第十話
冒険者ギルドの一階で昼食を取っている最中、その情報が私の耳に飛び込んできました。もちろん、姫様も一緒です。
一瞬、内容を理解することが出来ませんでした。嘘だと思いたかった。悪い冗談だと思いたかった。しかし、いくら耳を塞いでも、起きた現実は変わらないのです。
その証拠に、姫様は表情を失っています。その綺麗なお顔を真っ青にし、ピクリとも動きません。
「……冗談……ですわよね……」
ガクガクと震え、姫様は現実を受け入れることが出来ないようです。私も、この現実を受け入れることが出来そうにありません。
そして、理解するとともに、姫様の体はフラリと倒れてしまいました。
「姫様!?」
衝撃的過ぎる情報を聞いたとはいえ、反応が遅れてしまったのは騎士として恥です。いえ、それは今はいいですね。幸いにも、姫様は気絶されただけの様子。少しすれば、意識を取り戻すでしょう。
宿に戻るべきかと思いましたが、宿は少し遠いのです。姫様には座っていた席で我慢してもらいましょう。
もしかしたら、何かの間違いかもしれない。もしかしたら、誤報かもしれない。
万が一ということはわかっています。それでも、確かめずにはいられません。
「失礼、その情報は確実なものですか?」
「嘘は言ってないぜ。ギルドの職員が直接確認してきた情報だ」
その情報を叫んでいた冒険者が、鼻の下を伸ばしながら答えてきます。
冒険者ギルドは、ギルドと冒険者の信頼で成り立っているものです。つまり、ギルドからもたらされる情報は信頼性が高いということ。
よって、その情報は嘘ではないのでしょう。
ああ、神様。ただの冗談であって欲しかった。嘘偽りに満ちた情報であって欲しかった。私達が何をしたのでしょう。これは、試練か何かなのですか?
ロードリア王国が崩壊したなどと。
何故、ロードリア王国だけが……。何故、私達の故郷だけが……。滅ぼされたなど……。
目の前が真っ暗になりそうです。姫様と同じように気絶出来れば、どれだけ楽なことか。
いけませんね、姫様に言われたというのに。縛られては駄目だと言われたばかりだというのに、また同じ事を繰り返しそうです。
でも、落ち着けるわけがありません。唯一無二の故郷を、よりにもよってあの『終焉』に滅ぼされたのですから。
あの人のことといい、故郷のことといい、『終焉』はどれだけ私から奪っていけば気が済むというのでしょう。
もう我慢出来ません。依頼があろうがなかろうが、そんなことは関係ありません。
殺します。必ず、私が、確実に、『終焉』を殺します。
出来るか出来ないかではありません。やるかやらないかです。そして、私はやります。確実に、忌々しいあのドラゴンの首を切り落としてやります。
それ以外はもう、どうでもいい。何がどうなろうと、もう知りません。姫様以外、何も知りません。姫様さえいれば、もうそれでいいです。
「なあ、情報を教えたんだ。ちょっとくらい……なあ?」
情報を尋ねた男が、私に軽々しく声をかけてきます。何なんでしょう、この汚らしい男は。少し尋ねただけなのに、もう親しくなったつもりなのでしょうか。私の頬に添えられた男の指が不快です。
平手で皮膚を打つ軽い音が周囲に響きました。出したのは私です。
男は、私が叩いた右手首を押さえています。
「テメェ……」
男が睨んできますが、どういうことか全く何も感じません。滑稽ですね。しかし、この男は邪魔です。目障りです。さっさと私の目の前から消えて欲しいです。
ああ、消せばいいんですね。そう私が思いついた瞬間、男は既に消えていました。どうやら、無意識の内に蹴り飛ばしてしまったようです。これは反省しなくてはなりません。
男は冒険者ギルドのドアを破って外に飛び出したようですね。追う必要は……ないでしょう。運が良かったら生きてるかもしれません。どうでもいいですけど。
「セリス、やり過ぎですわ」
