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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界ファンタジー

爪先に火を灯して

作者: 独蛇夏子

 それは一通り修めた技の精度を問う、最終試験であった。

 爪先(つめさき)に火を灯す。

 爪先という局所に集中して、火を出現させるという高度な技である。


 強すぎず、弱すぎない、安定した蝋燭のようなその火を爪先に灯してみせたとき、黒い頭巾を頭からすっぽり被った翁は褒めて言った。

 「よいよい、素晴らしい出来じゃぞ。これは最年少の使い手になるぞい」

 皺の深い翁が、その青黒い顔に莞爾とした表情を刻み込むのを少年はよく覚えている。

 暗闇に灯った火の光が、彼の皺を深くして照らしていたのだ。


   *


 その後少年は、習得した火の能力を使いこなして、一味の仕事に従事した。

 一味は『マッチの火』という、闇の組織の一派だった。

 炎系統の能力を使用する一派であるそのグループは、社会の裏で暗躍する何でも屋だ。金を積まれて暗い仕事を請け負う。恐喝、強盗、人攫い、盗み、拷問、暗殺。日の下に晒せないさまざまなことをやった。

 少年はそのグループでも最上層の使い手とされていた。爪先に火を灯す、なんて芸当をやってのける使い手は組織の中でも一握りだったからだ。

 組織では赤ん坊の頃から、素晴らしい火の使い手になるよう、鍛える。さまざまな術を教え込み、一人前の組織の一員に育て上げる。何もないところから火を起こすことから、過熱から、再燃から、火にまつわるすべてを把握するようにさせる。できなければ、それまで。下っ端で終わる。極めれば組織の上層に食い込める。最終奥義まで習得できる者はごく僅かだ。子供たちは辛い修行の中、組織の権力者の立場という希望のみを目指して頑張る。

 少年はその中の、幸運にして強力な実力者であった。


 少年の人生は、赤ん坊の頃に決まっていたようなものだった。

 組織の行動規範に準じ、生きること。

 それ以上でも、それ以下でもなかった。


 組織の上層部の者は、おおよそ何でも手に入った。

 自分たちが稼いでくる金は莫大だし、下の立場の者たちが稼いでくる金も使えるからだ。

 ある者は酒に溺れ女を侍らし、ある者は豪邸を建てて怪しげな実験をし、ある者は下の者たちを「教育」することに生きがいを見出す。


 「俺たちは選ばれた人間なんだ。人を使え。金を使え。そして思うようにしろ。俺たちは何をしたっていいんだ、俺たちはそういう人種だ。な?」


 酒を勧められながら、少年はそんなことを言われたことがある。

 常に酒臭い、女に目がない、そんな堕落した生活を送っている彼はしかし、自らが言うように強かった。いつも油断も隙もない目つきをして、少年を見つめ、好む通りに酩酊していた。

