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第一章 第二話:選ばれし少女

「女?」

 この生き抜くのに厳しい土地で初めて出会う人が女であることにゼノは驚きを隠さなかった。てっきり、屈強な男が来ているものだとばかり思っていたのである。それはこの人物がおそらくは一人でいるだろうと思われたからであった。

「女で何が悪い?」

「いや、そういう意味ではない。少し予想外だっただけだ」

 敵意をむき出しにする女に対してゼノは警戒心を解く。女は少女と言っても良いほど幼かった。その手には小刀が握られているが、それでゼノを傷つけられるとは思えない。編み込まれた長い黒髪に上質とは言えないが布製の上下の服に狼の毛皮で作られた上着を羽織っていた。後ろには茂みに引っかかって落としたと思われる弓矢が見えた。切りそろえられた前髪に、意外にも整った顔をしている。

「壁を越えて来たのか? 流刑の罪人か?」

 言葉が通じる事がありがたかった。久方ぶりに会話をした。だが、まさか自分の素性を言い当てられるとは思っていなかった。

「まあ、そんなものだ。ここらにはよく来るのか? 流刑になった奴らが」

 少女は小刀をゼノに向けたままである。

「知らない」

「じゃあ、君はどこから来たんだ?」

「…………」

「参ったな。久しぶりにもっと会話をしたいんだが」

 ゼノを警戒して喋らなくなる少女。

「じゃあ、これならどうだ?」

 剣と弓矢を地面に捨てる。敵意がない事を示す動作としては妥当だと思われた。実際にはこんな少女であれば素手でもなんとかなると思っている。

「俺は君と話したいだけなんだけど」

 初恋ですら、これほど相手に気に入られたいと思っていなかったに違いない。ゼノのその言葉は将軍の息子に生まれた身としては最大限の譲歩であった。

「俺の名前はゼノ=アキュラ。君は?」

「……リン」

 リンと名乗った少女はいまだにゼノへの警戒を解こうとはしなかった。ただし、これはゼノにとって生き残りをかけた交渉である。ここで人との繋がりを失えば、この地でのたれ死ぬ可能性が高くなる。ゼノは慎重に言葉を選ぶことにした。

「見ての通り流刑の罪人だ。とは言っても、流刑の罪は俺自身の罪ではなくて親族のとばっちりなんだがね。それでこの辺に流され、なんとか生きている。君に危害を加えるつもりはない。それで、君の事を教えてくれないかな?」

 だが、リンは頑なに自分の事を話そうとはしなかった。

「参ったな、俺としては助けてほしいんだけど……」

 ゼノの口から「助けてほしい」という予想外の言葉が出た事に反応するリン。ゼノはその反応に突破口を開こうとする。

「見ての通り、独りなんだ。食料とかはなんとか手に入るんだけど、それ以外がなんともできなくてさ。それに誰かと話していたい。気が狂いそうだ。ここには魔獣しかいないんだぜ?」

「魔獣? 熊の魔獣か?」

 何故か魔獣という言葉にリンは食いついた。理由があるのだろうが、ゼノには想像すらできない。とりあえず、会話が成り立ちそうであるのでゼノは続ける。

「あぁ、熊の魔獣もいたかな?」

 慎重に言葉をつないできたつもりのゼノは様々な可能性を模索する。その中で最悪なのはこの土地の熊の魔獣が神として扱われており、それを殺したゼノが許されない場合だった。そのため、熊の魔獣を狩った事を話すのは事情を確認してからにした方がよいと判断した。だが、その心配は杞憂だったようである。

「もしかして、狩ったのか? 毛皮は? 毛皮はあるか?」

 急に警戒心をといて詰問してくるリン。その目にはさきほどと違って活力が灯っている。

「え、えっと……」

 ゼノはその圧力に押されて、自身の「家」をゆっくり指差した。そこにはこの前狩った熊の魔獣の毛皮で作った外套が干されている。

「グレーテストベア!」

 さきほどまでとは打って変わったような明るい表情。ゼノは生き延びる可能性が高くなったことを実感する。

「事情を聞かせてもらえるとありがたいかな。肉くらいならご馳走するぜ?」

 リンが答えるより前に腹の虫がぐぅと返事をした。



「リンは守護霊の村で選ばれし者になるんだ」

 塩をまぶした干し肉と焼いた木の実の粉で作ったパンにかじりつきながらリンは言った。この数日はろくな物を食べていなかったらしい。「家」を伺っていたのも食料がないかと思っていたとの事だった。