「申し訳ありません、姫様」
いつの間にか姫様が意識を取り戻していたようです。没落する前の、ただのお嬢様であった姫様ならば、そのまま床に伏せってもおかしくなかったでしょう。
お強くなられました。
ギルドの外から聞こえる叫び声や、食堂内から聞こえる話し声。全ての雑音が、不快です。不快じゃないのは、私が守るこの御方の声だけです。
「……意味がなくなってしまいましたわね」
姫様が呟いています。姫様が呟いた意味という言葉。それは、冒険者を続ける意味ということです。
元々姫様と私は、実家であるウェストハート家の借金を返すために冒険者をしていました。とある事業に失敗したウェストハート家は、莫大な借金を抱えていたのです。
それを返すためにありとあらゆる事業に手を出し、尽く失敗。借金だけが雪だるま式に増えていくという、悪夢のような状況に陥ってしまいました。
誰かに陥れられたのならば、その者に借金を押し付ける方法もあったでしょう。しかし、そんな人間はいないのです。全て、当時のウェストハート家当主――姫様の父君の無能故に起きたことだったのです。
結果は言うまでもありません。ウェストハート家は没落。騎士団は解散し、父君と母君は強制労働をさせるために金貸しに連れ去られてしまいました。姫様もそうなるはずだったのですが、そこはさすがの姫様。グリスでも塗ったようによく回る口で、相手を翻弄。姫様と姉君が冒険者となって借金を返すことを認めさせました。
ですが、ロードリア王国は崩壊。父君も母君も、金貸しも全て等しく死んでしまったでしょう。姉君についてはわかりません。私達と姉君は、家を出てから一度も会っていないのです。姉君が生きているのか死んでいるのか、それすらわかりません。
こうなってしまっては、冒険者として生きる意味はもうありません。いえ、生きる目的すら失ってしまったといっていいでしょう。
姫様がこれまで歩んでこれたのは、ひとえに借金を返し、愛する家族を救うという目的があったからです。そして、私の目的は、今では姫様をお守りするというものしかありません。
姫様が目的を失ってしまった以上、次の目的として考えられるのは……。
食堂という大衆の面前であるにもかかわらず、私は姫様に片膝をつき、騎士としての忠誠を示しました。姫様はおろか、食堂の客達も私の行動に驚いているようです。まあ、当たり前だとは思いますが。
「姫様、ご命令を」
「何ですって?」
そうです、姫様。命じて下さい。貴方が命じることならば、私は何でも成し遂げましょう。
「姫様、ご命令を。貴方が命令してくだされば、私は意思なき剣となりましょう。姫様の敵となる全てを屠る究極の剣となりましょう」
倒したいはずです。殺したいはずです。憎いはずです。
姫様、今の貴方は私と同じです。私と同じ、失った復讐者です。上っ面は装っても、心の奥底では、忌々しいドラゴンを討ち滅ぼしたいと思っているでしょう。
さあ、成し遂げましょう。仇を取りましょう。あの忌々しいドラゴンを見事討ち取り、散っていった者達の心の安寧を取り戻すのです。
「さあ、ご命令を。忌々しき闇色のドラゴンを殺せと、命令してください」
姫様の息を呑む音が聞こえました。
俯いているため、姫様の表情はわかりません。ですが、姫様が動揺しているのは気配でわかります。
さあ、姫様。ご決断を。私を使う決断を。私という剣で、あのドラゴンを討ち滅ぼす決断を。
どのくらい待ったでしょうか。おそらく僅かな時間なのでしょうが、今の私には長い時間に感じられます。
姫様が大きく息をつくのが聞こえました。雰囲気が変わっています。冒険者から、私を使う操者へと。私を率い、私を振るう操者へと。
「セリス、命令ですわ。『終焉』を打ち滅ぼしましょう。二人で、一緒にあのドラゴンを消し去りましょう」
二人で、ですか。少々予想外ですが、姫様ならば仕方ありません。
