第六話
終わりは、見つけた。
終わりを、終わらせるものを。
さあ、終わらせろ。終わりを、終わらせてみせろ。
強き者よ。強き人の子よ。お前は終わりを終わらせられるか。
その姿を見つめ、『終焉』は嬉しそうに口元を歪ませた。
◆
炎と溶岩が支配する灼熱の地獄。炎獄山脈を少し登ると、そんな言葉がふさわしい風景が見えてくる。
足場は全て石と岩で出来ており、とても悪い。その足場からは時たま爆発が起こり、炎と溶岩を撒き散らす。
撒き散らされた溶岩は流れる川へと合流し、下へ下へと流れていく。もちろん、流れる川も全て溶岩だ。
この世に地獄があるならば、ここが一番相応しいだろう。
そして、その地獄の支配者が『真紅竜』と呼ばれる上位種のドラゴンだ。
魔法に対する高い抵抗力と、鉄などとは比べ物にならないほど硬い鱗。その気性は、荒すぎるの一言だ。真紅竜以外はおろか、同族である他の真紅竜すら獲物としか見ないほどに。
地獄の支配者である真紅竜。真紅の鱗の凶暴なドラゴンは今、俺の目の前で死んでいた。
「……これほどの奴かよ」
少しの怯えを含んだ感嘆の声を出すほど、その死体は綺麗に消えていた。本来だったら五十メートルを優に超えるであろうその巨躯は、今や半分以下のサイズになっている。消えているのは、その巨躯の下から半分だ。
正直、話を聞いた時は話半分で聞いていたことは認める。心の何処かで、俺はそんなことはあり得ないと思っていた。いや、あり得てほしくないと思っていた。
だが、こいつは驚きだ。話の通り、真紅竜が綺麗サッパリ消えてやがる。
食い千切られたわけではない。斬り殺されたわけでもない。爆発四散したわけでもない。
本当に、綺麗サッパリ消えている。消えたであろう部分は、周囲には見当たらない。
死体の頭部に回りこむ。どこか驚いたような、そんな表情で死んでいる。あるいは、何かに怯えているような。
怯えているとしたら、何に怯えているのか。真紅竜が怯えることは、通常あり得ない。戦いにおいてはその闘争本能を剥き出しにして、追い詰められればさらに闘争本能を剥き出しにする。
無限存在するマグマのような闘争本能の塊。死ぬまで負けを認めず、どんなものにも屈しない。それが真紅竜のはずだが、これでは戦うことを恐れる子どものようだ。
もしかしたら、これは俺の未来の姿かもしれない。
まあ、そんなことを考えてるのは俺だけで、他の奴らは真紅竜に圧倒されてるみたいだけどな。
「見事なドラゴンじゃな。儂でもこいつは斬れるかどうか……」
「これが真紅竜……初めて見ましたわ……」
「これほどのドラゴンが大量に殺されているわけですね」
「フフ、どのようにして殺されたのでしょう? 興味深いですね」
「――不思議」
「オイッ、さっさと調査しようぜ。どっかのクソ女のせいで時間もねえんだしよ」
「なんですって!?」
いや、圧倒されてると思ったら、いつも通りに喧嘩を始めやがった。こいつら、ここに来てまで問題を起こすのかよ。
仕方がないので強引に進めることにした。無駄な喧嘩で時間を長引かせるのは、それこそ時間の無駄だ。
「黙れガキども。ここに来てまで保護者役なんてゴメンだ。各自、パーティ毎に真紅竜の殺害原因の調査を開始。何かわかり次第、集合して結果を報告。何もわからなくても、夕方にはここに集合だ。以上、さっさと取り掛かれ」
少しばかり殺気が混じってしまったのは、まあしょうがないだろう。ちょっとした不安が出ちまっただけだ。八つ当たりに近いのは否めないけどな。
だが、その甲斐もあってチームの奴らは全員俺の指示に従ってくれた。マックスだけは俺を親の敵でも見るような目で見てきたが、それは些細な事だ。俺が睨んだら、顔を青ざめて視線を逸らしてたしな。
何はともあれ、これでようやく調査を開始できる。予定よりも遅れて調査を開始することになったのは残念だが、そこは諦めるしかない。まだ調査期限には時間があるし、そもそも失敗した時のペナルティもない。
あくまでもこれは調査だ。ギルドが状況を把握するために出した依頼にすぎない。何もなければそれが一番なのさ。
そう考えなければやってられない。ギルドが念の為に発注した、ただの簡単な調査依頼だ。真紅竜が殺されているのは、ただの偶然だ。