「ここには他に誰もいない。ゆっくりと食いなよ」

 ゼノは干した果実も振る舞う。他人が自分の作ったものを上手そうに食べるという事に幸福感を感じるとは思っていなかった。それは生活に余裕がでてきた事の証明でもあるだろう。最初は干し果実を警戒していたリンであるが、一度口に入れてしまえば止まらなくなってしまったようだ。苦笑しながら追加で出してやる。沸騰して浄化させた水筒の水もごくごくと飲むリン。おそらく今日はもう一度川まで水くみに行く必要があるだろう。以前作っておいた魔獣の胃袋の水筒にも水を入れてくる必要がありそうだ。

「それで、守護霊の村というのは? リンはなんでここに来たんだ?」

「守護霊の村というのはここから北へ向かった先にある。リンはそこで選ばれし者になるために修行をしている。ここに来たのは、選ばれし者になるための試練を受けるための試練? そのために必要な物を取りに来た」

 リンの話によると、守護霊の村はこの北の大地では最も高貴な民族なのだという。その理由が守護霊であった。

「守護霊?」

「南人が守護霊様を悪霊と呼んでいるのは知っているぞ。恐れ多い事だ」

 憤慨しているように見せかけて、それほど気にしてはいないのだろう。干し果実に手を出す速度がまったく衰える素振りも見せない。おそらくはゼノのように流刑になったり、その他の理由で北の大地を訪れる人が意外にも多いのだ。でなければこのような少女が流刑の存在を知るはずもない。

「立場の違いと言えども、言い方という物があるだろうに。北の大地を守る守護霊様が南人からすれば敵に当たるというのは分からんでもないが」

「霊が存在するのか?」

「そうか、南には守護霊様の代わりになる霊はいなかったのだな。ならば信じられないのも無理はない」

 出された干し果実を全て平らげるとリンは笑った。ゼノの返答に怒っているわけではなさそうだ。

「それで、選ばれし者っていうのは?」

「選ばれし者は守護霊様に選ばれる人物だ。今回は女が選ばれし者になる事が決まっている。リンはその候補になるために、グレーテストベアの毛皮を獲りにきた」

 グレーテストベアとは熊の魔獣の事だろう。それでリンは魔獣の毛皮で作られた外套に反応したのだ。だが、話を聞くだけでは熊の魔獣を狩り、その証として毛皮を持ってくるようにと言われているのではないか。ゼノは躊躇せずにその疑問をぶつける。

「これを自分で狩れと言われているのではないのか?」

 だが、リンの返答は少し理解できないものであった。

「狩る必要はないと言われている。ほとんどの候補者がグレーテストベアを狩る準備をして出て行った。だが、どのような経緯であれ毛皮が手に入ればよいと長老は言った。たとえそれが罪を犯して手に入れたとしても、守護霊はお許しくださると」

「そんなんでいいのか?」

 てっきり、狩りの腕を試されるのだとばかり思っていたゼノは戸惑う。そしてリンの目的がはっきりと見えてきた。

「なぁ、この毛皮を譲ってくれないか? そのためにはリンは何でもしよう」

「何でも……何でもね」

 ゼノにとって毛皮は有用ではあるが、それを手放す事によって今後生き延びる確率が増えるのであれば悪い取引ではない。ここでどのような条件を出せば集落まで連れて行ってもらえて、そこに住まわせてもらえるかと思案する。だが、その思案する顔をリンは曲解したようだった。

「な、何でもって言っても、限度はあるからね!」

 顔を真っ赤にして言うリン。完全に躰を開けと言われるのではないかと誤解したようだ。妻はいなかったゼノであるが、女を知らないわけではない。自暴自棄になっていたらその選択肢も十分にあっただろう。しかし、若くして将軍にまで上り詰めるほどの優秀さがその選択肢は今取るべきではないと教えていた。というよりも、考えもしなかった事を気づかされた事で、ゼノもすこし紅潮してしまった。