「その命令、承りました。姫様」
さあ、姫様。やりましょう。やってしまいましょう。私という剣で、あのドラゴンを屠ってしまいましょう。
姫様が食堂を堂々たる様子で出て行きます。私の位置は、その一歩後ろです。
姫様、貴方が望むなら、私は神でも悪魔でも斬りましょう。
私は騎士。姫様、貴方の騎士です。過去現在未来永劫、永遠に貴方の騎士なのですから。
カチリと、最後の歯車が嵌まる音が聞こえました。
◆
どうすればいいかわからない。誰に訊けばいいかもわからない。
寝ても、食っても、歩いても、何もかもがどうでもよく感じる。
まるで死んでるような気分だ。いや、俺は死んでるんだろうな。ジジイを失った時点で、俺はもう死んだも同然だったんだ。
だから、こんなにわからない。だから、こんなにどうでもいい。こんな世界、どうでもいい。
ボケたジジイみたいに、部屋の窓から外を眺める日々。宿の外はこんなに活気溢れてるってのに、ここだけはまるで別世界だ。
「マックス。ニノは『終焉』を倒しに行くそうです。貴方はどうしますか? 私は、貴方に従いますよ」
『終焉』……ジジイの仇か。
倒す……倒すか。倒すのも、いいかもな。
「……今はそれでもいいです。ですが、いつまでも、というわけにはいきませんよ?」
わかってるさ。言われなくてもわかってる。わかってるけど……駄目なんだ。
ジジイは教えてくれない。イシュは教えてくれない。ニノは教えてくれない。
どうすればいいかわからない。何をしたいのかもわからない。バカだからな、自分で自分がわからねえ。
「……まるで子供……いや、子供なんですね。まあいいです、見守るのも大人の務めですから」
仕方ないですねえ、なんてまるでイシュには似合わねえ。
でも、見守るか。見守られるだけ、恵まれてるんだろうな。
今は……眠ろう。その後、ゆっくり考えるさ。
バカだからな。バカだから、考えるのにも時間がかかっちまう。だから、ゆっくり考えるさ。
ああ、少し眠いな。
……寝るか。
◆
ああ、もう起きたのかい? 腕? 大丈夫。今回もバッチリさ。
心配してないって? それはよかった。ボクの腕前を信頼してないのかと思ったよ。君に疑われたら、ボクの心は粉々さ。
本当だよ。ああ、嘘はついていない。君に疑われるのは、ボクが一番恐れることだ。
具合はどうかな? 問題ない? それはよかった。
でも、今回で在庫は切れてしまったよ。また作っておくけど、しばらく無理は禁物だ。もしも今回みたいなことになったら、半年はそのままだからね?
しかし、君の傷を見た時は驚いたよ。こんなにも見事に終わっているなんてさ。斬ったわけでも、消されたわけでもないんだろう? 初めてだね、こんな経験は。
好奇心が刺激される。うーん、もっともっと知りたいね。
ああ、いけない。どうしよう、濡れてきてしまった。相手してくれるかい?
病み上がり? 大丈夫さ。腕をくっつけるのと同時に、エリクサーも飲ませておいた。君の体は、完全に健康体だ。
ボクが口移しで飲ませてあげたのさ。嬉しいかい? 嬉しいだろう?
さて、準備はいいかな? おいおい、逃げないでくれよ。大丈夫、優しくするからさ。
さあさあ、覚悟を決めなさい。何度もしてることじゃないか。君もボクも気持ちよくなってみんな幸せ、ハッピーエンドさ。
……おいおい、そんなこと言うなよ。心外だな。ひどく傷ついたぞ。一人の時は自分で慰めてるよ。
ボクが迫るのは君だけさ。君だけが、ボクの一番の大切な人だ。言い換えようか? 愛してる。
おや、赤くなったね。カワイイ人だ。だから好きなんだけどね。
じゃあ、いいかな? さあ、ボクと一緒に愛を育もうじゃないか。
そうそう、言い忘れていたけど、終わりの竜を討伐しに冒険者が旅立ったようだよ。
気になる? わかった、この後にでも詳しく話すとしよう。今は……ね? さあ、楽しもうか。