 確かに彼の言う通りなのかも知れない、と少年は思った。彼はとても満足そうにしており、それはよいことのように思えたからだ。



 しかし少年は自分が人を使う理由も、金を使う対象も、思うようにする快楽も未だ知らなかった。

 組織に言われるがままに、仕事をこなし、闇に影を潜ませた。

 時にはあの爪先の火も使った。じわじわと人体の局部を焼き切ったり、高温にして喉を搔き切ったり、証拠を全て燃やしたり・・・・・・


 満足はなかったけれども、何の感慨も抱かず、静謐に少年は仕事をこなしながら、大人になっていった。

 それ以上でもそれ以下でもない。自らの能力を用いて、役割を果たしている、それだけでよかった。

 何の疑いもなかったはずだった。

 その時までは。


   *


 「私も殺すの」


 ある時、彼は言葉に詰まった。

 正直、それを困っていたところだったからだ。


 密造酒の一時保管庫の管理人一味を暗殺する仕事だった。その仕事については一瞬でケリがついた。月夜に自分の影を映したその一瞬で、彼は一通りの人物を葬っていた。

 それを見つけたのは、これまた抹消するよう言われていた赤ワインの樽の陰。

 蜜色の髪をした女がいた。


 ヒッと短く悲鳴を上げて、女は隅に縮こまった。手枷と足枷がされ、鎖を引きずっているところを見ると、捕縛されて置かれているらしかった。

 殺すよう指示されていたリストには入っていなかった。

 商品は全て隠滅するよう言われていた。が、商品かどうかも分からない。

 しかし、見られたからにはそのままにしておけない。

 女は陰に潜んで、怯えていたが、目だけはギラギラと輝いて、彼を見ていた。彼はその青い目に高温の炎を連想した。

 少年だった彼はこの時、既に若者となっていた。いくつもの仕事をこなしてきたし、無慈悲な判断など幾度も下してきた。


 真っ黒な髪に真っ黒な目。真っ黒な装束に対比的な真っ白な肌。

 自由自在の炎の術。

 彼は仲間から“死神”と呼ばれていた。


 しかし有情物を見つけて困ったのは初めてだった。


 「コトダ・ルオン」


 女は目を見開く。


 「間違いないようだな」


 愕然とした様子の彼女に、彼は断定した。

 組織の他の者が、追っていたはずの女だ。資料を見ていたので、覚えていた。実験所を逃げ出した精霊と人間の間の者、精霊人間の女。

 精霊人間はまだ謎の多い種族で、人間の姿かたちをしていて、個体ごとに自然の巡りやエネルギーに沿った能力を持っている。彼らは秘境ともいうべきところにひっそり暮らしているが、蔑視され、(マッド・)科学者(サイエンティスト)の餌食にされることが多々ある。彼の仕事にも、精霊人間の一集落の捕囚が過去にあった。

 コトダ・ルオンの能力は再生能力のはずだ。自らの体を、臓器を丸ごと失ったとしても、どこでも再生できる。可能なのは自分の体のみだが、狂科学者たちは彼女の体を限界まで試したがり、組織の方もその研究結果次第では応用して自己再生可能な人間を造り出したいと考えている。

 しかし、コトダ・ルオンは自分の体をバラバラにして通気口から逃げた。細い通気口に、自らの破片を少しずつ通し、遂には全肉片を外に出しおおせたのだという。

 青ざめる彼女に、彼は言った。


 「持ち帰る」


 特異な体質だが攻撃力は大したことはないはず。ならば、持ち帰ることは、十分可能なはずだった。


   *


 彼が仕事をした現場から本部までは距離があったので、彼はコトダ・ルオンと道中をともに過ごすことになった。

 道中、彼は彼女のさまざまな点に目を配った。逃げ出さないよう気を付けること、また、彼女の生存条件に気を配ること。

 特に後者においては発見が多かった。彼は異性と長時間、生活を共にしたことがなかったので、自分と同じように衣食住が必要な生物というものの共通点と違いにこまごまと気が付くようになった。


 「ねえ、何でこんなによくしてくれるの」



 彼女がそう訊ねたのは、本部にあと一日で着く、という日の夜だった。



 彼女は宿屋のベッドの上に座っていた。きちんとした食事を摂ってから沐浴して、身ぎれいな格好をして、寝る前に飲む茶の椀を手にしていた。

 それは彼女が捕えられてから、その日まで、要望通り与えられているものだった。

 訊ねる彼女は俯き気味で、青い瞳は茶椀を見つめて揺れていた。その表情は絶望に縁取られていた。

 彼は彼女のその様子を眺めて、不思議に思い、目をぱちくりとさせた。


 「お前が望んだことではないか」

 「そうだけど、そうだけど」


 彼女は肩を震わせて、遂に涙を零した。

 望み通りにしているのに、彼女が悲しんでいるのは何故だろう。彼は胸がざわついて、落ち着かない心地になった。

 それは彼にとって初めての経験であり、彼は自分が戸惑いを覚えていることに気付き、驚いた。


 「こんなに色々なものをくれても、私を明日には引き渡すのね」


 明日は本部に到着する日。

 彼は彼女が一味の本部に戻りたくないのだと知って、愕然とした。


 一体何故だろう。何故、彼女は本部に戻りたくないのだろう。

 彼はその夜、寝具に寝っころがり、彼女のさまざまな言動を思い出しながら、考えた。

 そういえば、最初、彼女はヒステリー気味に訴えた。戻りたくない。何故放っておいてくれないのか。実験材料になんかなりたくない。

 しかし一味の意向は絶対で、彼は今まで疑ったことはなかった。“持ち帰る方針”は固く、彼女の意思など関係なかった。だから彼女のヒステリックな叫びの内容をその時はよく考えなかった。

 思い出してみれば、彼女は一番最初から本部に戻りたくない旨を伝えていたし、実験施設から逃げ出していたのだった。本部は嫌なのだ。それが何故なのかは分からないが。

 彼は他人から傷付けられたことがないため、彼女が実験施設に戻りたくない理由までには考えが及ばなかった。

 が、何故だろう、という問いかけは、自己へも向けられる。

 何故、自分は彼女の意思を考えるようになったのだろう。


 叶わないと知ると、自棄になって彼女は喚いた。どうせなら普通に布団で寝たい。身体も清めたい。ご飯も食べたい。


 別段叶えられないことでもなかったし、自分も普段は布団で寝ているし身体も清めているしご飯も食べているので、なるほど彼女にもそれは当て嵌まるのだと気付いてその望みを叶えた。