……ああ、そんなふうに考えなきゃやってられねえのさ。
正直なところ、怖い。怖いほどに強い気配を俺は感じている。そして、気配の主は俺だけに気配を感じさせるように調整してやがる。
今も見ている。ここに来るまでも見ていた。近づくにつれその気配は強大になり、そして巨大になっていった。
頭を振って、恐怖を追い出す。ついでに、『恐怖耐性強化』の魔法をかけて、耐性を強化しておく。
最初から飲まれちまったら、勝てるものも勝てなくなる。戦えなくなる。心で負けたら、その時点で負けは確定だ。
何が来るにしても、情報は得ておくべきだ。何が出来るか、何が出来ないか。それを知るだけでも、戦いの流れをグッとこちらに引き寄せることが出来る。
時間を無駄にしないためにも、俺は調査をするべく歩き出した。
◆
「真紅竜の死体は十匹以上は確定。全部綺麗サッパリ消えておるわい。真紅竜を一匹も見かけなかったことから、真紅竜はここから既に逃げておるのじゃろう」
「フフ、真紅竜が逃げるほどの何かが、ここにいるということですね? ああ、どんな命をしているのでしょう」
キヘイが楽しそうに報告して、イシュが楽しそうに自らの想定を話す。
調査開始から数日。拠点としているベースキャンプで、俺達は調査結果を報告しあっていた。
といっても、わかったことはネジが吹っ飛んだ二人が楽しそうに話していることだけだ。それ以外のことについては、何もわかっていない。
真紅竜を消した手段もわからない。何がいるのかもわからない。逃げた真紅竜が何処にいるのかもわからない。
わからないこと尽くしだ。これでは、とても冒険者ギルドに報告など出来たものではない。
何もなければ異常なしと報告出来るんだろうが、今は明らかに何かが起きている。せめて、真紅竜を殺している強大な存在が何なのかを突き止めるまでは、帰ることは出来ないだろうさ。
「それよりも、そろそろまともなお風呂に入りたいですわね……」
「姫様、我慢して下さい。皆さん我慢しているのですから」
「わかってますわ。言ってみただけですの」
しかし、長期間の調査でだいぶストレスが溜まってるな。その筆頭はリリアとマックスだな。といっても、マックスは調査結果が思うように出ないから苛ついてるだけだろうが。
クソ、俺のミスだな。簡易拠点の『インスタントベース』でも持って来るべきだった。でも、あれは高いからな。出来れば使いたくねえ。
とりあえず、リフレッシュさせるためにも、俺以外のメンバーを一度麓の村に帰還させて、その間は俺一人で調査した方がいいかもしれない。むしろ、そうするべきだな。そうすれば、気配の主をおびき寄せやすくなるだろう。
「なあ、お前ら……」
一度村に戻れ。そう言おうとした時、俺達はそれを感じた。
それは、俺が感じていた気配だ。隠そうともせず、隠す気もない強大な気配。ちっぽけな人間ではとても太刀打ち出来ない、圧倒的過ぎる強者の気配。
プレッシャーは直接圧力となって、まともに動くことも出来ないほど。キヘイとイシュ以外は、呼吸すらままならない。
俺は全員に『恐怖耐性強化』をかける。呼吸が出来なかった連中は、大きく息をついていた。
全員動けることを確認して、各々テントから外へと飛び出す。全員がテントから出たのを確認して、俺も外に飛び出す。
飛び込んできたのは、地面に描かれた大きな影。雲の影かと思ったが、形が全く違う。ならば、これは何の影なのか。
上空を見る。そして、そこにそれはいた。
それは、闇だった。全てを飲み込む巨大な闇だ。全てを終わらせる闇の化身だ。
神に等しき生物の完成形。神代より生きる古き叡智。絶対的な頂点。
ドラゴン。
思わず屈服したくなるような威容と、見るだけで生命を失いそうなほど圧倒的な終わりの気配を示した、闇色の大いなる竜だ。
威風堂々たる見事なその巨躯。おそらく、真紅竜の四倍以上はあるだろう。なるほど、このドラゴンと比較したならば、炎獄山脈の支配者たる真紅竜もまるで赤子のように違いない。
俺の体がブルリと震える。それが恐怖なのか、憧憬なのか、あるいは武者震いなのか、俺にはわからなかった。
