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第五章:繋ぎ合わされる欠片(フラグメント)

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『沈黙の百合亭』での日々は、絶望という名の厚い泥に塗り固められていた。

サキが初仕事を終えてから数ヶ月。彼女たちは、自らの魂が磨り減っていく微かな音を聞きながら、客の欲望を飲み込む「器」としての精度を、ただひたすらに高めさせられていた。



サキの指先は、客の「性的オーラ」をなぞるたびに鋭敏になり、その不浄な活力を無意識に喰らうことで、彼女の身体は皮肉にも瑞々しい美しさを保っていた。



シィカの呼吸は、受ける苦痛を無に帰す術を極め、その瞳は悟りを開いた者のように澄んでいった。



ワカハの脚は、舞台の上で舞うたびに鋼のように引き締まり、その闘争心は笑顔の仮面の裏側で、静かに、鋭く研ぎ澄まされていた。



だが、檻の限界は、ある夜、唐突に訪れた。




1.暴虐の予兆


その夜、サキは地下の集合部屋で、かつてないほど禍々しい「ゆらめき」を感じ取った。

それは、上層階の特室から立ち昇る、暴力と加虐に満ちたどす黒い紫のオーラだった。



(……ワカハちゃん! ダメ、あの人のオーラは……壊すための、殺すための色だわ……!)

ワカハの客として入ったのは、街の有力者であり、残虐な性癖で悪名高い男だった。



壁一枚隔てた向こう側から、ワカハの悲鳴が聞こえる。シィカもまた、システマの鋭い感応によって、従妹が今まさに身体を「物理的に」損なわれようとしている危機を察知し、深く、激しい呼吸で鉄格子を掴んだ。



だが、自分たちの「技」は、あくまで奉仕と受け流しに特化させられた呪いだ。この重厚な鉄の扉を打ち破る力は、今の彼女たちにはない。



その時、廊下の奥から、地響きのような、しかし決然とした足音が近づいてきた。




2.番人の「代償」


ガチャリ、と扉が開く。

そこに立っていたのは、いつものようにくたびれた麻のコートを纏ったトゥーグだった。



だが、その表情はこれまでに見たことがないほど険しく、その瞳は、何かを捨て去った男だけが持つ、静かな覚悟に燃えていた。



「……おじさん! ワカハちゃんが……!」

「……分かっている。動くな」



トゥーグは短く答えると、サキとシィカを連れて階段を駆け上がった。

ワカハの悲鳴が響く部屋の前。そこには、娼館の主人である女主人と、護衛たちが立っていた。トゥーグは彼らの前で立ち止まり、懐からずっしりと重い、泥に汚れた革袋を差し出した。



「……これを取れ。俺がこの街で泥を啜り、死体を片付け、番人を務めて貯め込んだ全ての金だ」



女主人は鼻で笑った。

「たかが番人の貯金で、うちの看板娘三人を買い取ろうってのかい? 笑わせないでおくれよ、トゥーグ」



トゥーグは無言で、腰に提げていた短い剣を抜き、傍らにあった机に突き立てた。

そして、彼は迷うことなく、自分の左手をその刃の下に置いた。

「――っ!?」



サキが息を呑む間もなかった。

トゥーグは躊躇なく、自らの左手の小指を、その根元から切り落とした。

溢れ出す鮮血。だが、彼は眉一つ動かさず、切断された指を金貨の袋の上に置いた。



「……足りない分は、俺の『身体の一部』で払う。この街の古いことわりだ。……これで、この娘たちの身分を『無銘』から『俺の所有』へ書き換えろ。文句は言わせねえ」



その場にいた全員が、トゥーグから発せられる圧倒的な、しかし静かなる重圧に気圧された。彼は魔法も、秘めた技も出していない。ただ、自らの命の欠片を差し出すという「狂気」に近い意志だけで、娼館の理をねじ伏せたのだ。

