第3話 『夢デビュー』
てっきりまた真っ白な場所で目が覚めるのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。
具体的にどこかはわからないが、ビルが立ち並ぶ都会の中心、スクランブル交差点の中心に俺は立っていた。おそらくもう夢の中に入っているのだろう。この世界での時間がどれくらいかはわからないが、辺りは薄暗く人は一人も見えない。
車の音も、電車の音も音という音が聞こえない。それはこの世界に俺以外のなにも存在していないことを意味しているのだろうか。
「この後どうすればいいんだ?」
面接の時には実際夢の中に入ってからなにをするだとか具体的なことはなにも聞かされていない。
てっきりあの勅使河原とかいう男かあるいは誰か研修を担当する人が色々教えてくれるものと思っていたのだが………
俺はどうしたものかと考えながら、取り敢えず辺りを散策してみることにした。しばらくそうしていて分かったことは、まずこの世界にはやはり俺以外の人の姿が見当たらないということだ。
車や電車も走っておらず、電気も通っていないようだ。建物の中には入ることはできるようだが、やはり人はどこにもいない。人間だけが世界から突然消え去ったかのような、そんな風だった。
なんだか………怖いんですが…………
空虚な世界で一人孤独を嘆いていると、前方に人影のようなものが揺らめいているのに気がついた。人影は一つではなかった。周りをよく見渡してみると、遠くの方に動いている人影がいくつも確認できた。
あれは……人、だよな?多分研修担当の人か何かだろう。にしては随分と数が多い気がするが。俺はこの世界での初めての人との遭遇に安堵し、とりあえず一番近い人影らしきものへと近づいていった。
でもあれ……なんか大きい?それになんか体があり得ない方向に曲がってね?というかそもそも人間じゃなくね?あれ……
「……………!!」
その人影と目があった……、ような気がした。
その人影に目らしきものは見当たらなかったが、なぜかそのような気がした。
「!!!!!!???」
突然、目の前が急速に回転し、喉が締め付けられた。
しばらくの間、不快な浮遊感を味わった後、俺は地面に叩きつけられた。
「ゲッ!ゴホッガッツ!」
死ぬかと思った!なんだよ一体!?あのぐねぐねしたやつがやったのか!?
なにがどうなって………
衝撃のせいか視界はぼやけて、耳鳴りは激しく、息は乱れている。なにが起こったのか状況がまったくつかめない……
「立って……できれば…………もう少し離れてほしい……」
「…………?」
目の前にはセーラー服を着た少女が、背中を向けて立っていた。声はどうやらこの子のものらしい……
今危険とかいったか?
「えっと……バイトの研修ってことで……というかここ夢の中でいいんですよね?あなたは研修担当の人……とか?」
ようやく呼吸も落ち着き始め、視力も戻ってきた。周りを見るとビルの屋上に座っていることが分かった。
もしかしてここまで飛んできたのか?俺はもう一度少女を見る、とその手になにかが握られていることに気がついた。
「ここは……夢……であってる……………私は七星愛……………ツトムに頼まれた……………あなたの名前……は?」
少女は聞き取れるかどうかのギリギリの声で途切れ途切れにきいてきた。
ツトムってのが誰だか分からんが、あの勅使河原とかいう採用担当のやつだと勝手に都合良く解釈すればいいだろう。
まったく……名前ぐらい教えておけよな……
俺は心の中で微笑んだ顔が妙に印象的なあの男に悪態を吐いて…………………
いや、それよりも、だ。俺は少女の手元から目を離さずにはいられなかった。
少女の手に握られていたのは………………
見たことのないくらいめちゃくちゃ長い日本刀だった。
なんだぁ……あれは?刃渡り三メートル……いや五メートル以上あるんじゃないのか?