俺が動けなかったのと同様に、他の奴らも動けないみたいだ。こいつらは一体、何を感じてるんだろうな。
「……これは……物凄いのう」
「フフ、怖いですね。死んでしまいそうです」
ポツリと、キヘイとイシュが呟いた。目の前の巨大なドラゴンに飲まれてないとは、いい意味で尊敬しちまいそうだ。
そして、こんな状況下でも、キヘイとイシュは全くブレないとは、悪い意味で尊敬しちまいそうだ。
「出やがったな!」
「ワタクシが華麗に仕留めて見せますわ!」
続いて、リリアとマックが声を張り上げる。強者への恐れを吹き飛ばす咆哮だ。足の震えは誤魔化せないが、しかし二人は間違いなく立ち向かおうとしている。
勇敢なもんだ。あるいは無謀か。どちらにせよ、怖いだろうによくやるもんだ。
だが、この二人を戦わせるわけにはいかねえ。いや、ここにいる全員を戦わせる訳にはいかねえ。
俺達が受けた依頼は、真紅竜大量殺害の原因の調査だ。原因が判明した以上、ここに残るのは得策じゃない。
戦って勝つことが出来るかと問われたら、おそらく無理だと答えよう。このドラゴンに対する情報が何一つない。そんな状況で戦ったとしても、無駄に死んじまうのは目に見えてる。
なら、どうするか。この場合、取るべき手段はただ一つ。
速やかに離脱する。これだけだ。
とはいえ、このドラゴンが素直に見逃してくれるとは思わない。俺達の目の前に現れたってことは、こいつは俺達を仕留める気満々だってことだろうよ。
なら、全員死ぬか? 答えはノーだ。
確かに、勝つことは出来ないだろうさ。全員でかかっても、何分持つかもわからない。下手すりゃ秒殺されるかもしれねえな。
だが、時間稼ぎだったら話は別だ。誰かが囮になって、それ以外の奴らが撤退すれば、情報を持ち帰ることが出来る確率は高い。
まったく、とんだ貧乏くじを引いちまったもんだ。誰が好き好んでこんな役やりたがるんだよ。俺だってやりたくねえ。
だが、仕方ねえよなぁ。俺しかいねえんだ。他の奴らじゃ、完全に力不足だ。
だったら、やるしかねえな。
「……お前らは撤退しろ。なるべく早くな」
他の奴らよりも一歩前に出て、俺は声をかける。
リリアが俺に何か言い募ろうとするが、セリスが止める。わかってるんだろうな、二人とも。唇を強く噛んで悔しがってやがる。
「どれ、儂も残るとしようかの。どうせ、老い先短いんじゃ」
キヘイが俺の隣に並ぶ。やっぱりこいつは頭のネジが外れてる。こんな時でも笑ってやがる。すげえ奴だよ。
「ジジイ! 何してんだよ!」
マックスの叫び。なんだ、こんな声も出せるんじゃねえか。必死なもんだ。
「マックス! お前は逃げろ! 儂はこいつを食い止める!」
「何言ってんだよ! 死ぬまで面倒見てやるって言ってたじゃねえか! おい、ジジイ! 爺さん!」
ちらりと後ろを見ると、マックスが暴れてるのをイシュとニノが取り押さえていた。
「――さっさと逃げるべき。足手まとい」
「フフ、悔しいですがそうですね。私達の役目は、速やかに帰還することです」
そして、二人でそのままマックスを引きずっていく。囚人でも連行してるみたいだな。
おっと、忘れてた。これだけは言っておく必要があった。俺は振り向かずに声をかける。
「セリス、俺はこいつさっさと倒して帰還する。その時に、あの時の答えを聞かせてやるさ」
動揺する気配。このタイミングで言われるとは思わなかったんだろうな。
「……待っています。いつまでも」
そして、走り去る足音が聞こえた。二人分だ。リリアもセリスも、自分の役割を忘れてねえな。
しかし、待ってる、ねぇ。まったく、いい女じゃねえか。これは前向きに検討する価値ありだな。
「お主、惚れたのか?」
こいつ、この状況でそんなこと聞くのかよ。本当にブレねえ奴だ。
「いや、まださ。これからってところだな」
「そうかそうか」
好々爺然とした笑みを浮かべるキヘイ。俺のほうがランクは上でも、こいつには色々と勝てそうにねえな。食えねえジジイだよ。
さて、お喋りの時間もこれまでだ。敵は強大。こっちは弱小。
いいね、いい具合に絶望的だ。それこそ燃えてくるってもんだ。
神も出来なかったドラゴン退治。俺らでそれが出来るかね?
闇色のドラゴンの咆哮が、戦いの合図だった。