「と、取引だな!」

 ごまかすには話を進めるしかなかった。ゼノは自身をその守護霊の集落にまで連れて行き、生活ができるようにしてもらう事を条件に毛皮を譲る約束をする。

「う、守護霊の村に入れるのか……」

 リンは一瞬躊躇った。しかし、背に腹は代えられないと悟ったようだ。

「連れては行くけど、断られたら他に行けよ」

「別に他の集落でもかまわん。ここに独りでいたらのたれ死ぬだけだ」

 あくまで目的は生存の確立をあげる事である。流刑になった時点で生きる目標などない。生きる事が目標だ。それであるならばどの集落でも構わなかった。しかし、リンは他の集落につてがあるわけではないようだった。

「じゃあ、守護霊の村の長老に聞いてやる」

 そしてゼノとリンの取引は成立した。



「なんで地元民のお前がほとんど食料も何も持ってないんだ?」

 リンに同行して北へ行く事をきめたゼノであったが、リンの荷物を見てすぐには出立できないと気づく。ここまでたどり着けた事が奇跡に近いほどにリンの装備は貧弱だった。

「めんぼくない……」

 ゼノの持っている物というには見届け人がそろえてくれただけあり、長期間の旅にでも耐えうる物である。そして春になって魔獣を狩ったこともあり、食料は順調に溜まってきていた。ただし、それは一人分の計算である。年頃のリンが消費する分を考えると単純計算で二倍の量が必要であった。

「まずは食料の調達と、旅の準備が必要だな」

 ぼろぼろになったリンの靴をみながらゼノがつぶやく。さすがに靴などまでつくる事はできないために、この靴が完全に壊れる前に出立しなければならない。季節は夏に差し掛かるところであるから防寒具は必要なかった。食料がいる。

「狩りをする」

 リンの弓矢の腕も見ておきたかった。いざという時に自分の身を守る事ができるのだろうか。一般的にはここまでたどりついた事を考えるとそれなりなのだろう。だが、予想に反してリンの弓矢は上手くなかった。せっかく見つけた鹿の魔獣を取り逃がしそうになる。

「見ていろ」

 ゼノは矢をつがえた。こちらで作成した木の矢ではなく、持ち込んだ鏃がついたものだ。呼吸の合間に矢を放つ。今まで何万回と行って来た動作だった。

「当たった!」

「知ってる」

 後頭部を射抜かれた鹿の魔獣は即死した。近くの水場へ運んで解体と冷却を行う。その場で内臓と肉を洗って、火を起こし、炙って食べた。狩りに出る時には岩塩も携帯する事にしていた。

「美味しい!」

 聞けば狩りに出るのも年に数回しかないのだそうだ。今回の候補者への名乗り上げた女の中ではもっとも若いとの事。まだまだ経験が足りない。

「若いと言っても、もう十七なんだから!」

「まだ餓鬼じゃねえかよ」

「そういうゼノは何歳なのよ!?」

「二十…三だ」

 ここに来てから年を数えていなかった。二十二と言おうとして違う事に気づけた。

「そんなに変わんないじゃないの!」

「六つも違う」

「六つしか違わない!」

 ゼノが十七の頃は戦場を駆け巡っていた。将軍の息子であり特別待遇であった事に不満を覚えたゼノは、その指揮する部隊を率いて敵のど真ん中を突っ切った。ロイサム将軍には叱責されたが、それで命を救われた多くの味方からは信頼を得られたのだと思う。あの頃はまだ未熟であった。周りが支えてくれたからこそできた事である。それからの六年間というのはゼノの人生においてもっとも重要な時期であったはずだった。リンもこれからの六年間は大切な時間になるはずである。

「あとは矢を作ればなんとか一か月は旅ができる」

 足りない食料も現地で調達は可能だと思われる。季節は夏なのだ。その守護霊の村とやらがリンの足で約一か月と聞いた。今からなら秋までに間に合う。

「秋までに帰らないと駄目なの。冬の準備があるから、候補から外されてしまう」

「まあ、妥当ではあるな」

 考えてみれば期限があるのが当たり前である。


 寝台はリンに譲り渡した。ゼノは床に毛皮を敷いて寝ている。寝台の寝心地の良さと、その敷いてある毛皮がグレーテストベアである事にリンが驚いていた。

「夜這いなんて駄目だからね!」

「誰がするか」

 実際にゼノはリンに手を出す事はなかった。そしてリンだけがもぞもぞと寝台の中で身構えていたのである。しかし、リンは疲れからかすぐに寝入ってしまった。そしてゼノも生きる事に希望が見いだせたのが救いになったのだろう。久しぶりに熟睡を味わった。

