第九話
炎獄山脈の調査依頼が完了してから数日後、私と姫様はゲルペリアで最大規模を誇る図書館へと来ていました。
周りの建物と同じように、図書館も純白のゲルペリア石を用いて作られています。しかし、その規模は他の建物と比較になりません。
直径百メートル、高さ百五十メートルにもなる純白の巨大な円柱状の建物が図書館なのです。これほどの規模の図書館は、世界でもそうないでしょう。規模だけで言えば、冒険者ギルドの建物である大聖堂をはるかに超えるほどです。
内部は何層にも区切られており、移動は図書館中央に存在する移動用の魔法陣で行われます。行きたい階層を思い浮かべながら魔法陣に乗れば、勝手に移動してくれるというものです。便利ですね。
内部には無数に本棚が並べられており、本棚にはもちろん本が並んでいます。本のタイトルを見ているだけでも目が回りそうです。一応、ジャンル毎に本は並べられているようですが、何処にどの本があるのかはまるでわかりません。利用者は使いやすいのでしょうか?
図書館内を見回すと、予想以上に人が多いことに驚きます。設置されている椅子に座って本を読んでいたり、あるいは立ち読みしていたりと、各々自由に憩いの時を過ごしているようです。
しかし、騎士として勉強はしてきたはずですが、これほどの本に囲まれた経験はありませんね。まったく落ち着きません。
貴族であった姫様も、目の前の光景に圧倒されている様子。貴族でも圧倒されるほどですか、凄まじいですね。
「凄いですわね……」
「まったくです」
家の書庫もこれほど書物がありませんでしたのに。姫様がぼやいていますが、おそらく王城の書庫の書物の数も、この図書館の一層にも満たないでしょう。比較するのが間違っているというものです。
いつまでも圧倒されているわけにもいきませんね、さっさと探しものを終わらせてしまいましょう。
「姫様。時間は有限です」
「わかってますわ。行きましょう、セリス」
「はい、姫様」
力強く歩き出した姫様ですが、おそらく場所はわかってないでしょう。私自身もわかりません。
こういう場合は図書館の司書に聞くのが手っ取り早いのですが、姫様はそのことに頭がいってませんね。図書館というものを利用したことがないツケがここに来ましたか。
そのまま館内をウロウロとすること一時間。目的の物を見つけられず、図書館に入り口に戻ってきてしまいました。
「広すぎますわ! 大きすぎますわ!」
「姫様。声が大きいです」
「……そうですわね」
コホンと小さく咳払いをする姫様。ああ、大きな声を出すものだから、図書館の利用者がジロジロと見てきます。
姫様も一応冒険者。視線には敏感です。案の定視線に気づいて、コソコソと逃げるようにその場を立ち去りました。おっと、見失ってしまいそうです。後を追わなければなりません。
辿り着いた先は休憩所。テーブルと椅子、それとベンチがいくつか並べられているだけのシンプルなものです。物を食べることは出来ませんが、近くには飲料物の自動販売機も設置されているので、何か飲むことは出来ますね。
喉が渇いたのか、姫様は自動販売機で飲み物を買っています。買ったのは……スパークリング梅コーヒー? 何ですか、それは。
一応止めようとしたのですが、私が止めるよりも先に、姫様は買った飲み物を一気に飲んでしまいました。ものの十数秒もすれば、飲み物は空になったようです。
「……不味いですわ」
「飲まなければよかったじゃないですか」
呆れた私に対して、姫様は恥ずかしそうに顔を背けています。本当、何でこんな怪しい飲み物を飲んだのでしょうか。
好奇心猫を殺すとはこのことですね。
「一時間探索しても、何の成果もありませんわ。セリス、何かいい案はないかしら?」
咳払いまでなど、誤魔化しているのが丸わかりなのですが、まあいいです。ここは素直に誤魔化されてあげましょう。
しかし、案ですか。ふむ、答えられるのはこれだけですね。
「図書館の司書に聞きましょう」
答えた瞬間、姫様は物凄い勢いで私の胸ぐらを掴んできました。貴族にあるまじき行いです。というか苦しいです。姫様、どこにこんな力があったのでしょう。実はグラップラーなのではないですか?
