで終わりなのか? 水に入れただけだぞ」


「初めにそう言っただろ。果報は寝て待てってな。んじゃ、ちょっと休憩してから試食するとするか」


 本当にこれ以上は何もする気がないようだ。

 正直、これでどうなるとも思えないが、センを信じるしかあるまい。





「柔らかく、なっているな……。どういうことだ、これは魔法なのか?」


「まだ硬いけど食べられるよ! うん、それもじゅわっとしていて美味しい!」


 オーガの口でようやく噛み切れる硬さだった肉が、人間の女であるミユクでも食べられる硬さに仕上がっている。それに加え胸肉とは思えないぐらい肉汁があふれている。


「魔法なんて大袈裟な物じゃないな。美味しく食べるための知恵だ。俺の国は島国で長らく平和でな。人々の心に余裕ができると、料理にこだわるようになった。幸いなことに調味料や食材にも不便していないから、美味しくいただく為に様々な調理法が編み出された……今はどうでもいいか、そんな話」


「師匠の国ってそんなに平和だったんだ。いいなー。ここは魔物ばっかで生きるだけで必死だもんね。料理の種類だって少ないし」


 ミユクの言う通り、この国は平和とは程遠い。

 ここには魔物が現れる穴が存在し、街を囲む壁の外は魔物が我が物顔で闊歩している。子供が一人で飛び出したら、半日もしないうちに骨すらなくなるだろう。

 センの故郷の話も興味があるのだが、今は魔物肉を食べる方法が最優先だ。別の機会にじっくり聞かせてもらうことにしよう。


「んー、漬ける時間が結構かかったが、まあまあだな。だけど、これでもまだちっと硬い。顎が疲れちまうし、子供や老人が食べるのは辛いだろ」


 この出来に満足していないのか、センは。

 わしとしてはこれだけでも十分納得の成果なのだが。


「塩水に漬けると更に柔らかくなるが、塩だって貴重な調味料だ。無駄遣いはできない。塩の下味が問答無用でついてしまうのも料理の幅が狭くなるしな。魔物の肉は野性味があるから、味が少々落ちても問題はない。そうなると柔らかくするのが最優先課題だよな……」