 翌日に水浴びをした。

「ちょっと! なんでリンもしなきゃならないのよ!」

「臭いからだ」

「なっ?」

 春から夏にかけて、週に二回から三回ほどの水浴びをするゼノは虱なんかは沸いていない。天気の良い日に毛皮も干すためにダニなどいなかったはずだった。だが、リンがきてからダニが沸いている。明らかに地元民よりも適応しているゼノにリンが呆れる。しかし、このようにして清潔を保ってきた事がゼノを生き延びさせていたと言っても良かった。

「絶対に見たら殺すからね!」

「はいはい」


 出立の日は近い。明日にも出かける事ができそうだ。そのために「家」の中を整理する。食料は全て持っていくつもりだった。寝台に敷いてある毛皮もほとんど持っていく。乾燥させた蔦と、薪は持っていくわけにはいかず、少量の作成した紐と縄のみを持っていくことにした。その他はもともとゼノが持っていた荷物である。

「お前も少しは持て」

「何この斧、ものすごい重たいんですけど」

 ここまで旅をしてきたとは思えない発言である。

 グレーテストベアで作った外套はリンが着る事になった。裾が長いために少し不格好であるが、本人は喜んでいる。他に荷物の中には寝台に敷いてあった毛皮もある。どちらかを提出することが選ばれし者の候補になる資格となっている。

「ねえ、ゼノ! あの干した果実はないの?」

「お前が全部食った」

「じゃあ、干してないのでもいいよ!」

「ない」

「えー」

 にぎやかな旅になりそうである。ゼノは生き延びて人に出会うと言う当面の目標に到達し、それがリンであった事に感謝した。だが、本人には絶対に伝えない。


「樹には登れるな?」

「まあ、多少は」

「では、樹の上で眠れるな?」

「え? それはちょっと……」

 問題が生じたのはすぐである。リンと二人での旅となると、どちらかが見張りに着く必要があるのだが、ゼノはリンに見張りを任せる事に不安を感じた。しかし、眠らないわけにもいかない。そこで提案したのが樹上で寝る事だった。

「そんなのできるわけないじゃない。それに枝の上って硬いし……」

「じゃあ、お前は地面で寝るんだな」

 ひょいひょいと樹を登っていくゼノ。登った先にちょうどよい幹が分かれてくぼんだ部分を見つけて毛皮を広げる。両側に他の枝があるためにすっぽりと収まってしまった。あれなら安定性は抜群であり、落ちる心配は少ない。念のために縄で毛皮を巻き付けて固定までしている。

「えー」

 リンも負けじと登るが、そんな場所はほとんどない。

「仕方ねえな、こっち来い」

 ゼノに促されるままに近づくと、急に手を引っ張られた。ゼノの体の上に倒れるリン。幹に体を預けて座っている形のゼノにもたれかかってしまう。

「こうすりゃ、何かあってもすぐに起きられるしな」

「ちょっと!」

 リンの荷物を起用に外して枝に吊るす。そしてゼノは言う。

「ほら、早く寝るぞ。明日も日の出と共に出立だ」

「こ、これで寝るの?」

 しかしリンの心配をよそにゼノは寝始めてしまった。いくら木の上とはいえ年頃の男とともに、しかも膝の上で寝るという事に興奮してしまい、動悸が止まらないリン。結局、リンが寝つけたのは深夜を過ぎてからだった。


「きちんと寝たのか?」

「いや、寝てない」

 翌朝、ゼノは早めに起きた。実は寝つきは良かったのだが、途中覚醒し寝息をたてて寝ているリンを見ているうちに、女性特有の甘い匂いを感じ取ってしまい、こちらも明け方から興奮して眠れていない。寝不足の二人は起きて朝餉の準備を行う。運よく鳥が飛んでいるのを発見したゼノが射落としたために、朝から豪勢な食事となった。

「途中で水を手に入れたい」

 水筒の水はまだあるが、できれば常に川の存在を確かめた状態で歩いていたかった。守護霊の村までは川をさかのぼれば良いようである。それがゼノの「家」の近くの川ではなかったようであるので、まずはその川を見つける事が重要だった。水さえあれば、この季節に飢える事はなさそうである。木の矢も十分量持っているために、朝のように鳥でも射落として食いつなげばよい。

