「深キ場所ニ来タレ」——40層への宣言
配信開始のカウントダウンが画面に表示された。三、二、一——。
モニターの向こう側に、光の洪水が広がった。
視聴者数がリアルタイムで跳ね上がっていく。開始三十秒で百万人を突破。一分で百五十万。俺が配信画面の前に座っただけで——この数字だ。免許停止と復活の一連の騒動が、視聴者の関心を爆発的に引き上げていた。
「——久しぶりだな。柊一颯、復活配信だ」
コメントが滝のように流れた。
【おかえり!!!】
【免許復活おめでとう!】
【待ってました鑑定おじさん!】
【クロノスざまぁぁぁ】
俺は苦笑した。鑑定おじさん。三十二歳でおじさん呼ばわりは——まぁ、ダンジョン配信者の平均年齢を考えれば仕方ない。
「ありがとう。色々あったが——俺は元気だ。今日は報告がある」
コメントの流れが一瞬止まった。二百万人の視聴者が息を呑む。数字がまだ上がり続ける。百八十万、百九十万——。
「40層以深への挑戦を、正式に開始する」
【は????】
【マジ??40層って未到達領域じゃ??】
【人類未踏だぞおおお】
【鑑定おじさんが???Cランクが???】
マコトのコメントが流れた。
【マコト: 40層以深は公式記録上、人類未到達。過去に到達した探索者がいたという非公式報告はあるが、10年前の話。現在のダンジョン構造との互換性は不明。柊さん、根拠は?】
さすがマコト。冷静な質問を的確なタイミングで投げてくる。
「根拠は——ダンジョンからの招待状だ」
俺は凛と共に解読したメッセージを画面に表示した。深キ場所ニ来タレ。汝ノ眼ハ我ガ声ヲ聴ク唯一ノ器ナリ。
コメント欄が爆発した。視聴者数が二百万人を超えた。
【ダンジョンが呼んでるってこと!?】
【ドクター: 医学的見地からは精神汚染の可能性も検討すべきですが……鑑定データとの整合性が取れているなら、客観的事実と見做せます】
【シロ: データ解析の結果、メッセージの信頼度97.3%。偽装の可能性は極めて低いです】
【凛ちゃんキタ!】
【シロさんが太鼓判押すなら間違いない】
凛が自分のアカウントでコメントしたらしい。横で配信を見ているはずなのに、律儀にコメント欄経由で情報を出す。「データは公開するのが原則です」と以前言っていた。その信念は一貫している。
「挑戦メンバーは——俺と三島大輝の二人だ」
カメラの横に立った三島が、右手を上げた。左腕のギプスが画面に映る。
【ギプスの人キタwww】
【三島くん骨折してんじゃん!】
【大丈夫なの??】
「三島は現在、左腕骨折で戦闘不能だ。だが配信サポートとして同行する。カメラ操作、データ記録、周囲の警戒——戦闘以外の全てを担当する」
三島がカメラに向かって頭を下げた。
「ご心配おかけします。右手は動くんで——先輩の目になります。よろしくお願いします」
【根性あるなこの子】
【マコト: 合理的な判断です。鑑定スキルの使用に集中するために、サポート要員は必須。三島くんの探索者としての感覚は戦闘不能でも活きる】
配信はそこで一旦終了した。詳細な日程と準備状況は追って告知する。画面を切った瞬間——二百十万人の数字が目に焼き付いた。
◇
翌日、久我山の装備店カーゴ。
店内に入ると、鉄と油と革の匂いが鼻腔を満たした。久我山がカウンターの奥から木箱を二つ抱えて出てきた。腕の筋肉が盛り上がる。五十代後半とは思えない力強さだった。
「待ってたよ。できてる」
一つ目の箱を開けた。中にあったのは——三島用の装備だった。
軽量の胸甲と肩当て。通常の探索者装備より一回り小さい。左腕がギプスで固定されている三島のために、左側の肩当ては着脱式に改良されていた。
「片腕でも着れるように調整した。素材は俺の在庫の中で一番軽い蒼銀合金。防御力は並だが、重さは通常の半分だ」
三島が胸甲を手に取った。右手だけで持てる軽さ。目が潤んでいた。
「久我山さん……これ、いくら——」
「金は取らねぇよ。鋼一郎の息子からは取れん」
もう一つ。短い片手剣。柄が右手に特化した形状に削られている。三島が握ると——ギプスの左腕を使わずに、右手一本で自然に構えられる設計だった。
「あくまで護身用だ。本格的な戦闘は無理だが——40層で何が出るか分からん。丸腰よりはマシだ」
三島は剣を握りしめた。軽く振ると、空気を切る音が鋭く響いた。
二つ目の箱は——俺の装備だった。
久我山が箱の蓋を開けると、中に鑑定眼鏡が一つ。俺が今使っているものと形は似ているが——レンズの色が違った。通常の星霜鉱レンズは淡い青色を帯びている。だがこのレンズは——深い紺色で、奥に微かな光の粒が浮遊しているように見えた。
「星霜鉱の精製度を上げた。通常の三倍の純度で再結晶化させてある。レンズの情報処理能力が——従来品の二倍以上になるはずだ」
手に取った。フレームは新品で、指に触れる感触が滑らかだった。金属の冷たさではない。体温に馴染むような、微かな温もりがある。レンズを通して店内を見ると——通常よりも鮮明に、物体の輪郭がくっきりと浮かび上がった。
「久我山さん。これ——いつ作ったんだ」
「お前が免許停止になった日からだ。どうせ復活するだろうと思ってな。鋼一郎もそういう男だった。止められても、止まらない」
久我山が視線を逸らした。窓の外を見ている。十年前に消えた相棒のことを——思い出しているのだろう。
「ありがとう」俺は眼鏡をかけ直した。新しいレンズが——世界を書き換えた。
◇