「何故それを言いませんのおおおぉぉぉ!!」
姫様が揺らすせいで、視界がガクガクと凄いことに……。ああ、姫様……駄目です……。それ以上は駄目です……出てはいけないものが……ウッ……。
◆
「あっさり見つかりましたわね……」
「姫様の苦労は何だったんでしょう」
「それは言わないでくださいまし」
司書に探してほしい本を伝えたところ、あっさりとその本が見つまりました。口にも出してしまいましたが、本当に姫様の苦労は何だったのでしょうか。
何はともあれ、探していた本は見つかりました。それは、この世界の様々な伝説が載っている本です。
本当は図鑑などがよかったのですが、私達が遭遇したあのドラゴンの特徴を伝えて出てきた本が、これなのです。
伝説になるほど有名なドラゴン。一体、どんな存在なのでしょうか。
ああ、早く倒さなくてはなりません。これ以上犠牲者を出さないためにも、早く調べて、早く倒す必要があります。
いずれ、あのドラゴンの討伐依頼が冒険者ギルドから出されるでしょう。その依頼を私は受けて、あのドラゴンと戦うつもりです。
その時に少しでも戦いを有利にするために、こうやってあのドラゴンについて調べているのです。
戦いにおいて情報は命です。知っているか知っていないか、対処出来るか対処出来ないか。その僅かな違いが、自分の生死を分けるのですから。
本を持ったまま歩いていると、二人で並べるような席が空いていました。少し窮屈ですが、他に空いている席もありません。ちょうどいいので、ここで本を読むことにしましょう。
本をテーブルの中央に置き、並んで本を覗き込みます。姫様と肩がぶつかる距離まで近づく必要があるので、ちょっと読みにくいですね。
今、私達が読んでいるのは目次の部分。しかし、そこだけを見ても書いてある内容は様々で、興味を惹かれます。
天空の逆城。邪神伝承。神代のアーティファクト。目を引く項目がたくさんありますね。
さて、私達が探しているのが見つかりそうなのは……これですね、神と竜の大戦について。
これは、はるか昔、神がいたとされる遥か太古――神代に起きたとされる、神と竜の絶対的な力を持つ二種族間での争いです。この大戦を境に神は激減。神はその身を隠し、神代は終わりを告げたとされています。
「ここのようですわね」
「そうですね」
せっかくの手がかりを、見逃すわけにはいきません。ゆっくり、一ページずつどんな単語も見落とさないように目を通していきます。
ところで、姫様が普通に楽しんでいるように見えるのは、気のせいであって欲しいですね。
「……凄いですわね」
……気のせいであって欲しいですね。
姫様は無視して、一人だけで進めてしまいましょう。
特徴は闇のような鱗と、その圧倒的な巨躯の二つですが、後者についてはあまり期待出来ませんね。仮にあのドラゴンが神代から生きているのだとしたら、神代の時点ではもっと小さいこともあり得るのですから。
時間をかけて、ゆっくりと内容を読み込んでいきます。あのドラゴンに関わることならば、どんな些細な事でも構いません。何か、手がかりになるようなものは……。
しかし、見つかりません。一通り読んだはずですが、見つかりません。何度読んでも、繰り返し読んでも、見つかりません。
まさか、この本ではない? これでないとなると、他にどの本で調べればよいのでしょうか。いや、司書以上にこの図書館を知っている人間はいないはず。ならば、司書が持ってきたこの本に、あのドラゴンに関する情報が載っているはずです。
ああ、焦っています。苛ついています。何故、見つからないのでしょう。何故、情報がないのでしょう。
「焦っていても、仕方がないですわよ」
姫様の言葉に、思わず動きを止めてしまいました。横目で見ると、姫様は微笑みながらこちらを見ています。
何故、笑っているのでしょう。私が焦っているのを見て、面白がっているのでしょうか?
いけません。黒い考えが私を徐々に支配します。何故、何故、何故。姫様、貴方は何故、笑えるのですか?