 望みを叶えたのは彼女が自分と変わらぬ“生物”であると気付いたからだ。

 しかし。自分は彼女にその境遇を叶えてやることに、どこか満足を感じていなかっただろうか。

 

 宿屋の部屋の暗闇に、彼はふと起きあがって、人差し指を立てて爪先(つめさき)に火を灯した。

 大きすぎず、小さすぎない。蝋燭の火のように、安定したその火は、彼の指先に光の輪をつくって暖色を広げた。

 暗闇は更に黒く、火の周りだけ琥珀色のブランデーを満たしたように、光る。

 オレンジ色の火を見つめていると、暗闇の中に散っていた思考が、一点に集約されていくような気がした。

 そうか、と納得した。

 初めてこの火を灯したとき、確かに満足を感じていた。

 だから、印象に残っていたのだ。あの瞬間の、爪先の火も、光も、翁の皺も、匂いも、空間も。


 「なに?それ」


 彼女が布団から身体を半分起こして、眠そうにこちらを見ていた。

 起こしてしまったらしい。


 「爪先に火を灯す。我々の最終奥義」


 彼女は暗がりの青い瞳に火を映して、目をぱちくりさせ、ぼんやりと、そう、と呟いた。


 「きれいなのね」


 その瞳は悲しげに眇められた。


   *


 当然のことだったが、本部に戻って彼女の処遇について意見したら、何を言っているのだとばかりに非難囂々の嵐だった。

 帰還して組織の幹部会で発言すると、一同は顔を見合わせてどよめいた。彼が今まで組織に従順だっただけに、大混乱が起きた。

 「引き取りたいなどととんでもない。コトダ・ルオンは組織の大事な実験素材なのだ」

 「彼女は実験施設に戻ることを拒否しています」

 「そりゃそうだろうな。あの体質だと自殺もできまい」

 彼は一瞬呆然とした。

 「彼女が拒否することを、予測していたと?」

 「当たり前ではないか。その身を生きながら何度も切り刻まれ、さまざまな人体破壊を試されることになる。その苦痛から彼女は逃げたのだ」

 「まあ、実験体などそんなものだ。ほれ、なんだ、君がこの間調達してきた精霊人間の一団の中にも逃げ出そうとしたのがいたぞ。対精霊人間用拘束具で押さえつけたがね」

 「まさか君は実験体が自ら進んで実験体になりに来たと思っていたのか?」

 「つくづく面白いね、死神。感情が稀薄だとは思っていたが、これほどとは」

 「どうあろうと関係ないけどね。ともかく、コトダ・ルオンを持ち帰ったのだから、それを持ってきな。なんだ?お前はコトダ・ルオンに恋でもしたのか」

 「それだったら実験施設にいくらでも出入りできるんだから、実験施設ここでいくらでも睦めばいい」

 「精霊人間にしては普通の髪の色と目の色だったっけな。はははは、俺にも食わせろよ」


 彼の胸に湧きあがったのは、締め付けられるような思いで、怒りかも知れなかった。

 しかし、その次の行動理由は、自制された理性的な、願望の実現を目的としたものだった。

 彼は、かつて言われたことを思い出していた。

 俺たちは選ばれた人間なんだ。人を使え。金を使え。そして思うようにしろ。


   *


 「何を、どうするつもりなの」


 振り向くと、青ざめた表情で、彼女はこちらを見ていた。

 彼が足を止めると、単子葉類の両刃の剣のような葉がカサカサと音を立てた。足元はその植物や蔓植物でびっしり覆われ、頭上は木々の葉が鬱蒼と繁って光を遮っていた。

 彼女はこういうところを歩いたことがないかも知れない。歩きにくく、そして自分は少し急ぎ過ぎたかもしれない。

 そう思い至って、足を止めたが、さまざまな感情が混じったような表情を向けられて、彼は不思議に思った。


 「なんだ」

 「私をどうするつもりなの・・・前も訊いたわね」


 彼女は彼が組織から与えられていた住居に一時的に滞在していた。

 彼は会議場にいた幹部を皆殺しにした後、追っ手の追撃を躱して彼女を連れ出し、一味の目をくらまして森へ逃げ込んだ。

 ほとんど未踏の地といえる森ならば、探索の手もそう早くは回るまい。辺境の奥地へ行き、一味より先に地の利を生かせるようにすれば、勝算はある。

 そう考えてここまで来たのだが、いかんせん彼女はわけが分からず連れられてここまで来た。それに気付いて、彼は答えた。


 「僕は君を組織に渡さないことに決めた」


 彼女はその青い双眸を大きく見開いた。


 「だから僕も追われる身だ。組織の幹部をあらかた殺してきたから。その内、追っ手も来るだろう。この奥地に基地を作って、そこで応戦しようと思う。得るものより損失の方が大きいと気付けば、一味はそのうち僕らのことを諦める」


