第二話「保健室の先生が若い女性だなんてフィクションの中だけだろ?」
目が覚めると、雪国だったら良かったのに。
――視界の奥には、見知った天井。ここはうちの高校の保健室、ベッドの上だ。とてもじゃないが健康優良児と呼ぶには相応しくない自分にとって、そこそこ馴染みのある場所。差し詰め、気を失った俺を誰かが運んでくれたのだろう。名も残さぬとは、王子様な奴め。
俺は現実に帰って来たぞーーー! でも、帰ってきたという事は、また『それ』に向き合わなければならないという事である。そんな事なら、寒い雪の中、徐々に体温を奪われ、命のともしびを途切れさせたほうがましだったのかもしれない。
現代の若者はほんとに死にたがりですからね。僕も例に漏れず今! まさに死にたいと思った所なのだ。
「はあ……」溜め息を吐きながら、上体を起こす。左に捻る。窓の外が見える。校庭ではどこかのクラスの男子生徒たちがトラックを走っている。右に捻る。今朝の女の子が丸椅子に座っている。全裸で。
「どわああああああぁぁっ!!!」
「きゃあああああぁぁぁ!!!」
俺が驚いて悲鳴を上げ、それに驚いたらしい女の子も悲鳴を上げた。人が来ないところから察するに、ここには俺たちしかいないようである。それに、さっきの校庭と言い、……いや、常識的に考えて、もう既に一時間目は始まってしまっているのだろう。でも体調不良で倒れたんだから不問だよね。セフセフ!
そんな風に、俺は目の前の現実から逃避しようと今は考える必要のないことを頭の中で巡らせていた。しかしそれもすぐに可愛げな声で遮られてしまった。
「何で黙ってるんですか、苗人さん」
「それはそうと、ここまで来るのに誰かに見られなかったか?」
叫んだせいか、変に頭が冴えている。全裸の少女が校内を歩いているのはさぞ異常であろう。だから、聞いた。もしこの子が誰かに見つかったりでもすると、相手は俺の関係者を名乗っているし、こっちまで厄介事に巻き込まれかねない。そんなのは御免だ。
あれ……まあ、そうだな。全裸で歩いて不自然じゃない場所のほうが少ないか。お風呂とか。良いなあ、お風呂。女の子のお風呂。また脱線か。脱線……だっせん……クリスチャンダッセン。だからどうした。
「ふふふ……私は自転車ですよ?」
「はあ」心のこもってない返事をしてやる。めんどくさくなっていたのだろうな。
「自転車は英語でバイシクル」
「今はバイクって習うんだけどね」
「ばいしくる……ばいすくる……」
「何か嫌な予感する」
「すくる……すける……透ける…私は透けるから誰にも見られないんです!」
「そういうしょうもない洒落に構ってる暇ないんだけど……」全然うまくも面白くもないしね?
ああ、でも騒ぎになっていないということは運よく誰にも見られなかったという事だろうか。俺は大騒ぎするような性質ではないが、普通の奴ならこんな非日常的な光景が繰り広げられたら黙ってはいられまい。一昔前に規制された某商法のように、一人が二人に、二人は四人に。騒ぎはどんどん伝染していき、いつしか日本中でこいつの顔を見ることになるだろう。
学校の正門から藤棚を抜けて南口から校舎に入ると一クラスあたり週に一回くらいしか使わない特別教室が数部屋並び、そして保健室。このルートを通ったなら、第一村人発見、となる恐れはぐっと弱まるはずだ。
「見られなかったのなら良かった」
「私、見られたらまずいんですか? 散々私に乗って街を駆けたくせに」
まだ言ってるしね。何かいかがわしく聞こえるしね。勘弁してよ。
「安いもんですよ、乳首の一つくらい……」
「女の子がそういうこと言わない。どこで育ったのか知らないけど、少なくとも俺の近くでいる時は何か身に付けてくれ」
ここは幸い保健室だ。血や嘔吐物などで服を汚した者の為に替えの下着やちょっとした衣類が揃っている。このまま誰か来てもまずいし、それを拝借させてもらうこととしよう。俺は服が入っているロッカーや引き出しを指さす。相手は特に嫌そうな顔もせず、タタタッとそこへ移動し、いくつかの布製品を取り出した。再びタタタッと移動すると俺の隣のベッドの前に立ち、カーテンを閉め、隙間から少し顔を出して言った。
「恥ずかしいから、開けちゃ駄目ですよ?」
お前、今までどんな格好してたっけ。爆発しそうになったその言葉をぐっと抑え込み、俺は無言で親指を立てた。