「できるだけ日が出ているうちは移動する事としよう」

 夜は完全な闇が襲ってくることもあり、危険であった。月明かりで移動できないこともないが、足元は非常に悪い。そしてどんな魔獣が潜んでいるかも分からないのだ。基本的に日が登っているうちに移動できるだけしてしまう日々が続いた。

「ちょっと、待って」

 荷物があるとリンの歩みは極端に遅くなった。もともとはあまり重たい物は持たずに旅をしていたのだ。それで食料の確保が不十分になったのであるが、今は十分な食料も荷物のうちである。

「仕方ないな」

 できるだけゼノが荷物を持つことにした。当初はリンにも持たせていたのだが、あまりにも歩みが遅いのである。期限までに到着する必要はゼノには全くなかったが、それでもリンの事を思うと自然と手が出ていた。そして何より歩みが遅いと苛ついてしまう事もある。結局はゼノが重い荷物を持つという構造がお互いのためだったのである。

 樹上で睡眠をとるという習慣は続いた。そしてその際に二人の距離が非常に近いという事にも慣れてしまったようだった。抱き合うわけではないが、同じ空間で体を寄り添って寝る。それが数週間続いた。

「あの川か」

 目標とする川が見えた。これがあればあとは北上するだけである。あと数日で守護霊の村に着くという。

「ゼノには世話になったから、とりあえずはリンの家に泊めてやる」

「それはありがたい」

 リンの家には両親と幼い弟がいるという。反対する両親の制止を振り切って出てきているために少し気まずいらしいが、グレーテストベアの毛皮を見事に持って帰っているために許してくれるのだろう。それだけ選ばれし者というのは守護霊の村では栄誉となる。


 村まであと一日という所で、人影が見えた。

「おい、あれは守護霊の村の人間か?」

「えっ? 」

 音もなく前方に現れたその人物はこちらを見ているようだった。右手にはその背丈よりもやや長いだけの棒を持っている。後で分かった事であるが、これは霊木を削って作った棒であり、それには何かが宿っていた。

「ロトフ!」

 リンの表情が明るくなる。しかし、そのロトフと呼ばれた男はまったく表情を変えようとはしない。ゼノを見定めているようだった。そして、両者の距離が近づくにつれてそれは殺気に近いものに変わる。

「おかえり、リン」

 ロトフは目線を外さずに一言だけ放った。警戒だろう。ゼノは久しぶりの感覚を味わう。

「ど、ど、どうしたのかな? こっちはゼノ。恩人だよ」

 リンの説明で少し殺気を抑えるロトフ。

「リンの恩人と言うのであれば歓迎する。だが、この男、尋常じゃないぞ」

 それは将軍として戦っていたゼノの事を示しているのだろうか。初見でここまで警戒される事はなく、その慧眼にゼノの方も警戒する。

「ゼノ=アキュラだ」

「アキュラ! 将軍の息子か?」

「俺も将軍だった。いまではただの流刑の罪人だがな」

 流刑という言葉を聞いて、納得の表情のロトフ。だが、そこまで事情に詳しいロトフに対してゼノは警戒を深めていく。こんな北の土地でアキュラの名に反応する人間がいるとは思えなかった。しかし、現実に目の前の人間はそれを知っていた。南に通じる何かがある。北の大地は思ったより南寄りにあるらしい。

 ゼノとロトフ、二人の出会いはこのようだった。


「父さん、母さん、ただいま!」

 ゼノに譲ってもらったグレーテストベアの毛皮の外套を着こんでリンは生家の門をくぐった。守護霊の村は全部で数百名の村人が暮らす集落である。その家屋は南の国とは違って質素なものであったが、長老の住まう場所のみは祭壇も含めてかなりの大きさがあった。リンの生家は特に特徴のない標準的な大きさである。

「リン!」

 信じられない物を見たという顔の両親が出てきた。その顔は死んだはずの娘が戻ってきたというのが最も正確な表現であろう。両親ともにリンが生きて帰れるとは思っていなかったようだ。その反面、娘の無事を祈願するお守りがところどころに飾られてあったらしい。