 センが腕を組んでぶつぶつと独り言を始めている。

 そのまま放置していたのだが、一向に調理を始める気配がないので肩に手を掛けて話しかけようとした。

 すると、横合いから伸びてきた細い手がわしの腕を掴んだ。


「邪魔しちゃダメですよ、会長。師匠はああなったら、解決策が出るまで放置するのが一番です。きっと最高の答えを導き出してくれます!」


 信頼しているのだな。一番身近でセンを見てきたミユクが言うのだ、ここは信用しよう。

 更に数分の時が過ぎると、背を向けて呟いていたセンが勢いよく振り返った。


「会長頼みがある!」


「な、なんだ?」


 目を見開き、大声で迫るセンに一瞬だが気圧されそうになった。


「邪神が封印されている泉に入る許可をくれ!」


「はあああああああああああっ⁉ 今、なんと言った!」


「ん? 聞こえなかったのか。邪神が封印されている泉に入る許可を頼む」


 こいつは平然と何を言っているのだ。自分がどれだけおかしなことを口にしているのか、理解しているのだろうか。


「そこがどういう場所か分かっているのか?」


「おうさ。そのまんま、邪神が封印されているかもしれない場所だろ。ただし、誰も邪神を見たことはない」


 そこまで知った上での発言なのか。

 謎多き男で掴みどころがないとは思っていたが、何を考えている……。


「確かに邪神の目撃談は聞かぬが、何かが封印されているのは間違いない。湖の水面には絶えず、封印された何かが呼吸する水の泡が浮かび上がっては弾けておる」


「師匠。それに泉の周りの植物は異様に成長が早くて、緑が濃いそうです。これも封印された魔物の魔力が影響を受けているという説が」


 優秀な魔法使いとして期待されているだけの事はある。ミユクもその情報は得ているようだ。

 わしらの意見を耳にしても、驚いた様子も見せず頭をボリボリと掻いている。


「そこが怪しいんだよなぁ。たぶん、それって……。まあ、現場に行ってみれば分かるか。ってことで、許可証よろしく」


 この街に住む者なら子供でも知っている、誰も寄り付かない封印の泉に入りたがるとは。物好きでは済まんぞ。

 考えがあるようだが……。


「何か秘策があるのだな?」


「そうだな。俺の想像通りだったら、面白い事になると思うぜ」


 自信満々のセンを信じるしかないか。

 そもそも無理難題を押し付けたのはこちらだ。考えがあるというのであれば、その為に協力を惜しむべきではない。


「分かった。何人か冒険者を護衛に連れて行こう」


「その必要はないと思うが。まあいいか、よろしく」


 軽く手を上げるセンに、緊張感は微塵もなかった。





 腕利きの冒険者四人を連れて、街の最北部へと向かう。

 足下の石畳が土の道に変わり、辺りに住宅がなくなり雑草が目立つようになってきた。

 人気のない荒れ地を進むと、大人が縦に二人並んでも届かない高さの塀が現れ、同時に重厚な鉄の扉も見えてくる。

 護衛の冒険者とミユクの表情が、近づくにつれて真剣なものへと変わっていく。

 ここに住む者なら幼い頃に、親から泉に住む魔物の話は嫌というほど聞かされている。魂に刻み込まれた恐怖はそう簡単に拭い去れるものではない、ということだ。


「おーここが噂の封印の泉に繋がる扉かー。厳重な警備体制だねえ」


 センだけは余裕の態度で、呑気に鉄扉を見上げ感心している。

 こやつは怖いもの知らずなのか……。


「何者だ貴様ら」


 扉を守っている兵士が四人、わしらの前に現れると手にした槍で進路方向を塞ぐ。

 全身鎧に長槍という格好の兵士達は国から派遣された者だ。国王もこの場所を危険視しているという証拠が彼らの存在である。


「ご苦労。わしは冒険者ギルドの会長をしておる。これが通行許可証なのだが、通っても構わぬか」


 国王とわしのサインが入った許可証を見せると、兵士たちは姿勢を正し敬礼をする。


「失礼しました! ご自由にお通りください! 私が現場までお供します!」


 兵士が二人、同行してくれるようだ。

 わしも何度か封印の泉を確認しに行ったことはあるのだが、その時も最低二人は兵士が護衛でついて来たな。

 鉄扉が重々しい音を響かせて開くと、その先には鬱蒼と茂る雑草で地面が埋め尽くされていた。


「少し行った先が泉です。後ろからついてきてください」


 兵士は腰に携えた剣を抜くと、雑草を払いながら道を斬り開いていく。


「定期的に雑草の処理をしているのですが、この一帯は草が伸びるのが早くて。おまけに緑も濃いでしょう」


「これが弟子の言っていた現象か。やっぱりな……」


 近くの雑草を引っこ抜いて、センがしげしげと観察している。

 感心しているようにも見えるが、こんなもので何か分かるというのか?