 彼女は唇を薄らと開き、愕然と彼を見た。


 「なんで。最初からあなたはわけの解らない人だったわ。なんで貴方は、私を助けようとするの」


 彼は彼女を見下ろした。蜜色の髪が縁取る頬は、最初に見たときよりずっと丸みがあって、血色がよいように思えた。


 「なんでだろうな。僕もまだよく分からない」


 近付くと、彼女は身体を少し強張らせたが、逃げはしない。ヒステリックだった頃の凄絶な敵意はみられない。


 「僕は組織に従ってきたし、それが当たり前のことだった。殺しもしたし奪いもしたし、拷問もした。そのことを、何も考えていなかった。だけどどうしてだろう、君と過ごして、僕は君を発見し、僕自身を発見した」


 不可解そうに眉をひそめる彼女に、目線を合わせるように身をかがめる。


 「僕は君に必要なものを、自分と同じだったり、違ったりすることで知っていった。そのせいかな。僕は君に与えることに、満足を覚えるようになった」


 俺たちは選ばれた人間なんだ。人を使え。金を使え。そして思うようにしろ。

 あの時言われた言葉の、彼自身の答えは、それを理解したときに出た。

 与えることに心の充足を得られるのなら、彼女の望み通りにしてあげたい、という自分の願望を一番に優先させよう。

 それが喜びであり、選ばれた人間である自分のやるべきことだ。

 だから、組織が彼女を実験体として望み、彼女がそれを拒否するから、自分は思うようにした。

 彼女の望みを叶えるための行動をとった。


 彼女は瞳に涙を溜めて、茫然と言った。


 「それで?私を連れて逃げるの。だったら私は故郷に帰りたいわ。それを叶えてくれる?」


 彼は少し考えて、答えた。


 「善処するが、今は逃げ、追っ手を諦めさせるまで戦うしかない」

 「今すぐ帰りたいの」

 「君がいたところには、おそらくもう集落もないが」

 「分かってるわ!!」


 鬱蒼とした森に、荒げた声が吸い込まれていった。

 彼はわけが分からず、彼女を見ていたが、彼女は肩で息をして涙を流しながら、言った。


 「分かってるわ。もう集落もないし、家族も実験体なんでしょうね。故郷なんて、もうない」


 彼は困って、頭を掻いた。


 「叶えてやれない望みも、あるか」

 「あるわよ」

 「そうか、しかし、君は僕についてくるか、それとも自分でどうにかするか、どちらかしかない」

 「ひどいこと言うのね。私一人でどうにかなるわけがないじゃない。私にはもう、選択肢はひとつしかないのよ」


 泣きじゃくる彼女を、彼はどうすればいいか分からなかった。泣き止んで欲しかった。泣いているのは、なんだか嫌だった。

 それが何故なのか、またよく分からない。しかし彼は、彼女のそばにいた。

 泣き止むまで、ずっとそばにいた。


   *


 彼らは奥地に基地を作り、森の至る所に罠を張って、マッチの火の攻撃に応戦した。

 彼は組織の中でも物凄く強い部類であったので、ほとんど難なく対処できた。

 ある者は火炎放射に巻き込まれ、ある者は極細の火の帯に裁断され、ある者は自らが操る炎に炙り殺された。

 毎日たくさんの組織の人間が死に、焼け焦げた死体や木々が点在して広がった。

 鬱蒼とした森に潜む、罠や死神の気配を、追っ手は悉く怖れるようになった。


 彼は主張した。「僕は彼女とひっそり暮らしたいだけ。彼女の望みを叶えたいだけ。組織の内部のことは誰にも話さない。そんなことに興味はない。追撃を止めれば、こちらも一切手出しはしない」