「こっちはゼノ。グレーテストベアを狩ってくれたのも彼なんだ」

 両親に紹介され、その日は歓迎される事となった。何故かロトフが付いて来ていた。そしてずっと一緒にいる。

「ロトフは補佐人なんだ」

 補佐人とは、選ばれし者を最終的に決める旅についていく異性を指す。候補者が数名いるのに対して補佐人は常に一人だ。そして補佐人は候補者がいるわけではなく、生来から決まっている。補佐人として生まれた者は村の長老に育てられる。ロトフの両親が誰かなのは知らされず、リンも知らなかった。知るのは本人たちのみである。

「ゼノ=アキュラ、南の話が聞きたい」

 ロトフは当初の警戒を解くと、南の事を聞きたがった。その日はなぜかロトフもリンの家へ泊るという事になったらしい。リンの両親から感謝されつつ、ロトフと夜遅くまで語り合った。ほとんどはロトフが外の事を聞きたがったのだ。補佐人は基本的には、外の世界に出られないらしい。守護霊の村から出た事は数回しかないというロトフであったが、ゼノはそれが意外な気がしていた。ゼノから見ると、ロトフは敵国の将軍と同程度以上の気を放っていたのだ。戦場で出会っていたならば、勝てるかどうかは自信がない。

「君は変わってるな」

「南人からすればここらの人間は全部変わってるんじゃないか?」

「いや、人の本質は同じだと思う」

 ロトフは不思議な雰囲気を持つ男だった。しかし、悪い感じはしない。久方ぶりの酒を酌み交わし、二人は語り合った。リンに出会って、全てが上手く回っている気がした。


 翌朝になるとリンがグレーテストベアの毛皮を持って帰ったという事は噂になっていたらしい。朝から訪問客もある。そしてゼノという客人を連れて帰ったという事も知れ渡っていた。

「じゃあ、リンは長老の所に毛皮を持っていくから」

 リンとロトフは朝早くから出て行った。完全に手持無沙汰になったゼノはリンの弟と遊んでいる。こんな時間がとれるなどとは思っていなかった。十六の頃から戦場を駆け回ってばかりで死と隣り合わせの生活だったのである。子供と触れ合うのは慣れていない。だが、無償に楽しかった。

「ゼノ! ここに住めよ!」

 幼子が屈託なく言う。それを見てリンの両親も笑ってくれているようである。しかし、ゼノはここには住めないのだというのだ。守護霊の村は外からの客人は許しても住み込む事は許されてない。後日、どこか住む事のできる集落を探してくれるとロトフはゼノに言った。それまでは厄介になろうと思う。どうせ、生きる目標などないのだ。なるようになるだろうとゼノは思った。

 グレーテストベアの毛皮を納めたリンは正式に選ばれし者の候補者になったようである。リンの家にはそれを祝いに来る者もいた。両親も嬉しそうである。そしてこの日もロトフはリンの家に来ていた。

「ゼノ、君が良ければこの村の近くに住まないか?」

 ロトフの提案はこうだった。守護霊の村に行商人は来るのだが、その頻度は少ない。そして何時来るのかも分からないそうだ。その行商人に頼るしかない事も多いのだという。周囲の集落から尊敬を集める反面、守護霊の村は避けられがちであった。そもそも隣の集落から徒歩で数日の距離も離れている。

「村の中に住む事は掟でできない事になってる。だけど、村の外れなら大丈夫だ」

 偏見のないゼノが村の外れに住む事によって、他の集落との連絡や物資の運搬などをしてもらえないかという提案だった。仕事をもらえるとは思っていなかったゼノはこの提案に乗った。

「本当は、ゼノの所に行くという用事を作って村の外に出たいというのもあるんだけどさ」

 補佐人は基本的に村から出る事は許されない。村の周囲を回るのが精一杯なのである。ロトフとしては、ゼノが村の外れにいてくれると助かるというのだ。

「それ、いいんじゃない? ゼノなら独りで生きてたくらいだし」

 村の外れに住み、毎日のように顔を出せばそれはもう村に住んでいることと同義である。掟を重んじる人たちが何と言うか気になったゼノはロトフにその事を問う。

「そんなの気にしないでいいよ。なんか、ゼノの方が守護霊の村に昔からいるみたいな考え方してるね」

 ロトフは何てことはないという風に笑った。後でリンやリンの両親に聞いても答えは同じだった。その内、長老から呼ばれた。

「ロトフから聞いておる。村の外れに住んでくれるのか?」

 まさか長老直々に歓迎してくれるとは思わなかった。一緒について来ていたリンが嬉しそうに言う。

「ね、言った通りだったでしょ?」

 ゼノ=アキュラは守護霊の村から東に行ったところにある川の近くの小屋を与えられた。もともとは倉庫のように使っていた小屋らしい。今は使われていない。しかし、北の大地で使われていただけあり、しっかりとした防寒が施された小屋であった。