女主人は、トゥーグの瞳に宿る、逃げ場のない「死」の気配を悟り、忌々しげに金と指を回収した。



「……勝手にしな。そんなボロ雑巾三人、野垂れ死ぬのが関の山さ」




3.断絶と解放


トゥーグは部屋の扉を蹴り開け、縛り上げられていたワカハを抱き上げた。

「……すまねえ、遅くなったな。……ワカハ、歩けるか」

「おじさん……指が……血が……っ」



「……指の一本くらい、安すぎる買い物だ。気にするな」

トゥーグは傷口に布を巻き、止血もそこそこに、三人を連れて『沈黙の百合亭』を後にした。



廊下ですれ違う番人たち。彼らはトゥーグに道を譲った。五十代のさえない番人が見せた、自らの身を削る「覚悟」に、誰もが言葉を失っていたからだ。

深夜の冷たい空気。



リグナ・ヴァリの街の石畳を踏みしめ、四人は街の外れにある、今にも崩れそうな宿屋『割れた月亭』へと辿り着いた。




4.『4つの欠片』の誓い


宿の二階、月明かりだけが差し込む一室で、トゥーグは椅子に腰を下ろした。

左手の包帯からはまだ血が滲んでいる。だが、彼はその痛みさえも、自身の欠けた人生の一部として受け入れているようだった。



「……さて。……俺は貯金を全て吐き出し、指の一本も、もうこの街の担保に入れちまった」



トゥーグは、三人の顔を一人ずつ、静かに見渡した。

「……いいか。俺は、もうお前たちの『檻』を見張る番人じゃねえ。……そして、お前たちも、もう誰かの欲望を満たすための『商品』じゃねえ。……だがな」



トゥーグの声が、より低く、厳しさを増した。

「……お前たちは、もう、元の世界のような『ただの人間』にも戻れねえんだ。……この世界はお前たちの魂を削り、その身体に『消えない傷』と『呪われた技術』を刻み込んじまったからな」



サキは、自分の指先を見つめた。

そこには今も、他人のエネルギーを読み取り、糧にするための「ゆらめき」が見える。



シィカの呼吸は、苦痛を受け流すためのリズムを無意識に刻んでいる。

ワカハの身体は、舞台で踊らされた屈辱を、爆発的な跳躍力へと変えようとしている。



「……その汚れちまった指先も、痛みを殺す呼吸も、淫らに舞わされたその脚も……全部、捨てようとするな。……これからは、自分の命を守り、俺たちの『名前』を取り戻すための、本物の武器に変えていけ」



トゥーグは、自分の欠損した左手を、誇らしげに掲げて見せた。

「俺も……お前たちと同じだ。……まともな人生からはみ出した、ただの『欠片』に過ぎねえ。……だから、四人で繋ぎ合わせるんだよ。……一人じゃ足りねえ欠けた部分を持ち寄って、このクソッタレな世界を生き抜くための、一つの『形』にな」



サキは、トゥーグの言葉を聞きながら、初めて自分の内側で「魔力」が穏やかに、温かく波打つのを感じた。



客を喜ばせるための道具でも、自分を呪うための鎖でもない。

仲間を支え、共に歩むための、自分たちだけの光。



「……はい。……トゥーグさん。……いえ、私たちの『リーダー』」

サキが口を開いた。その瞳には、もう絶望の影はない。



シィカは静かに、トゥーグの傷を癒すための和歌を口ずさんだ。

『指を欠き 身を削りても 守りゆく 四つの絆に 月は満ちなむ』



ワカハは、トゥーグの膝に顔を埋めて泣き、そして笑った。

「おじさん……。あたし、次はもう、誰のためにも踊らない。……この脚は、あたしたちの道を邪魔する奴らを、ブッ飛ばすために使うよ」



トゥーグは、眉間の皺をわずかに緩め、残った右手でワカハの頭を乱暴に撫でた。

「……ああ。……明日からは、もう番人の顔色を伺う必要はねえ。……自分たちの手で、依頼(仕事)を勝ち取り、自分たちの名前を、この荒野に刻んでいくんだ」



リグナ・ヴァリの夜が明ける。

エルダー・ポストの光がゆっくりと街を包み込む中、かつて名前を奪われた四人の転生者たちは、こうして一つの「チーム」になった。



『4つの欠片フラグメンツ』。

彼らの物語は、地獄の底から這い上がったこの夜から、本物の「伝説」へと動き始めたのだ。



サキの指先には、もはや不浄なゆらめきは見えなかった。

そこにあるのは、仲間たちの魂を繋ぎ止めるための、強く、気高い、黄金色の輝きだけだった。






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