「師匠の目には何が見えているんです? この雑草は食べられないと思いますよ?」


「それぐらい見たら分かる」


 一体、何が気になるのか問いただしたかったのだが、「つきました!」先行する兵士の声がしたので発言を控える。

 一軒家程度の大きさがある泉。泉の縁は岩で囲まれていて、そこから泡がひっきりなしに浮かんでは消えていく。


「邪神はまだ生きているようだな。この泡が消える日はいつになるのか」


 わしの呟きに、兵士達が深刻な顔で頷く。

 他の者達も息を呑んで、泉を遠巻きに見ているのだが、一人だけ意気揚々と泉に近づく男がいる。言うまでもなくそれは――センだった。


「お、おい、危険だぞ!」


「大丈夫、大丈夫」


 怖気づいている兵士の注意を無視して、泉の縁にしゃがみ込むとあろうことか、泡の湧く泉に手を……突っ込んだ⁉


「セン、直ぐに手を引っ込めろ!」


「んー、心地いい刺激だ。ちょっと飲んでみるか」


 センは泉の水を手ですくうと躊躇うことなく……口に含む。

 ――正気かっ⁉


「し、師匠! ぺっ、して! 直ぐに、ぺっですよ!」


 ミユクが背中に飛び掛かると、吐かせようとしてバンバン背中を叩いている。

 それが逆効果だったらしく、センの喉が膨らみゴクリと飲み込んだ音がした。


「弟子よ痛いぞ。ったく、大丈夫だと言っただろう。……味はほんの少し鉄分を感じるが、飲料水として問題ないな。これならいけるか」


「の、飲んだんですか! 邪神がその身に宿ったりしてませんよね⁉」


「してないっての。そもそも、この泡は邪神の呼吸じゃないぞ」


 背中をさすりながら、そう言い放つセンの顔を思わず凝視してしまった。


「どう見ても、泉の下に眠る何者かの呼吸ではないか」


「呼吸なんかじゃないよ、会長。これは炭酸水の湧く泉だ」


「「炭酸水?」」


 センの言葉の意味が理解できずに、わしとミユクの疑問の声が重なる。


「なんて説明したらいいのか。……この泡ぶくは炭酸ガスと言ってな、人体に無害だ。それどころか体にいいとされていて、俺の故郷では天然の炭酸泉は薬泉とも呼ばれたりしているんだぜ。口に含むとシュワシュワ弾ける刺激が心地よくてな、度数の高い酒をこの炭酸水で割るとうまいんだ」


 ジョッキに酒を注ぐ真似をして、それを飲み干す動作が本当にうまそうで、無意識に喉が鳴っていた。


「ということは、邪神は存在しておらず、むしろ体にいい水が湧き出る泉だと?」


「おうよ。炭酸水を植物に与えると緑が濃くなったり、成長速度が上がるって聞いたことがあってな。俺の知識と経験で無害だと判断したが、一応何人かに試しに飲んでもらって体に異変がないか調べる必要はあるか。ちょうどいいや、みんな飲んでみようぜ」


 泉に再び手を入れて炭酸水とやらをすくうと、わしらにすっと差し出した。

 センを除いたこの場にいる全員が、頭を激しく横に振って全力で拒絶している。


「一度飲んだらこの刺激が病みつきになると思うんだが」


 そう言ってもう一口飲むセンを、皆が怯えた目で見つめていた。――わしも同様に。





「ということで、こっからが本番だ」


 封印の泉の一件から一週間後にセンから呼び出され、わしが調理場に足を踏み入れると準備万端のセンとミユクがいた。

 あれから報酬目当てに集まった十人以上の冒険者に、泉の水を飲んでもらい経過を調べたのだが、誰一人として体調を崩す者はいなかった。

 安全性が確保されたので調理に使う許可を出した。……のだが、今日呼び出されたのはそれが関連しているということか。


 しかし、未だに邪神が存在せず、それどころか飲料にも使える湧き水だったというのが信じられん。ブクブク泡立つ泉は珍しいが、各地に存在しているそうだ。

 そういった場所も、我が国と同じように「魔物が封印されていると勘違いされているんじゃないか?」とセンが苦笑していた。


「嫌な予感しかせんが、あの炭酸水とやらをどうしたんだ?」


「ほら、前に魔物の肉を水に漬けただろ。あれを炭酸水でやるともっと柔らかくなるんだよ。他にも灰汁が出て、肉特有の臭みも取れるという優れものだ」


 炭酸水とはどういった水なのだろうか。何か不思議なものが含まれているのというのか?