 小屋に住み始めたゼノは頻繁に守護霊の村に顔を出し、狩りで手に入れた肉などを交換するようになった。そして隣の集落にも連れて行ってもらい、顔を知ってもらう事もした。こうして一人で往復できるようになるまでに一か月もかからなかった。

「助かる」

 守護霊の村人たちはゼノに優しかった。必要とされる事が嬉しく、ゼノはここに来て良かったと思っていた。そして季節は真夏になり、村が騒がしくなった。

「テレンが帰ってきたらしい」

 選ばれし者の候補であるテレンという女性が帰ってきたらしい。ロトフと長老の家で隣の集落から買ってくるものを選定している時にテレンが帰ってきた。

「ただいま帰りました」

 テレンはロトフと同い年であり、幼い時から仲良く過ごしてきた女性らしい。狩りが上手く、弓を使わせれば集落の男にも負けないのだそうだ。凛々しい顔立ちに、はきはきした物言い。いかにも賢そうな女性である。

「帰ったか。して、グレーテストベアの毛皮は獲れたかの?」

「はいっ」

 荷物の中から立派な毛皮が出てきた。

「仕留めるのにだいぶ苦労しました」

「罠を使ったんだね?」

「そうよ、ロトフ。仕方ないじゃない」

 ロトフと嬉しそうに話している。ロトフもテレンが無事に帰ってきてくれて嬉しいようだ。もしかしたらこの二人は恋仲なのかもしれないとゼノが思っていると、テレンがゼノを見て言った。

「それで、こちらの殿方はどちら様?」

「テレン、彼はゼノ=アキュラだ。南人だよ。この近くに住んでもらう事になった」

「ゼノ=アキュラだ」

「テレンです。でも、南人が何でここに?」

「親族のとばっちりで流刑にされてるところをリンに拾ってもらった」

 若干脚色してあるが、概ね間違いではないだろう。隣でロトフが苦笑いしている。

「へえ、リンに…………って、あの子が戻ってきてるの?」

 テレンは自分が最も早く帰ったものだと思っていたようだ。言われてみればリンは一か月程度でゼノの「家」に着いている。グレーテストベアはこの辺りには生息していないから、リンは最短で往復した事になるのだろう。

「リンを拾ったのは君の方だろう?」

 笑いをこらえきれずにロトフが言う。

「いや、彼女に救われたのは間違いじゃないさ」

 リンが来なければ今頃はまだ「家」の中で独り作業をしていたに違いない。そういう意味でもリンには救われている。ゼノは生きる目標がなかったが、リンを見ているとそれはこれから見つければ良いとすら思えてきたのだ。


「だからリンが選ばれし者になるっていうのなら、それの手助けができればいいなとも思ってる。」

 場所を移して、ゼノはロトフとテレンを自分の小屋に招待した。ここに招待した理由はロトフに頼まれた隣の集落から買った酒が置いてあるからだった。長老の前では控えているという。たまにこうして男二人で飲み明かす事にしていた。今日は後からリンも合流する事になっている。数か月前と比べると生活が変わっていた。ゼノは、ここに、住んでいる。

「南人にしては、めずらしいわね。選ばれし者を応援するなんて」

「あっ、テレン」

 テレンの言葉にロトフが少し慌てる。

「なんだ?」

 ロトフがテレンにまだ話してないんだと説明していた。まだとは何をだろう。

「言ってくれよ。気になるじゃないか」

「すまない、ゼノ」

 ロトフが先に謝る。言い出す機会がなかったと。ゼノは嫌な予感を覚えていた。この幸せを感じる事のできる生き方がまたしても崩れてしまうのではないかと。あの、流刑に決まった時と同様の何かを感じていた。

「いつかは知られる事だからリンが来る前に言っておくわよ。選ばれし者ってのはね」

 現実は上手くいかないという事は身に染みて分かっていたはずだった。しかし、理解できていなかった。


「守護霊様の生贄になる者のことよ」



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