48時間の猶予——避難と混乱
正確に言えば、世界は二つに割れた。
俺たちが24層を拠点に深層への避難伝達を準備している間に——地上では、桐生恭子の速報記事が炎上していた。「D-rank探索者・柊一颯、世界初の30層到達と同時に大規模構造更新を警告」。見出しだけで十万リツイート。そしてその下に並ぶコメントが——綺麗に真っ二つだった。
「柊さん。状況をまとめます」
凛の声がイヤホン越しに聞こえる。彼女は地上のマンションから、アイリスのモニターで俺たちの位置と深層の生体反応を追跡し続けている。三日目の徹夜だが、声に疲労の色はない。使命感が彼女を動かしている。
「まず反応ですが——二つに割れています。配信の視聴者、探索者コミュニティの約七割が避難を支持。残りの三割が——」
「D-rank配信者の戯言だと」
「はい。特にクロノス系列のギルドが公式声明を出しました。『根拠不明の情報による恐怖煽動は、探索者コミュニティの秩序を乱す行為である』と」
鷹取の差し金だろう。あの男は——政治力で現実を曲げようとする。ダンジョンの構造更新は物理現象だ。政治声明では止まらない。
「管理局は?」
「公式見解はまだ出ていません。ですが——千歳さんから内部情報がありました。影山局長が緊急会議を招集したそうです。議題は『ダンジョン構造変動の可能性と対応方針』」
「避難勧告は?」
「出ていません。会議は継続中で——意見が割れているそうです。千歳さんが避難勧告の即時発令を主張しましたが、影山局長は『根拠不十分。D-rank配信者の主観的鑑定結果のみでは行政判断の基準を満たさない』と却下したと」
根拠不十分。十年前にも同じ言葉で——何かを封印したのではないか。あの男は。
48時間のうち、すでに6時間が過ぎた。残り42時間。管理局は会議をしている。俺たちは——動いている。
営業マン時代の教訓がある。会議で何時間議論しても、現場に行かなければ何も変わらない。足で稼ぐ営業マンが最後に勝つ——リストラされた俺が言うのもなんだが。
一方で——鷹取は動いていた。凛が掴んだ情報によると、クロノスの本部では緊急幹部会議が開かれ、鷹取自身が「全チーム即時撤退」を指示したという。表向きは俺の配信を否定しながら、裏では俺の鑑定の正確さを認めている。あの男は——敵だが、馬鹿ではない。自分の部下を死なせるほどの愚か者ではない。
◇
25層に到達した。
アイリスの生体反応マップを確認する。25層にいた3名のパーティAは——移動中だ。上層に向かっている。自主的に撤退を始めたらしい。
「凛。パーティAは自力で上がっている。問題は——」
「27層のパーティBと26層のパーティCです。特に27層のパーティBは——移動の気配がありません。停滞しています」
停滞。つまり、情報が届いていないか——届いていても信じていないか。
俺たちは26層に向かった。三島が先頭。剣を抜いた状態で通路を進む。深層のモンスターは25層以降、格段に強い。だが三島の剣捌きは——28層のボス戦を経て、確実に成長していた。蒼真との共闘で学んだ無駄のない太刀筋。久我山の剣の性能を最大限に引き出す握りの深さ。
26層でパーティCを見つけた。
四人組。装備から見て——Bランク相当のパーティだ。広い空間でキャンプを張り、休息を取っていた。焚き火の匂い。携帯食料のパッケージが散らばっている。リーダーらしき男が俺たちを見て——警戒の目を向けた。
「誰だ。何の用だ」
「柊一颯。探索者配信者です。緊急の避難情報を伝えに来ました」
「避難?」
リーダーが眉をひそめた。四人の中で一人——若い女性が目を見開いた。
「あ——配信者の柊さんですよね。30層到達の」
「知ってるのか、ミカ」
「配信見てます。ダンジョンの構造更新——本当なんですか」
俺は鑑定眼鏡を示した。レンズ越しに見える更新カウントダウンを——アイリスを通じて彼らのスマホに転送できないか。
「凛。パーティCのスマホにアイリスの簡易ビューを送れるか」
「やってみます——圏外ですが、近距離Bluetoothなら」
三十秒後、ミカのスマホにアイリスのデータが表示された。更新カウントダウン。影響範囲。生存保証なしの文字。
リーダーの表情が変わった。
「……これが本物だとして、どうやって証明する」
「証明はできません。ですが——あなたの命を賭ける価値があるかどうか、自分で判断してください」
営業マンの基本。相手に判断を委ねる。だが——情報は正確に、全て開示する。
パーティCのリーダーが——仲間を見た。全員が頷いた。
「撤退する。ミカ、荷物をまとめろ」
「了解です!」
四人が急いで撤退準備を始めた。その背中を見ながら、俺は安堵の息を吐いた。四名救出。残り——13名。