既に私の視線は、見るというよりも睨むといった方が正しいでしょう。騎士としてあるまじき行いですが、しかし私は自らの感情を抑えることが出来ませんでした。
「やはり、あの人を失ったせいですわね」
スーっと、頭の中がクリアになるのがわかりました。そして、私は自らの感情を自覚しました。
ええ、そうです。依頼を受けるために調べるなど、ただの建前です。少なくとも、私にとっては。
あの人のことを、過去すると決めましたから。絶対に忘れることはないけれど、縛られることはしないと決めましたから。
しかし、自覚したら、誤魔化すことは出来ませんでした。私の薄っぺらい誓いなど、私の本心の前では紙切れ同然です。
私は、あのドラゴンが憎い。リョウ殿を殺したあのドラゴンが、殺したいほど憎い。いえ、殺します。確実に、私がこの手であのドラゴンを殺します。
やはり、私は覚悟が足りなかったようですね。いつか失うかもしれないことはわかっていたのに、覚悟していたはずなのに、それでもまだ引きずられている。
駄目ですね。縛られては駄目です。それだけに縛られては、見えるものも見えなくなります。
しかし、さすが姫様です。こうも容易く、私も気が付かなかった感情を見抜くとは。上に立つ者として必要なことだったのでしょう。剣を振るうことしか出来ない私とは、また違った世界を見ているのですね。
「気持ちはわかりますけれど、縛られては駄目ですわ。視野が狭くなりますもの。だから、些細な事も見落としてしまうんですの」
ご覧なさいと、姫様が指差したページは、挿絵が描かれていました。その端の部分。普通に見ていれば見逃してしまうであろう部分に、小さなドラゴンが描かれていました。
小さな黒いドラゴン。闇色のドラゴン。そのドラゴンが、自身の五倍はありそうな巨人をブレスで消し去っているところが描かれていました。
「これは……」
「そして、このドラゴンについて書かれているのは、このページですわ」
神と竜の大戦について書かれている最後のページ。そこは、この本の作者のコラムが書かれていました。内容は、『終焉』と呼ばれる偉大なる黒き竜について。
作者によると、『終焉』は神代より生きる数少ないドラゴンの一体で、全てを終わらせる力を持っているそうです。
神と竜の大戦の時に、まだ若いドラゴンだったにも関わらず、その力で数多くの神を消し去り、神から大いに恐れられたのこと。
現代においても『終焉』は度々姿を表し、その際は必ず人間に大きな被害を与えていくそうです。国を一つ壊滅させるのは当たり前。酷い時には、人間の約半数が『終焉』によって消されたとか。
最強最悪のドラゴン。出会ってしまったら、覚悟を決めろ。コラムの最後は、そう締めくくられていました。
予想外です。これほどまでに強大なドラゴンだとは思いませんでした。
冒険者ギルドも、いずれこのドラゴン――『終焉』のことを突き止めるでしょう。いえ、もしかしたら、既に突き止めているかもしれません。そして、『終焉』のことを知った時、果たして冒険者ギルドは討伐依頼を出すでしょうか?
おそらく、出さないでしょう。依頼を出すとしても、そのランクはどのくらいになるのか。Sランクなどでは足りないと判断出来ます。それを考えると、冒険者ギルドが討伐依頼を出すとは考えられません。高ランク冒険者を無駄に投入して死なせるなど、愚かなことですから。
困りました。これでは、『終焉』を殺すことが出来ません。私一人で挑んでも、ブレスでやられてしまうだけです。姫様と二人では……足りないですね。
姫様は、サポート役を自認しています。補助・回復に究極的な適性を持つからこそ、そのように自認しているのです。
その一環として、姫様はあらゆる分析・解析の能力にも秀でています。姫様ならば、『終焉』が使う終わらせる力についても、必ず対応することが出来るはずです。
しかし、それでも足りません。攻撃役が足りないのです。最低でも後一人、つまり三人は欲しいところです。
諦めたくはないのですが、どうしましょう……。
悩んでいた私ですが、その悩みはすぐに解消することになります。いえ、悩んでいる暇がなくなった、と言うべきでしょうか。
後日、最悪の報告を聞くこととなったのです。それを聞いた時点で、私の悩みなどどうでもよくなってしまったのは当たり前でした。
……姫様。