「おっと詳しい仕組みや理論は知らないからな。質問するだけ無駄だぜ。ほら、食べてみてくれ」


 そう言って目の前に出された大皿には、肉を油で揚げたものが山盛りにされていた。

 表面が黄色より濃い、野性の獣の毛に似た色をした肉は香ばしい香りがして、食欲を刺激される。

 これが封印の泉に漬けたものでなければ、迷わず口にするのだが。


「本当に大丈夫なのであろうな?」


「デカい図体して心配性だな。俺も弟子も試食済みだ」


「それは本当です。食べたらきっと驚きますよ!」


 二人が嘘を言っているようには見えぬ。冒険者ギルドの会長として嘘を見抜く目は鍛えているつもりだ。

 変わり者のセンはともかく、ミユクのような年若き娘ですら食べたというのに怖気づくわけにはいかぬか。


「ええい、ままよ!」


 揚げたての肉を指で摘まみ、口の中に投げ入れた。

 歯を立てると表面のカリッとした食感が伝わり、続いて柔らかい肉に歯が埋まっていく。

 そして口の中にあふれ出す熱い肉汁。脂に包まれた肉のうま味と塩味が混然一体となり、それは快楽にも似た幸福を口内に生み出す。


「う、うまい! これは本当にコカトリスの肉なのか⁉」


「正真正銘、コカトリスの肉だぜ。から揚げって言うんだが、たまんねえだろ。炭酸水の効果が最大限に発揮される漬け時間もメモっておいた。後でまとめた資料渡すから参考にしてくれ。ただ、から揚げは油を大量に使うから、一般にはお勧めできない。そこで、こういうのも作ってみた」


 新たに持ってきたのは木の串に貫かれた肉だった。一口サイズの肉が幾つも並んで貫かれ、それを焼いただけのようだが。


「シンプルイズベストってな。これってヤキトリって言うんだが、焼いて塩を振っただけだから、誰でも作れるだろ。肉の間に野菜を挟んでもうまいぜ。あと、酒のお供に最適だ」


 見るからに旨そうな串焼き……ヤキトリを手に取り、串の先にある肉に噛り付くと串から引き剥がす。

 コカトリス肉を噛むたびに、またもあふれ出す肉汁。シンプルな味付けだかこそ、肉本来の味が際立つ。表面が若干焦げていることで発生する風味も悪くない。


「これはたまらん。凝った料理ではないのに、何故こんなにも食が進むのだ。うむ、確かに酒が欲しくなるな!」


「だろ? ほんとはタレも作りたかったんだが、必要な調味料が今はかなり貴重でな。家庭で作るのは難しいと判断して、塩に落ち着いたってわけだ。煮込み料理をする場合は、炭酸水を水の代わりに使って煮込むと柔らかくなるぞ」


 タレとやらに興味はあるが、この塩味のヤキトリだけでも十分だ。

 串に刺さずとも焼けばいいだけなら、どの家庭でも味わえる。肉の柔らかさも味も及第点どころか大満足の結果となった。


「さすがだな、センよ。これでこの街の食糧事情もかなりマシになるだろう」


「そりゃよかった。このヤキトリを露店で売るってのもいいと思うぜ。ただ、封印の泉に漬けた肉ってのはイメージが悪いだろうから、そこは黙っておいた方がいい」


 確かに、封印の泉で漬けた肉だと知られてしまうと、購入する者は殆どいないだろう。

 体に害がないのであれば問題はない。この事実を知る者に情報の漏洩が無いよう、手回しをしておくか。

 露店に関しても信頼のおける料理人には伝えて、実行するとしよう。

 ギルドの前に設置するとするか。依頼終わりの冒険者が喜んで購入する姿が目に浮かぶようだ。

 何もかもセンに頼り切ってしまったのだ、それぐらいの仕事はこちらに任せてもらおうか。

 暫く忙しくなりそうだが、今日から晩酌にこのヤキトリが付くと考えると、苦労さえも最高のスパイスになってくれる。

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