◇
27層への降下は——困難だった。
通路が狭い。天井が低い。三島が何度も頭をぶつけている。深層特有の圧迫感。空気が重い。酸素濃度が地上より低い。肺が苦しくなる。
パーティBは27層の最奥部にいた。五人組。装備のレベルが高い。全員がAランク相当——いや、クロノスのエンブレムが見えた。
「クロノスの先遣隊か」
リーダーが振り返った。厳つい顔の男。身長は二メートル近い。大剣を背負っている。
「ああ? お前——柊一颯か。鷹取さんから聞いてるぞ。D-rankの配信者だろ」
敵意。鷹取の部下だ。俺に対する印象は——最悪に近いだろう。
「構造更新の件——」
「聞いてる。配信で見た。だが俺たちには俺たちのミッションがある。鷹取さんの指示で27層の調査中だ。撤退する理由がない」
「48時間後に——この層は崩壊する可能性がある」
「D-rankの鑑定を信じろって?」
笑い声。五人のうち三人が笑った。残り二人は——笑っていない。若い男と、中年の女性。二人とも目が真剣だ。
「お前の鑑定が本物だとしても、俺たちはAランクだ。構造変動くらいで死にはしない」
「生存保証なし、と——ダンジョンのコアが表示しています」
「コアが? お前、コアと会話してるとでも——」
その時、壁にひびが入った。
小さな亀裂。だが——鑑定眼鏡が反応した。レンズに赤い警告文字が流れた。
┌──────────────────────────────────┐
│ <警告> │
│ 構造更新の前兆現象を検出 │
│ 27層壁面構造に微細亀裂:147箇所 │
│ 更新タイムライン修正: │
│ 当初予定より前倒しの可能性あり │
│ 現在のカウントダウン:41:23:07 │
│ 修正予測:更新開始まで最短29時間 │
│ ※前兆段階での部分崩壊リスクあり │
└──────────────────────────────────┘
「更新が——前倒しになる可能性がある」
声が震えた。自分でも分かるほど。
クロノスのリーダーが——壁のひびを見た。表情が変わった。Aランクの探索者なら、壁の亀裂が何を意味するか、体で分かるはずだ。
「……嘘だろ。ダンジョンの壁にひびなんて——」
二つ目のひびが走った。天井から。粉塵が舞う。石の欠片が落ちてきた。三島の肩に当たった。
「先輩——」
「ああ。始まってる。前兆が——始まっている」
クロノスのリーダーが——舌打ちした。プライドと現実の間で揺れている。Aランクの矜持が、D-rankの言葉を認めたくない。だが壁のひびは——嘘をつかない。
「……鷹取さんに連絡を取る」
「通信圏外です。27層では——」
「分かってる!」
リーダーが怒鳴った。自分の無力さに対する怒りだ。
若い男が——進み出た。
「隊長。撤退すべきです。壁のひびは——本物です」
「黙れ。俺が決める」
三秒の沈黙。天井からまた石の欠片が落ちた。
「……全員、撤退だ。装備をまとめろ。三分で出る」
五人が動き始めた。プロフェッショナルの動き。三分——いや、二分で撤退準備が完了した。Aランクは伊達じゃない。
俺たちは合流して26層に向かった。九名の一団。壁のひびが——増えていた。通路のあちこちで、微細な亀裂が走っている。ダンジョンが——震えている。
「凛。更新が前倒しになる。最短29時間——いや、もっと早い可能性がある」
「データを確認しています。壁面の亀裂密度が加速的に増加しています。28層でも同様の兆候が——柊さん、急いでください」
26層通過。パーティCはすでに撤退済みだ。25層に向かう。
残る問題は——30層以深の5名。蒼真たちだ。
「先輩。蒼真さんたちは——」
「ああ。30層の向こうにいる。通信も届かない。鑑定のノードからも——記録が途切れている」
蒼真は自力で判断するだろう。あの男は——強い。だが構造更新の規模がどれほどか、情報がなければ判断もできない。
28層に着いた時——壁に新しいひびが入った。今度は大きい。幅一センチ。長さ三メートル。
壁の向こうから——低い轟音が聞こえた。ダンジョンの構造が、軋んでいる。
「凛——更新は48時間じゃない。もっと早い」
「分かっています。アイリスの予測を再計算中——柊さん。更新開始まで、最短で12時間の可能性があります」
12時間。当初の48時間から——36時間も前倒し。
コメント欄が凍った。配信は続けていた。今この瞬間も——50万人が見ている。
【12時間!?】
【嘘だろ!? まだ中にいる人がいるんだぞ!】
【管理局何してんだよ!!】
【頼む——みんな逃げてくれ】
24層のゲートが見えた。安全圏まで——あと少し。
その時、鑑定眼鏡のレンズが——赤く明滅した。