店を出る時、蒼真が二階の窓から顔を出した。
「柊。40層に行くのか」
「ああ」
「……いざという時は——駆けつける。久我山さんに場所は聞いておく」
Aランク探索者の申し出。クロノスを追われた男が——それでもまだ、戦う意志を持っている。俺は頷いた。
桐生からもメッセージが来ていた。『40層挑戦の独占取材権、いただきますよ。記事は既に準備中です。世論の後押しは任せてください』。ジャーナリストの矜持と打算が同居した、桐生らしい申し出だった。
そして朝霧。暗号化アプリ経由の短いメッセージ。『管理局内から見守っています。何かあれば——こちらから動きます。くれぐれも気をつけて』。管理局の内側にいる協力者。彼女がどれだけの危険を冒しているか、俺には分かっていた。
仲間が——揃った。表に出る者。裏で支える者。それぞれの立場から、40層への挑戦を後押ししてくれている。
◇
その夜、布団の中でスマホを開いた。
暗い部屋に画面の光が浮かぶ。枕元に置いた新しい鑑定眼鏡のレンズが——暗闇の中でも微かに光っていた。星霜鉱の結晶が放つ燐光。冷たい紺色の光が、天井に淡い模様を描いている。
その時——鑑定眼鏡のレンズが一際強く明滅した。
俺は眼鏡を手に取り、かけた。暗い部屋の中で——レンズの中にテキストが浮かび上がる。
┌──────────────────────────────────┐
│ <ダンジョンコア・追加メッセージ> │
│ │
│ 「サレド警告スル。 │
│ 汝ノ背後ニモ、 │
│ 深キ場所ヲ望ム者ガイル。 │
│ 其ノ者ハ——汝ト同ジ道ヲ、 │
│ 異ナル目的デ歩ム」 │
│ │
│ 発信源:ダンジョンコア(能動送信) │
│ 優先度:警告 │
└──────────────────────────────────┘
背筋に悪寒が走った。布団の中なのに——体が冷えていく。レンズの紺色の光が顔に当たって、冷たい。
汝ノ背後ニモ、深キ場所ヲ望ム者ガイル。
鷹取か。いや——朝霧のメッセージが頭をよぎった。影山局長が40層付近のデータを頻繁に閲覧している。十七回。通常業務では説明できない回数。
影山の顔が浮かんだ。管理局局長。振り子時計のある暗い執務室。あの男の目は——いつも何かを隠していた。
深キ場所ヲ望ム者。俺と同じ道を、異なる目的で歩む者。
ダンジョンは——敵が一つではないことを告げている。
眼鏡を外した。レンズの光が消え、部屋が闇に沈んだ。だが目を閉じても——メッセージの文字が瞼の裏に焼き付いていた。
明日。全てが始まる。
◇
翌朝、午前六時。サードダンジョン・ゲート前。
朝日が東の空を切り裂いて昇ってくる。だがゲートの巨大な影が——朝日を遮っていた。高さ二十メートルを超える光の柱。十年前に出現して以来、東京の空を永遠に変えたダンジョンの入口。
足元が——震えていた。
地震ではない。ダンジョンの振動だ。地面が脈打つように、規則的に揺れている。二秒に一回。昨夜、窓から見た光のパルスと同じリズム。ダンジョンの心臓の鼓動が——地面を通して伝わってくる。
「先輩、これ——地面が揺れてます」三島が足元を見た。右手で片手剣の柄を握っている。左腕のギプスに朝日が当たって白く光っていた。
「ああ。ダンジョンが——反応している」
俺は新しい鑑定眼鏡をかけた。星霜鉱の高純度レンズが——ゲートの情報を読み取り始める。
┌──────────────────────────────────┐
│ <ゲートスキャン結果> │
│ │
│ 名称:サードダンジョン・第二階梯入口 │
│ 状態:覚醒移行中(Awakening Phase) │
│ 階層構造:第二階梯——試練の回廊 │
│ 探索者レベル制限:解除 │
│ 読み手特権:有効 │
│ 推奨パーティ人数:——測定不能 │
│ │
│ ※警告:当該階梯は構造不安定状態です │
│ 構造更新の発生確率:算定中 │
└──────────────────────────────────┘
推奨パーティ人数——測定不能。
これまでダンジョンの鑑定情報は、常に具体的な数値を返してきた。推奨レベル、推奨人数、危険度。それが——測定不能。前例がないということだ。
「先輩。何が見えますか」三島が配信カメラを構えた。右手一本で安定させている。さすが探索者の体幹だ。
「第二階梯——試練の回廊。レベル制限は解除されてる。読み手特権は有効。だが推奨パーティ人数が——測定不能だ」
配信のコメント欄が一気に加速した。
【測定不能ってなに!?】
【マコト: 前代未聞です。ダンジョンの情報システムが推奨値を算出できないということは、この階梯の脅威度が既知のパラメータの範囲外にある可能性が高い】
【ドクター: 引き返す選択肢も考慮してください。未知の領域での探索は、心身への負荷が計り知れません】
【シロ: アイリス接続確認。リアルタイム解析、開始します】
ゲートの奥から——振動が変わった。
今までの規則的な脈動とは違う。もっと深い。もっと重い。地面だけではなく、空気そのものが震えている。ゲートの光の柱が一瞬——紺色に変わった。俺の鑑定レンズと同じ色。
「……来い、と言ってるのか」
俺は一歩、踏み出した。三島が横に並ぶ。ギプスの左腕を胸に抱え、右手にカメラを構えた若い探索者。二百万人の視聴者が見守る中——俺たちはゲートの光の中に足を踏み入れた。
ダンジョンが——目覚めつつある。