 組織は彼とともに四天王と呼ばれた最上級の使い手を集め、彼を攻略するよう命じたが、使い手たちは皆拒否した。

 「あいつとやっても益がない。勝ち目がねぇ。真面目だったからな、精度が高い。飲んだくれの俺よりずっと優れた使い手だ、敵いやしねぇ」

 「馬鹿だな、実験体などくれてやればいいものを。損害こそあれ、このままでは組織が壊滅するぞ」

 「あの化け物のような使い手に、私の教育的指導が通じるとは思えないわネ」

 「とどのつまり、死神には誰も敵わないってことよ。あーあー、実験体一匹のためにとんでもねぇ大損しちまったなー」


 これを聞いた組織の最高齢の翁は、選択を下した。


 「組織の話が漏れると困るが、あやつはそのような物事に興味はなさそうだ。何の執着か知らんが、コトダ・ルオンに入れ込んでいるだけ。惜しいことをしたのう、千人死んだとしても手元に置きたい逸材だのに。千人死んだとて手に入らない。もうあやつに手出しをするな」


 彼は全力で組織の秘密を守ることを承諾させられ、組織と全くの無関係であるという相互無視の状態を手に入れた。


   *


 彼は森から出て、森に近い場所に家を建てることにした。清流の近くで、野原があり、土壌が豊富なところだった。組織以外の場所で生きるのは初めてだったが、彼女となんとか工夫しながら生活することになった。

 彼女は一時期の昼夜問わない組織からの攻撃に神経が過敏気味になっていた。些細な物音や気配にも怯える。が、森のすぐそばで家を建て、生活するうちに、以前の生活と重なるところがあるのか、徐々に落ち着いていった。

 彼は時に組織で得た能力を用いて、狩りや工作をした。火が必要なシチュエーションはかなりあり、彼は自分の能力が殺しや攻撃以外に行かせることがあるのだと知った。

 そして、意外なことに、彼女は彼と協力して生活することに前向きであり、共同生活は成立していった。


 夜、暗くなると、電気もない部屋の中で彼の火は役立った。

 指の爪先に、程よく制御された蝋燭のような火を灯すと、互いの顔が照らされて、二人しかいない世界であるかのような錯覚を起こす。

 彼はそのような状況に充足感を覚え、また彼女の表情も穏やかだった。

 その火のもとで、彼らはさまざまな話をした。


 「この火を初めてつくり出したのは、十歳の頃だった」

 「これってそんなに難しいの?」

 「一生できない者もいる」

 「ふぅん」

 「僕はこの火を使って人の喉を搔き切ったこともある」


 ごく普通にそのような話をする彼に、彼女はたびたび眉をひそめたが、彼の話は必ずきちんと聞いてくれる。

 彼は彼女の反応や、話から、さまざまなことを知り、死神といわれた自分の特異な人生によく思い至る。そして、自分の人間性にも思い至る。

 空気の加減や、火種になる空中物質の塵。爪先に集中させる火に入用な全てを満たして、彼は実現させている。


 「しかし、僕は思い出すんだ」


 琥珀色の光に照らされて、彼は熱い火を眺めた。


 「最終奥義には試験があって、組織の幹部の前でこの火を出現させることができると、披露する」


 真っ暗な部屋。目元に指先を近付けても見えないくらいの闇。

 その中に、幹部たちは潜んでいる。闇に潜む幹部たちを照らし出すのが最終課題。

 闇に対する落着きと、術を制御する熟練度。両方を必要とする。

 彼は、ひとつ息をついて、無心になって爪先に集中したのだった。


 「その時、僕は黒いフードを深く被った、翁の深い皺を見た」

 「成功したのね」

 「君が恐ろしいという、組織のための兵器が」


 彼女も火を見つめる。

 彼女は神妙な顔をしていたが、実は彼は充足感の中にいた。


 「僕はしかし、この火を見て」


 だから印象に残っている。


 「温かい、と思ったんだ」


 その光の輪が照らす範囲に、彼女の顔がある。

 こちらを見つめる青い瞳には、火が宿っている。

 日に焼けて精悍な趣をもつようになった彼は微笑んだ。


 「君がきれいだと言ってくれたから、やっと分かったんだ」


 彼女の華奢な手がそっと彼の腕に触れて、温もりがそこに宿った。




 その後、彼らは家族になって、末永く森の近くに暮らしたという。

 彼は彼女の平穏な生活を守り、家族のためにずっと働いた。

 それは、それこそ爪先に火を灯すような生活だったそうだが、彼女が彼に微笑みかけるようになってから、彼はその充足感を幸せと呼ぶようになったという。

誤字・脱字ありましたらメッセージの方にお願い致します。

少し整理しました。ほんの、少しだけです。2012.7.22

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