第三話「自転車が服着て歩いてら」
あれだな。子ども向けのアニメとかで動物なんかのキャラが、普段は何も着てない癖に海行く話の時だけ水着のアレ。だからと言って普段のままなら変態集団っぽく見えてしまうだろう。海やプールでは水着を付けるもの。そういった常識や固定観念によるものなのか。人間の頭って、案外曖昧だ。
可愛い少女が恥じらいながら薄い布一枚隔てた先で服を着ている。カーテン越しにごわごわと衣類と肌が擦れる音が聞こえる。ベッドの上には電灯があり、ぼんやりとシルエットも確認できる。何か官能的な文章で今の状況を表現したかったが、俺はそういった文章に縁が無いので、一言で済ます。エロい。
「すんなり、着てくれるんだな」気持ちをごまかそうと、声を掛ける。
「だって私は苗人さんのものですから」
俺は黙り込んでしまった。何と返せば良いのかわからなかった。自分から話しておいて、無責任な奴である。そこから数秒は、相手はどうかは知らないが、俺のほうは気まずいような、申し訳ないようなで、数分間のようにも思えた。シャーッとカーテンが勢いよく開く。俯き気味だった俺は、その音に頭を上げる。
足先……靴下だ。左右同じ色。まあ、靴の替えなんて無いから靴下のままなのは仕方ない。後でスリッパでも履いてもらおう。しかし、その前にまず靴下以外も身に付けてもらおう。そいつは靴下以外はすっぽんぽんだった。
「ほら、着ましたよ~。似合いますか?」
「マニアックすぎるだろ!!」全部着ろよ! これはこれでちょっと「おっ」ってなったけど違うだろ! 全裸より下品だし、ちが……あー、もう、ありがとうございます!!
「可愛すぎて声も出ませんか?」言って、ウインクを一つ。可愛い……かもしれないけど、いい加減ふざけてる場合でも、ない。俺はベッドから降り、少女に歩み寄った。近づくと、不思議と淫らな気持ちは薄まった。視界が狭まった事で、彼女が大きく見えたからだろう。こういうの何て言うんだっけ。灯台下暗し? 違うな……。
「わわわ、強引すぎますよ!」あたふたして、それでいて拒否するでもなく。
「違うよ! 服を着てくれ……って言いたいんだ」その様子にまた罪悪感を憶え、目を逸らし、答える。
数分のち。カーテンが開いた時、白い、着用者より少し大きめのシャツを纏った姿を目にした。今度はちゃんとしてる。ズボンも穿いているようだ。
「苗人さん」もじもじして、顔を赤らめて聞く女の子。
「ん、何……かな」何でもないよと他者に思われるよう努めて答える俺。
「どうして人はパンツとズボン両方穿くんですか」
「知らんな…………」
どうでも良いやり取りを今朝から何度か交わし、ふと思ったことがある。
こいつが本当に自転車そのものが変化した存在でも、自分のことを俺の『俺専用不死鳥の羽ばたきフェニックス号EX』だと思い込んでいる精神異常者でも、今はもうどちらでも良いんじゃないか。だってこれまで出会ってきた人たちだって、その全てを理解している訳ではないだろう。人に言えない趣味だってあるかもしれないし、実は人間ではないのかもしれない。それでも俺は相手に好感を持ったり、不快に感じたり。テレビに出てるタレントなんて、会ったこともないのに勝手に好きか嫌いか判断してるじゃないか。
今、目の前にいるこの子のために何が出来るのか、それが大事だ、と思う。我ながら臭いことを考えてる気もするが、それが正しいのだからどうしようもない。多分。相手が自分のことを自転車だと言うなら、俺もそれに全力で乗ってやろうじゃないか。
「そろそろ行くか、『俺専用不死鳥の』……」
言う途中、相手がぱあっと明るい顔になるのがわかった。
「……あれ、どうしてやめちゃうんですか! この姿になって初めて、ちゃんと呼んでくれると思ったのに」
「いや…………」
「?」不思議そうな顔をする。俺が目を逸らすと、そちらを覗き込む。
「長いと、呼びにくいな、と思って。呼んでほしい名前とか、ある?」
これから『知人』となるなら、毎度毎度『俺専用不死鳥の羽ばたきフェニックス号EX』なんて呼んでたら疲れてしまう。
「そうですね……苗人さんが決めて下さい」
「お前……自分が無いのか……まあいい。けど大丈夫か? 俺のネーミングセンスは抜群だぞ? 鼻血出すんじゃないぞ」
「はい!」笑顔。とても嬉しそう。みんな俺が何かに名前を付けようとしても「能ある鷹は爪を隠しとくもんだぜ」とか言って断るのに。この子はわかっている奴だ。爪が錆びたら獲物を捕らえられないじゃないか。
「ははは……うーん。じゃあ……『俺専用不死鳥の羽ばたきフェニックス号EX』を変えるのも名残惜しいし……略して、英訳して、横文字っぽいからファミリーネーム後にして……『フェイ・オフラップ』、なんてどうだ?」
ハッピーバースデー、フェイ♪