「名前………………なに?」
少女は自分の何倍にもなる日本刀を右手に軽々と握ったまま俺の前に立っていた。
「名前は……化野和哉……ですけど……」
俺は茫然として答えた。なんだか答えないとぶった斬られそう……
「カズヤ……分かった。それじゃ…………見てて………………」
そう言うと少女は消えた…… 消えた!?どこ行った!?ていうか見ててって何を?うわっっ!?
瞬間、激しい風が吹き俺はあやうく飛ばされそうになる。何とかこらえ上を見ると、少女が刀を構え、空高く舞い上がっていた。どうゆう脚力してんだよ……けどこのままじゃビルから落ちちゃうんじゃないか。少女はやや前方に大きく飛躍し、そのまま落下へと移った。俺はそれを追いかけるように、ビルの屋上の端ぎりぎりにまで走り出した。
ビルはそこまで高くなく、だいたい四、五階といったところだろう。ビルの下を眺めてみるとさっきのぐねぐねした人影みたいなやつらが何体もうろついていた。だが、その中に明らかに他の奴らとは違う奴がいた。他のやつらは薄い明るい色を帯びているのだが、あいつだけは違う。影のように、真っ黒でこの距離で見ているだけでも鳥肌がたってくる。
あいつがなんなのか、他のやつとどう違うのかはさっぱりだが、どうやら少女はあいつに狙いを定めているようだ。少女の着地点があの影とちょうど重なる。
少女は落下の速度そのままに刀を振り下ろし、地面を抉る勢いで蠢く影を両断した。切られた影の切断面からは赤い血のような液体が吹き出す。それはなんだか生々しくて、本物の人間が切られたんじゃないかと錯覚するほどだった。二つに分かれた影は左右に倒れ、濁流のように体液を放出し続けている。
さすがに気持ち悪くなって目を背けると、少女は俺の横に戻ってきていた。
「うぉ!いつの間に!……………あ、あの……これって、夢の中で人生相談とかして悩みを解決するとかそんなんじゃなかったんですか?ていうか、あの黒いやつはなんなんっすか?人じゃないみたいですけど…………」
突然の少女の帰還に俺は驚きつつ、おそるおそる疑問を尋ねてみる。
少女、七星愛は、すでに出血が止まり、干からびた状態となっている影に目を向け、
「こいつは……………………悪い……虫………倒さない……と………いけない……」
「悪い虫って……具体的にはどういう……」
俺がほとんど答えになっていない少女の返答に、さらなる疑問をぶつけようとしたその瞬間。世界が崩壊し始めた。遠くのビルのほうから上に下にと分裂していく。それはなんだか幻想的ではあったけれど、今はそれよりもこの状況について把握したい。
「あの!これって、どういうバイトなんですか!?面接の時もなんかいまいち説明がよくわからなかったし……あの黒い影みたいのを倒せば……いいとかなんですか?」
崩壊が目前にまで迫ってきた状況で俺は焦ってすがりつくように少女に尋ねた。少女は困ったように眉をよせ、
「明日…………教えてもらって……………………」
「ちょっとま」
そこまで言って世界は真っ黒に染められた。
「朝………だ」
目が覚めるといつも通り、自室のベッドに横になっていた。特に寝不足といった感じはなく、早く寝たからか、むしろ体調はいつもよりいいぐらいだ。
結局、夢の中で一体何をするのかはまったくわからないままだ。たしか研修は一週間とか言っていたから、あの少女……七星とあと6日もあのわけのわからないことを繰り返さなきゃいけないのか?そもそもおれは見てただけでなにもしてねぇぞ!そんなの研修になりゃしないだろ。
俺はわけのわからないまま上体を起こし、ベッドの外へ。
もうやめたい、とか言っても、どうせ寝たらそれだけで強制参加だろうし、別にトラウマレベルの悪夢でもなけりゃ、現実の体に実害も特にないし、別にいいか。
明日もあるみたいだし、そこできっちりと説明をきくことにしよう。
頭のなかに蔓延る疑問に一旦区切りをつけ、俺はいつもより少し早く、学校に行く準備を始めた。